二章 かみつき、目つぶし、カミングアウト ①
二章 かみつき、目つぶし、カミングアウト
一
「俺はあと少しで彼女ができそうだぜ~。もちろん
現実世界の女の子な。どうだあ、小川? すげえだ
ろお~! ぐはははっ!」
テーブルの向かいの席で、笑いながら自慢したの
は岡口大だった。
――ちくしょうっ! デブが調子に乗りやがっ
てっ! 本当に腹が立つデブだっ!
良太は心の中で怒りの言葉を言い返す。この手の
話を聞くと自分に彼女がいない劣等感を刺激されて
しまう。
岡口は良太と同じ三年生。身長は良太と変わらな
いが体重は良太より三十%は重い。
髪をオールバックにして巨体を売りにしたワイル
ド系の男を気取っている。
だが、自慢話ばかりするデブ男に過ぎないと良太
は感じていた。
岡口は炭酸飲料を飲んで牛丼をむさぼるように食
べていた。
現在の食生活を続ければ将来は生活習慣病になる
のは確実だろう。
二人の少女と出会った翌日。現在、良太は学校の
食堂で友人達と昼食中だった。厨房に一番近い六人
掛けの席を占領している。
この場所が良太達の指定席だ。
食堂の西側はガラス張りで中庭が一望できる。外
の天気は昨日と同じく快晴。芝生の上で弁当を広げ
ている生徒達も見える。
「実は俺も彼女ができそうなんですよ~。岡口先輩
と同じように現実世界の彼女ですよお~。当たり前
ですけどねえ~。ぬふふふっ」
岡口の横の席にいる三津山靖
も、ニタニタ笑いで自慢した。
――このガキ! 年下のくせに! チャラチャラ
男のくせに! 腹立つなあっ!
良太の怒りは加速した。二人の自慢話はいつもスト
レスの源だが今日はかなりの苦痛だ。
彼女がいないという事実が胸をえぐるように突き刺
さる。
三津山は二年生。岡口の手下だった。良太より四セ
ンチ背が高いが良太より二十%は体重が足りず栄養不
足。三津山は安い茶色に髪を染めており、左耳には校
則違反のピアスをこっそりはめている。
つまりチャラチャラ男であった。
三津山は昼食のかわりにスナック菓子を食べて炭酸
飲料を飲んでいた。
現在の食生活を続ければ将来は骨そしょう症になる
のは確実といえよう。
ちなみに良太が食べているのは焼きそばパンにジャ
ムパン。飲み物は野菜ジュース。学校の売店で買った
物だ。目の前にいる二人のようになりたくないため、
食事には注意を払っているつもりだ。
「なあ、小川。おまえは現実世界で彼女ができそうか
あ? どうだあ?」
「小川先輩。いつまでも空想世界の彼女だけじゃまず
いですよお~。こっちの世界でも楽しいことしましょ
うよお~」
岡口も三津山も同じような事を言った。二人は良太
の状況を心配している顔ではない。 自分より不幸な
相手をバカにして楽しんでいる顔だ。
「オレだってな、現実で女の子と出会うためにベスト
を尽くしているよ。ただ、ちょっと苦戦しているだけ
だ」
良太はジャムパンをかみちぎりながら苦々しい気持
ちで言った。
「そうかあ。おまえの努力が早く報われるといいなあ。
なにしろ、俺も小川も高校生活は今年で最後だからな
あ」
「小川先輩。マジで早く彼女を作った方がいいですよ
お~。このまま彼女なしで卒業したら、死ぬまで女の
子と付き合えないかもしれませんよお~?」
怒りを押さえながら二人の嫌味に耐えた。ストレス
解消のために野菜ジュースをストローで一気飲みして
焼きそばパンをむさぼり食う。
良太達三人は、これまで現実世界の恋愛に興味がな
かった。アニメとゲームとマンガとライトノベルと
インターネットのインドア系娯楽に熱中する毎日だった。
異性に対する欲求は空想世界の美少女で解消してい
た。
しかし、進級と同時に高校生活が残り少ない事に全
員が気付いた。卒業というタイムリミットまでに、現
実の少女と付き合いたいと気持ちが変わるのは自然な
流れだった。
三人は四月に入ると現実世界で彼女を作る行動を開
始した。そして、現在。岡口と三津山は彼女になりそ
うな女の子を発見し、良太は発見していないのだった。
良太は岡口と三津山に友情を感じていない。あるとし
ても薄くて安い『紙友情』だ。学校が同じで趣味が合う
という理由だけで交流する二十一世紀的人間関係だ。
卒業後は二度と会わないだろう。しかし、現在はこの
二人とはライバルであった。
どちらが上でどちらが下かを、常に競い合う敵同士だ。
――こいつらに言うつもりはないがオレには運がある。
何しろ昨日は二人の女の子と知り合って商売を手伝う約
束をしたからな。後、一歩まで来てる。
――あの二人とうまくいけば、卒業式までにどっちか
がオレの彼女になってくれる……はずだ。でも、本当に
うまくいくのか?
――というより、本当にオレを雇ってくれるか分から
ないよなあ? 契約書を交わしたわけじゃないし、昨日
の約束はウソって事もありえるしなあ。
――ダメだ。やっぱり、彼女なしの生活から抜け出せ
ないかもしれない……。
胸からこみあげた不安が全身を駆け回った。良太は岡
口と三津山に内心の動揺を悟られないように無表情を
装ったが、うまくできている自信はなかった。
その時、厨房のカウンターをジャンプで乗りこえて良
太達の席に近づく男がいた。
白い服の上下に白い長靴をはいた三十代のヒゲが濃い
男――石川であった。
「よう、おめえら。学園ラブコメディーは楽しんでる
か? 一人くらいは仲良しのお嬢さんはできたか?」
石川は岡口の横の席にどっかりと座りこむ。
食堂の客が減って手が空くと厨房の外に出て遊びに
来るのがパターンだった。
誰でも気軽に話しかけるので石川と顔なじみの男子
生徒は学校内に軽く百人はいる。
岡口は石川が来ると幸せいっぱいの笑顔でまくした
てた。
「石川さん、聞いて下さいよ! 俺も三津山も後少し
で彼女ができそうなんですよ!」
「へえー。そいつはめでたいじゃねえか。じゃあ、俺
は卒業式までにおめえらが破局する方に、百万かけて
やる。良太はどっちにかける?」
「ちょっと! そういうギャグはやめて下さいっ!
うまくいく物も、うまくいかなくなるじゃないですか
あ~!」
石川の話を聞くと、三津山が腐った物を食べたよう
にしぶい顔をした。
石川が来た事で良太は嫌な予感がした。この後に続
く会話が予想できたからだ。
「でもねえ、俺達はうまくいってるけど、この中でう
まくいってない奴が一人いるんだよなあ~。小川って
奴なんだけど」
岡口は良太を見下した目で見ながら笑っていた。
手下である三津山もつられて手をたたきながら笑い
出す。
「そうそう! 岡口先輩の言うとおり! この中で一人
だけうまくいってない人がいるんですよお~。小川先輩
って人なんですけどお~」
「小川にも女の子と付き合う喜びを教えてやりたいな
あ~」
「まったくですよお~。この幸せを一%ぐらい小川先
輩にわけてあげたいですねえ~」
前半二人はケラケラ笑っていたが後半はゲラゲラ笑
っていた。大爆笑であった。
石川が来た事で二人が自分をバカにする事は分かって
いた。
分かっていたが、実際に体験すると耐えられないもの
がある。
――もう、ガマンできねえ! こいつらっ!
良太の怒りが爆発した。拳でテーブルを力いっぱいな
ぐりつけた。
予想より激しい音が食堂内に響く。三人の視線が自分
に集まった直後に良太は席を立ち、岡口と三津山に指を
向けて怒鳴った。
「あのなあ! 言うつもりはなかったけどオレは昨日。
商売をやってる女の子と出会ったんだよ! しかも二人
だ! 二人! 二人ともすげえ美少女だ! おまえらが
見たら、びびっておもらしするぐらいの美少女だぞ!」
良太は二人という意味を強調するために、指を二本立
ててピースサインをした。二本の指を見て岡口と三津山
の笑顔が止まった。
どちらもあごが外れたように口を開けている。良太の
言葉に大ショックを受けている。
良太は勢いに乗って思いついた言葉を、早口でしゃべ
りまくった。
百円の物を一万円で客に売りつけるサギ師の気分だ
った。
「おまけにオレは、その二人の美少女の商売を手伝う
約束をした! つまり、これから毎日放課後はデート
しまくりだ!
このまま行けば夏休み中にどっちか片方と、十八禁
の関係になれるのは確実だな! どうだあ! まいっ
たかあ!」
「……おい、良太。今の話本当か? 昨日、あの後に
女と出会ったのか?」
質問をしてきたのは岡口でも三津山でもなく、石川
だった。
「本当だ! 昨日、あの後にオレは二人の美少女と出
会った!
もちろん現実世界でだ! 桜の木の下をブラブラし
ている時、運命的な出会いがあったんだよ!」
――桜の下で顔をふんづけられたのは、秘密だけど
な。
心の中でそうつけ加える。もちろん、口には出さな
いが。
「み、三津山……このままだと小川に負ける。行くぞ。
作戦会議だ」
「は……はい。わ、分かりましたあ」
先程までの笑い顔は完全消滅して、岡口と三津山は
ゾンビのような暗い顔で食堂から出て行く。
自分より多くの幸せをつかんでいる良太を見て絶望
したようだ。
しかし、良太は勝ったという満足感はなかった。
――ああ、どうしよう……バカな事を言っちゃった
なあ。
自己嫌悪の気持ちがこみ上げてきた。テーブルの上
に頭をふせて苦悩を開始した。
できもしない大演説をしたせいで心身共に疲労した。
石川を見ると文庫本を読んでいた。題名はブルース。
作者は花村萬月。内容は良く分からないが、題名から
判断すると外国音楽の本かもしれない。
自分には関係ないマニアックな世界だろうと予想は
つく。
石川は目で本の字を追いながら、口だけで良太に問
いかけて来た。
「しかし、おめえ……たった一日でよくそこまでうま
くいったなあ。まさかおめえが、本物のお嬢さんと出
会えるとは思わなかったぜ」
「まあ、女の子と出会えたのはいいけど仲良くなれる
自信はないんだ。この先、どうしたらいいのか困って
いるのが現実だよ」
「やっぱりな。じゃあ条件付きで、この学校にいる三
人のお嬢さんと仲良くなるチャンスをやろうか?」
「な、何だよ? それは?」
石川の言葉に良太はふせていた顔を上げた。三人も
の女の子と仲良くなれるとはただ事ではない。
思わずテーブルから身を乗り出してしまう。
「実を言うと俺は、ここの食堂以外に別の仕事もして
る。どっちかと言えば、そっちが本業だ。最近、そっ
ちが忙しくて人手が足りねえ。
おめえが仕事を手伝うなら、仕事仲間である三人の
お嬢さんを紹介してやってもいいぜ。
三人いればそのうち一人くらい、おめえの彼女に
なってくれる女がいるんじゃねえか?
どうだ? 悪い話じゃねえだろう?」
石川のもう一つの仕事という話を聞いて、良太の頭
の中でひらめいた事があった。昨日、携帯電話に来た
怪しいメールだ。
良太は電話を出すと例のメールを開いて石川に見せ
た。
「石川のおっさんは、このメールに見覚えはない?
おっさんがやってるもう一つの仕事って、こういう
メールを人に送るヤバイ仕事じゃないのか?」
石川は良太の携帯電話を奪い取ると、じっくり画面
を見つめた。良太は石川の顔を観察した。
石川が犯人ならウソをついても顔に何か出るに違い
ない。
しかし、石川の顔はピクリとも動かない。飽きたよ
うに電話を良太に投げ返した。
「放課後の音楽室で、ピアノを一人で弾いているよう
な清純派美少女も存在していますよ!……ときたか。
くだらねえな。
二十一世紀の時代に、こんなウソに引っかかる奴は
いねえだろ。俺はこんなドアホウなメールを人に送る
仕事なんざしちゃいねえ。バカも休み休み言え」
「でも、それを書いた奴はオレが昨日した話を知って
る奴だぞ。あの話を知ってる奴がおっさんの他に誰が
いるのさ?」
「魔法使いじゃねえの~? おめえの心を読んだ奴が、
そういうメールを送ってきたかもしれねえじゃん」
「魔法使いだって? それこそバカも休み休み言えっ
て感じだよ。ここは現実世界だぞ? ライトノベルじゃ
あるまいし、そんな物がこの世にいるわけがない」
良太はげんなりした気持ちで言った。子供だと思っ
てなめられている気がする。
「……とにかく、俺の仕事はもっと派手でストレス解
消になる仕事だ。簡単に言うと夜の町で魔物退治みた
いな事をしてんだ。これ以上はここで言えないけど
よ」
「魔法使いの後は魔物退治か。バカらしくて話になら
ねえなあ。もうオレは行くよ」
石川の話に嫌気がさして良太はため息をつきながら
席を立つ。パンの空き袋と野菜ジュースの空きパック
を持って歩き出そうとした。
「でも、おめえは昨日出会った娘とうまくやる自信は
ねえんだろ? もしその二人がダメだったらどうす
る? この先も岡口と三津山にバカにされるぜ?
いいのか?」
「うぬ~う……それは嫌だ。絶対に嫌だ」
良太の足が止まった。岡口と三津山の憎たらしい笑
顔を思い出すと、今すぐブン殴りたい程の怒りを覚え
る。
人生経験豊富な大人らしく、石川は良太の弱点をつ
いてくるのがうまい。
「だったら、たくさんの女と同時に付き合って保険を
かけた方が良くねえか? 出会いのチャンスが多いほ
ど、彼女になってくれる女と会える確率もアップする
ぞ」
「石川あああっ! いつまで油売ってんだあ! ドア
ホウがあっ! 仕事を手伝わねえとクビにするぞお!
うらあああっ!」
厨房で怒鳴る声が聞こえた。半径百メートルに響き
わたりそうなヤクザボイス。周囲にいた生徒と教師達
が一気に青ざめた。
石川と同じ白の上下の服を着た前科三犯というムー
ドのある四十代の中年男。石川の親分にあたる人物
――山口が怒鳴っていた。
山口は石川より背が低くて体は小さいが、鬼瓦のよ
うに目が凶暴な男だ。
生徒や教師に接する時は仏モードで優しいが、仕事
を怠けがちな石川には今のような極道モードで接する。
刑務所帰り。元暴力団組員。背中に阿修羅の刺青が
ある……というウワサが山口にはある。
しかし、本人は口が重いので過去は謎につつまれて
いる。
ちなみに山口の小指はあった。
二本ともだ。石川は困った顔をして席を立った。
「やべえ……オヤジさんに怒られちまった。とにかく
夕方の六時半ごろに駄菓子屋のおおくらに来い。くわ
しい説明をしてやるから楽しみに待ってな」
にやりと笑うと石川は席を立った。助走もなしにジ
ャンブをすると、軽快にカウンターを乗りこえて厨房
に戻ってゆく。
陸上部でもできそうにない高レベルのジャンプ力だ
った。