第113話 魔獣
オルトロス。
伝説上の生き物を前にして夢でも見ている気分だ。
前にもヒュドラと戦ったことはあるが、あれはハルの実験の産物であり、言ってしまえば想像の産物に過ぎないものだった。
だが、こいつは違う。
負の力が形をとったモノだ。実体を持ち存在する化け物。
恐らくはアルティレナスの尖兵に位置する存在。
うなり声をあげる双頭に私は獰猛な笑みを浮かべる。
「……これっぽっちでボクに勝てるとでも?」
書に蓄積された記憶が語りかけてくる。
コレはそれほどまで恐れる存在ではないと。そう、継承者にとっては。
抜き放ったクロノスはクレアレアを帯びて鈍く輝く。
「最近強い相手がいなかったから力が有り余ってるんだ。調子もいいしさ。ねぇ、もちろん強いんだよね?」
巨大な光の柱が立ち上り地面が揺れる。
ワンシップの中からその様子を見ていたアストレは目を見開くとアラキアに問いかけた。
「アラキアくんもあんなことできるの?」
「あんなこと、って超高火力の攻撃のことですか? できないことはないですよ」
「継承者の力か……」
「ああ、でも僕の場合あまり数は打てませんしアルマほど強力でもないです。正式な継承者というよりは、たまたま適合して認められただけですし。まあ、元から援護型ですし。……そういえば、アストレ先生は眷属の契約って結ぶ気ありますか?」
「眷属? それって……」
アラキアもアストレもその言葉を耳にしたのはラースの話の中でだ。
眷属というのは継承者と契約を結んだ従者のことを指している。継承者の力の流れに組み込まれることによって通常より強力な力を扱うことができるようになる。
ラースによると古代文明時代には教皇に付き従う親衛隊のことを指していたらしいが、いずれの人物も教皇に対し忠誠を誓い同時に教皇も彼らのことを信頼していたという。強いきずながあって初めて成り立つ契約なのだと。
もちろんデメリットもある。
強い絆をさらに契約で固めるが故に眷属の思考は主に引きずられる可能性がある。それと同時にこれをメリットととるかデメリットととるかは人それぞれだが寿命が主次第となる。主の力の流れに組み込まれている間は生き続けられるというものだ。
主が死ねば死ぬのかと言われればそれは違う。その時点で眷属自身が寿命を迎えていれば死ぬ。
「こういうのは嫌なんですけど……僕達はもう、普通の人間じゃありません。だからこその提案なんですけどね」
「確かにアルティレナスとの戦いで戦力の補強にはなるね。聞いた限り誰でもなれるってわけでもないみたいだし。……他には誰か候補はいるのかな?」
「実際に契約を結ぶのはアルマですし……そうなるとあとは、結城総司令にカストさんくらいですね。あとは、できても弥田さんに……怪しいですけど、片山さんですかね。難しいでしょうけど」
「アルマちゃんだもんなぁ……」
「誰がなんだって?」
「げ」
背後から聞こえた声にアラキアとアストレは飛び上がる。
「あ、アルマ……戻ってきてたんだ……」
「むうぅ……」
明らかに不満げな顔をしたアルマは腰に手を当ててアラキアとアストレを見上げる。
「別に隠すようなことは話してないよ。ほ、ほら、アストレ先生に眷属の話してたってだけで」
「……ああ。……それだけ?」
「あとは候補の人たちが誰かなってだけだよ」
「ふぅん」
嘘は言っていない。
納得したのか腰から手が離れる。
「で、無事倒せたんだよね?」
「もちろん。……でも、やな感じがする。あのね、書の記録によると古代時代にもオルトロスが現れたことはあったらしいんだ。オルトロスっていう恐怖のイメージが形を持ったみたいでその地域に伝わる姿形によって見た目も能力もバラバラ。2本首だったり3本首だったり。犬だったり蛇だったり」
「ああ、それは僕も知ってる」
「場所によってはリバイアサンとヒュドラが混同されてたり。……でも状況が違いすぎるよ。蝕灰域特有の現象だと思いたいけど負のイメージが負の力で具現されてる。ただの負の力の寄せ集めじゃないんだ。汚灰の力と結びついて実体を持つ幻じゃなくて現物として具現されてる。まるでラークみたい」
「それはつまり?」
「主からの力の供給なく汚灰が具現し始めた。ううん、《使徒》という主よりももっと強大な力を持つ主から生み出され具現してる。アルティレナスがもっと力を蓄えれば《使徒》みたいに強力なやつもでてくるかも。そうなったら、それこそ普通のイスクじゃ対処できない」
そんなものが地球側に現れてしまえばいったいどれほどの被害が出るか。
「……実は、僕とアルマは相互に眷属の契約を結んでいるんです。ですからやろうと思えば僕らを地球とこちら側、別々に配置してさらに各々眷属の契約をほかの人とも結び蝕灰域に対応することは可能です。ですが」
「ボクが契約を結べそうな人が少ないっていうのと、地球に残っているイスクは緊急事態用の配置だから主戦力であるこちらと比べて眷属の資質がある可能性が低いっていう問題がある」
それにもう1つ問題があった。
眷属の契約は、主の力が及ぶ範囲でのみ効果を発揮する。
いくらアルマの力が強力とはいえ、何万何億光年も離れているとなっては当然その効果は薄くなる。それはアラキアにも言える。
互いに契約を結ぶ2人にとっては些細な差とはいえデメリットだ。
「ですから、離してしまうのは逆効果かと」
アラキアの言葉にアストレは深くうなずく。
「そうだね。それに、君たち二人は離れ離れだと精神衛生上もよくなさそうだし。……特にアルマちゃんがね」
「……むぅ」
「図星だからっていじけない」
「……むうぅ」
本隊へ戻り結城たちともこのことを協議する。今回は私たちも会議に参加していた。
オルトロス。
新たに現れた強力な敵性存在を大旅団は『魔獣』と命名した。
発案者はラースだ。
書の記憶通り彼が生きていた時代にも魔獣は現れていたらしく、眷属たちがその対応に当たっていたらしい。普通の人では対応することなどできず、自然災害と言ってもいいほどの破壊力を持つ存在だった。
その頃、古代人たちは負の力の影響を受け人に害成す存在を魔物と呼んでいたらしく、それよりも強力な存在を魔獣と名付けた。
皮肉なことに古代人たちが最初に確認した魔獣もオルトロスだったという。
その地域ごとに伝わる姿形は違うため見た目はかなり異なっていたようだが、恐ろしい存在だったということに変わりはない。
「……まあ、私は……魔獣については伝え聞いたのだが」
「ラースって物事の中心にいながら、伝え聞いたことが多いよね? なんで? だって教皇と神子っで表舞台じゃ対立してたんでしょ?」
「あー……それは、その。神子という存在は白亜の塔から外に出れぬ存在でな。……私も出たことがなかったんだ。塔から外に出たのは魂だけの存在となってから。だから塔で起こったこと以外は伝え聞いたことなんだ」
「誰から聞いたの?」
「……教皇だよ」
「え?」
「記録上ではずっと対立してたように語られているが、私たちが表立って対立したのは最後のほんの少しの間だ。それこそ、元から力に優れる教皇がハーウィンを落とす短期間のみ。……それまで、彼は自分の国やアトミアの力を悪用しようとする他国の対応に追われていたからね。だからこそ、私が神を具現する準備期間ができたわけだが」
懐かしそうにラースは笑う。
「唯一の友で親友だった。神子と教皇という仕事上の話し合いもあって定期的に会っては話してたんだ。彼も神の具現というものがどのようなものか分かっていなかったから、それが世界を滅ぼすと分かった時には全力で止めに来たけれどね。けれども私は代々の神子の存在理由であった具現を止めることなど考えられなかった。言われても止められなかった。気が付いた時には結果は、ね。……まあ、私が儀式を行ったからアルティレナスは具現したわけだが、そうでなくともいつかは災厄は形をとっていたはずだ」
一呼吸置くとラースは続けて話す。
「当時すでに人の負の感情は負の力と結びつき魔獣という形をとって具現し始めていた。それよりもずっと前から今でいうトルムアのように負の力の影響を受けた生き物は人を襲っていたけれどね。……いつかは、必ず。遅いか早いかの違いだったが……それでも、な」
「……」
「すまない。暗い雰囲気にしようとは思っていなかった。いつの時代にも……災厄にあらがう人はいた。人の歴史は災厄との戦いの繰り返しだ。私たちの時代にもいてね、彼らがいなければ本質さえわからず封印もできなかっただろうが」
そこまで語るとラースはああ、と手を打つ。
「ああ、魔獣の対処方法はやはり眷属の契約が一番だ。アトミアの力の流れに組み込まれた者でなければ魔獣の相手は厳しい。完全に倒しきることはできないだろう。できて足止め……いや、追い払うくらいだな。すまない。アトミアの力については何も分からないのだ。……クレアレアと酷似しているがどこか違う力。それくらいしか本当に分からない」
「まあ……蝕灰域には人を近づけないってことだね。……あとは、最悪ボクとアラキアで出るしかないってことでしょ?」
「……まあ、眷属がいないんじゃしょうがないな」
「そのことだが」
ずっと私とラースの会話を聞いていた結城が声をあげる。
「こちらで話し合った結果、受け入れようと思う。こうなった以上、魔獣との戦闘は避けられぬことだ。そして何より惑星ディーオへ降下できる人員は多いに越したことはない。……猶予はなさそうなのでな」
「で、でも……眷属の契約は……」
「そう簡単にしていいものではない。そういいたいのかね?」
私は頷く。
メリット、デメリットについてはもう彼らと何度も話してあるから理解はしているだろう。
だが、実際に結ぶとなると一番心配なのは私にかかっているあの呪いが彼らに影響しないかという点だ。私とアラキアは互いに同じ呪いを受けている。そしてそれを受け入れている。何ら問題はない。
だが、彼らに説明はしてあるが実際にそれがどういうものなのかという実感はわかないだろう。
彼らは私たちと違って黄昏の海岸を知らない。
死んだことがない。
呪われていない。
眷属という提案をしながらも、私たちは彼らを巻き込むのは避けたいのだ。
「……なに、呪われたら呪われたで死後はみなで過ごせるということだろう? 何を心配しているのだね? 私はそこまで輪廻転生だの来世だの、極楽浄土だの、天国だの、そんなものにこだわりはないのでな」
「……結城さん単純すぎ」
結城は珍しく声を出して笑うと口元に笑みを浮かべる。
「それに、私が行き着くとしたらそこは地獄だろう。それだけのことを私はしているものでな」
「……」
「結城総司令ではありませんが、私たちも特に拒む理由はありません。……仮に呪われたとしても死後の世界、というものに少しは興味はありますが。まあ、後悔はしませんよ。……変わりませんから」
「珍しく兄さんと意見が合ってさ。死後の世界で待っててくれるなら会いたい人はいるけれど、けどそれで今できる最善のことをしないなんて言ったらその人に怒られちゃうからね」
「カストさん……アストレ先生……」
「そういうわけで、善は急げ、だ。契約を」
私に向かって手を差し出す結城にラースは肩をすくめる。
その顔は半分呆れ、半分納得の表情を浮かべていた。そしてどこか懐かしむような表情も。
「……どうして眷属になる人っていうのはこういう人が多いのだろうか。だ、そうだ。アルマ」
「……うん。……ありがと、みんな」




