第一話 2
2.
「――心外だわ。私はとても悲しい……」
「……悪かったよ。大袈裟すぎた。だから機嫌治してくれ」
先ほどの反応がよほど不況を買ったようだ。リビングのソファに座った琴葉は椅子の上に膝を抱え込んで直人と目を合わせようとはしなかった。
先ほどから謝っているが、なかなか機嫌を治してくれない。
「ああ悲しい悲しい。せっかく出てきてあげたというのに……憂鬱な気分」
「あのなぁ琴葉。出てきてくれてすごく嬉しいし会えてよかったと思ってる。けどな、ただあんまりにも意外な場所での登場だったしその、なんだ……死んだって聞いてたからな」
「……思い込むも何も、私が死んだのは事実よ」
「……え?」
彼女の言葉に、直人が唖然とする。
本当だって?
そんなはずはない。
だったら、今目の前にいる彼女は、いったい何だというのだろうか……?
「――幽霊よ。貴方の言った通り。正真正銘、お化けになったの」こちらの考えを見越したかのように琴葉は言った。
――幽霊。
死後の魂が人の形になったもの。
それが何なのかはだいたい知ってる。
……ただし全部フィクション、架空の世界での話だけど。
「――冗談よせよ。今時そんなじゃあドッキリにもなりはしないよ」
そう言って、直人は琴葉の言葉を一蹴した。
あるわけがない、そんなこと。
そう言って、彼は笑った。
――しかし、琴葉は笑いはしなかった。
「――そうね。そういう反応が当然の反応よね。……だけど直人。だったら私は何故、鍵のかかってる貴方の家に私入ることが出来たのかしら?それに……」
唐突に、琴葉は身を乗り出して、向かいに座っている直人に手を伸ばす。
殴られるのかと思って反射的に身を屈めたが、そうはならなかった。
――彼女の伸ばした手が、直人の頭をただ通り抜けただけだったから。
まるで煙か何かのように。
すうっと、彼女の指先が自分の頭をすり抜けた。。
「……これはどうやって説明するの?」
そう言って琴葉は微笑む。
……映像だとか、何だとか、頭の中で色んな言い訳を思いついた。
けれど今体験した出来事のリアルが。
そして何より、彼女の寂しげな微笑みが物語っていた。
――その現実を。
「……本当に幽霊なんだな。お前」
「……ん」
こくりと、彼女が頷く。
その答えを聞いて、彼の心に重石が落ちる。
――萩村琴葉は亡くなってしまったんだという現実を、再認識してしまったから。
「……幽霊、ねぇ。けど何でまたお前そうなったんだ?それも一週間も経ったあとで」
「知らないわ」
「即答かよ……」
だって仕方ないじゃない、と琴葉は口を尖らせる。
――彼女の話によると『気が付いたら』直人の部屋にいたらしい。
で自分がここにいるのかも本人はわからなかったそうだ。
「でね、最初物に触れようとしたらこんな風に通り抜けちゃって触れなかったの。コツを掴むまで苦労したのよ。でもコツを掴んだら生きているときと同じように触れるようになったわ」
――生きている時、という言葉にまた胸がチクリとした。
その言葉だけで、彼女が自分と違う次元にいるんだと嫌でも自覚させられてしまうから。
それを誤魔化そうと、直人は琴葉に質問してみた。
「それはわかったが、なんで俺の部屋を漁ってたんだ?」
ああそれは、と琴葉は笑いながら言った。
「エロ本探してた」
「さらっと言うな!」
そりゃあ探すでしょうよ、と彼女はにやにやと笑いながら言った。
「幼なじみの部屋に一人だけでいたら皆やるわよ。おかげでいいものが見れたわぁ」
すると琴葉はどこから取り出したのやら一本のDVDを取り出した。
それが何なのかわかった瞬間、直人の顔から血の気が引いた。
「おい、お前まさか……」
「うひひひ……まさかねぇ――直人って眼鏡系女子が好きだったんだ。知らなかったよー」
「いやあああああ!!」
――そのDVDは、ほんの気の迷いで買ったかなり内容がかなりハードなやつだった。
どのくらいハードかというと、親にバレたらその場で首吊りしたくなるハードさである。それを、よりにもよって……。
「お前が見つけるなんて……」
「さーて、テレビテレビ。リモコンは何処かなー?」
「見ようとすんな!!この外道!!」
嬉々として再生しようとした琴葉の手からDVDを引ったくった。
これの中身まで見られたら日には、俺はもう立ち直れない……。
けれど琴葉はぶーと頬を膨らませたあと、取り替えそうと手を伸ばす。
「いーじゃん。私もベーコンレタスの本見せたじゃん。これでおあいこにしてあげるから」
「そんなうまそな名称じゃねぇだろお前のBL本は!?あとお前が勝手に見せただけだろ!!」
「別にいいでしょ!これをきっかけに、直人と孝でヤらないかしたらいいかもと思っただけなんだから!」
「なんて恐ろしいこと考えてたんだお前……!?」
想像するだに、いやしたくない……!!
とにかくだ、これをこいつの手の届かないところへとしまおう。
直人は琴葉を振り切りダッシュで父親の部屋に行き、そこにあった空のトランクにDVDを突っ込んで鍵を閉めた。
ダイヤル式なので番号を知っていなければ開けられない。
「これでお前も手が出せまい……」
「……ふふふ、あっははははは!甘いわねぇ直人!どれくらい甘いかと言うとショコラてくらい甘いわぁ!そんな小細工私には通用しないわよ!」
「なぁ、なんでそんなこだわるん……?」
俺の幼なじみが必死すぎて怖かった。
そんなに見たいか、俺の性癖を。
「ねえ分かってるの?今の私は幽霊。そんなトランク、なんの障害にもならないわ!」
「――やってみろ」
「余裕ね。なら取り出せたら私の勝ちね。恥ずかしさに悶えるといいわ……!」
そう高らかに言って、琴葉はトランクに手を乗せる。
そして先ほどのように手は難なくトランクに飲み込まれていった。中でDVDをしっかり握り、琴葉は不敵に笑みを浮かべる。
「ほら簡単。これで私の勝ちねって、がおっ!?」
引っ張り出そうとしたがガクンと何かが引っ掛かる。
……当然だろう。
「し、しまったわ。DVDは通り抜けできない……!」
ぶんぶんと振り回すがもちろんトランクは取れない。
琴葉の勝利を確信した顔が、一気に慌てふためいた顔になる。
……本当、お前はバカでかわいいよ。
「はいはい、漫才はここまでだ。さっさと来い」
「い、いやこのトランクを叩きつけて壊せばまだ……!」
「それを許すとでも……?」
「ごめんなさい調子乗りました。言うこと聞くからその拳を下ろしてください」
「よろしい」
大人しくなった琴葉を連れて、リビングに戻っり、椅子に座り直す。
――さて、話を戻そうか。
「つまり結局、何で幽霊になったかお前にも分からないのか?」
「うんまるで全然」
「あっそう――で、だ。これからお前はどうするつもりなんだ?」
「どうするって何を?大人しく成仏するかって話?」
琴葉は笑った。
それは、皮肉に満ちた笑いだった。
直人は無言で彼女に答えを促した。
「さぁどうしようか?成仏しようにもどうやればいいか分からない。第一、成仏するメリットがないわね。こんだけ好き勝手できるわけだしもったいないわ。――ねぇ。直人はどうして欲しい? 」
「――ここで俺に振ってくるか」
直人が苦笑する。
「さぁどうするべきかね。――仮に俺が決めたら、お前それに従うのかよ?」
「いいよそれで。その方が楽だし」
「本当、適当な奴……」
やれやれ、と彼は肩を竦めた。
――どっちがいいかって?
お前がいない世界と、お前がいる世界。
どちらかを選べというなら、選べるというなら。
――答えなんて、とっくに決まってる。
「――俺は、お前にいて欲しい。構わなければここにいてくれ」
――お前がいない世界なんて考えられないんだ。
それが本音だった。
……恥ずかしいから言わないけどな。
そう言うと、琴葉はにっこりと笑った。
――その答えに満足したようかのような、満面の笑みだった。
「――よし。だったら、私ここにいるわ。このまま成仏するなんてつまらないしね。やり方わかんないし」
言って立ち上がった琴葉は直人に手を差し伸べてきた。
いつもと変わらぬ勝ち気な笑みを浮かべて。
「これからもよろしくね、直人は」
――いつでも凛々しく、前向きに。
その姿は確かに、直人の知る萩村琴葉の姿だった。
「――ああよろしく、琴葉」
それを嬉しく思いながら、彼は差し伸べられた手をとった。
すると、琴葉と握手を交わすと同時に、直人のポケットに入れていた携帯電話が震えた。
恐らく誰かからメールが来たのだろうと、確認するためポケットから取り出す。
「どちらさま?」
「母さんからだ……ああ、仕事の都合で一週間ぐらい泊まりになるってさ」
「相変わらず大変そうね。お母様」
「ここんとこピークらしいからな。――よし。返信おっけ。じゃあ飯でも食うか。あっ、言っとくけど俺の分盗るなよ?」
「言われなくても盗りゃしないわよ。盗れないから」
「――悪かった」
「いいわよ。気にしてない。――ほらさっさと食べましょう」
そう言って、琴葉は直人の腕を引いていく。
――この感触も、声も、以前と同じだ。
だけど、それは以前とは違うものだ。
彼女があまりに自然だから、まるですべて元通りになったと錯覚してしまいそうになる。
――忘れては、いけないんだ。
彼はそう自分に言い聞かせた。
■ ■ ■
直人が食事している間、琴葉は新聞を読んでいた。
……自分だけ食べているのが何だかいたたまれなくて、いつもより早く食べ終わっていた。
「ごちそうさま」
「あら早かったわね。よく噛んで食べた?」
「お前は俺のお母さんか……?」
「否定はしない」
「俺は否定する」
流しに食器を運びながら直人は答えた。
洗おうとスポンジを手にとったが、ふと振り返る。
……琴葉が一人新聞を読み続けていた。
「――なぁ琴葉。久しぶりにオセロでもどうだ?」
「え?まだあったの、あのオセロ盤」
「ああ、今持ってくるから待ってろ」
「うん!やりたいやりたい!」
琴葉は嬉しそうにはしゃいだ。
一旦皿に水を貯めて置いて、オセロ盤を取り出しにいく。
洗うのは、またあとでもいいだろう。
――それから三十分後。
パチパチパチと、白から黒へと返されていく。
「はい、私の勝ち。相変わらず弱いねぇ直人は」
「……もう一回だ」
先ほどから三回やっているがただいま全敗中。
しかもどれも自分の色が一桁しか残ってないという大敗だった。
子供の頃とまったく同じ状況に少しイラっとくる。
「ごめんね強くて。本当に申し訳ないわよ。ゲームは昔から勝ち続けてるからねぇ……」
またもやうっとおしいことこの上ないドヤ顔をする琴葉。
――流石に、カチンときた。
「――なら格ゲーしようぜ」
「……え?」
だから言ってしまった。
こちらが容赦なくボコれるゲームを。
――そしてまた三十分後。
テレビ画面にもう何度もわからないK.O. の文字が映った。
テレビの前には満面の笑みを浮かべる直人と、うつむいたままの琴葉がいた。
「悪いな。強すぎて」
直人は先ほどと同じ台詞を言ってやった。
すると琴葉は、いきなりぶつんと電源が着いたままのゲームのコンセントを抜いた。
当然テレビ画面は真っ暗になる。
「ああお前!今確実にデータ飛んだぞ!どうしてくれる!?」
「知りませーん!貴方が悪いのがいけないんですぅー!」
「はぁ!?先にケンカ売ったのはお前だろ!」
「何よ、文句あんの!?」
「ありまくりだ!」
そのあとしばらくバカだチョンだの罵りあい、はたまた取っ組み合いの喧嘩にまで発展してしまった。
……やはり彼女といると色々と子供染みてしまう自分がいた。
■ ■ ■
――さて。
風呂にも入って寝巻きに着替えたあと、直人は自分の部屋に向かった。
中に入ると、琴葉は本棚から取り出した漫画を無造作に広げて床に寝転がって読んでいた。
ちなみに彼女も寝巻きにもなっている。
何だか寝巻きを着たいと思ったら寝巻き姿になるらしい。
便利なものだ。
「おいこら、読んだ本ちゃんとしまえ」
「えぇー」
「えーじゃない」
まったく、と言いながら琴葉の散らかした本を片付けていく。
……本当、いつもあんま大差ないから、困ったことに違和感をまるで感じない。
「おい琴葉。もうそろそろ寝るぞ」
「えーまだ11時じゃん。もっと起きてたいよー」
「明日日直なんだよ。教室整理がある」
「むー」
と、文句を言いつつも琴葉は本をちゃんとしまいだした。
「……本当に帰らなくていいんだな?」
「うん。ここにいたい」
そうか、と頷いた直人はそれ以上は聞かなかった。
――はじめは、琴葉を家に帰そうとした。
そうしたら琴葉も両親と会えるし、琴葉の両親も喜ぶと思った。
けれど彼女は首を横に振った。
「直人みたいにすぐには信じられないよ。たぶんひどい妄想だなんて言われて終わるに決まってるよ」
そんなこと言われたら立ち直れない、と彼女は言った。
……琴葉の言い分もわからなくはない。
ただきっと、彼女も両親に会いたいと思っているのは察せられる。
だから何事もないように振る舞う彼女を見るのは、少し胸が痛かった。
だけど何を言っても琴葉を本当の意味で慰めることはできないとも、同時に理解もしていた。
「……じゃあ俺は親父の部屋で寝るから、また明日な」
「え、なんで?」
「いやなんでって言われても……」
「いいじゃんいっしょに寝れば。ほら!」
「って、あ、おい!?」
腕を掴まれ、琴葉にベットに引き摺り込まれた。
そして彼女は布団を掛けると電気も消してしまった。
「はいおやすみー」
「おい待て!さすがにこれはまずいって!こう、倫理的に!」
「中二までいっしょに風呂入ってたのに何を今更」
「いやいっしょに入ってたのは小四までだろっ!?」
「うんにゃ。一度入ってる。絶対に」
「マジか……」
「はいはいそんな細かいこと気にしないで寝なさいな、日直さん」
……寝なさい、と言われましても。
ぶっちゃけ、すぐ横にある貴方のせいでまったく寝れる気がしません。
ー―柔らかな感触。
暖かな温もり。
……ダメだ、色々まずい。
特に俺が。
「ふふ、直人すごいドキドキしてる」
「――誰のせいだと思っている」
さぁ誰のせいでしょう、と彼女は笑った。
のんきな奴だと、直人は呆れた。
……きっと、お前は知らない。
俺が今どれだけ嬉しいか。
どれだけお前に会いたかったか。
きっとお前は知らない。
いやって言うほど、教えてやりたい。
でも、恥ずかしくてやっぱり言いにくい。
だけどせめて。
これだけは言っておきたいから――。
「――琴葉」
「何?」
精一杯の想いを込めて、なんでもなさそうに。
彼は言った。
「……また、会えてよかった」
――聞いた琴葉は、しばし沈黙した。
そしてそのあと、彼女は言った。
「――ただいま。直人」
上擦った声で、彼女は言った。
――それが、堪らなく嬉しかった。
「――おかえり。琴葉」
――信仰心なんて欠片ももちあわせてないけど。
この時ばかりは、いもしない神様に感謝していた。