八章 広瀬なるみの憂鬱 ⑤
五
「あんたって一人で帰るんでしょ?」
なるみがセーラー服に着替えた姿で、スポーツ
バッグを手に校門前で待っていた。
今のなるみは珍しく静かな顔をしている。
力がぬけて落ち着いた表情。全力ではしゃいだ
せいで疲れたのだろうと良太は思った。
人生で最も体力にあふれている十代の少女でも、
無限にハイテンションではいられないらしい。
今の時刻は午後五時半過ぎ。宣伝が終わって、
すべてのチラシを配り終えた後だった。
四月はまだ陽が長いとは言い難い時期であるため、
太陽はほとんど沈みかかっている。
富士原市全体がオレンジ色に染まっていて黄昏時
だった。
なるみの茶色の髪も夕日を浴びたせいで金色に
かがやいて見えた。
「今日の葵ちゃん達は用事があるみたいだし、一
緒に帰る人が誰もいないの。しょうがないからあん
たと帰ってあげるわ」
「そいつはありがたいな」
できるだけ平静を装って答えたつもりだが、良太
の心のタンクは幸せで満タンとなった。
――おお、すげえ! 女の子から下校を誘われ
ちゃったぞ! これって、オレに好意を持ってる
証拠だよな?
――そうでなきゃ、誘ったりしないもんな!
アリスのコスプレを見た直後から、良太の中で
なるみの株は急上昇していた。
少しぐらいなまいきでも、許してやれる気分に
なっている。
少しぐらいのわがままならば聞いてもいい気分に
なっている。自分に好意を持っているのならば。
「本当のことを言うと帰りにわたしの家に寄って
ほしいの。あんたに商品を持って行ってもらいたい
から。前みたいに、あんたの家まで持ってくのって
大変だし」
「……はいはい。了解しました」
良太は希望を打ち砕かれて投げやりに答えた。
――やっぱり、オレに荷物を持たせたいだけで、
オレに好意を持っているわけじゃなかったか。
――まあ、いいや。女の子と一緒に帰れるだけで、
うれしいもんな。
無理やり自分を納得させるとなるみと並んで歩き
出す。
男友達と下校する事はよくあるが、今回のように
異性と下校するのは初めての経験だ。
前になるみとは二人で登校をした事はあったが、
下校はそれとは違う興奮や感動がある。
前に登校した時、良太とカップルに見られたくない
から自分の後ろを歩け――と、わがままを言った
なるみであったが今は冷静だった。
何も文句を言わず良太の横を歩いている。
前から風が吹いてきたせいで髪が顔にかかると、
指先で軽く払いながらなるみはつぶやいた。
「夕方ってセンチメンタルね。さびしくてたまらなく
なるわ」
「ど、ど、どうしたんだ? なんか、いつものお前
らしくないじゃんか?」
良太は大声を出して聞き返した。
なるみの口から出たセリフとは信じられなかった。
「わたし、夕方って大嫌い。夜も大嫌い。早く明日
が来ればいいのに。早く朝にならないかな」
なるみは静かな表情で――いや、さびしげな表情で
つぶやく。あきらかに今までと様子が違う。
報われない片想いに苦しむ、恋する乙女のような
切ない目をしている。
「家に帰りたくないけど、どこにも行く場所がない
から家に帰るって感じね。帰っても誰もいないし」
「おまえって一人暮らしなのか?」
「そうよ。悪い?」
「悪くないぞ。いいじゃないか。親とか兄弟がいない
とすっきりするだろ。うらやましいな」
良太は弾んだ声で言い返した。まぎれもない本音
だった。
同時に重そうな方向に流れそうな会話を明るい方向
に戻す策略でもあった。
しかし、なるみはつまらなそうに鼻を鳴らすと不満
がこもった声で答えた。
「それは本当の孤独を体験してない人だから言えること
ね。一人暮らしって全然、楽しくないわ。
一人で食べるごはんがものすごくまずいのって知っ
てる?
でも、美容と健康のために仕方なく食べている感じ。
つらくって泣きそうになるわ。
あんたは家族がいていいわね。大事にしてやりなさ
いよ。欲しくても手に入らない人だっているんだから」
「おまえ、今日は本当にどうしたんだ? 体の調子でも
悪いのか?」
「別に。仮面がはがれて裏側の自分が出ちゃっただけよ。
もしかしたら、今のわたしが本当のわたしかもね」
なるみは良太に顔を向けると皮肉っぽく笑ってみせる。
絶対におかしいと良太は感じた。
顔つきも体つきも声もオレンジのにおいも、いつもの
なるみと同じ。
だが、話の内容と性格がまるで違う。
なるみは正面を向いて、歩きながら語り出した。
「葵ちゃんはわたしの事を貴族って言うけどうれしくな
いわ。一ヶ月に自由に使えるお金が三十万円以上あって
も何もうれしくない。
アニメとかライトノベルの主人公って、高校生のくせ
に一人暮らしをしてる場合が多いでしょ?
友達も恋人も家に連れこみ放題で楽しそうにやってるけ
ど、あんなのウソよ。絶対に孤独になる時間があるはず。
一人ぼっちで映画のDVDを見ながら、さびしくて
たまらなくて泣く時があるはずよ。絶対にそうに決ま
ってる。
たぶん、人間は食べ物と服と家だけがあっても幸せに
なれないと思う。物とかお金以外の何かが必要なのよ」
「……だから、お前はナンバーワン・アイドルになりた
いのか?」
「そうよ。だけど、わたしがアイドルになりたい本当の
理由は、どうしてもなりたくない奴がいるから。
そいつみたいになりたくないから、アイドルを目指
してるの」
「それって誰なんだ?」
「現実には存在しない人。でも、現実にいる誰よりも
大っきらいな奴よ」
なるみは両目をつり上げて怒りの表情を見せると、
口を閉じて歩き出す。
それきり、なるみは言葉を発しなかった。
横に良太が存在していないように家に帰る事だけに
専念している。
良太は置いていかれないように追うのが精一杯だった。
――何かを言ってやりたい。でも、何を言えばいい?
『おまえにはオレがついてる』か? 『そのうち、いい
事がある』か?
――だめだなあ……オレは三流コメディーの役者だ。
そんな奴が何を言っても説得力がありはしない。
この状況は良太の処理能力をこえていた。
葵ならば何か気の効いた言葉を言って、なるみを励ます
のだろうが、自分には無理だった。
正直に言うと、今まで見た事がないなるみの裏側に
圧倒されていた。
重く暗く、明るさのかけらもない少女の裏側に。
少女の真実の姿に。
良太もなるみも無言で歩き続けて、やがてなるみの家
についた。
新築の二LDKマンションだった。
良太の自宅から五十メートルも離れていない近場に
あった。
普段ならば『おまえの家って金持ちだな』とか『お前
の家ってこんなに俺の家の近くだったのか』とか、言った
だろう。
だが、今は何も言う気が起こらない。
階段を上り出したなるみを追って止まった先は三階の
一号室。
なるみはカギを開けるとドアを開いて良太を招いた。
引っ越しをして間もないのか、廊下にはダンボールが
いくつか積んであるのが見える。
なるみは玄関に用意してあった紙袋を取ると良太にわた
してきた。
「はい。これを持って行って。明日また忘れずに学校に
持ってきなさいよ」
「分かった。任せてくれ」
良太は荷物を受け取ると帰ろうとしたが、なるみが肩を
つかんで引きとめた。
「あんた、葵ちゃんからわたしの家庭の事情とか聞いた?」
「何も聞いてないぞ。そのへんの話は、お前が聞くなって
怒っていただろ?」
「じゃあ、教えてあげる。これがわたしの家族。今は別居
中だけどね」
なるみは玄関に飾られていた小さな写真立てを見せてきた。
国籍は分からないが西洋人の家族写真だった。
父親と母親。なるみとその妹らしき少女の合計四人が一列
に並んで写っている。
どこかの観光地らしくバックには湖と森が広がっていて、
絵になる景色だった。
父親は小柄な体つきだが若そうで四十代前半に見えた。
口ヒゲを生やした芸術家風の人の良さそうな男だった。
母親は背が高く見た目も若いせいで三十代前半あたりに
見えた。上品で優しそうな表情をした美人であり、スタイル
は二児の母親とは思えないほどすばらしく良い。
妹はなるみの顔と体をそのまま小さくしたような少女
だった。
年齢は分からないが小学生なのだろう。
四人ともおしゃれで高級そうな服を着ており、上流家庭
の家族旅行という雰囲気をただよわせている。
自分の家族では逆立ちしても絶対に出せない高級感だと
良太は思った。
写真の中のなるみは顔と体は現在とそう変わらない。
違うのは、母親と父親の間で幸せにあふれた表情をしている
ことだ。
父親も母親も妹も全員が穏やかで安らいだ顔をしている
ように見える。
この四人が別居をして暮らす原因になる事件とは、何なの
だろうと良太は思った。
「この写真は一年前の旅行で写したの。わたしの人生が一番
すばらしかった時代の写真よ。わたしはこのすばらしい時代
をもう一度、取り戻したいって思ってる。このお金でね」
なるみは持っていたスポーツバッグの中から一つの箱を
取り出した。
白地に金の王冠がついた貯金箱を。なるみは箱を横にふって
ジャラジャラと音を立ててみせた。
「このお金で前と同じ旅行を家族にプレゼントしたいの。
あの幸せをみんなに思い出してほしいの。
またいっしょに暮らしたいって、家族全員が思ってくれる
ように。
でも、ただのお金じゃだめだから、このコインにはわたし
の願いをたっぷりこめたわ。
一生に一度でいいから奇跡が起こりますようにって。これが
、わたしが一生をかけてやりとげたいと思う願いよ」
良太は見つめた。なるみの王冠がついた貯金箱を。
なるみの願いがこもった貯金箱を。
最強クラスであるという五段の念銭が入った貯金箱を。
「でも、この願いはかなえられないかもしれない。
もしかしたら、わたしはずっと一人ぼっちかもしれない。
だから、ダメだった時の保険としてナンバーワン・アイドル
にならなくちゃいけないの。
家族がいなくなっても、誰かがわたしのそばにいてくれる
ようにね」
「だけど、お前には友達がたくさんいるだろ? 葵ちゃんとか
クラスの同級生とか色々いるじゃないか?」
「うん……いるのはうれしいけど、最後までわたしのそばに
いてくれるかどうかは、分からないから」
なるみは急に視線を下に向けると、つぶやくように
言った。声が弱々しかった。
ナルシストでプライドの塊のような少女が、これほどまで
に弱気な態度を見せるのは初めてだった。
「前に言ったように、わたしには人を引き寄せる魔法がある
と思うの。だけど、残念ながらその魔法の効果はずっとつづく
わけじゃないわ。
いつか魔法が消えて、わたしの友達だった人が一気にはなれる
時が必ず来る。でもね……信じたいの。
わたしの友達が全員いなくなっても、誰か一人くらいは最後
まで魔法がとけない人がいることを。
その一人を見つけるために、その奇跡の人と出会うために、
わたしはナンバーワン・アイドルになって、たくさんのファン
を集めなくちゃいけないのよ」
なるみの茶色の瞳はかすかに涙がにじんでいた。
泣くのをこらえているように歯を食いしばっているのが
分かる。肩が小刻みにふるえていた。
良太はしぼり出すような声で一言だけ告げた。
「……お前の願いがかなうといいな。家族の願いも、アイドル
の願いも両方とも」
良太はなるみが強くにぎりしめている貯金箱に視線を
向けた。
良貨連盟が悪用を警戒している貯金箱を。
石川とリフォーマー達がのどから手が出るほど欲しがって
いる貯金箱を。
多くの争いを起こす火種になるかもしれない、強力な武器
がこめられた貯金箱を。
この章は、ここでおしまいです。
次の章につづきます。




