第2章 侵食の源流~智博の心に芽生えた野望(3)~
確かに、智博の地元には秋川家と言う、歴史でも規模でも高い壁となる存在があったのは事実である。そして何よりも、違いを感じていたのが、家柄や日常生活におけるこんな点であった。
かの美咲の実家が、江戸時代の頃より続く、県内でも屈指の名家・豪農であり、本業である茶業の成功や広大な土地をはじめとした莫大な資産をバックに、美咲ばかりか母親や妹までもが高級外車を所有し、殊、妹に至っては、都内の大学への進学に際し、まだ完成前の高級マンションの一室を用意するのに対し・・・・、
「うちは、第1種兼業農家ですから。」
と謙遜するくらい、智博の実家は地域ナンバー2ながらも、全く以ってお坊ちゃまの風貌を見せない謙虚で質素な生活を営んでいるのであった。
敷地内にそこそこの規模の茶畑や製茶工場を持ち、店内に喫茶コーナーを設ける形で直売もこなすのが智博の実家の商売スタイルなのだが、実は、家計の足しになるようにと、地元のIT企業に勤務する兄が収入の一部を家に入れる等、切迫していると言えないまでも、おおよそ2番手とは思えないほどの、悪く言えば、秋川家とは大きな落差があるのが現状であった。
しかしながら、智博は小学生の時から、学校の親友やサッカークラブの仲間を家に呼んでは実家のお茶を御馳走し、それによって、自分の店のお茶を買うようにちゃっかり宣伝する等の商才をも発揮していたようであり、事実、智博が通っていた小中学校の男子生徒の間では、
「智んところの、お茶は最高!!」
「ホント、いつでも好きな時に飲ませてくれるし、おばさんがおいしいお菓子も一緒につけてくれるから、買いたくなっちゃうんだよね。」
と上々の評判を勝ち取っていた(勿論、これを快く思わない同業者もいたようだが)。