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05 アイアン・マン

 西條文也という人間として、俺はこの世に生を受けた。この人生は王の道そのものだったと言っても過言ではない。


 海山区名門の一家に生まれた。生まれたその日から従う者は多かった。


「じい様」


「ん?」


「なぜあの白と黒の服を着た者達は僕たちのご飯を作ったりするのですか?」


「文也よ、それはだな。人の道は生まれつき決まっているからじゃ」


「人の道は生まれつき決まっているのですか?」


「そうじゃ。今の時代、人としての道は薄れてきているものの、理というのはそう簡単に変わるものではない。それをしっかりと理解するのだ」


「はい、じい様」


「そうすれば、お前はしかるべき道を進むことが出来るぞ」


「はい!」


 俺という王子を世話する手はあまねく存在し、俺は王足り得る者の振る舞いをまず学んだ。そして、王者の理想を学んだのだ。


「おいそこのお前」


「はい、なんでしょうか文也様」


「家の宝が隠されている場所まで案内しろ」


「それは出来ません文也様」


「……なぜだ? 宝がこの蔵にあることは知っている。俺はこの蔵に隠されている道を案内しろと言っているんだぞ?」


「あなたの父上に、時が来るまで見せるなと言われておるのです」


 父と祖父のものは、俺のものではなかったのだ。


 それを理解した日、街へと降りた。『桐谷良助』という小学生がその時街の界隈で名をはせていた。恵まれた体つきとその粗暴な性格で成り上がった奴だった。


「あん? なんだてめぇ?」


「……文也、だ」


「おう。そうか。で、お前、今何やってるか分かってるよな?」


「……いや?」


 不敵な笑みが、やつの瞳越しに映った。王者としてふさわしい顔つきが見て取れる。


「てめぇはな、今、俺の敷地に許可なく土足で踏み込んだんだ。チビ、覚悟は出来てんのか?」


 当時はまだ六歳だった。六歳相手は頭を使うまでもないと思っていたのだろうか。


「そっちこそ覚悟できてるか?」


「あああん? ぶっ潰されたいか!」


 その慢心が自信を地獄へと送ることを知れ。


 そこらで拾った鉄棒を軽く振り回し、奴の脚を奪った。


「うわっ!?」


 何が起こったか把握しようとする間に相手にのしかかられ、そして幼き王の拳で殴り続けられた街角のチンピラ。


「へぶっ」


「あがっ」


「や、やめ……がっ」


 一発ごとに肉の弾ける感触が伝わってくる。まるで風船のようだ。もうじき中学生になろうという者が、まだ小学生にもなっていない子供にやられるさまはさぞ滑稽だったのだろう。


 その日から俺は街の一角を支配した。


「ガキが……なめてんじゃねえぞ!」


 初めは従わない奴らもいた。そんな奴らは手駒を使って倒し、手駒が役立たずだったら俺自身が赴いて屈服させた。


 理想を実現させるというのは、なかなか苦労するものだと学んだ。


 親も祖母も弟妹も、何も言わなかった。だが俺の話を周りから聞くたびに、怪物を見たような視線を浴びせた。そういう目で俺を見なかったのは、とっくにくたばった祖父だけだったな。


 俺の怒りに触れればどうなるのか分かっていたのだろう。だから世間で言う『問題行動』を起こしたとき、親はその権力で踏みつぶした。警察でさえも、両親に従ったのだ。


 そうやって年を重ね、そして勢力を広げていった。そうしていくうちに、俺は海山区全域の学校を手中に収めていた。


 王国は君臨する王がいて初めて王国たりえる。


 親が海山区経済を支配しているのならば、俺はその基盤となる生産力を生み出す『学校』という場所が王国だった。


 そんな王国でも、刃向かってくる者は時々いた。高校に上がったとき、俺は方針を変えた。


「ふぁぶっ」


「ぐぎゃ」


「くぴ」


 俺自身が赴き、血だるまになるまで一方的に殴り続けた。そうすれば刃向かおうと考える奴はいなくなる。実際、高校の一年が終わるころに刃向かう者はいなくなっていた。


 恵まれた環境に、恵まれた体躯、そして恵まれた頭脳。


 すべてが完璧だった。


 これが王の道と言わず、なんというのだ。


 このままいけば、成人を迎えるころ星都全域を――少なく見積もっても海山区と隣の守山区は手に入れることが出来る。理想が現実に変わることを確信していた。


 なのに。


「くそっ!」


 どうして俺はぼろ布を纏って、人目を忍ぶように裏通りを歩いているんだ。


 いや、原因は分かっていた。


 俺が負けたからだ。そう、負けた――よりにもよって女に、だ。『雷山の鬼』と呼ばれた宮里綾乃は、俺より二つ下のガキだった。一目見たとき華奢な体つきからはその異名を想像することが困難だった。


「はぁぁぁああああっ!」


 しかし、だ。その肉体からひねり出された拳はこの腹へともぐりこんできた。回転しながらめり込むその拳は、さながら小粒の弾丸だった。密度が圧縮されている分、たちが悪い。拳はそのまま突き破るように跳ねあがったと思えば、もう一発叩き込んでこの身体をいともたやすく砕いたのだ。


 嫌でも理解させられた。


 この少女は俺よりも強いと。


 強者よりも強き者が現れたとき、民衆は強者から離れてゆく。歴史から見ても必然の流れだ。


 駒共の目は冷え切っていた。俺の言葉に従おうとする者は一人だっていなくなっていた。


 尻尾を振っていた教師共は手のひらを返し、俺に退学命令を突き付けたのだ。


 家族はまるで蠅でも扱うかのように、わずかながらの金を持たせて俺を家から出した。すぐに戻ろうとしたが、この日のためにやつらは銃を持つ者たちを用意していた。知と武も、銃の前では無意味だ。


 全てを失ったのだ。


 あの一撃で。


「まだ気づかないの、文也さん。あんたの居場所、もうなんだよ。たとえあんたがどれだけ強くてもね」


 今やこの俺は、当てもなく海山をさまよう亡霊のようだった。


◆ ◆ ◆

 二月の海山を薄着一枚で過ごすのには厳しい。星山区にある二千メートル級の山で対処できなかった寒気は、よく海山の北海岸に流れ込み冬場に猛威を振るう。星都で吹雪が吹く唯一の場所といっても過言ではないだろう。


 幸い、今年は雪が積もることもなく、寒気のみで済んでいる。それでも骨の髄まで冷えてしまいそうな寒さがあることは変わらないのだ。


 寂しい金を使ってロングコートを手に入れた。長身が祟ったか、ぴったりと合うサイズはなく。その分開いた隙間から風が入ってくる。だが贅沢は言っていられない。金もそろそろ尽きようとしている。


 どうにかして生きる術を探すのが最優先だった。


 だが、どうやってだ。


 俺の顔は海山の者ならおそらく誰でも知っている。特に学生や警察はそのはずだ。したがってここでアルバイトを探すことは不可能だろう。


 そもそも俺のような者がアルバイトなどという、庶民があくせくと行う寂しい稼業に身をゆだねなければならないのか。ひと月汗を流しても得られるのは多くて六つ桁の稼ぎだろう。


 それもこれも、あの女のせいだ。あの女は従順に俺についてくるべきだったのだ。あのような狂犬に――いや鬼などに、この社会で生きてゆく道などないのだ。俺はわざわざそれを恵んでやったんだぞ。しかし、あの女は自ら蹴り飛ばした。


 くそっ。


 ……今は雌伏の時だ。全てを甘んじて受け入れよう。


 ここで働き口が何もないとなれば、隣の守山区か星山区に行くしかない。歩いて丸一日か、二日はかかるだろう。体力の消耗も考えればおそらく三日。


 だが、何も歩いていくことはない。そこらにあるものを奪えばいいではないか。


 周りを見渡せば、暗闇に紛れて猿のように車で籠る男女がいる。窓を曇らせているのに気付いていないのか。


 周りを見渡せば、バイクに鍵を差しっぱなしでコンビニに立ち寄る馬鹿がいる。そこらで目を光らせている者がいることに関心がないのか。


 こんなマヌケな奴らばかりだ。そいつらから奪えばどうということはない。


 さて


 どうやって守山まで向かうか。


 車というものは運転したくない。あれは庶民が王を運ぶために使うものだ。


 そうなると必然的に、標的となるものはバイクに限られてくる。


 バイクは良い。車などと違って、王者が乗る乗り物だからな。


 太古の昔、王は馬に跨っていた。チンギスハン然り、アレクサンドロス然り、例などいくらでもある。どんな馬でも巧みに操り、そしていともたやすく平原を、山脈を駆けたのだ。時代が移り変わるとともに人類は鉄の馬へと鞍を変えたが、王者の足として、その本質は今でも変わっていない。


 闇の中で、ランタンのような一つ灯が燈る。


 バイクだ。月明かりをそのまま宿したかのようなメタリックブルーに、どこまでも突き抜けてゆく槍のようなボディ。詳細な形式などは闇に紛れて分からなかったが、カワサキのニンジャだろう。


 そのままこのコンビニで停まり、ホルダーへとヘルメットが仕舞い込まれた。ライダースーツ越しに浮き出る体躯は堂々としたものでなければ、健康的な肉体をしたものでもない。身長も低く、見劣りするばかりである。それに顔もなよなよしく、見ているだけで吐き気が催してきそうだった。


 貧相な愚民だ。


 こんな者が先鋭的な鉄馬に乗ることが許されるだろうか。


 答えはNOである。愚民が乗るべき二輪は自転車か原付に限られるべきであり、鋭敏なフォルムをしたバイクはや支配者が乗るべきなのだ。


 ちょうどいい。出てきたところで襲撃してやるか。


 男は握りや茶など、すぐさま腹の中に収められるものばかりを買って出てきた。ゴミ箱の近くに立つと、すぐさま包んでいたラップを剥ぎ取り、握りを頬張った。その表情には愚民らしい、歓喜の表情で満ちている。そんなもので満足が得られるのならば、あの鉄馬を手に入れたとき、さぞ満悦したのだろう。


 だが、それも今日で終わりだ。


 男が前を差し掛かった時、そのたどたどしい足取りをつま先で引っかけてやった。


「あがっ」


 微細なタイルが敷き詰められた敷地で、バービー人形のような細身を無様に打ちつけた。ぶつけたはずみで顎を切ったようで、さすった指先にはわずかながらの血が付着している。


「何するんですか、あんた!」


 立ち上がりざまに小動物が出せる限りの、怒りの眼差しを上に向ける。だがこの顔を見るや、まるで蛇に睨まれた蛙のように微動だにしない。それもそうだろう。口に出さずとも、この力量差は一目見れば明らかなものなのだから。


「この王たる西條文也が、お前のバイクを使ってやろう」


 こう告げると恐怖したようで、白いキャンバスにインクでもこぼしたように青が走ってゆく。


「な、何を言ってるんだ! ふざけるな! 警察を呼んでやる!」


 勇ましく言うも、腰は引けている。ポケットから取り出した今流行りのスマートフォンを握る手も震えに震えている。


 俺は迷わず下賤なその手を蹴り上げた。掌のサイズをした電子機器は宙を舞い、小枝のように細い右腕は人体の限界とする可動域を明らかに逸脱した形で曲がった。


 一瞬、男は何が起こったか理解していなかったようで、愚鈍にも呆けていた。しかしゆっくりと自らの腕を見たとき、戦慄を全身に走らせた。


「あがああああああっ!」


 聞くに堪えない汚い悲鳴が闇夜に消える。貧相な顔つきは苦悶に歪み、溢れんばかりの涎や涙を垂れ流す。人間としての本能からか、まだ自由に動く左腕で痛みを押さえつけようとするも、むしろ逆の効果に悲鳴にもならない呻きを上げる。


「無様だな」


 一言残し、ポケットから鍵を取った。バイクを起動するための鍵には他の鍵もついていた。が、必要なもの以外はそこらに投げ捨てた。


 続けて取った財布には一万円ほどが入っていた。その他には『帆波隆太』と刻印された免許証や学生証(こんななりで学生か)など生活必需品とも呼べるものが入っていた。もちろん、銀行のキャッシュカードも。


「おい、隆太。口座の暗証番号を言え」

 わざわざ名前も付けて言ってやったのだが、こいつはただ呻くだけだった。


「もう一度言うぞ。暗証番号を言え」


 しかし、帰ってきたのは呪詛の籠るさざめき声だった。


 生憎、俺は仏ではない。だが、王たる者として哀れみは見せないといけない。


 おそらくまだ痛覚が最大限の警報を出している右腕を踏みにじり、もう一度聞いた。


「暗証番号を言え」


「うううう……」


 右腕の痛みのせいで、尋ねられたことを言語化できていないらしい。だがもう三度も、俺は慈悲を見せたのだ。仏でなくとも容赦はしなくてもよいだろう。


 ほっそりとした体の平坦な腹を軽く蹴り飛ばしてやった。靴越しの感触はひどく柔らかいものだった。


「うげええっ!」


 ひどい嗚咽と共に、数分前に食していた握りの米粒や具材が胃から逆流をはじめ、口元へと飛び散る。


「悲鳴を出す余裕はまだ残っているだろう? ほら、早く暗証番号を言ってくれ」


 遠くを見つめるその目に、俺の姿は映っていたのだろうか。


「さ、3456……」


 消え入るように四ケタの番号が、小さな口からこぼれる。


「さっさと言えばまた痛い思いをせずに済んだのにな」


 金とキャッシュカードの他、財布の中には使えそうなものはない。必然的に、こいつの財布はどこかへと放り投げて最低限の必需品だけを持つことにした。


 横たわる愚民を放置し、もう一度店の中に入った。店員は挨拶の一つもなしに俺を迎え入れ、石像のように直立不動を維持している。その姿は場外にそびえたつ兵士の像の様だった。ただ、貧弱な体躯と粋がったように染まった金の髪はいただけない。


 入り口近くに配置されていたスプレー缶に詰められた制汗剤と整髪料を手にレジへ向かうと、一歩近づくたびに店員の顔が強張ってゆくのが見て取れた。怒れる王を覗いたせいで緊張しているのだろう。


「ご、合計さ、三千二百円です」


「……俺に、金を出せと言うのか?」


「は、はい……」


 俺は静かに店の外へと視線を向けた。数多の雑誌を収容する本棚越しに見えるのは、潰された虫のように倒れる男。


「……もう一度訊こう。俺に金を出させる気か?」


「い、いえ! おっ……僕が、出させていただきます!」


「それでいい」


 物わかりのいい者には最大限の賛辞を贈るのが王の務め。


 二つの缶をナップザックの中に仕舞い込み、俺は店を出た。外は相変わらず三月の凍てつく風が吹いている。街も闇夜にだいぶ浸かり、大した音はなく、静寂が広がっていた。


 バイクの傍に、男が倒れている。近くには血や体液が引きずられたように伸びている。


 大分意識は朦朧としているはずだが。


 この手で触れて確認を取る、などという行為は無論ごめんで、足先で男を二、三度軽くつついた。反応はない。無意識のうちにここまで這いつくばったのだろう。


「どけ」


 男を蹴り飛ばし、俺はメタリックブルーの鉄馬にまたがった。王の乗り物。愚民から取り戻した鍵を差し込み、回した。


 直後、唸るような排出音がマフラーから吐き出される。先刻まで止まっていた息が吹き返したように低く唸り続けるその様は、まるで暴れ馬の呼吸のようだ。


 かのアレクサンドロスの愛馬も暴れ馬だったそうだ。誰も手懐けることの出来なかったその馬は、まるであるべき主人を待っていたかのようにアレクサンドロスを受け入れたという。


 伝説と同じで、王には王の、庶民には庶民の乗り物がある。


 エンジンを噴かせ、ライトを照らし、轟音と共に庶民の集う店を出た。下賤なところに身を置くと、心まで愚民たちの者に染まってしまいかねない。王たる者、そんなことはあってはならない。


 十六の夜に吹き荒れる風は全身を刺すように冷たい。だが、『王』たる者の道に障害はついて回るものだ。それを乗り越えるのが王であり、真の強者なのだ。

 そう、俺は王だ。


 疑いようのない事実だが、今は敗れて、雌伏の時期を強いられている。


 奴に復讐するために、今はそれを受け入れよう。


 最後に勝つのは俺だ。宮里綾乃という女ではない。


◆ ◆ ◆

 流星のように傍を過ぎてゆく海山の景観は、何物にも代えがたい。まるで初めから強者を迎え入れるために形作られてきたようで、やはり比類なき美がそこにある。


 だが、俺は今、ここを離れなければならないのだ。

 王都を離れる、というのはやはり王者の心にも響くものがあるようで、ふと、感傷を覚えさせられる。あの建物は何であり、俺が何をした場所だ。そういった具合に、記憶の底から蘇ってくる。


 ふと、二つのメーターに目をやった。どうやら時速は100km/hは超えているようで、そしてガソリンはまだたっぷりと残っていた。


 別段、時間が差し迫っているわけではない。


 一日程度、いや、半日程度は記憶の場所へと向かうのも悪くないだろう。


 このような俺にとって、鮮烈に焼き付いている記憶は、意外にも屋敷ではなく、ある廃ビルだ。はるか昔――少なくとも、俺が生まれるよりも前に既に死んでいた建物は、まるで敗北した者達の墓標の様なのだ。一目見たときから、奇妙なことに、忘れることが出来ずにいたのだ。『もしも誇りをなくしてしまえば、死あるのみ』といつも語るようだった。


 丘を登り切り、立ち入り禁止の看板を跳ね飛ばして、バイクを停めた。今宵もその敗者の塔は、落ちつつある月明かりに照らされ、無念にも輝いている。


 まさか自らが敗者になるとは夢にも見ていなかった。何度もあの痛みがリフレインを続けるが、事実は事実だ。受け入れよう。


 一歩、そしてまた一歩。敗者の塔へと足を進める。足取りが重い気などはしない。むしろ羽のように軽い。今の俺は確かに敗者だ。だが、『今』の話だ。未来で、俺は勝利を手にしている。であるから、敗者共からの洗礼を甘んじて受けよう。


 中の空気は外と違ってさらに冷えていた。敗者には明日すら凍り付いてしまうようだ。


 詮索するように歩くが、あるのはかつての繁栄を示すように転がる椅子やテーブル、崩れ落ちている天井に、タイルを突き破ってきた雑草だけだった。敵となるようなものはそこには存在しない。


 一足進むごとに、外から生暖かい冷気が流れ込んできた。俺の足を掴むように駆け抜け、そして闇の中へと消えてゆく。これが洗礼なのだ。敗者たちが、灰にまみれた王の誇りを奪おうとする。耐えきったとき、そう、全ての洗礼を受けきったとき、屋上のドアを破いた。


 天は瞬き、地は輝く。『星の都』。そう呼ばれるにふさわしい世界が目の前に広がっている。その中でも、やはり海山は格別の場所なのだ。王都として他にない。


 俺は、必ずこの地を手に入れる。


 星に手を伸ばし、誓った。


 『この地で星に誓いを立てたものは、必ずことを成すことが出来る』という星都に伝わる御伽話がある。荒唐無稽だが、星に願いを立てるのはこの地に生まれた者としての性らしい。


 暗闇の中で、俺は未来を見た。王となる自分の姿だ。


 今は掴むことが出来なくても、未来では掴むことが出来るのだ。


 今は、それだけでよいのだろう。


 この手を下ろし、シリウスだけを視界に留め続けた。


 その時だった。廃棄された駐車場に、低い排気音がいくつも唸った。見下ろすこともなく、その正体は分かる。


 鉄馬がここに集まってきている。


 

◆ ◆ ◆

 廃ビルから出ると、いくつものライトによる歓迎を受けた。


「おうおうおーぅう! ひっさしぶりだなぁ文也さんよぉ!」


 まだ目が慣れない。しかし、こうも粘り気のある声の持ち主は一人しかいない。


「怜音か……」


 篠崎しのざき怜音れおん。負ける前、俺の右腕として動いてきた人間だ。腕力はあまりなくとも、人選や駒の配置など頭脳面で活躍していた。そんなものが先陣を切るとは中々興味深い。


「どうやら、後輩君の働くコンビニでバイク奪ったらしいじゃぁ~ん?」


「ほう。あれはお前の後輩だったのか」


「あんたの後輩でもあるんだよ。あ、いや。元後輩か。今、あんたは学校追放されているしね」


「ふん。どうだっていい」


「それが、さぁ~文也さん。どうだってよくないんだよねぇ~」


 ようやくはっきりしてきた視界で、悪魔めいた笑みを浮かべる奴の姿が見えた。


「あんたは数えきれないくらいの人間から恨みを売ったんだよね。どういうことだか分かる?」


「……」


「まあ、あんたなら口にせずともしっかり分かっているはずだよね。」


 それが合図だったのか、いくつもの鉄馬が唸り声をあげた。


「ここにいるのはあんたに倒された奴らさ。一人でかかれば敵わないかもしれないけれど、五十も百もいたら、さすがのあんたも無理だよね」


「……それはどうかな?」


「それを試そうってのあるんだから、やらせてもらうよ」


 「さー皆、狩りの時間だぞぉお~?」と手を振り上げれば、餓えた馬たちが一斉に駆けてきた。


 前門の鉄馬、後門には敗者たちの闇。引く気など、毛頭ない。


「くたばれえええっ!」


「おっるううああああっ!」


 バイクごと突っ込んで来た二人の首元を捕らえるのは容易かった。鉄馬はそのまま塔の中に消え、掴み取った二つの身体はそのまま突っ込んでくる野次馬にくれてやった。そのまま俺をひき殺そうとした者達は慌てて鉄馬を停めた。ある者はアクセルを全開にして飛び降りるものもいた。


 だが、俺がこのような雑魚の攻撃が当たることがあるだろうか?


 答えはもちろん否である。


「あぶっ」武器をもつ者も


「あがっ」愛馬を犠牲にする者も


 王たる者の力の前では無力である。絶対的な力の前では、全てが無意味なのだ。


 綻びは次の綻びを呼ぶ。誰がそう語ったかは分からない格言には、有用性があるのは間違いないようだ。

 王を恨み、戦う者は皆脆弱である。五分と経たぬうちに、もうすでに半数は立てる状態にない。


「ほらどうした、貴様ら。俺を殺すのではないのか?」


 さっきまでの威勢はどこにやら。三十人ほど倒し、挑発すればこのザマだ。誰一人として立ち向かおうとしない。だが、怜音はまだ涼しい表情をしている。どこにそのような余裕があるのだ?


「……なあ、文也さん。あんた、色々と人のことを舐めすぎじゃないかな?」


「……何?」


 急に何を言うのだこいつは?


「生まれつきすげぇ環境で育ってきたからそうなったんかもしれないけれどさ、ここにいる奴らの『大半』は、あんたみたいな人生を送ってるんじゃないんだよ」

 ……?


「それがどうした? それでなんになるという」


 腹の底から吐き出したような溜息。


「だぁあ~かぁあ~らぁあ~。アンタ、人を舐めすぎだって」


「……何が言いたい?」


「人ってさ、意外と復讐心が強いのよ。よく言うだろ、『昨日の敵は今日の友』って」


 飄々と語る口が閉じたと同時に、両脚を何かに捉まれた。一つや二つではない。見下ろすと、先ほど倒した奴らの手がいくつもしがみ付いていた。バイクに照らされ、さながら地獄の池で救いを求める亡者どもだ。


 亡者は蹴散らされなければならない。本来なら王の役目ではないのだが、今は致し方ないだろう。


「あー。蹴落とそうったって無駄無駄。そいつらがどんな気持ちでアンタの足を掴んでいるのか分からないなら、マジで無理だから」


 直後、背中に鋭い痛みが走った。肉を内から抉るような痛みだ。ナイフに違いない。


 一体誰が刺した? そんなことはどうだっていい。


 まだ柄を握る腕を掴み、あらんかぎりの力を籠め、指をめり込ませた。短い悲鳴が上がる。


「貴っ様ぁ!」


 引き寄せざまに、空いていた片手で愚者の顔を潰してやった。元はまだ整っていたかもしれない顔は、この一撃で見るに堪えない物と成り果てた。愚者にはふさわしい顔だ。


「ほーら。分かってないからそうなった」


 チープな挑発が、今やこの俺を極限まで苛立たせている。


「その四肢を全てへし折ってやろう」


 亡者どもを蹴散らそうとしたこの身体は、どこからか湧いた亡者によって叩きつけられた。動かそうとするも、力が入らない。


「ねっ? もう立てないでしょ?」


 何故だ?


 起こっている事態が把握できない。


「さっ君たちーお楽しみの時間だよー」


 その合図と共に、立ち尽くしていた者や亡者たちが一斉にこちらに向かってきた。奇妙なことに、その表情は全員どこか恍惚としている。どうにか動く腕で来る者の足を掴み払おうとしたが、鋼鉄のバットが振り下ろされ、骨が砕けた。


「あがっ……」


 鈍い音だ。剛柔に配列されていた筋肉がゆがみ、折れた骨は肉を突き破った。


 それを認識するまもなく、脚に、肩に、肺に、胃に、首に、背骨に幾重もの衝撃が走る。いや、その表現は生ぬるい。


 俺の全身をくまなく砕こうとする悪意が一撃一撃に満ちていた。


 どれくらい経ったのだろうか。「いやーありがとうございました怜音さん!」「超スッキリしましたよ!」「あーはいはい。君たちはけが人運んでねー」「了解しました!」


 奴らの会話がやけに遠くから聞こえてくる。


「おーい、文也さん? 聞こえてるかは知らないけれど、いいこと教えてあげるよ」


 なんだ。


 声にしようとしても、ただ空気が擦れたような音が聞こえただけだった。


「世の中には易姓革命って言葉があってね。『王がクソなら民衆が反乱を起こしてもやむなし』ってことなんだけどさ、そういうことさ」


 ――易姓革命。


 なるほど。こいつらは虫けらなりに王に反乱したわけか。ならば今すぐにこいつらを潰さなければないらない。火種は早めに潰しておくに限るものだ。しかし身体を動かそうにも、動いてくれる様子は無かった。


「あ、そうそう。ここ、明日には爆破解体されるんだ」


 何?


 そんなものは無かったぞ。


「ここに入ったらしいけれど、どうせあんたのことだ。見落としたろ?」


 霞む視界に、『爆破』と書かれたシールがはりつけられた安っぽい赤のボタンが映った。「新型の爆弾らしいよー」


 まるでおもちゃの様にくるくる回し、「おー?」とボタンを押す様子をみせ、「おー」と指を空かす。


「こいつを押せば今すぐにでもこの建物に仕掛けられた爆弾は『ボンっ!』ってなって、そのあと建物はジェンガのように崩れ去るってわけ」


 丁寧な説明は、コイツの常用手段だ。相手に状況を思い知らせ、そして絶望していく表情が好きだと何度も語っていた。


 それが今、俺の前にある。「怜音さーん! けが人乗せましたー!」「おっけーじゃあ行こうかー!」


「んじゃ、文也さん。頑張って脱出してね」


 「まあ、出来るわけがないんだけどさ」とボタンを目の前で押し、奴はそそくさと消えていった。


 奴が消えて三秒もすると、かすれた鼓膜が大きく震えた。幾重もの熱も感じる。崩壊による軽微な地震が、砕け散った体を揺らす。


 動かずとも世界をまだ見るこの目の端で、いくつもの落石が映った。 


 殺したい。


 こうまでしてくれた奴を殺さねば。


 そう願うもこの身体は動かなかった。


 まだ痛みを感じるだけの機能が残った身体には爆破の衝撃と、砕かれたコンクリートと、敗者の塔を組み立てていた鉄骨が突き刺さった。痛みに、声を出すことすら叶わない。


 俺は、敗者のまま死んだ。


◆ ◆ ◆

 昔、ある賢人が言った。『昨日と今日の自分は違うものだ』と。それはおおむね正しいのだろう。


 灰にまみれた中で目が覚めた。そう、目覚めたのだ。つぶれたはずの肺から送り出された空気は口から吐き出され、口元に溜まっていた灰を巻き上がらせた。


 腕はあるのか? ――瓦礫の中で見えずとも、確かに両の拳を握った。


 脚はあるのか? ――膝がしなやかに曲がった。

 体が動く。今までと変わらずに。


「……何が起こった」


 発声も可能のようだ。何が起こったかは理解できない。しかし、どうやらこの体は再生している。


 それよりもまず、この瓦礫から脱出することが先決だ。だが、どうやってだ? むやみに動かせば、さらに上に乗っている瓦礫が落ちてくるかもしれない。そうすれば今度は間違いなく死ぬのだろう。かといって、慎重に行動していけば永遠に終わらないはずだ。


「くそっ!」


 怒り任せに、縛られた体を動かした。


 その時だ。


 俺の腕が、俺の脚が。瓦礫を砕いたのだ。いや、それだけではない。塔の骨となっていた鉄柱も同時に棒きれと化していた。この事実は俺でも予想のつかなかったものだ。砕かれた瓦礫は灰に変わり、それに見合う報酬が口へと運ばれる。


 俺は確かに海山で敵う者がいないほどの力を持っていた。だが、それはコンクリートや鉄を砕けるようなものではない。何が起こったんだ、この体に。


 答えは意外にも、雲の隙間から覗く月明かりが照らした。


 この体が、銀灰色に輝いている。それも、ただ輝いているのではない。金属特有『光沢』を放っているのだ。


「……何?」


 原因など分かるはずもない。


 ただあるのは、俺の体が金属と化しているという事実だけだ。事実を信じるか信じないかなど問題ではない。


 愚民ならおそらく戦慄するのだろう。人ならざるものとなった恐怖に耐えきれなくなり、その心の内を激しく動揺させる。そして仕舞いには、その体をどうにか隠して生きていこうとするはずだ。愚民たちの心は簡単に折れてしまう、脆いものなのだから。


 だが、俺は違う。俺は王としての、鋼の精神を持っているのだ。おそらく神が、俺の精神をこう具現化させたに違いない。神というものを信じるタチではないが、今日だけはその不可知の存在に感謝しよう。この俺に復讐の機会を与えたもうたのだから。


 もう迷うことは無い。


 上を目指した。ただ、ひたすらに。もはや瓦礫など障壁にすらならない。叩くたびに灰の塊は細々とした礫へと姿を変えていった。


 灰は、灰に。


 人は、人へ。


 されど然るべき道を歩むものは、然るべきものへ。


 奴――篠崎怜音は歴史に疎いようだ。王者は倒されど、再び羽ばたこうとすることを奴は知らない。


 西條文也という『人間』は死んだ。


 今、ここに立っているのは鋼鉄の男だけだ。


 銀閃の月に照らされた鉄鋼の身体が今、音を立てて動き始めた。



◆ ◆ ◆

 軋むような痛みが全身に走ったところで、アタシは目を覚ました。


 寒い。骨の髄まで凍りつきそうだ。ねずみ色をした空からぱらぱらと雪が降ってきている。正直、雪なんて初めて見た。いや、もしかしたら二回目だったかも。


「あー……」


 何があったんだっけ?


 えーっと……頭がすげぇぼーっとしてる。


 ……ああ、思い出した。確か、海の上を突っ走ったんだっけ。そんで気が付いたら目の前に壁があって……。あーなるほど、そういうことか。


 そういうことか、じゃない。どこだよここ。


 身体をどうにか起こして周りを見てみれば、なんか星都以上に外国人が闊歩している場所にいた。ついでにここはちょっとした道の外れらしくて、レンガで建てられているらしいビルとビルの間は、空が狭くて薄暗い。


 表通りに出れば、道は人でごった返しになっていた。しかもどうやら、ここは日本ですらないっぽい。掲げられている看板は英語だらけで、行き交う人々は白人だらけ(時折黒人やアジア系の人もちらほらいた)。傍を通り過ぎる人々は皆、蒼髪のアタシに奇怪な視線を送ってくる。そりゃそうだ。蒼髪が地毛の人間なんてこの世に普通はいないよ。


『あのーすんません』


 ともかく、道行く爺さんに声をかけた。


『ここ、どこでしょうか?』


 アタシの英語が訛っていたのか、それともそんなことも知らないでこの街にいるのかと不思議に思ったのか、眉をひそめて蓄えていた白髭を軽く撫でた。


『ミネアポリス』


『ミネアポリス?』


『ミネソタの都市じゃよ』


 ミネソタ。ミネソタ……っていえば、アメリカの北側か。そりゃ道理で寒いわけだ。


『ありがとうございましたー』


 ぺこりとお礼をすると、じいさんはやっぱり珍獣を見るような目で一瞥して、また人の波に戻っていった。


 確かに大層なことをやってるってはしゃいでいたけど、まさかアメリカまで来ちまったのは予想外。せいぜい、本州くらいまでは行けるもんだと思ってたからね。


 ともかく寒い。ここにいたら間違いなく凍え死ぬ。


 ……えっと、ともかく。帰ろう。

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