第100話 喪失
……こっちが本当の第100話
「……」
もう、離すものか。
それほどの力を込めて握っている手は冷たく感じる。いや、実際に冷たい。
アストレ達の救命処置によりアルマは一命をとりとめていた。しかし、アストレからは次に心臓が止まった時はもう無理だろうとも言われていた。
肩に手が置かれる。
「……よう、青年」
押し隠そうとしているがその声から男が疲れ切っていることが分かる。
アラキアを壁際に連れて行ったあと、弥田はアストレ――深川とともに蘇生を行った。その姿はあのふざけたような普段の態度からは想像がつかないものだった。
蘇生後一連の処置や検査が終わった後、アラキアをベッドサイドに呼び戻したのも彼だ。
「……どうして」
肩から衣服越しに伝わってくる体温に思わず声を発する。
「……どうして、いきなり……心臓が止まるなんて」
「……」
肩に置かれた手に少し力が入る。
「急に、じゃあないさ。あの日から少しずつ、彼女は弱ってきてたって話だ。おっさんが知ってるのはここに来てからだけ、だけどな。……毎日だんだん呼吸と心拍が弱く。……昨日のだって蘇生できたのは奇跡だ」
「……」
「だから青年。最期まで一緒にいてやれ」
「……っ!」
「その手を離すなよ」
肩にかかっていた重みが消える。
「……待ってください!」
勢いよく立ち上がったアラキアは弥田の背中に叫ぶ。
「僕は最期までこの手は離しません。けれど、その最期は、絶対にここでは迎えさせない。……一緒に、汚灰を、アルティレナスを倒して……地球に戻って……もっと思い出を作って、何十年も先に……迎えるものだ」
首だけで振り返った弥田は右手をアラキアのほうに突き出すと親指を立て笑う。
「そのいきだ。青年、いんや、凪。……おっさんたちも、諦める気はないからね」
「……」
「奇跡は起こんない、なんてこたぁないからなぁ。……信じてやれ。周りが何と言おうと。……たとえその体が消え去っても、な」
「何言ってくれてるんですかっ!」
ドンッ、と拳が机を打つ音が仮眠室内に響く。
「いつ止まってもおかしくない。回復なんてあり得ない。そんなの誰の目から見ても明らかでしょう! それなのに、希望を持たせるようなことを言って彼を救った気ですか!?」
「……」
「そんなの、彼を苦しめるだけでしょう!? 傷つけるだけでしょう!?」
半ば弥田に掴みかかったアストレは、弥田に詰め寄る。
「助けることができないのなら、せめて……!」
アラキアのその言葉を聞いた弥田は逆にアラキアの胸元をつかむと部屋の反対側の壁に押し付ける。同じ部屋の中にいた芦部は両手で口元を覆い息をのむ。
「深川先生、あんた、それでも彼女の専属かい?」
「どういうことだ」
「彼女のことを、諦めちまってないかいって聞いてるんだよ」
「……っ!」
「どうなんだよ、ええ!?」
「僕は……僕は……」
「待ってください。ここで争うのは!」
駆け寄ってきた芦部が弥田の腕をつかむ。
しかし、弥田は首を横に振る。
「ここではっきりさせとかなきゃいけないこともあるんだよ、芦部ちゃん。きっと、もうここ以外に時間はない。……なあ、深川先生よ、お前さんの覚悟っていうのはそれくらいか?」
「そ、それは……!」
「……」
「……僕だって、助けたい。絶対に。……けれども、こわい」
弥田が手を離すとアストレは床にズルズルと座り込む。
「絶対に救いたい。助けたい。そうするのが僕の役目だ。そう願ったから僕は、この手で救いたかったから僕は。……けれども、それが叶わなかった人がいる。むしろいつもそうだろう。いつしかそんな気持ちも麻痺していたのに、彼女に出会って変わった。……前よりも、こわいんだよ。ああ、こわいんだ! ……とても、こわい」
「当たり前だろうが。で?」
「……ああ、分かってる。……最初から諦める気はないし、この手でできることなら何でもする。全力で。それは、いつでも変わらないよ」
弥田はそこで初めて表情を和らげる。
「……あー、よかった。最近深川先生がおかしいなーってよ。けど、そうならいいんだよ。おっさん、てっきり勘違いしそうになっちゃったじゃないの。……おっさんと青年の約束、嘘にしないでちょうだいよ」
「……ああ、全力で」
少しずつ、だが着実に。
その時が迫ってきているのは分かっていた。
ずっと握ってきた手からも血の気が引いていくのが分かる。もはや薬の力を借りても、そこまで心臓が追い付いていないということなのだろう。青白かった指先が徐々に紫色になっている。
自分の体温もあるはずなのに、一向に温かさを感じられない。
「……ねぇ、アルマ……届いてるのかな」
魂を癒す魔法はない。
ただ1つ可能性があるとすれば、それは想いを感じること。
しかし、それさえも今回の場合は賭けだと言われた。
効くかどうかも分からない。
それでも諦めることなくそばに居続けたアラキアは1つの効果を生み出していた。それがよいものであるのかは感じ方で変わってくるだろう。
命を伸ばしたと考えるか、苦しみを伸ばしたと考えるか。
それを知るのはアルマだけだった。
「アラキアくん、……ちょっと、話せるかな」
隣に立ったアストレは静かに語りかける。
「……ここから、離れないでいいのであれば」
「ああ、もちろん。……気が付いているかもしれないけど」
「……アルマは……もう」
「うん。もう、長くない」
「……あと……どれくらい?」
「……1日。……あくまで予想だけど。彼女の場合は普通とは違う。正直何が起こっても、どんな過程を経てもおかしくない。今だって、普通とは違う」
何も答えずアラキアは俯く。
「諦めるつもりはないけれど、覚悟はしておいて。……何かあったら、すぐに呼ぶように」
「……」
足音が遠ざかり、扉が開閉する音が聞こえる。
アルクスの中には2人しかいなかった。いままではずっと交代で誰かしらはいた。そして管理体制にかなり気を使っていた彼らがこんな時にミスを起こすとは思えない。
(……わざと)
わざと、この状況を作り出した。そう考えるしかない。
きっと、気持ちの整理をつけられるように。彼女を信じつつも、アラキアまで引きづりこまれぬように。
「……」
だが。
諦める気はない。認めるつもりはない。
アルマが大旅団が壊滅した時、そのことを認めなかったように。
そうすれば、またクレアレアが応えてくれるんじゃないかと思えた。奇跡が起きてくれるんじゃないかとも。
(僕も奇跡っていうのを信じるんだな……)
神だの魔法だの。大旅団員となりイスクとなっていなかったら半信半疑だっただろう。実際にパージを携え戦いに赴くまで夢を見ている気分だった。ゲームをしているような小説を読んでいるような。
だが、隣に立って共に戦うようになって、思ったよりすんなりとそれが現実なのだと受け入れることができた。
むしろ、今までの日常より生きているという実感があった。
「……どう、して。……あの時!」
いつまでたっても鮮明に思い出すのは短剣で刺され、死にかけそれでも自分に向けられたあの笑顔だ。
彼女のことだからすぐに自分の状況を把握しただろう。それなのに浮かべたのは幸せそうな笑みだった。
それが、理解できない。
理解することを拒んでいる。
認めてしまったら、自分の中の何かが壊れそうだった。
「……一緒に帰るんだ。……そうだよな、アルマ」
くどい。
理性はそう言っている。
諦めろと。もう無理だと。
彼女を解放してあげろと。
「……決めたんだ。目を覚ましたら……。だから、……あれで最後なんて言わないでよ」
『……馬鹿』
「っ!」
頭の中に直接響いた声に目を見開く。
「アルマっ! 聞こえてるのか!」
『……ん』
「よかった……! よかった、これなら。なあ、そうだよな?」
『……』
「アルマ……?」
左手で手を握ったまま立ち上がり、身を乗り出すと右手を彼女の頬に当てる。
「アルマ……なあ……?」
『……ありがとう、ってだけ……伝えようと、思ってたのに。……ほんと……ほんと』
だんだんと聞こえる声が小さくなっていっていく。
あの術はそこまで力を使うようなものではない。どんなものよりも簡単で、慣れてしまえばほぼ無意識でできるもの。
「……アルマ?」
『……』
「アルマ! ダメだ……、ダメだ! 諦めるなよ!? アルマ! せっかくここまで来たのに! 最終目標だってわかっただろう!? あとは、それを……それを一緒に倒すだけじゃ……ないのかよ!? そうだろ?」
『……ご……めん』
「違……う……」
『ふ……す、……だよ』
繋がりが切れる。
そんな感覚を覚えた刹那、耳が痛くなるほどの警告音が一斉に鳴り響く。
「……アルマっ……アルマ?!」
目に入った心電図モニターに映されている波形は平坦で。
「っ! 先生、アストレ先生っ!」
「……分かってるよ」
「来な、青年」
いつもの力強い手に肩を引っ張られ後ろへ1歩下がる。
繋いだままの手が伸び、手が離れる。力が全く入っていない手はベッドの上に落ちた。
止まった心臓が再び動き出すことはなかった。
数時間、蘇生を続けているアストレの腕を弥田がつかむ。
「……先生」
「……っ」
「……なぁ」
「……午前3時29分」
時計を確認したアストレはかすれた声でつぶやく。
「……っ」
震える手をスイッチに伸ばすと電源を落とす。食いしばった歯の隙間から嗚咽が漏れる。
ドサッ、という音を立てて膝をついたアストレを周りにいた芦部をはじめとするチームメンバーは支えた。
その様子を壁際から見ていたアラキアは覚束ない足取りで彼女の元へと向かう。
まるで眠っているかのよう。
またあの声が聞こえてきそうな。
「……アルマ」
「よくがんばった、って、褒めてやんな。青年。……それに、お前さんもな」
肩に置かれた手は温かい。
「お前さんがいたからここまで来れたんだ、ってよ」
「っ……!」
目の前がぼやけて見えなくなる。
頬を温かい液体が伝う。それが涙だと、流れた液体が落ちるまで気が付かなかった。
「……うっ……く」
漏れた声はもう抑えることができなかった。
冷たい体を抱きかかえると声を出して泣いた。




