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愛してると笑う君へ、僕は死ねと囁いた

作者: 林 りょう




「愛してる」


 透明な、キラキラと夕陽を反射させる涙を流しながら、君は淀みなくその言葉を口にする。これまでの思い出と、これからへの期待を込めて。

 僕の手を握る手に力はこもっていない。1DKの部屋をしめるダブルベッドの上で焦点の定まらない瞳を揺らし、それでも必死に僕を見ようと頑張る君はとても綺麗だ。

 ふらふらと、壁側で身体の横に投げ出されていた右手が僕の頬へ触れた。常に短く切りそろえられ、休みの時だけ色鮮やかに変貌していた爪が眉や鼻筋、まぶたにまつげと移動し、右往左往してから唇で止まる。何度も君が貪り穢すから、君と過ごした四回分の秋と冬、僕は乾燥と熾烈な戦いを繰り返さなきゃいけなかったことがすでに懐かしい。


「愛して……?」

「君が満足することは一度だってないじゃない」


 この期に及んで強請る君は、今の僕をもう見ていない。

 眦からこめかみ、輪郭を伝って首を流れる涙の中には何時の、どんな僕が居るんだろう。そう思いながら返すと、狂った呼吸音が揺れる。笑ったつもりなのか。笑うことすら出来なくなったらしい。


「愛して、る」

「うん」

「愛、して、る?」

「うん」

「あ……い……」

「うん、だからもう――」


 それでも君は、壊れた機械のように同じ言葉を繰り返す。淀みなく、ただそれだけを僕に求める。

 夕陽に照らされながらのその姿は、これまでで一番愛しさを募った。今なら頼まれずとも、やめてと叫ぶことすら出来なくなるまで君を愛せる気がした。

 だからそっと、本当にそっと耳元で囁いてあげる。流れる涙を舐め取り、虚ろな瞳を閉じてやりながら。


「――わ、かっ……た、よ」


 とても清らかな声だ。僕を信じて疑わない、無垢な姿だ。

 ゆっくりと弱々しく、君の頬が上がるのを僕の頬が感じる。すぅ……っと、静かに呼吸が落ちていく。

 一転して霞んだ声が「待ってる」そう言葉を伝えたのが最期だった。


「うん、待ってて」


 僕も君へ最後の言葉を贈り、暫く動かず夕陽を浴びる。窓では肌寒さを感じさせるひんやりとした風がカーテンを揺らし、道路を走る車の音やカラスの鳴き声を響かせていた。

 ゆっくりと顔を上げ、横たわる君を見る。お気に入りの服に、整えられた髪。僕たちが一度だけ心からデートを楽しんだ、初めて出会った夜の姿だ。君はまだお姉さんで、僕は綺麗だった。

 でも、目の前で浮ぶ表情はその時から雰囲気を変え、僕たちの関係は終わった。僕は自由になれる。勿論君も。


「いつかまた、会いに来るよ」


 夕陽が沈み月が出て、朝日が昇ったら目覚める気がした。そんなわけはないかもしれないし、本当にそうかもしれない。それともこのまま僕の願いが叶うのならば、警察が押し入るまで一人静かに朽ちていくのだろうか。

 どちらにせよ、僕の中に君はもう居ない。必要ない。

 小さな鞄一つで事足りる僕の痕跡を持ち、四年間履いていなかったたった一足だけの靴へ足を入れる。予想はしていたけれど、踵を踏むしかなかった。

 嗚呼、どうやら僕の身体はちゃんと生きていたようだ。ずっと止まっていたから不安だった。鏡を見ても、君を抱いても。僕が僕で居られているかどうかは、今はまだ分からない。

 だからこそ、今日こうして扉を開ける。キィと金属音を響かせながら、真正面に赤い空が広がった。


「お待たせ」

「お姉さんは……?」


 出来ることなら泣いて、この感動をじっくりと味わいたい。けれど、玄関前でしゃがみ込んで大人しく待っていたもう一人の僕がパンツの裾を掴んだため、微笑んで安心させる必要があった。


「お姉さんは疲れたみたいだから、僕が代わりについて行くよ」


 そう言って、小さな手を握ってやる。サイズの合わない靴はとても歩きにくかったけれど、それでも僕は出会った時の君のように先導して道を進む。隣を歩く小さな僕が、かつての僕と同じく君に囚われてしまわないように――

 ある日突然親に捨てられ、呆然と夜の街を歩いていた僕を見つけた君は、最初からどこかおかしかった。分かっていたけど、綺麗な僕は優しいお姉さんから差し伸ばされた手を掴むことで幸せを感じた。

 そうして連れてこられたマンションの一室で、僕は男となり自由を失う。女を知って、君を得た。それからの四年間は、君の言葉が僕を縛って――生かしてくれた。

 でも、君によって作られた僕の隣を歩く小さな僕を君が昨日連れて来た時に気付いたんだ。駄目だって。おかしいって。

 僕は良い。憎んではいないし、小さな僕を見た瞬間そう思えたことで、少なからず君の想いに僕も応えていたんだろうから。

 だからって、この子は駄目だ。何もかもが早過ぎる。失うのも奪うのも、得るのも与えられるのも――


「そして、お姉さんが書いた手紙を、警察の人に渡すんだ」

「そしたらもう、誰も痛いことしない? お姉さんみたく助けてくれる?」

「きっと、必ず。ただ、もしまたお家に帰らなきゃいけなくなって、君が逃げたいと思った時は――」

「時は?」


 何の疑いもなく君へ信頼を寄せ、僕を見上げる大きな瞳。その美しさと、君がさっき見せた涙に差異はない。

 僕の言葉を待って首を傾げる姿で、おずおずと頭を撫でてやる。サラリと細く流れる髪から頬へと手が流れれば、そこにあるのは痛々しいガーゼ。君が優しい手付きで施してあげてたね。服に隠れたこの子の体を隅々まで、とても手際良く。


「このアドレスに連絡を。ただし、誰にも教えてはいけないよ」

「……分かった」


 そう言いながら、僕は一枚の紙切れを渡したけれど。できることならこの子が、アドレスをよすがにすることなく戻って行ける事を願う。隠すように紙を仕舞う姿に安心は浮ばない。

 その後は二人黙って道を歩き、僕はこれからのことを考えていた。君の居ない世界での生き方を、まずは靴を買うことから始めようと決めた。


「ほら、ついた」

「お別れ?」

「うん。約束だよ? お姉さんの手紙を必ず渡すこと。そして――」

「お兄さんのことは言っちゃいけない」


 賢く力強い言葉へ良く出来ましたと微笑むと綺麗な笑顔が返ってきて、それは君が見せた最期の微笑みと、とても似ていた。


「さあ、行きな」

「うん!」


 そっと背中を押せば、青い服に身を包んだおじさんへと走り出す。その手には、内容とそぐわない可愛いデザインの便せん。君が残した最後の声――

 やり方が悪かった。君はおかしいくせに聡いから、賢いくせに馬鹿だから。僕は君と無理矢理離されるわけにはいかなかったのに。戻って行った小さな僕は、無理矢理にでも離さなきゃいけなかったかもしれないけれど。

 だからって、それを君が強行する必要はどこにもなかったはずだ。

 それでも君はやってしまったのだから仕方がない。ねぇ、そうでしょう?

 拾われたのは僕が先で、拾ったのは君。なら最後まで責任を持たなきゃ。ペットみたいだと、そう言って君は笑っていたのだから。ペットのようにと、僕を愛でたんだから。


「そう……。だからだよ」


 だから僕は、愛してると笑う君へ、死ねと囁いた。君を綺麗にした後で、僕も続くからとそう言って――

 とはいえ、一体僕は何年で、君を綺麗にしきれるだろうか。







 お粗末さまでした。

 書き終えた後、何とも言えない状態に……。

 それぞれがどうなったかは、皆様の頭の中でひっそりと。感じたままでお願いします。

 恋愛のカテゴリではありますが、それだけに留めたくない作品となった気がします。



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― 新着の感想 ―
[一言] 最後にどうなったのかわからない、という結び方には大満足です。  贅沢を言わせていただくと、色々と想像力に委ねられる部分が多いこともあって、是非長編で読みたい作品です。勿論、多くを語らないとい…
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