07 ワイルド・ワン
車が一台、車が二台。カラオケ店の前を通り過ぎる多種多様の車の数を数えても、三十分近く早く着いたって事実は僕の前から早々とは過ぎ去ってくれなかった。おかげでせっかく新調したモノクロのジャンパーに少し汗がにじんできている。やっぱり春でも、直射日光の下で立ってれば汗は掻くもんだね。
「渡辺君~」
間が抜けているけれど、凄く透き通っている声。漆原さんだ。
「あ、こんにちはー漆原さん」
振り向きざまに視界に入ってきた彼女の格好は、僕が想像していたものとはおおよそ違う者だった。ほら、僕は漆原さんに凄くギャルっぽい雰囲気って感じていたから、ど派手な格好をしてくるかなって思ったんだ。けれど彼女の格好は意外と普通。足先までぴったり収まる黒のパンツに黒のインナー、それに高校生が背伸びしてようやく買えたって感じのワインレッドのロングシャツだった。
「あれ~? 八柳君はぁ?」
「あー亮はですね『やることあるから先行ってて』って言ってました」
そう。二人の間で決めた集合時間の五分前にそういうメールが来て、僕はここに一人で来たんだ。たまにこういうことがあるから、ホント困ったもんだよ。
「ふぅ~ん」
ちょっと拗ねるような様子で、漆原さんは横を向いてしまった。整ったEライン。メイクで着飾っているけれど、多分素顔でも綺麗なんだろう。宮里さんがクールだとしたら、漆原さんは間違いなくキュートの部類に入るね。
「ん~? 私の顔になにか付いてる?」
「あ、いえ。何もついてないですよ」
「そぉ~?」
「ほんとですって!」
こっちを覗き込むような上目遣い。金色から覗く吸い込まれそうな黒い瞳に、どこかの歌詞からそのまま切り抜いてきたような桃色の唇。こんなのが全部一瞬で入ってくるこの視線には本当に慣れてないから、僕の顔は今赤く染まっているに違いない。
「あ~、赤くなってるー」
うん。確定。
傍から見ればかわいい彼女の笑顔も、今の僕にとっては小悪魔みたいなもんだ。みんなが遅く来る分、僕は漆原さんにおちょくられ続けることは目に見えている。
困ったぞ。
亮。頼むから、早く来てくれ。
「おーい」
漆原さんが僕の頬をちょんちょんと突いた時だった。茶色のズボンに白のインナー、それから飾りっ気のないモスグリーンのパーカー。ラフな格好すら様になる体格に、爽やかだけれどどこかまだ子供っぽい表情を残したあの顔、それに結構特徴的な手の動き。間違いない。
「亮!」
「あ、八柳くーん!」
よかった。祈りが通じた。絶妙なタイミングでの登場に、腹の底から溜息が出そうになる。けれどぐっと堪えて手を振り返した。
「おーっす二人ともー」
「りょ――」
「八柳君遅いよー」
口にしようとした言葉が素早く遮られた。一瞬むっとしたけれど、もしかすると彼女に悪気はないのかもしれない。ここは我慢しておこう。従姉妹の姉ちゃんも『人間我慢は大切よ』って言っていたし。
「そんなことないってー」
そのまま二人は流れるように会話を始めてしまった。ちょくちょく会話の流れに入ってみるけれど、深くはいけそうにない。自分の人見知り具合に肩を落としたし、亮の人を引き寄せる性格にはやっぱり感心させられる。で、横耳で聞いてたら驚いたことがあって、漆原さんがニルヴァーナとかそういったものも好きらしい。ああいうのが好きなら、爆裂ドラマーの亮と話が合うのも頷ける。
楽しそうに会話する二人を傍目に、宮里さんを待ち続けた。iPhoneの画面に表示された『09:56』が『彼女は遅刻するぞ』って言っているようでなんだか変な気分になった。でも、彼女は日ノ出町に住んでいるんだ。もしかすると遅れそうになることが当たり前なのかもしれない。
そう言い聞かせて、自分を落ち着かせる。多分、宮里さんは時間に義理硬い人の部類に入る……はず。
「なぁ一ェー」
「ん。なんだい、亮?」
「宮里さん、遅くねぇか?」
「そそ、なんか遅くなぁい?」
二人も同じことを思っていたか。
「まー、二人とも。宮里さん、日ノ出町に住んでるんだから遅くなるのは仕方ないよ」
「日ノ出町?」
漆原さんが首を傾げた。そうだ、彼女は守山区出身だよ。そりゃあ話が通じないのも仕方ない。
「あー、漆原さん。日ノ出町は南部にある町でさ、バス直行で来ようしたら一時間くらいかかるんだよ」
簡潔な説明どうも、亮。でも彼女はなぜモノレールに乗ろうとせず、バス一本で来ようとするんだろう? 隣の、隣の町まで行けば、あと三十分は早くここまで着くはずだ。
そう考えていたら、一瞬、突風が駆け抜けた。漆原さんの髪が流されて、亮のパーカーが揺れる。僕たちが生まれる前から雷山市ではビル風対策がなされているから、今みたいな突風はなかなか珍しい。
道行く人も何事かってあたりを見回して、それで何もなかったかのようにまた歩いていった。どうやら気にも留まらないものだったらしい。僕にとっては中々ない体験だから、凄く興味がわいたんだけれど……
「遅くなりましたー」
ビルの向こう角から、ギターを背負った宮里さんが急ぎ足で駆けてきた。本当なら残念な行動なはずなんだけれど、正直、僕は好きだった。青のジーンズに黒のインナー、それから青いジーンズジャケット。ギターも青だったから、どうやら宮里さんは青が好きらしい。
「遅いよぉ!」と漆原さんが言ったと思ったら、亮は「宮里さんも寝坊したの?」と尋ねる。僕が言いたいことを二人に全部言われた気がしたね。
「そんなことないよ。ただ、バスが遅れてきたんだ」
なるほど。それだったら「明日は三十分早く着くかも」って豪語していたことがパーになっても仕方ないか。
まー、ともかく。これで全員揃った。ここでずっと話し合ってもいいんだけれど、周りの人に迷惑がかかるから、さっさと中に行かなきゃ。
「じゃあ皆ぁー、店の中に行こうよ」
「うーっす」とか「はぁーい」とか。それだけで誰か分かるような返答を後ろに、カラオケ店『スターボックス』に入った。中は外と違って日差しもなく、四月の空気で満たされている。茶髪のちょっと怖い兄さんの無粋な対応をどうにか済ませて、僕らは部屋へと足を運んだ。
部屋の電気をつけると、四人には広すぎるような空間が広がっていた。いつもは亮と二人のカラオケだった分、部屋もそれに見合ったものだったから、こうも広いとなんか落ち着かなかった。
「ひっろぉ~い!」
言ったのが早かったか、それとも行動の方が早かったか。漆原さんはソファに飛び乗ってしまった。さっきから独りよがりな行動ばかりだけれど、満面の笑みを見せられたら怒る気も失せてしまう。他の二人もそうみたいで、各々好きな場所に座ることにした。
亮は漆原さんの隣に座った。多分色々一緒に歌ってみたいんだろう。そりゃあ、女子でニルヴァーナ好きってなったら、話したくなるもんだね。
そんなお二人の邪魔にならないよう、少し間を空けて亮の隣に座った。こうすれば適度な距離が保てるし、何かと困らないはずだ。
「ごめん渡辺君。隣、いい?」
あれ。宮里さん、あっち側に座らないんだ。
「ど、どうぞ」
「ありがとう」って言った後、一瞬、ニッと笑った。これだけでさっきまでのちょっとしたダウナー気味な気分が全部吹き飛んじゃったね。
ギターを肩から下ろして、「ふうぅ」と二年ぶりに座れたような一息をついて、宮里さんがソファに深く腰掛けた。首にかけていたイヤホンを腰のポーチに仕舞い込み、二人の方に目を向けた。多分、機材がいつ回ってくるかとか、そういうことを考えているんだろう。でもあの二人、かなり盛り上がっているからもうちょっと時間が掛かりそうだ。
……どうせだから、話しかけてみよう。
「み、宮里さん」
「ん?」
「宮里さん、どうして今頃になって軽音部に来たんですか?」
「ん? んー……それね」
◆ ◆ ◆
当たり前のことなんだけど、アタシにとって部活ってのは馴染みがなかったものだ。どこまでやっておけばいいのかとか、そういったことは全然わからない。だからまずは一週間、ギターを弾けるだけ弾けるように練習した。伯父さんが昔バンドをやってたらしいからギターを借りれたし、帰ってきていたら教えてもらうことも出来た。その時以外は寝もしないで練習したね。
それに、この間に超能力の新しい使い方を見つけた。確か気づいたのはギターを借りて二日目だったかな。その日から家族が寝た後でもギターを練習していたんだ。アコースティックならともかく、エレキギターはそれ単体じゃ音があんまり鳴らないからね。大体一時間くらい経ったかな? と思ったら十分くらいしか経っていなかった。というよりは、アタシが速く動きすぎていたんだ。
ブルース・スプリングスティーンは若いころ、一日八時間くらいギターを練習したらしい。アタシは同じ時間で、それ以上の練習が出来るし、それだけ早くギターにモノを語らせることが出来るようになる。最初はそりゃあ驚いた。けれど、目の前の事実を飲み込むのには前ほど時間はかからなかったし、自然と笑いが零れてた。
薄暗い部屋の中、ネックに張り巡らされた六つの弦の上で指を走らせた。一日ごとにこの腕前は上達してきて、最初の一週間が終わるころには『Take It Easy』とかボブ・ディランの『Don't Think Twice, It's All Right』が弾けるようになっていた。始めて弾ききったとき、部屋に差し込んだ朝日が、トンネルをくぐり抜けた先に映った光景に見えたんだ。
そうすると次、その次って練習したくなってくる。それに、これなら軽音部に行っても恥ずかしくないって自信が持てた。
それで、金曜日。赤色のおどろおどろしい字体で『軽音部』って書かれたドアを叩いてみた。そしたら出てきたのは新入生歓迎会で演奏していた紅一点の人。眠気眼でこっちを見てきて、背中に見えるギターを目にしたらアタシの肩を目にも止まらない速さで掴んだ。
「も、もしかして君は一年生かい!?」
「え、あ、はい」
「それで、入部希望かい!?」
「は、はい」
「そ、そして背負っているのは、もしかして……ギターかい!?」
「そ、そうですけど」
押され気味に答えたら、その人は言葉にもなってない叫び声をあげて、ピョンピョン飛び跳ねまくった。美人さんだけど、頭のねじが三本くらい外れているらしい。
「き、君! 名前は!?」
「み、宮里綾乃です」
「綾乃さん、ギターを見せてもらってもいいかな!?」
「え、あ。はい」
降ろしてソフトケースから出すなり、このギターにくぎ付けになった。まるで愛しいものを触るかのようにぺたぺた触って、「YAMAHAのSESSION 503か! いいの持ってるね!」と鑑定を済ませてしまった。アタシはこの時確信したよ。この人、相当のギター馬鹿だって。
「あ、あの~」
「んん!? なんだい、綾乃さん!」
「アタシの他に新入生っていないんですか?」
そう、それが本題。いや、他に同級生が誰もいなくていいんだ。いてくれた方がもちろん嬉しいけど、アタシは音楽が出来るってだけで満足できる。
「ああ、もちろんいるよ! さっきなんかピアノが弾けるギャルが入ったばっかりだし、宮里さんも歓迎ムードに飲み込まれるのがいいよ!」
変な日本語は無視するとして、アタシと同じ新入生がいるのは間違いない。
「じゃあすみません、そこまで連れて行ってもらっていいですか?」
「えー!? もうちょっとギターを触らせてよー!」
……よく音楽家には常識人なんていないっていわれてるけど、こうもねじが外れている人のために誰かが作った言葉なんだろうな。
「おーい流華! 新入生を困らすんじゃねぇって!」
奥から現れた、あの時ギターを担当していたもう一人の男に頭を掴まれて、流華っていうこの人はアタシから引きはがされた。
「ごめんねー、うちのアホが迷惑かけちゃって」
「いえ、大丈夫です」
「えーっと、君は入部希望……なんだよね? ギターを持ってるってことは」
「はい。一年三組の宮里綾乃っていいます。よろしくお願いします」
「おー、いい子だね。俺は二年五組の久保 充。よろしくね」
ついでに、「あ、僕は二年一組の碓氷 流華だからねー! 番号は二十一番だからクラスも覚えやすいでしょー!」と奥からも自己紹介が飛んできた。
「あー。あいつはああいうやつなんだ、許してやってくれ」
「あ、あはは」
「一応、ギターの腕は確かだから」と嘲笑気味に久保さんは付け足す。いろんな人を見てきたけれど、さすがにああいう人は不良の中にもいなかったし、アタシも引きつった笑いを見せることしかできなかった。
「ほーら宮里さん! 何してるのー! 他の一年生のところに行くよー!?」
部室の中で碓氷先輩の声が数回リフレインを続ける。
「あ、じゃああいつに着いていってくれるかな?」
「はい」
ギターを背負い直して、軽音部の部室にようやくこの足を踏み入れたんだ。長いような短いような一週間と数日の練習でアタシはどこまで魅せられるんだろう。期待と不安が入り混じる中、碓氷さんについていった。「僕の前口上が終わったら出てきていいからね!」なんて言っていたから扉の前に立って待ってたのに、アタシの名前は紹介すらされなかった。そんなんだから自分でまた自分の名前を言うことになったんだけど。
で、自己紹介が済んで三人の顔をちゃんと見てみたら、男子二人はクラスメイトだった。
「あ、どうも。渡辺君に……八柳君」
「ういっす、宮里さん」
「ど、どうも」
二人はクラスで目にする時とあんまり変わらない。で……多分二人の隣にいるのが、さっき碓氷先輩が言っていたギャルっぽい……
「どうもぉ~。漆原 静で~す」
間延びした喋り方だけど、声は凄く綺麗でうらやましい。それに漆原さんから感じる雰囲気は悪いもんじゃなかった。
「さーさー君たち! 今、何を演奏しようとしていたんだい!?」
「えっと、リライトです。アジカンの」
「そりゃあいいね! ねぇ、宮里さん!」
「はい?」
急に声かけられたせいで、声が変に裏返ってしまう。八柳君がちょっとだけ鼻で笑った音が確かに聞こえた。
「リライト、弾けるかな!?」
リライト? Re-light? Rewrite? ともかく、なんじゃそりゃ。
「いえ、分からないです」
途端に全員が凍り付いた。この反応を見るに、どうやらめちゃくちゃ有名な曲らしい。けどアジカンなんて分からないんだ、いやマジで。
「じ、じゃあ! 今日はひとまず演奏しないでさ! みんなでご飯を食べに行こうそうしよう!」
急ごしらえの計画発動で、アタシら一年生と今日来ていた久保さん、そして碓氷さんで近くのファミレスに行くことになった。みんなと演奏できなかったのはちょっと残念だったけれど、皆と近づけるにはいい機会だ。
そう思ってアタシなりに話をいろんな人に振ってみた。でも、最初だからかどれも長く続かなった。それよりはこっちが話を振るより、誰かから振られたときの方がまだ長続きした。特に八柳君は何となく、話を続けやすい。まー何が言いたいかって、実感させられたのは、アタシが会話下手ってこと。
けれど、そんなこと気にしないよ。なにごとも、きっと最初はこんなもんなんだから。今アタシにとって、同じ夢を目指そうとする仲間がいるって分かっただけで幸せなんだから。
「あー、えへん、えへん。一年生の皆!」
感傷に浸っている間もなく、碓氷先輩が全員の前で声を上げた。
「明日は土曜日ぃ……で間違いないよね。せっかくの休みなんだからさ、親交深めるためにも、ボーカルの力量を見極めるためにも! 皆でカラオケに行っておいで! お金は部で出すからさ!」
何を言い出すかと思えばそんなことで、でもアタシにとっちゃありがたい提案だった。
◆ ◆ ◆
なるほど。人生初めての部活だったから色々と迷っていたのか。ギター自体も二年しか触っていないから自信がなくて、部室のドアを叩くまで時間が掛かったってのも、まあ納得いく話。
「まー。あの先輩、頭壊れてるよな、間違いなく」
「そーですねー。間違いなく壊れてますよね」
二人であははと笑っている間に、亮から機材が渡ってきた。『ロックスター』とモニターにはあって、マイクを握っているのは漆原さん。RADWIMPSとか来るかな、と思っていたから、本当にちょっとだけ意外だった。
《「青い春の色に染まり――」》
漆原さんの歌声は、一人のプロミュージシャンのようだ。スタジオの歌声がそのままCDから出てきているみたいで、多分この場にいる全員が魅了されていた。
「どっちから先歌おうか」
機材を手に、宮里さんが僕を見上げていた。蒼い瞳は眩しくて、目を逸らしながら「あー……僕、ちょっと歌は苦手なんで、宮里さんからお願いします」としか言えなかった自分を殴りたい気分。
でも彼女は「りょーかい」とだけで答えてくれて、画面の上に指を走らせる。女性特有の繊細なラインを持った指は、同じ人間だってのにまるで違うし、それで美しい。
……人が何か選んでいる時に物を訪ねてみてもいいもんだろうか。うーん。取りあえず、やってみよう。
「そういえば、宮里さん」
「ん?」
「昨日は訊けなかったんですけど、宮里さんってどんなアーティストが好きなんですか?」
「んー……」
少し考え込んで、それでこっちを見てこう言ったんだ。
「昔はロバータ・フラックとかドゥービー・ブラザーズが好きだったかな。今はブルース・スプリングスティーンやビリー・ジョエルの方が好きだ」
……やばいぞ。全部洋楽のアーティストで、ついでに普段聞かないような人ばっかりだ。スプリングスティーンとジョエルなら聴いたことはあるけれど……どんな曲だったかなんてのはもう忘れてしまっていた。
「へ、へぇ」
どうにか出てきた言葉はそれだけだったけれど、宮里さんの耳には届いていなかったみたいで「でも、クイーンは今も昔も好きだな」と、さっきの言葉尻に付け足しがあった。
「あ、クイーン、いいですよね」
クイーンなら僕も好きだ。従姉妹の姉ちゃんから2ndアルバム『クイーンⅡ』を借りたときから、あの独特の世界観に片足引きずり込まれたまんまだもん。
「渡辺君も好きなの?」
「はい」
「ほー。じゃあ、一番何が好き?」
「んと、やっぱり『SAVE ME』ですかね。あの悲痛な叫びみたいなところが好きです」
そう。好きなアルバムは『クイーンⅡ』でも曲は『SAVE ME』が一番好きなのだ。
「あー。確かに『SAVE ME』良いよね。あの静かに語って、本心さらけ出す感じ。ほんと、アタシもあの曲好きだよー」
よっしゃ。好感度、いい感じだ。
「宮里さんは何が好きなんですか?」
「んー……アタシは『’39』かな」
サーティーナインっていったら、十二弦ギターが使われてる、あのすごく爽やかな曲のはず。曲の内容はよく覚えていないけれど、いい曲だったのは間違いない。
「いいですよね『’39』」
二人が歌っている間、僕は宮里さんとクイーンの話で少しだけでも盛り上がることが出来た。彼女がどういう人かわからなかった分、こうやって聞けたのは大前進だと思う。
他にも聞いてみたいことはたくさんあったけれど、亮の言葉で中断された。
「よー色男さん。悪いが宮里さんの番だ」
「うおっマジかよ亮」
僕の頭の中に亮の歌声が残ってなかったのは、多分飽きるほど聞いたからだろう。もちろんそれは興味がないってことじゃなくて、亮だったら失敗することなんてほぼゼロだからっていう信頼の現れなんだけどね。
「そーだ。盛り上がっているところすまないが、歌い終わったんで、次は宮里さんの番だ」
画面に表示されていたのは『The Wild One』。アーティストは……文字が消えるのが早すぎて読めなかった。
「はいどーぞぉ宮里さん」
「ん、サンキュー」
漆原さんからマイクを受け取ると、彼女は一旦息を深く吸い込んだ。カラオケ特有の微妙なギターが鳴ったと同時に
【All my life I wanted to be somebody – and here I am!】
クールな外見からは考えられないシャウトが部屋の中で残響を続けた。
◆ ◆ ◆
「ってなことがあってさ。まぁ、あんまり好感は持たれなかったっぽい」
赤峰さんに土曜日のことを話したら、ちょっと苦い顔をされた。
「それはそうですよ、綾乃さん」
「え?」
「クイーンやボウイならまだしも、スプリングスティーンやクアトロなんて誰も知らないですよ」
「ええー? そうかな。スプリングスティーンって『Born In The U.S.A.』とか『We Are The World』で有名じゃん。クアトロだって親日家で、昔はよく日本各地を回ってくれていたらしいし」
「それは綾乃さんがその人達を知っているからですよぉー……」
「う、うーん……」
そんなものなのか。伯父さんも秋もよく聞いているから、皆知っているもんだと思ってた。でも、皆が知らないとなると……そりゃあ、あんな顔もされるか。特に漆原さんなんて終始むすっとしていたし。
「じ、じゃあさ。今度から今の音楽を聴きまわってみるよ」
「あ、それ、いいですね。それが良いと思います!」
そうすればこれからみんなに合わせていけるし、多分みんなとも仲良くなれるはずだ。まぁ、多分、なんだけれど。
ともかく、アタシの欠点は今の会話と、部活での雑談で大体わかってきた。アタシの欠点は皆とずれているって所。頑張ってこれから直していこう。そうすりゃ、きっといいことあるはずだ。だって、アタシはもう変わってきているんだからさ。
「あ、それよりさ、赤峰さん聞いてよ」
「は、はい。なんでしょうか?」
「今度六月の中頃にさ、軽音部の一年生でライブに参加させてもらうんだ」
「え、本当ですか!?」
「うん、本当」
なんでも、部設立当初の先輩たちが参加したライブで好評だったらしくて、それ以来稲穂高校の一年生は参加させてもらってるらしい。そのために皆で二、三曲練習することになった。
日曜日に色々と話し合った結果、メインボーカルは漆原さんで、ドラムは八柳君に決まった(ちなみにボーカルでもあって、低音域パートも担当する)。渡辺君はベース。ちなみに彼、ベースは上手いのに歌が滅茶苦茶下手なんだ。本人もその自覚があるらしいから、担当決めをするときに文句は言ってなかった。
アタシはもちろんギター担当。で、洋楽ばかり歌っていたら、英語パート&洋楽のボーカル担当にもなった。嬉しくないって言えば、もちろん嘘になる。だってギター弾きながら歌も歌えるんだ。これ以上嬉しいことがあるか。
「凄いじゃないですか!」
「な、最高だよな!」
お互い手を取り合って、ともかく振り合った。多分お互いの気持ちは通じ合っていた……と思う。
「頑張っていい演奏するからね」
「はい、頑張ってください!」
うん。やっぱ同じこと考えていたみたいだ。以心伝心ってやつだろ、これ。
「宮里さん。そのライブ、見に行ってもいいですか?」
「もちろんだよ! ぜひ来てよ、赤峰さん」
「はっ、はい! じ、じゃあ彼氏も連れていきますね!」
うおっ。彼氏も連れてくるのか。それは緊張するな。
「うん、分かった。日にちが分かったらまた伝えるから、楽しみにしていてよ」
親指をぐっと立てたと同時に、四時半に設定された余分なチャイムが校内に鳴り響いた。
「あ、そろそろ部活の時間だ」
まぁ、この余分なチャイム、ちゃんと利用させてもらってるんだけどね。
「そうなんですか。じゃあ、また明日会いましょうね!」
「うん。じゃあ、また明日ね!」
赤峰さんに別れを告げたら、二つの足を急がせた。
◆ ◆ ◆
「みゃーざと。ギターが走りすぎ」
「あ、ごめん」
ビィン、と弦が伸びた音と同時に演奏は一旦中断。八柳君は気づかずにしばらくソロで叩きまくっていたけど。
「さっきから思っていたけど、みゃーざとはギター速弾きしすぎじゃない?」
「え、そうなの?」
「少なくとも、静はそう思うからね」
男子陣の方をちらりと見ると、渡辺君が苦笑い気味に首を縦に振った。
「うーん。ごめん、次から気をつけてみる」
「お願いねー」
取りあえず、アタシの演奏は速い。多分、超高速で練習していたせいか、熱が入ってくると皆よりも速く動き始めてしまうみたいだ。これは注意しないと。
「じゃあ、皆。一旦休憩しようか」
渡辺君の提案は全員が諸手を上げた。
ギターを置いて、とりあえずペットボトルにたんまり入った水を喉に流し込んだ。まだ少し冷たくても、熱くなった体にはすごくありがたかった。
「ふう」
うん。いい感じ。
「ねー、みゃーざと」
「はいはい……ってさ、昨日から気になっていたんだけど、『みゃーざと』って何?」
「『宮里』よりは『みゃーざと』の方が可愛くなぁい?」
「そ、そうかぁ?」
あだ名なんて今までなかったからなんだかやりにくい。
「そぉそ。で、さ、みゃーざと」
「えっと、何?」
「みゃーざとって、高校入る前はどんな人だったの?」
「……つまり?」
「んー。静のクラスでね、何名か噂してるんだよぉ、みゃーざとのこと」
中学までの話は、どうやらここでも広がっているようだ。でもよくよく考えれば『雷山の鬼』なんてあだ名は日ノ出町で生まれたもんじゃなくて、都心部で生まれたものだ。中二のとき雷山市から来た奴がそう言っていたから、多分間違いない。
「まぁー……一応、不良ってやつをやってたよ」
「あ、噂ってマジなの?」
「んー一応な、一応。けどアタシに言わせりゃ、違うんだけどね」
「ふぅ~ん」
「あ、その顔は信じてないだろ」
「ん~……そんなことは無いよぉ?」
とは言っているけれど、多分信じてないな、こりゃ。
「念押しに言っておくけど、アタシ、今の方が楽しいんだ。昔はもうこりごりだよ」
「……本当にぃ~?」
「ほんとだって」
「そう、それならよかった」
さっきまでの妙な語尾が無くなって、どこかしら間の抜けた表情をしていた漆原さんは今までになく真剣な、でもほっとした顔をしていた。
「……もしかして、アタシが不良だったらなんかまずい?」
「ん~、いや。そんなことは無いよ。ただ」
「ただ?」
「静、不良にはあんまりいい思い出がなくてね」
どこか遠いところを見つめて、ぽつんと口にした。
何があったか聞くべきなんだろうか。秋なら多分なんて言葉をかければいいか分かっているんだろう。けど、アタシには見つけられない。
「まっ、みゃーざと。何かあったら絶対許さないからねっ」
「ん、分かったよ」
お互いニッと笑って、アタシはもう一回喉に水を通した。
◆ ◆ ◆
「お前の好きな宮里さん、昔不良だったらしいけど、どう思うよ?」
思わず口の中に含んでいた水を吹きだした。彼女が不良だった過去にじゃなくて、なんで亮は僕が宮里さんのことを好きか知っていることに、だ。この一か月誰にも言っていないし、そんな様子見せたことすらなかったはずだ。
むせた呼吸を整えてたら、段々にやついてきている亮が目に映った。
「な、なんで知っているのさ!?」
「宮里さんが不良だったこと?」
「ちっ、違うよ! 僕が宮里さんのことを、その……」
「好きだってことか?」
何も言えずに、ただ頷いた。
「んなの見てりゃ分かるさ。何年の付き合いだと思ってるんだよ」
「そ、そりゃあ、そうだけどさ……」
返す言葉が見つからない。
「まー、宮里さん、ここ一か月一緒に練習してきて思うけど、いい人だとは思うぜ。変なところはあるけど」
亮の言う通り、宮里さんはいい人だ。この前だって皆の分のバナナケーキを作って部室に持ってきていたし、最初の頃よりずいぶん言い演奏をするようになってきていると思う(最初、宮里さんは演奏曲の『有心論』と『カルマ』を知らなかったし、そもそも楽譜すら読めてなかった)。それに漆原さんとも打ち解けてきていて、今じゃバンドメンバーの中は最初より大分よくなってきた。
この一目惚れは間違ってなかったって思う。
「まー、人の恋路にとやかく言うつもりはないけどよ、少しくらいは気を引き締めとけよ」
「……うん」
そうは言っても、ごめんね亮。僕、好きになった人はとことん好きになる人なんだ。
……まあ、まだ何も言えていないけれどね。
「まぁ、一。頑張れ」
「……うん。言われなくても、そのつもりさ」
きっと、大丈夫。
◆ ◆ ◆
「そういえばさ。俺たちのバンド、まだ名前決めてなかったよな」
セッションの中、八柳君がドラムの手を止めた。最初に気づいたのはアタシで、すぐに弦を押さえた。残った二人も気づいてこっちの方に視線を移してきた。
「そおいえばぁ、そうだったねぇ」
アタシも漆原さんと同じで、名前を決めることすら忘れていた。八柳君がこっちを見てくるから、肩をすくめて答えを見せておいた。漆原さんもアタシたちを見て苦笑いするし、ともかくこれからアタシたちの名前を決める必要があることは見て取れたんだ。
「……それなんですけど」
先に口を開いたのは渡辺君。皆の注意が一斉に向けられると、怖気着いたのか、戸惑うように口を開いた。
「『トラクティカ・ブルーマ』とかどうですか?」
「……」
多分、三人思ったことは一緒だと思う。
「……あのよぉ、一。それ、どういう意味だ?」
「意味は、特にない。語感だけで決めたんだ」
「うん。そうだと思った。却下な」
「えっ。それ、ひどくない?」
「だってぇ、渡辺君。語感は良いけど、なんだかダサいよぉ~」
「そ、そんなぁ……」
本人的には力作だったみたいで、そのまま膝から崩れ落ちた。
「ともかく、全員でぱっと思いついたの言ってみよっか」
アタシの提案に皆乗ってくれた。各々の口からは『ビター&雷夢』とか『武雷帝』、『アコールオン』、その他色々。アタシは『レッド・クライシス』と『ボールブレイカー』を提案してみたけど、ちょっと違うということでおじゃんになった。良いものもあれば、首を傾げたくなるものもあったし、思わず引きそうになるくらい悪いものも出た。そのたびに誰かの口からはため息が出て、さっきまであった笑顔がこの場から消えていた。
最初はあんな乗り気だったのに、いつまでたっても決まらない。演奏している時とは違う、なんか重い疲れがだんだんと皆の間にのしかかってきている。漆原さんにいたっては頭を抱えていて、行き止まりにぶち当たったみたいだった。
「『スタードライヴ』」
シンプルな名前。
誰かが言った。
「えっ……と?」
「『スタードライヴ』とかどうかな、と」
重そうな眼で、渡辺君が顔を上げた。「寝てたの?」と訊こうとしたけど、そんな気力、アタシの中には残ってなかったし、なんかそうするのは悪いことだと直感的に感じていた。
「え。『ヴ』じゃなくて『ブ』の方がよかったですかね?」
「いや、そうじゃなく……」
「それにしよう!」
先に声を張り上げたのは、意外だけど漆原さんだった。彼女の迷いのない顔は何か確信を持っているみたいで、八柳君もアタシも磁石に引っ張られるように、けど本気で賛同の手を挙げた。
初めて曲を弾ききったときに感じていたあの感覚が、今この場にある。けれどアタシが感じていたのは何かが違う。持ってる言葉じゃ説明できない感情が溢れてきている。なんて言えばいいんだろう。分からないけれど、悪いものではないんだ。
まぁ、ガイアの夜明けってやつじゃないですかね。こういう感情は。
◆ ◆ ◆
学校が都心部になってから気づいたことが幾つかある。日ノ出町じゃあんまり分からなかったんだけど、都市ってのは影が多い。影っていっても、こいつは概念とか抽象的なやつ。いや、確かに本当の影も多いんだけど。
例えばこの前部活の帰り際に、家族に何かお菓子でも買っていこうかと思ってモールに寄ってみたんだ。田舎町出のアタシにはこのモールはデカくてさ、そんで何十件もの店が一つの建物に入っているのは目まぐるしいものがあったね。それでドーナツ店があったから5、6個箱に詰めてもらって店を出たのよ。
夜空に大分星が輝いて、自分用に買ったドーナツを頬張りながら歩いていたんだ。
どこかの路地裏に通じる道を通りすがった時、なんか男たちの威嚇するような大声が聞こえたんだ。つい一年前まで不良って奴らの部類にいたからか、どうしても何が起こっているか見ちゃいたくなる性が染み付いていたらしい。
声のする方へ歩を進めたら、一人の男を囲んでる厳ついにーちゃん達が街と星の薄暗い光に照らされていた。聞き耳立ててみたら、どうやらカツアゲ中らしい。
こういうの見るとさ、なんかヘドが出そうになるんだ。今までアタシにとって喧嘩ってのは、ほとんどの場合あっちが売ってくるものだった。こっちからは喧嘩は売らないけど、向けられた敵意は正々堂々と叩き潰す。そうすりゃ、迷惑を被るのはアタシだけだからね。――家族には大分迷惑かけたってのは、ちゃんと分かってるつもりだけど。
それに、日ノ出町じゃこうやって人を脅すようなことは少なかった。まぁ、無かったと言えと嘘になるんだけれどさ。
けど都市じゃそうではいられないらしい。こういうのがどこかしら普通みたいだ。
元々こういう奴らと一括りにされてたアタシだけど、やっぱこういうのは見過ごせないよ。気づいたら体が動いていて、一番背の高いやつの頬に右の拳をぶち込んでいたんだ。
「なんだテメェー!?」
影に目を向けたら、それこそ目を背けたくなるものが隠れている。けど背けちゃダメってのはなんだか理解していた。
「おぅ姉ちゃんいい度胸してんなぁ!?」
って大層な威嚇をしてきた奴にはアッパー。大体これで黙ってくれる。
アタシの前に二つの体が転がったとき、男達は力の差に気づいたらしい。
「ち、チクショウ!」
「覚えとけよ!」
「今度来るときは銃でも持って来いよ!」と言おうと思ったけど、やめといた。ああいう奴らだったらどっかから調達して、マジで持ってきそうだ。
「ふぅ」
ともかく。この場から鬱陶しいやつらは消えた。
「大丈夫? 立てる?」
アタシが差し出した手を頼りに、男の人はよろよろ立ち上がった。
「あ、ありがとうございました」
僅かに差し込む光で照らされた、薄金色の稲穂高校校章。どうやら同じ学校の人らしい。
「えっと……すみません、メガネ、探してもらえませんか?」
「ん、いいよ」
幸い、メガネは彼の足元から三歩先に行ったところにあった。拾い上げると、右目の方のレンズがフレームから零れ落ちた。もちろん空中でキャッチ。取りあえずひどいことにはなっているけど、修理すれば何とか使えそうだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます、何から何まで」
「頭下げなくていいよ、気にしないで」
一緒に出口まで歩いて、「じゃあ」と言葉を残してその場を去ろうとした。けれど「最後にすみません! 貴女の名前は?」 って掛け声に、振り返ったんだ。
「聞かなくてもいいよ。大した奴じゃないし、どうせ学校で会うだろうしさ」
そっから次の曲がり角まで歩いて、アタシはようやく帰路につくことが出来た。
多分スプリングスティーンとEストリートバンドが奏でてきた路地裏ってこういう感じだったんだろうな。もしかしたら、もっと悲惨なものだったのかもしれないけれど、少なくとも雷山の都心部じゃ、そういった陰鬱なもんが広がっているみたいだ。
まあ、いいや。いや、よくないけれど。
ともかく、家へ帰ろう。もう大分夜になっちまってるんだしさ。
◆ ◆ ◆
柔い体から流れ出した赤の血が床に、壁に飛び散り至る所から鉄の臭いが漂ってくる。まだ割れずに生きている蛍光灯が、良い体躯をした無様な男達を照らす。
「う、うわあああっ!」
まだ立っていた男が振り下ろした鉄のバットは、この左腕が捉え、木の枝のように曲がった。そのままこの右足が脇腹へと食い込み、まだ白い壁へと飛躍した。そのまま動かなくなったところを見ると死んだか気絶したのだろう。
「ひっ、ひっ!」
最後に生き残った者は、地を這いつくばりこの場から逃れようとしていた。しかし、それは夢想ごとに過ぎないのだ。
一歩近づくたびに、その者の体は石のように凍っていく。一目見ただけで高級品だと分かるソファにたどり着き、こちら側を見ると、隠していたスタンガンを発射した。
電流が体中を駆け巡る。しかし、この体には無意味なことである。身体から流れ落ちた電流は、そのままどこかへ消えた。
絶望の中で希望を見つけていたその顔は、一瞬の後に奈落の底へ落ちた。
銀閃に輝く体が目の前の裏切り者に影を落とす。篠崎はこの鉄の体を恐れているのか、あの時の威勢を宿していない。歯を小刻みに鳴らし、高品質を保っていた革のソファの上で失禁している。
恐れているのだ。この俺自身を。復活し、そして神々に選ばれし俺を。
「な、なあ文也さんん。ああの時は悪かったよ」
引きつった笑いを作り、王に向ける。
なんと哀れな。絶対に刃向かいながら助かろうとするか。
鉄の拳と化した両の手を、右から交互にこの者の腹に振り下ろす。一撃ごとに胃液と何かが混ざった汚物が飛び出たが、あらかじめ手袋をしていたことが幸いし、汚れることは無かった。
十撃目に差し掛かるころ、この者の息が絶えた。激痛と絶望の中で死んでいったのだろう。裏切り者にはふさわしい最後だ。
この古き学び舎にもう用はない。資金と使えそうな鉄馬を得、俺はここを永久に後にする。ここで学べることは少なかった。しかし、一つだけ珠玉のもの学んだことは確かだ。
俺は確かに王となる存在だということを。
見てみろ。この超能力は何と便利なのだろうか。ナイフやバールといった鈍器はもちろん、唯一王を殺せる道具すら寄せ付けない。それどころか襲う電流すらやすやすと流しとおしてしまう。
まさに無敵の体だ。恐れるものは何もない。
さあ、本当の復讐はこれからだ。
本文中《》部はガリレオ・ガリレイ『ロックスター』より引用
本文中【】部はスージー・クアトロ『The Wild One』より引用