囲われたままで
ふすまから覗く 外の世界
見えるのは 広い庭だけ
そこが私の世界
−囲われたままで−
私の名前は弥生。
この家の人間。
この家には、今私一人しかいない。
私以外には誰もいない。
他には、時折執事がやってきて私の世話ごとをしてくれている。
けれど姿は見たこともない。
奇妙な家だった。
そして、一番のことがある。
この家から、私は出れないんだ。
出たくても、出れないんだ。
不快な空気が、またこの家の中を通っている。
「本当に―――この家には誰もいないのかしら」
いつもふと思う“疑問”。
しかしその疑問に、答えてくれる人はいない。
この広い屋敷の中に問いかけようが、広い庭に問いかけようが。
返ってくるのは、小さな声だけ。
後は何もない。
不思議な感覚。
「いつもと―――変わらないのね」
彼女は立ち尽くし、いつものように畳に座った。
着ていたレースのスカートがくしゃくしゃになるのも構わず、さらにその上に寝転がった。
高くにある天井を眺めながら、ため息をついた。
私はここで何をすればいいのだろうか。
もうここへ来て3年になる。
15にもなるのに、あまり育つことのない身体。
華奢というのか、細身というのか。
小さな身体に、この屋敷はさらに不釣合いだった。
「どうしようかしら」
いつものようにまた布団に戻って寝ていようか。
ヌイグルミの沢山置かれた、あの部屋で。
けど、さっき起きたばっかりだ。
まだ眠くない。
書室の本も―――この間全て読み終えてしまった。
もう私は、この家で何もすることがない。
この孤独の空間で何もすることがないんだ。
弥生はそっと起き上がり、おもむろに庭へと歩いた。
庭にはアジサイが咲いていた。
なぜ彼女は一人になったのか。
ううん。違う。
私は最初、お父さんとお母さんと一緒にこの家にやってきた。
最初は、楽しかった。
みんなで笑い会った毎日。
愛があふれる家。
けど、1ヶ月ぐらい経った時、二人は
「出かけてくるからお留守番しててね」と言い残して家を出た。
何も伝えてもらえなかったけれど、私は待った。
ずっとずっと、ずっと待った。
それでも帰ってこなかった。
時には泣いていた日もあった。
そんな時傍にいてくれた、執事の中津に支えられながら、帰りを待った。
けれど、彼の口から
「両親の死」を聞かされたときは彼を突き飛ばしてしまった。
涙は流れなかった。
そうだと薄々感じていたから。
けれどちゃんと言われると涙が出る―――わけがなかった。
私の心は、枯れていた。
涙も流れないほどに枯れていた。
目の前のアジサイに、落ちていたジョウロで水をやる。
すると、綺麗な虹が出来上がった。
そういえば、そんな曲があったような気がする。
虹の声のするバンド―――。
でも、もう忘れてしまった。
そのバンドが今も続いているとは限らないし・・・。
「―――。何を考えているんだろう、私・・・」
昼食をとってから自室に戻ると、急に眠気がこみ上げてきた。
その眠気に誘われて、私はゆっくりと目を閉じた。
―――夢を見た。
私が、お父さんとお母さんと一緒にいる夢。
楽しい笑顔が、家族を取り巻いている。
暖かい。
暖かい風景。
けれどその風景は崩れ去り、二人は振り返り背中を見せた。
そして、私とは逆方向に歩き出した。
待って、待ってよ。
私を暗闇においていかないで。
一人にしないでよ、ねぇ!!!
置いてか―――ないで。
目を覚ますと、先には天井が待ってるはずだった。
けれども、今日は違った。
そこには、“笑みを浮かべてナイフを持つ中津”の姿があった。
「ひっ―――」
「お目覚めですか、お嬢様」
その笑顔は変わらず、振り上げた手を下に降ろした。
ナイフが下りてくる。
刺される・・・?
怖い。
怖い、怖い、怖い!!
「きゃあああぁああッ!!!」
甲高い叫び声を上げ、ベッドの右側へと回った。
運よくナイフはベッドに刺さり、難を逃れた。
私はすぐに起き上がると、中津の横を通り過ぎた。
―――なんで、あの人が?
私は殺されるところだったの・・・?
なんで、なんで、なんでっ!!?
言葉が頭を駆け巡る。
その間に廊下を走り、階段を降りて一階に向かう。
玄関に、玄関に。
恐怖から思考が回らず、出られないことも忘れていた。
玄関に辿り着き、扉を開けようとした。
けれど、開かない。
なんで―――っ。
私は閉じ込められた。
あの人に殺されるために。
そんなのは、嫌だっ。
嫌ぁッ!!
力強く、扉を叩く。
けれど扉はビクともしない。
その間にも、足音が屋敷の中を駆け巡る。
何で開かないの!!?
足音が、だんだんと近くなる。
心臓の音が、鼓動が早くなる。
まるで身体から心臓が張り裂けて出てきそうなほど。
そして―――。
「おや、ここにいましたか」
「ひっ―――」
狂気の笑みが、辺りを包み込んだ。
手にはナイフ。
笑みにはもう優しさのカケラも残っていない。
「なっ・・・んで・・・」
「はい?」
震える唇が、静かに言葉を伝える。
「なんで・・・私を・・・?」
「ああ、そんなことですか。それはですね―――」
言葉を一度止め、髪を掻き揚げる。
笑顔が、段々と曇り行く。
“彼”ではない。
もう私の知る“彼”はいない。
「嫌気が差したんですよ。こんな少女の為に働くなんてね。・・・でもまぁ、それは今に始まったことじゃない。三年ぐらい前からですかね」
「―――それっ、て」
三年前。
ちょうどお父さんとお母さんがいなくなった日。
二人の死を告げたのは、彼。
私を殺そうとしているのも、彼。
まさか。
まさか、そんな―――。
「そうですね。私が祐一郎様と雪奈様を殺しましたよ」
嫌に簡単に、その言葉は口から放たれた。
言葉が耳を伝う、感覚。
頭の中から神経がそれを伝わせる。
嘘だ、そんなの。
嘘に決まってる。
嘘、嘘、嘘・・・。
「嘘だと思うのなら、死んでみればわかりますよ?」
狂った笑顔が、ナイフの刃を輝かせる。
嫌だ、死にたくない。
死にたく―――。
「嫌ぁぁぁあああッ!!!!」
私は咄嗟に、玄関にあった壷を手に取った。
ずっしりと、腕に重みを感じる。
けど、そんなことを考えている暇じゃない。
重みのある壷を、彼目掛けて投げた。
「なっ―――」
視界を覆われ、一時的に何も見えなくなる。
それを狙って、私はもう一度逃げ出した。
窓を割って庭に出よう。
そうすれば、外に―――。
「まだ逃げるのですか。懲りない女ですね・・・」
窓は割ることなく、開いてくれた。
その窓から、庭へと出る。
本当に本当に、庭は広かった。
一面に広がる緑色。
とてもキレイだ。
けれど、そんな事を考えている暇はなかった。
足に力を入れて、その庭を走る。
出口は覚えていない。
けれど走らないと。
あの人が追ってくる前に―――。
と、突然足に力が入らなくなった。
「なんっ・・・?」
その上、呼吸がしづらくなる。
自分では大丈夫だと思ってたけれど、こんなに身体が弱くなってるんだ。
こんな時に・・・。
こんな時に!!
「走ら・・・なくちゃ・・・」
必死に足を叩いて、麻痺感覚を消そうとする。
少し痛みが引いて、走れなくとも歩けるようになる。
足を引きずるかのように、歩く。
どこか、出られるところ・・・。
見回すと、微かに南のほうに大きな扉がある。
けれど、そこは先回りされているかも知れない。
やっぱり―――木々の中を進むしか・・・。
けれど、着ている服は黒のレーススカート。そして靴下。
そんなのでこの中を走ったら。
けれど、考えている暇はなかった。
構わない。
後のことはもう考えずに、一目散に走った。
痛みを忘れて。
助かることだけを考えて。
満身創痍になったって、死にたくない!
そう思って走り続けて、光を見つけた。
光の指す方向へと出た。
―――車道、だった。
それを瞳で確認した瞬間、フッと意識が途切れた。
おい、大丈夫か?おーい。
声が聞こえる。
大丈夫かぁー?
男の人の・・・声。
突然彼女の目がぱちくりと開く。
彼女の顔に、自分の顔を近づけていたため、ビクッと身体を震えた。
「キャアアアアァ!!」
「うおおおぉう!!?」
双方そろって驚き、瞬時に距離をとった。
不吉な空気が、二人の中心で渦を作る。
その渦を消したのは、彼のほうだった。
「よかったなー。その分だと、元気らしい」
「・・・誰なの?貴方は」
辺りを見回し、弥生はそう言った。
自分の身体を自分で抱きかかえ、自分を守るように。
まだ震えている、唇が。
男は頭を掻きながら、恥ずかしそうに答えた。
「俺はぁー、篠月 啓一。よろしくな」
「・・・私に何かしたの?まさか、貴方も―――っ」
笑っている。彼と同じで。
もしかしたらこの男も、私を殺そうとしているのかもしれない。
けど・・・そんな気配は・・・
「ん?何か勘違いしてるみたいだけど・・・。俺は道端に倒れてたアンタをここに連れてきただけだぜ?」
「倒れ―――?」
確かに、光を見た瞬間に意識を失った。
気がつくと、この部屋に―――。
「おぶって来たんだよ。ケガしてたみたいだし」
「おぶって・・・貴方が!!?」
「お、おう」
彼に、啓一君におぶわれてここに来た。
つまり、触られたということになる。
サワラレタ、サラワレタ、サワラレタ。
「身体が目的なのね!?」
「・・・何言ってんだ。ケガ人を介抱すんのは普通だろ」
そう言った彼の目は、澄んでいた。
あの男のように、黒く染まった色じゃない。
この人なら信じられる気がした。
震える私を気遣うように、優しい目でこっちを見ている。
「そんなに怯えんなって。何があったか―――。名前から教えてくれっと嬉しいな」
柔らかい言葉が、私を刺激する。
「わかった・・・。私の名前は杠 弥生・・・」
名前から始まって、私は今までの全てのことを丁寧に話した。
「なっるほど・・・。大変だったんだな。ヤヨイも」
「・・・っ!!? 呼び捨てにしないでくれる!?」
「ん?何か言ったか?」
彼はお茶を飲みながら、話を聞いてくれた。
ふむふむ、と唸った後、彼は口を開いた。
「だったらさ、ヤヨイ。しばらくウチにいろよ」
「―――えっ!!?」
「多分今の状況じゃ家には戻れないだろうし。執事の名前わかるんだろ?ケーサツにでも連絡して捕まえてもらえばいいさ」
彼はニカッと笑った。
なんだろう。この心からこみ上げる気持ちは。
彼を見ていると、心があったかくなってくる。
「わっ、私は―――」
「気にすんなって。事情説明すりゃ姉ちゃんも許してくれるだろ」
私は何も言えなくなった。
多分、少しばかり顔が赤くなっているかもしれない。
“優しさ”に触れるのは久し振りだったから。
私は、本当の光を見つけた。
そう思ったんだ。
「ま、色々あったろうから少し休めよ。傍にいてやっから」
「・・・うん」
柄にもなく、小さな声で私は返事をした。
何だか心が暖まる。
そしてそのまま、目を閉じた。
それから私は、篠月家でお世話になることになった。
啓一君と同じで心が広くて優しい由美子さんに事情を説明すると、
「なんつー悲しい状況・・・。よし、いいよ!泊まっていきな」
と言って、肩を叩かれた。
やっぱり人は温かい。
そう思わせてくれた。
数日後、執事だった中津とその連れ数人が逮捕された。
私のお父さんとお母さんは、本当にその男に殺されたらしい。
中津の自供によって、死体が発見された。
もう取り返しの付くことではなくなっていたんだ。
・・・けれど。
私には新しい生活がある。
啓一君と姉の由美子さんとの。
「広いでしょ?これが私の家」
「うはっ、庭が広いな・・・おい」
「素敵じゃないか」
私は、やっと自分の家へと帰ることができた。
同時に今までのお礼を込めて、私は二人を招待することにした。
二人は喜んだ笑顔を見せてくれた。
それが、とても嬉しかった。
「この家に住めればアタシ達もいいんだけどねー」
「そういうこと言うなって、姉ちゃん」
二人のやり取りを見ながら、私は微笑んだ。
「なら、住む?」
「―――ぇ? マジかよ、ヤヨイ!」
ちょっぴり嘘も混じってて、けれどそれが本当でもいいなって。
これから始まるのは、そんな私の囲われない物語。
三作品目です。お楽しみいただけたら 嬉しいです。