第97話 アルクス
規則的な機械音が響く室内で、アラキアは顔を上げる。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。
それでも手を離すことはことはしなかった。しっかりと繋がれた手は若干しびれかけている。
「……アルマ」
その体からは多くの管や線が伸びている。
ドアが開くとアストレが入ってきたところだった。その目の下には隈ができている。
「……あれ、アラキアくん……ああ、やっぱりずっといたんだね」
「……はい」
「本当は君もゆっくり休んでほしいんだけど、きっと言っても聞かないでしょ?」
「……すみません」
まあまあ、とアストレは言うとモニターを見る。
「特にアラームが鳴ったりとかは、してなかったよね?」
「たぶん……。途中で寝てしまってたようではっきりとは」
「……まあ、うん。……ああ、でも少し落ちてるな」
アストレは独り言ちる。
とりあえず落ち着いている状態とはいえ、毎日少しずつ弱っていっている。
だんだんと呼吸が弱くなっていると言えばよいのだろうか。
「……」
互いに何も言えず沈黙が場を包む。
連絡を受けたアストレはまるでそのことを予期していたかのように淡々と指示を出していた。今思うと、あれは落ち着いていたのではなく追い詰められていた、というほうが正しい気がしてくる。
「あの、さ。アラキアくん」
「……なんですか?」
しばらくアルマのことを見ていたアストレは口を開く。
歯切れの悪い、ということは伝えようかどうか迷った、あるいはとてつもなく伝えづらいことなのだろう。もしくは言いたくないことなのかもしれない。
「……移そうと思って。……今のうちに」
「……」
数日前から出ていた話だ。
戦闘部員の私室はいくら入院用の設備として整備されていようともそこでできることは限られてくる。そうなったときのために、医療部内には集中して管理できるICUのような部屋が設置されている。
アルクス。
その名の通り、医療部最後の砦だ。
今までその部屋が使われたことは1度だけ。インヴィディア襲撃の際、唯一死亡したエル・レミントンが運び込まれた時のみだ。彼の場合、死亡確認が行われただけであったため、使用したことはないと言っても過言ではない。
それ以外は通常の入院施設で間に合っていたのが現状だ。
「……そう、ですか」
それだけしか返せなかった。
他に何も言えなかった。
「報告ご苦労」
そう言うなり結城は背もたれに寄りかかる。
「結城総司令、私しかいないからと言ってそう……まあ、気持ちはわからなくもありませんが……」
「なに、疲れているのはお互い様だろう。そういえば、カスト君の弟……アストレ君はきちんと休めているのかね?」
カストは大きくため息をつくと、んなわけないでしょう、と切り返す。
「あのバカ弟、仮眠すらろくに取らないで彼女のそばについてますよ。まったく、倒れられたら困るというのに。忠告しても聞く耳なし、ですからね。完全に過去にとらわれてますよ。……仕方ありませんけどね」
「……そうか」
机の上に散らばった資料をかき集めると無造作に引き出しの1つに放り込む。その様子を見ていたカストは眉間にしわを寄せる。
「せめてあなたくらい冷静でいてほしいものなのですが」
「何のことかね?」
「落ち着いてくださいと言っているのです。トップがそうでは大旅団全体に影響が出るでしょう。いつものあなたならそんな雑に資料を扱いませんし、そもそも散らかすこと自体ないでしょう」
「……ああ、そうだな。そうはいってもな、私も訓練を受けた軍人でも何でもない、ただの研究者だということを忘れないでほしいのだが。その点ではカスト君、君を見習いたいよ」
性ですので、と返したもののカストのよった眉が元に戻ることはない。
『結城総司令、深川です。承認印を戴きに行きたいのですが……』
「……承認印?」
『はい。……アルクスの使用と人員配置、それと身柄移送、……と、部外者の立ち入り許可書を』
「……ああ、いいだろう。すぐに来るといい」
『ありがとうございます』
通信を切った結城は深いため息をつく。
重い沈黙を破ったのは舌打ちの音だった。
ソピアーを握る手は力を入れすぎて白くなっている。
「情報を得られていて、我々が駆けつけられていれば……! 何のための情報収集です!」
「カスト君……」
「ええ、わかっています。分かっているんですよ。理性では納得しているのですが、感情が納得してくれないのです。……私も、人間ですから。……第2の被害者が出ないうちに、終わらさなければ。……そして、もう一つの限界が訪れる前に。……いくら憎たらしいとはいえ、私の弟ですからね。根本的な浄化法を見つけなくては。……失礼します」
部屋から出ていく後姿を見て結城はつぶやく。
「冷静でないのは、だれでも同じ、か」
「……そうだな、結城」
「……いつから居たのだね、ラース」
どこからともなく現れ結城の隣に立ったラースは結城を見ることなく答える。
「最初からだ。……で、あの部屋を開放するということは」
「ああ、そうだろうな。……詳細はアストレ君から直接聞いたほうがいいだろう。ちょうど来たらしいしな」
ノックされたドアの音に結城は答える。
入ってきたアストレの髪は乱れているがカストとすれ違ったわけではないらしい。受け取ったファイルの中の紙に印を押すと結城は椅子に座るように促す。
「どんな様子だね?」
「それは……」
「……」
「……このままだと、数日中に人工呼吸器での管理になるかと。それに、認めたくないのですが……心拍数も落ちているんです。……魂を傷つけられる、という例は今まで報告された例はないのではっきりとは言えないのですが」
「……いいたまえ」
黙り込んだアストレに結城は続きを促す。
「……厳しいかと」
「……」
「死に至る前に、見られる兆候が。ゆっくりではあるのですが……。まだ、アラキアくんは気が付いていないでしょうけれど、少しずつ」
アストレは眼鏡をはずすと両手で顔を覆い、そのまま自らの髪をわしゃわしゃとかく。
「それに、……それに」
ほんの少し調子が変わった声に結城はハッとする。まだ何かあるのだと。
恐らくよくない何かが。
「……彼まで」
「どういうことだね?」
「本当は自室で休んでほしいのですが、アラキアくん、ずっとアルマちゃんにつきっきりで離れないでしょう? 彼の傷の治癒も同時に行っているんですけど、治りが遅くて。なんでだろう、って調べてみたんですけど彼も……見かけはそう見えないですけど、弱ってきているようで」
「アラキア君が、かね?」
結城はまさか、と身を乗り出す。
「彼は太ももの刺し傷が酷いだけで特に問題はなかったはずではないのかね?」
「ええ。出血のほうはきちんと対処しましたし、問題はなかったのですが。寝てくれないので……回復しないんですよ。本人は気が付いていないんですよ。ただ、さっきも椅子に座ったままアルマちゃんのベッドに寄りかかって寝てましたし。そこまで深刻なものじゃないんですけどね。けれどもこれがずっと、ってなると。……はぁ、ちゃんと休んでほしいんだけどなぁ」
「……それについては私がどうこうできる話ではないな。……アストレ君、君も分かっているからこそアルクスへアラキア君が立ち入れるよう許可証の申請をしてきたのだろう?」
その言葉にアストレは弱弱しく笑みを返し頷く。
「……で、移送はいつにするのだね? 人員配置のほうも時間はいるだろう? 具体的に誰を引っ張ってくるつもりだね?」
「それはもう決めてあります。……まず、芦部看護師はもちろん」
アストレはファイルから10枚ほどの紙の束を出して名前を言ってはめくってゆく。
「最後に、弥田医師ですね」
「……は?」
「え?」
思わず地声を出してしまった結城をアストレは驚いたように見る。
弥田彩輝。
中年の男性で、医療部所属の医師の一人だ。イスクでもあるが、アストレ同様治癒へ向いていたために戦闘部ではなく医療部へ配属となった。
アメリカにいたこともあり、腕の立つ医師として知られているが大旅団の中でも特に変人扱いされている。彼より変人奇人扱いされるのはハルくらいではないだろうか。
その理由は彼がクレアレアを完全展開した時の姿にあった。
女性に、なるのだ。
しかも、完全に別人かと思えるほどに性格も変わる。
発足当初はあやと呼ばれる完全展開姿と弥田医師は完全に別人だと考えられていたほどだ。
「……すまん。思わず」
「まあ、確かにそうですよね」
「腕が確かなのは認める。それにぴったりの人選だとも。……一抹の不安は残るがね」
「……彼もいうほど悪くないですよ。あや、のほうに出会わなければ、ですが」
アストレはため息をつく。
「……その件については了解した。……あとは事後報告としていい。早く体制を整えてあげるといい」




