推測
俺は気分が晴れないまま数日で退院を果たした。あの医者に見送られて病院を出る。
両親は仕事の時間を工面できず、来ていない。俺が恥ずかしいから来るなと言った事もある。
大体、記憶喪失の事があるから長引いただけで、身体的には快調なのである。だから途中で倒れる心配も全くなかった。
「どうした弾希、わざわざ出迎えてくれて」
だから病院の駐車スペースを抜けた所で弾希に出会った時、俺は結構驚いた。 今はまだ授業中であり、筋金入りどころか鉄筋コンクリート入りぐらい真面目な弾希が、学校をサボるなど異常事態だった。
俺は付き合いが長いから知っているが、彼の真面目さは杓子定規な、規則やルールに厳しい事に由来する真面目さではない。自分の信念や人への義理、最低限の礼儀といったものに則った真面目さだ。
だから、彼が学校をサボった事に対して俺は驚いていなかった。学校をサボってまで俺に会いに来たという事に驚いていたのだ。
弾希は無為に学校をサボる程不真面目ではないが、理由があれば学校をサボってしまう位には真面目だ。
つまり、弾希は何らかの信念でもって、学校をサボり、ここへ来た、と俺には察せられるのだった。
「ちょっとな、顔貸せよ」
「お、おう」
弾希の落ち着いた、まるで嵐の前の静けさを体現するような声音には、有無を言わさない重みがあった。
目的地に着くまで無言であるのも、口下手な弾希は大切な事を伝える時に、言葉より行動を重んじるためだろう。
「聞きたい事がある」
言葉が終止符のように、そこが目的地だと告げた。病院の近くにある公園の広場。時間帯のせいか、田舎だからか、辺りに人気はない。
「古式に落ちてきた歩道橋のタイルだが、あれはお前が何か細工をしたのか?」
どくん、と俺の鼓動が高まった。
俺は入院中ずっと考えていた。
医者から聞いた三度の、しかし一度しか覚えていない記憶喪失に関する説明。
そして古式によると三度目の説明前日俺は告白し、フラれたと勘違いしたという。その日は、医者の二度目の説明があった日と一致する。
さらに、古式に歩道橋からタイルが剥離し落ちる事を俺は確かに予知していた。
これら三つを客観的に繋げていけば、どういう関係があるのか。
まず俺は古式に告白し、フラれたと勘違いする。そして医者が言うところの防衛機制とやらで、フラれた原因を『投影』で古式になすりつけ、『攻撃』に転じたとすれば。つまり、フラれたのは古式のせいだと思い込み、俺が仕返しを計画しないとはいい切れない。
そしてフラれたあとにおそらく精神的に不安定だった俺は、親に連れられて病院に行った。そこで記憶喪失に気づいた俺は、再び医者から説明を引き出す。それが二度目の説明。
そしてここが肝心なのだが、俺はよくよく考えてみると、この日の午後からの記憶がない。そして、次に覚えているのは翌朝高校に着いたあたりだ。何故か、翌朝の起きてから学校に行くまでの記憶もごっそり飛んでいるのである。これがどういう意味を持つか。
俺は駅に着くと他の乗客がいなくなるのを待ち、歩道橋のタイルを剥離しやすく細工する。この日は朝もやが酷かったし、誰かに見咎められなかっただろう。細工自体も外れ易くするだけでいい。帰りにバス組がやって来る時の振動で、勝手に剥離するからだ。本来なら電車の発着の振動で剥離する可能性もあったが、これも朝もやのため徐行運転していたのなら、誤ったタイミングで剥離する可能性は低くなる。
そして、俺は何食わぬ顔で登校し、その過程で記憶を失う。多分仕返しをやって満足したとか、そういう理由で。
しかし、駅に着いた俺にはまだ罪悪感とかが無意識に残っていて、それが古式を見た事で記憶を呼び覚ました。俺は事態を察して古式をかばい、今に至る。
これが俺が入院中考えた、最悪のシナリオだった。
だが、である。この計画には二つ決定的な穴があるのである。
一つは恐ろしく偶然に左右される事。
恐らく衝動的に思いついた計画なのだろうが、他のタイミングで剥離する可能性や、本来のタイミングで剥離しない可能性もある。それに成功しても上手く古式に当たるか分からないし、当たってもどれだけの怪我をするかが分からない。
言ってしまえば、ある程度計画的な犯行だが、実行する時点で計画性に欠ける。そんな印象だ。
そしてもう一つ。こちらが決定的なのだが、
「もし俺が歩道橋のタイルに細工したとして、どうしてその真下に古式が来るって分かるんだ?」
そう、古式が駅のホームの何処に立つかなど予測出来るはずがない。
「古式はいつもあそこから電車に乗るんだとよ」
しかし弾希は俺の最悪の予想を補強する事実を示した。
「歩道橋の下にある、乗降マークのとこに立つんだそうだ。あの地面に白丸が書いてあるとこによ。雨の日でも歩道橋の下に一番近いし、車両的にも座りやすいかららしい」
それならば、確かに不可能ではないと俺は思った。しかし、事の是非は置いておくとして、今の問題は弾希にどう説明するか、である。
記憶喪失の事を打ち明けると、今までの友人関係が壊れてしまう気がして打ち明けにくい。何より、こんな突飛な話はいきなり信じてもらえるか分からないし、その上犯行を半ば肯定するようなものだ。
記憶喪失を隠しつつ俺がやったかどうか分からないと答えても、弾希は納得しまい。
俺がやったのではない、そう答えれば弾希は信じてくれると思う。だが、無二の親友に俺の事情を聞いてもらう機会を失うだろう。それも、ほとんど、永久に。
「それで、どうなんだ?」
答えを求める弾希は俺を疑っているというよりも、俺に潔白を表明して欲しいだけのように思える。
こいつはそういうやつなのだ。
だったら、俺も嘘を言う訳にはいかない。
「分からない。詳しくは言えないけど、俺には分からないんだ」
「そうか……」
噛み締めるようなつぶやきは、最後まで聞き取れなかった。
俺は弾希に殴られていた。
「久しぶりに喧嘩しようや、ツッキー」
決意とまぜこぜになった万感をにじませた弾希は、獰猛な笑みでそう言った。