混乱
「で、また入院って訳? バッカみたい」
俺は病院のベッドの上で半身を起こした。
「馬鹿とはなんだ。古式をかばった名誉の負傷だ」
俺はまだ痛む頭を押さえて反論した。包帯のざらつく感触が指に伝わる。
昨日、古式をかばった俺は剥離したタイルが頭に直撃し、病院に運ばれた。
医師はまたお前かという嫌そうな顔でこちらを見ていた。
結果的にまた入院しているのだから、医者も治し甲斐がないだろうな、とは思う。
「いつもいつも下らない事で怪我して、学習しないあんたはバカよバカ」
「はっ、余計なお世話だよ」
「なによ、折角お見舞いに来てあげたんだから、ちょっとぐらい喜んだらどうなのよ!?」
「あーうれしーいーなー」
「棒読みきしょいわっ!」
お互いの言葉は激しくとも刺々しくはない。
俺もわざわざ見舞いに来てくれたやつを邪険に扱う気はないし、波倉だってケンカしに来た訳でもないだろう。お節介過ぎるのはこいつの悪いクセだ。
「それにしても、よくもまあ咄嗟に岸子ちゃんをかばえたものよね。そこだけは感心してあげる」
腕を組んでうんうん、と頷きながら偉そうにのたまいやがった。
けど、俺はあの時咄嗟に古式を助けたんじゃない。古式にタイルが落ちて来るのを何故か−−完全にではないが−−事前に察知していた。
これは、まさか、いわゆる、未来視?
「そう、開眼した俺の目は時間を超越し、未来を見透かすんだ!」
「頭打って余計きしょくなっちゃった!?」
波倉は引きながら突っ込むという、新たなツッコミの境地を開拓していた。
その後もあーだこーだ言い合い、1時経つかどうかという頃、
「ま、元気なようで何よりね」
そう波倉はしめくくって、笑った。
「それだけが取り柄なんでな」
俺も嫌味ったらしく笑い返してやった。
「そっか。じゃ、アタシそろそろ帰るわ」
俺は再びベッドに寝転んだ。というか安静にしてなさいとベッドに叩きつけられた。
「おうおう帰りやがれ」
俺の清々した風な言い草にも笑みで返すと、波倉は病室の扉に手をかけた。
「わっ!」
開けた先に何かあったのか、波倉は小さな悲鳴を上げた。
「あ、未来ちゃん」
「岸子ちゃん!」
多分俺はその時、亜音速ぐらいで起き上がった。
「未来ちゃんも高月君のお見舞い?」
「う、ま、まあ小学校からの腐れ縁だからねっ! 仕方なくよっ!?」
何故か波倉は物凄く焦っている。そもそも俺達の付き合いは中学からだ。
あれ、そういや俺どうして波倉と知り合ったんだっけ?
……まあいい。それよりも、
「つーか知り合いかアンタら」
通りで波倉の情報が不自然なまでに詳細な訳だ。
「うん、小学校、一緒だったし」
古式は律儀にお辞儀してから恥ずかしそうに答えた。心なしか、言葉もカクカクしている。
「なるほどな」
俺の通ってた小学校からの転校先が波倉の通ってた小学校だった訳か。要らん偶然もあったもんだ。
「知り合いだったら、紹介してくれりゃ早かったのに」
うぐ、と珍しく波倉が言葉に詰まる。なんだろう、この優越感。
「わざと遠回しな情報だけ流して、自分だけ楽しんでたわけなー」
「しかも肝心な情報は隠して、俺に色々一方的におごらせたりしてさー」
「ほんと酷いよなー」
などなど、追撃を加えてやったら、ついに波倉の液体窒素の沸点並に低い臨界点を超えたらしく、
「な、何よ、忘れてるアンタが悪いんでしょ、バカっ!」
そう言い捨て、ズカズカと病室を出て行った。
バタンと閉まった病室の扉。部屋に残された二人。
「えっと……これ、お見舞い」
微妙になりかけた空気を断ち切るように、古式は俺に何かを差し出した。どうやら文庫本のようだ。
「あ、ありがとな」
受け取り、表紙を見る。
「……ぶふっ!」
思いっ切りライトノベルだった。
「え? あれ? こういうの嫌い?」
いやいや、好きだけれどもっ!?
「古式ってなんか純文学とか読んでそうなイメージだったから、つい驚いて」
「私ライトノベルとか、ファンタジーとか、そういうのばっかり読んでるんだけど……」
「え、そうなの?」
「あ、あとまだ、雑学書とかも」
意外な一面に俺が親近感を覚えていると、
「やっぱり、女の子がそんな本読んでたら変かな……」
なんかネガティブなスイッチが入りはじめた。
「いやいやいや! むしろ親しみ易いというか、分かり合えそうというか……その……」
「くすっ」
笑われてしまった。
「そう、よかった」
何がよかったのかはよく分からないが、俺にとって古式が笑っているという結果以上によい事などそうはあるまい。
「なんて言うか、変わらないね。高月君はー」
その言葉に含まれた寂しさに、そして俺自身の感覚に、何か決定的な食い違いを俺は感じた。
俺はてっきり、古式とは小学校の時にたまに遊んだとか、席が隣だったとか、そういう薄い繋がりを持っていたのだとばかり思っていた。
それは俺が覚えていないために捻り出された、いわば状況証拠から導き出した結論である。
しかし、古式の思い詰めた様子からして、小学校の時俺は……あれ?
「どうかしたの? 何だか顔色がよくないけれど?」
「あ、ああ……何でもないよ」
俺はその時、自分が今まで立っていた場所が崩れ去ったかのような、強烈な喪失感を味わっていた。
「ならいいんだけど」
古式はうん、そう、と自己完結するように頷くと、来た時同様お辞儀をして、
「それじゃ、助けてくれてありがとねー。お大事にー」
古式は病室を出て行こうとした。もしそのまま彼女が出て行ってしまっていたら、彼女の声は俺に雑音としてしか届かなかったに違いない。
「あ、そうだ」
扉を閉める直前、さも思い出したという風に、けれど今日一番の感情をにじませて、古式はつぶやいた。
「一昨日告白してくれてアリガト。私口下手で勘違いさせちゃったみたいだけど、もし高月君が私の事忘れないでいてくれたんなら、付き合ってもいいよ」
バタン、と小気味く、閉まる扉。
俺は室内にいるのに閉め出された気分だ。
今一体、何を言われた?
いや、古式は何の話をしていたんだ?
確かに俺は古式が好きだ。しかし告白なんてしていない。
そしてそれと同様、あるいはそれ以上に、重大な欠落に矛盾に俺は気づいた。
俺には小学校の、正確には中学校に入る前くらいまでの記憶がない。
一緒に遊んだ友達や印象に残った出来事、授業の風景や担任の先生−−どころか通っていた小学校の名前すら思い出せない。
なんだ、この違和感。最近感じた覚えがあるこの、異物感は。
そうだ、古式の言ってた告白だって、もしかして『してない』じゃなくて『記憶がない』だけなんじゃないか?
でも、なら、けど−−どうして?
記憶がない?
俺はパニックになりながらも、ベッド脇にあるボタンを連打した。いわゆるそれは、ナースコール。