二章 かみつき、目つぶし、カミングアウト ⑤
五
「……まあ、にぎやかですのね。どなたかお客様ですか?」
上品な言葉使いをする優しげな少女の声が聞こえた。
良太の一メートル手前。家庭科室と家庭科準備室をつな
ぐ出入口に、新しい少女が姿を現した。腰まで届きそうな
黒髪ストレートロングヘア。
前髪も眉毛の長さで切りそろえたストレート。
少女はこの場にいる誰よりも背が高かった。良太より
も二センチは上だろう。
日本人であっても、なるみと同じぐらい肌は白い。やや
たれ気味の目に優しそうな感情を見せてひかえめに笑って
いる。
セーラー服も見事なほどにあっていた。良太は少女が二
年生だとすぐに分かった。
顔よりもスタイルに見覚えがあった! 二年生の中でト
ップクラスに胸が大きく、お尻も大きく、スカートがひき
たつほど足が長いこの少女の姿を、一度でも見れば忘れら
れはしない!
少女らしいキュートさと、大人っぽいセクシーさを合わ
せ持ったのがなるみだとすれば、彼女は深窓の令嬢のよう
なエレガントさと大人っぽいセクシーさを合わせ持った
『お姉さん系』のお嬢様であった!
そばにいた良太は、彼女からほんのりと優しい桃の香り
が漂うのが分かった。香りまでが彼女の上品でおだやかな
性格をあらわしている気がした。
――おお! これぞ、清純派美少女! いや、清純派を
通りこした超・上流階級のお嬢様! 庶民的な葵ちゃんと
は正反対の属性を持つ女の子だよなあ……別に葵ちゃんが
悪いわけじゃないけど。
――しかし、この四人の中で一番、彼女が清純派に近い!
――すげえ! 二十一世紀の日本に、こういう女の子が
生き残っていたとは思わなかったぜっ!
良太の中で興奮が嵐のようにうずまく。昨日、石川から
聞いた話。放課後の音楽室で、一人でグランドピアノを
弾く清純派美少女を思い出してしまう。
「むうう……」
良太の横にいたなるみが小さくうなる。彼女の美しさに
衝撃を受けたのだろう。頭の中で自分とどっちが美少女な
のか、比べているのかもしれない。
その家庭科室から出てきた少女は、手洗いの途中なの
か両手は白い泡だらけで胸の前で拝むようにこすり合わ
せていた。
彼女は葵に目を向けると、何かに納得したように一段
と華やかに微笑んだ。
「まあ、葵ちゃんのお友達が来られていたのですね」
「志歩。そこから動かないで。ちゃんと手を洗った後で
ここに来て」
葵がすぐにその少女――志歩に鋭く注意をした。
「ええ、自己紹介をしたらすぐに帰ります……わたくし、
大倉志歩と申します。はじめまして」
二十一世紀最後の清純派美少女。大倉志歩はゆっくり
と頭を下げた。
名字が同じであるため、葵のいとこだと分かる。
だが、彼女が頭を下げた場所に運悪く良太の頭があっ
た。その結果。どうなったかと言えば――。
「いってえ!」
「あ、申し訳ございません」
志歩の頭と良太の頭が激突したのであった。なるみの
予言が見事に的中した。しかし、今回の痛みは大した事
はない。数分前、夏夜に指をかまれた時の半分程度だ。
「だいじょうぶですか? おけがはありませんか?」
志歩が心配して良太の額に触れてきた。通常の手なら
ば問題はない。
清純派美少女と肌と肌が触れ合うのだから、うれしい
イベントだろう。
しかし、現在の彼女の手は通常ではなかった。大量の
泡がついていた。泡が良太の右目に一気に入りこんだ。
結果。どうなったかと言えば――。
「ぐわあああっ! め、目に入ったああああっ!」
良太は右目に死にそうな程の痛みを感じて、校舎全体に
聞こえる悲鳴を上げた! この痛みは夏夜にかまれた痛み
など比にならない!
昨日、なるみに顔をふまれた時の三倍近い激痛! あま
りの痛さに目を開ける事が不可能になり目の前が真っ暗に
なる!
「良太君。家庭科室に行こう。早く水で流した方がいいよ」
葵らしき人物に良太は手を引かれて、となりの家庭科室
に連れて行かれた。
自分の後ろから足音が続くので、他の少女達もついてく
るのが分かる。
良太は手探りで蛇口をひねり水で顔を洗った。二度、三
度と続けて洗うと痛みが少し引いてきたので何とか落ち着
くことができた。
――オレの人生っていつもこうだ。うまくいくと思うと
必ず不幸が起きるんだよなあ。ちくしょう。
良太は運命の重みを感じて苦笑いした。人はあまりに
最悪すぎる事が重なると泣く気にさえならないらしい。
良太がびしょびしょに濡れた顔を上げると、横からなる
みの手が差し出された。
なるみの手にはレースのついた真っ白いハンカチがにぎ
られている。
「使ったら洗って返しなさいよ。ばっちりアイロンもかけ
てね」
「ありがとう。助かるぞ」
素直に礼を言って、良太はなるみの出したハンカチで顔
をぬぐった。どうにか目の前がはっきりしてくる。
「ああ、本当に申し訳ありません! 心からおわび申し上
げます! わたくしも悪意を持ってしたことではないの
で、どうかお許しください!」
清純派美少女――志歩が青ざめた顔で何度も頭を下げ
ていた。
「だから、あたしが言ったじゃん。そこから動かないでっ
て。あんたは初対面の人に会うと、必ずヘマをするんだか
ら」
葵はあきれた顔で、謝りつづける志歩の姿を見ている。
葵は付き合いが長いのか友人達の行動パターンを知り尽
くしているようだった。
――さっきまで清純派美少女に見えたのに、今はもう
清純派には見えないぞ。これからは彼女をニセ清純派と
呼ぼう。心の中で……。
良太が志歩に対してそんな感想を持つと、なるみは目
にうっすらと涙を浮かべて高い声で笑い出した。
「それにしても、あんたって三流コメディーみたいっ!
ここまで連続で不幸にあうと、りっぱな喜劇役者よ!
三流だけどねっ! ぷはははっ!」
なるみの笑い声につられて、吸血鬼ガールの夏夜まで
息が苦しそうな顔をしていた。肩をふるわせている様子
からすると、笑いを必死でこらえているらしい。
――くそー。こいつ、またオレを笑い者にしやがって。
まあ……許してやろう。ハンカチをかしてくれたし、何
よりも『巨乳』だったしな。
良太の中にわき起こった怒りはまたもや『巨乳』のお
かげで消滅した。真に『巨乳』の力は偉大であった。
良太は借りたハンカチを丸めてポケットに入れようと
すると、なるみの手でハンカチは奪い取られた。
「やっぱり返して。あんたに頼むと変にされそうだから、
わたしが洗うわ」
トラブルが解決すると、なるみは背筋を伸ばしていつ
もの腰に両手を当てた自信に満ちたポーズをする。志歩
と夏夜に向き直り強気の自己紹介をはじめた。
「わたしは一年生の広瀬なるみ。今度、DVDとCDの
中古販売を学校でやろうと思うの。商売で大もうけし
て学園ナンバーワン・アイドルになる予定だから覚えて
ね。で、こっちにいる喜劇役者が三年生の小川良太。
わたしの従者よ」
「じゅ、従者か……? オレが?」
良太の問いなど耳に入らないように、なるみは新キャラ
の少女達に質問をする。
「あなた達はわたしの仕事を手伝ってくれるんですって
ね? ありがたいけど、理由を聞かせてもらえない?」
志歩は緊張しているのか、大きく息を吸いこむと胸に
両手を当てた。なるみの顔をじっと見つめながら笑顔で
説明した。
「わたくし達は学校で小銭の買い取りをしていましたが、
お客様があまり来てくださらないので困っていたのです。
今回は葵ちゃんのお友達が新しくお仕事を始める話を耳
にしたので、お手伝いをさせていただきたいと思いまし
たの」
「……夏夜も同じ。お客さんの数が少ないから困ってた。
だから、何かもう一つ仕事をしたかった」
表情豊かな志歩とは逆に、夏夜は無表情で淡々とした
口調で答えた。
「良く分からないんだけど、小銭の買い取りって何?
うちの学校に珍しいお金を集めてる人なんているの?」
なるみが振り返ると、横にいた葵が素早く答えた。
「この二人が買い取ってるのは、珍しいお金じゃなく
てただのお金。
一円とか十円とかあたし達が普通に使ってる小銭なの。
でも、買い取りの基準には新しいとか古いとか、傷のあ
るなしとか、見た目は関係ないんだって。
一般人には何がいいのか分からないけど、この二人は
何か特別な価値が分かるみたいで集めてる。ただ、地味
な商売だし人気がなくて困ってるみたいよー」
葵の説明を聞いて良太は納得した。先程、家庭科準
備室で夏夜がテーブルの上で小銭を数えていたが、あれ
が特別な価値のある小銭だったのだろう。
「今度、小銭を持って来て。場合によっては十円を十
倍の値段で買い取ることもあるから。どの小銭がどれ
くらいの価値があるのかは、持って来てのお楽しみ」
なるみが興味を示すことを知ると夏夜は、すかさず
宣伝をする。無口そうに見えても商売上手らしい。
「ただ、一万円分の小銭をお持ちになられても、一枚
も原価以上の価値がない場合もございます。なので、
あまりご期待をされても困りますけれど」
志歩は笑顔を浮かべながら自分の商売に不利になる
ことを言った。金もうけしたいはずの商人が、マイナ
ス意見を言うとは商売下手なのかもしれない。
「まあ、いいわ。うちの学校は商売が認められている
し、あなた達みたいに変わった物を売り買いする人が
いてもおかしくはないわね。
わたしの商売を手伝えばたくさんのお金が集まるで
しょうから、その中から気に入ったお金があればチェ
ンジすればいいわ」
なるみは満足そうにうなずくと、スカートのポケット
から携帯電話を出した。
「ところで、二人の携帯の電話番号とメールアドレス
を教えてくれない? 仕事の連絡をする時に必要でし
ょ?」
志歩と夏夜もそれぞれ携帯電話を取り出し、情報交
換が始まる。乙女達で話しこんでいる世界に入れず、
良太は部屋の隅でぼうっと見つめていた。頭の中で思
い浮かぶことはただ一つ。
――性格に問題があるとしても四人も女の子が集ま
ると楽しいなあ。いやー、本当にすごい。これは学園
ハーレムってやつか?
思わずニヤニヤ笑ってしまう。こんなうれしい体験
は今までに一度もないし、この先もない気がする。妄
想を楽しんでいると肩をたたかれた。
「良太君、ちょっといい?」
乙女ワールドから外れていた葵が手招きをしていた
ので良太は近づいた。彼女は全員の電話番号もメール
アドレスも知っているので聞く必要はないのだろう。
葵はとなりの家庭科準備室に入ったため、良太も後
に続く。良太が来ると葵はドアを閉めた。密室で異性
と二人になるのは初めての体験だ。
一体、何の話かと思っていると葵は良太の顔を正面
から見て口を開いた。
「……あのさあ、良太君。あの三人の中で誰が一番好
き?」
「ま、待ってくれよ。急にそんな事を言われてもこま
るぞ」
葵の問いに良太はしどろもどろの口調になった。し
かし、答えは決まっていた。
――この四人の中で一人を選ぶとすれば、絶対に葵
ちゃんだ。一番危険が少なくてつきあいやすいし。
――ん?……待てよ。今、『あの三人の中で』って
言ったよな?
良太の中で疑問がにじみ出た。葵は答えを急かすよ
うに質問を重ねた。
「じゃあさ、あの三人の中でちょっとでもいいから胸
がときめくのは誰? あたしにだけ教えてよ。教えて
くれたら仲良くなれるように協力してやるから」
「どうして三人なんだ? どうして葵ちゃんが数に入っ
てないんだ?」
「あたしはやめた方がいいよ。あの三人に比べたらあ
たしは魅力がないって、自分でも分かってるし。だか
ら、あの三人の中で選んで」
良太の問いに葵はダメダメと手を振って笑って見せ
た。話を別方向へそらすように。
――おっ! これは自分に自信がない女の子を励ま
すイベントだな! よし! ここは葵ちゃんを元気づ
ける言葉をかけて、仲良し度をアップさせよう!
葵とのやりとりは恋愛シミュレーションゲームでは
、ありがちなストーリー展開だった。
しかし、現実とゲームとでは大きな違いがある。
ゲームでは主人公のセリフは三択で選べばいいが、
現実では主人公のセリフは全部自分で作らねばなら
ない。
良太は考えて、最適と思われるセリフを口にした。
「葵ちゃんは葵ちゃんなりの魅力があるんじゃない
か。あの三人に負けている事はないとオレは思うぞ」
「ありがとう。でも、あたしはダメだから。女の子と
して重大な問題があるしね」
葵は笑いながら視線を横にそらして、言いにくそう
に言葉を濁した。
――おっと、出会って間もない女の子にトラウマ話
を聞くのは早すぎるぞ。この話は仲良し度がもっと上
がってから聞こう。
良太は自分が危険領域に足をふみ入れた事に気付い
た。だから――。
「そうか。まあ、言いたくなければいいよ」
と、軽く流した。本当は興味本意で聞きたい気持ち
はあるが、理性でぐっとこらえる。 すると、葵は思
いがけない言葉を口にした。
「えーと、エッチをしても気持ち良くなれない女の子
の病気ってなんて言うの?」
「な、な、何でしょうか? 葵お嬢様。今、何とおっ
しゃられましたか?」
良太はおどろきのあまり、無意識に『執事モード』
になった。精神が混乱して正常な対応ができなくなっ
ている。
「だから、エッチをしても気持ち良くなれない女の子
の病気ってなんて言うの?」
葵は今日の天気を聞くような軽い口調で、同じ質
問を繰り返す。
――『エッチをしても気持ち良くなれない女の子の
病気』だとおお? なんなんだあっ! この女の子
はっ! どうして男のオレにそんな事を聞くんだあ
あっ!
――葵ちゃんだけは、まともだと信じていたの
にっ! 葵ちゃんだけは信頼できると思ってたの
にっ! やっぱり、葵ちゃんも『そっち側の人間』
だったのかっ!
――二十一世紀の日本の女子高生はどうなって
るっ! もうオレは時代の速さについていけな
いっ! 十代の若者の気持ちが分からないっ!
良太は言葉を失った! 衝撃で脳は爆発寸前だ!
滝のように汗が出た! 恋愛シミュレーション
ゲームの世界は完全崩壊した!
深呼吸を繰り返し、冷静になるための努力をする。
額の汗をぬぐって必死に答えた。幸か不幸か、良太
は知識としてその言葉を知っていた。
「……た、確かそういう病気は不感症っていうんじ
ゃないか? なんでいきなりそんな話になるんだ?
あ、葵ちゃん」
葵は良太のショックに気付かないように、パチン
と指を鳴らして喜んだ。
「そう、それだ。まだ、ためしてないけどあたしっ
て不感症だと思う。だから、絶対に他の人にした方
がいいよ。なるみは絶対大丈夫だろうし、志歩も夏
夜もたぶん大丈夫じゃないの」
「な、な、何が大丈夫なんですか?」
「だから、不感症の話。あたしは不感症だからエッチ
の時に問題があると思うの。でも、あたし以外の三人
は不感症じゃないからエッチの時に問題がないってこ
と。それだけの話」
葵は透明な感じがする笑顔で不感症について語った。
好きな食べ物やテレビ番組の話をするようにあっさり
した口調で。
――最悪だ。友達になりそうな女の子が、不感症だ
とカミングアウトした時にどんなリアクションを取れ
ばいい? 誰か教えてくれ。
――性に開放的なスウェーデンみたいな国なら『あた
し、不感症なんだよねー』 『じゃあ、俺がなおしてや
るよ』みたいな会話をしているのかもしれないけど、こ
こは日本だぞ?
――それも、ここは東京みたいな大都会じゃなくて
ド田舎だぞ? そんなド田舎で、こういう女の子がいる
とはなあ……。
本当はショックで気絶したい気分だった。しかし、
良太は気合の力で意識を保ち続けて葵に質問した。
「葵ちゃんって、いつもこんな話をしてるのか?」
「性的な話ってこと? みんな嫌がるけど必要な時はし
てるよ。特になるみは、死にそうな顔をするけど」
「そりゃー、死にそうになるだろうなあ。男のオレで
もびびったしなあ」
「でも、大事なことじゃん。生きていれば性の問題って
避けられないもんだし。だから、必要な時は、これから
も話すつもりだけどねー」
「さ、さようでございますか」
「話は戻るけど、あの三人の中で好きな人が決まったら
教えてよ。絶対に悪いようにしないからさあ」
葵が軽く笑いながら良太の肩をたたいた時、ドアが開
いてかん高い少女の声がした。
「ちょっと、その二人! こんな所で何してるのよー!」
家庭科準備室と家庭科室の出入口。腕組みをしながら、
むっとした顔でなるみが立っていた。なるみの後ろには、
志歩と夏夜が左右の間からこちらをのぞいている。
密室に若い男女が二人きり。誤解されても仕方がない
状況だと良太は気付く。何も起きていないとしても。
葵はいつものさっぱりした笑顔を見せて、でたらめを
答えた。
「良太君にあんた達の秘密情報を、一つ千円で売ろうと
思って交渉してた所。でも、今日はあんまりお金がない
から、ダメだって断られたよ」
「葵ちゃん! ウソでもやめてよね! そういう事を言
うのは!」
「そうよ! 悪ふざけも度がすぎますわ!」
なるみと志歩は、同じ意味の言葉を口々に叫んだ。二人
とも他人に知られたくない多くの秘密を葵に知られている
らしい。ただし――。
「千円は安すぎる。夏夜の秘密情報は二千円で売って。
後、葵ちゃんの取り分は二百円で夏夜の取り分は千八百
円にしてほしい」
一人だけとんでもない事を口走った吸血鬼ガールがい
たが……無視した。
――やれやれ。この中にはオレの彼女になってくれそ
うな女の子が一人もいない事がよーく分かった。こうな
ると、石川のおっさんが紹介してくれる三人に賭けるし
かないな。
良太は一人でため息をつきながら部屋の時計を見た。
今の時刻は午後の四時半。約束の時間まで二時間ほどあ
る。
まだ出会えぬ女の子の中に、外見も性格もすばらしい
美少女がいますように……と良太は天に祈った。