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All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 15

「あぁざぁ、す」

 律儀に頭を下げられてはトオルもちょっと居心地が悪い。出しておいてなんだが、今時の高校生がたかだかコーラ一杯で感謝などするとは思っていなかった。その一杯はトオルが三本目のビールを開けるうえでの免罪符みたいなもので、礼など言われるとむしろバツの悪さが喉の奥からせり上がってくる。

 まぁ、だからといって飲むのを取りやめるわけではないのだが。

 今度の一杯はさっきまでのように缶から直接ではなく、一応味わうためにグラスに移した。一口、一口、ホップの香りと苦味を噛み締めつつ飲む。

 放っておいてもそのうち圭太のほうから話し掛けてくるだろうとは思ったが、酔いも少し回っていたし気も大きくなっていたので、トオルはグラスをカウンターに置くなり話を切り出した。

「なあ、電話。クロエとはちゃんと話したのか?」

 圭太は固い瞬きを一回して表情を身構えた。しかし、彼のほうも腹積もりはしてあったのだろう。逡巡はしない。

「ないっす。切れてました」

「まぁ、あんだけ引っ張りゃ普通切るわな」

「……っすよね」

 トオルが口元だけ小さく笑うと圭太も同じように笑った。もっとも、彼のほうはちょっと自嘲気味に、だ。

「なぁ、もう一回、電話してやらないのかよ?」

「…………」

 答えないのは拒絶ではなく、躊躇いからだとわかる。智とやり合った手前踏ん切りがつかない、といったところか。なんとなく逸らされた視線は中空をゆるりとさまよい逃げる。

「なんだ、びびってんのか」

 軽く煽ってみるが、圭太はあまり表情を変えなかった。

「びびってなんかねーっすよ。つーか、誰にびびるっていうんすか」

「さあ? 誰かねぇ」

 トオルは肩をすくめた。口がいつもの自分より意地悪い。

 圭太はトオルを横目で一瞥し、しかしすぐに顔を背けた。不機嫌そうな顔はフリだけなのか長く続かない。

「お前、クロエのこと、心配じゃないのかよ」

 そんな質問はそもそも質問ではないのだ。圭太が今度こそ苦い顔をする。

「…………心配ないわけじゃない、っすけど、なんか……」

 口のなかでモゴモゴと言いよどんだ彼を、トオルは眇めた目でさらに問い詰める。さすがに一回り以上年上の男に真横でやられれば怯みもするだろう。圭太はストゥールの上の尻をやや後ずさった。

「なんかって、なんだよ?」

「いや、俺なんかが心配しなくても……たぶんあいつは大丈夫なんすよ」

「はぁ?」

 煮え切らない答えに左の瞼がわずかに引きつった。

 圭太は歯切れ悪いまま続く言葉もなく黙り込んでしまう。が、トオルも男相手に話題を変えるような気遣いは持ち合わせていないからだんまりだ。彼がしゃべり出すまでの間はビールで十分埋められる。

 10代の男と30代の男では沈黙の深さも重さも違うから、当然先に音を上げるのは圭太のほうで、潜めていた息を吐き出すような言葉が搾り出る。

「あいつの……」

「あん?」

 掠れ出た声を意地悪く聞き返すと、圭太は困ったような、諦めたような微妙な顔で軽く咳払いした。

「…………あいつの周りには朱奈とか智とか、あいつの話を真剣に聞いてくれて親身になって答えてくれる奴らがいるすよ」

 その声は暗い。

「で? お前はその中の一人になりそこねたと?」

 言うと、答えは「わかんねーす」だった。

「俺はすぐカッとなって自分ばっかガーガー喋っちゃうほうだから、相談とか上手くのれないし」

「だから心配する資格もないと。それで拗ねちゃったわけか」

 今度はキッと挑むような目が向けられた。図星だろ、とわざと聞こえるように独りごちると目はさらに鋭くなって、しかし圭太はその目を続けられない。重力に負けるように視線はずるずると落ちていく。

「マジでわかんなくて……俺、ホントはクロに言ってやりたいこととかちゃんとあったはずなんですけど、こんな時だしあいつ自身はなんて言われるのが一番いいんだろうなぁとか余計なこと考え始めたら、だんだん自分が何を言おうとしてたのかもよく分からなくなってきて。……なんて言ったらあいつが楽になるのかとか、なんて言ったら笑ってくれるのかとか、すっげえ考えるんすけど、俺は頭悪いから結局気の利いたのは一個も出てこない。それに、俺なんかが無理して喋んなくても、智とかが俺のぶんも励ましたりしってるっしょ」

 最後のは僻みか。またずいぶん立派に捻くれたものだな、とトオルは本人に気付かれないように喉の奥で笑う。

「じゃあ、なんだ。このまま一言も掛けないままに彼女を送り出しちゃうわけかー」

「んなわけ、ネェじゃ、ねっ、すか!」

 うわずった怒声がブツ切りになる。手元の氷が溶けて薄まりかけたコーラを一気に煽って給水した。ゴクリと飲み干す音が聞こえるくらいに喉仏が律動する。

「俺、あいつを黙ってカナダに行かせるつもりなんかないっすから! 行って、帰って来れなくなるかもしれないなら絶対行かせない! 大体、なんであいつの親父さんはあいつがどうしたいのかちゃんと訊きもせずに、っ」

 捲し立てる圭太を、トオルが言葉をかぶして遮る。

「……訊いちゃったら決意が鈍るからに決まってるだろ」

 『は?』と圭太は眉間に深い皺を寄せた。

「決意が鈍るって、なんすか?! 親父さんの気持ちの中に、クロを日本に残そうって思いがあるって言うんすか? そんなのおかしいっしょ。だって、無理矢理あいつの親権を自分のほうにしようとしたのって向こうなんだ。そんなはずねーよ」

 トオルは肩をすくめた。

「さあ? 俺はただ、なんとなくそう思っただけだよ」

 夫婦なんて、そもそも他人と他人が形成する不安定なつながりだ。そして、子供の存在は確かに妻と夫をつなぐ糸にもなるが、決定的にすれ違ってしまった点と点の間をつなぐ糸は大抵複雑に絡みついている。最後は出来る限り痛みの少ない場所を探して切るしかない。

「でも、実際問題クロエを引き止めたとして、いつまでもってわけにはいかないだろ。判決で親権は親父さんのほうに移動してるわけだし、控訴しても結果が変わらなければ拒否はできない」

「勝手すよ、そんなの」

「心情的には同意してやりたいけれど、な。現実的に勝手やってるのはお前のほうだぞ」

「納得いかねっす。勝手すよ……クロの気持ち、無視して」

 そう零すと、圭太は下唇を噛んだ。その悔しそうな表情だけでトオルにはなんとなく圭太の胸の内がわかった気がした。

 たぶん圭太は裏切られたような気持ちなのだ。自分もよく知る大人であるクロエの父親が、子供には手の出せない方法で彼らの世界を切り分けたことに。そういう無慈悲なことをする大人が確かに世の中のどこかには存在する、それくらいは圭太の歳であればわからないはずもないだろう。ただ、こと自分の身に限って――自分の知る大人たちに限ってはそんなことをするはずはない、と信じていたのではないだろうか。 

 圭太の心情としては、たとえどんな理由があったとしても自分たちの世界を歪めたクロエの父親の裏切りを許すことはできないのだろう。

 気持ちはわかる。

 しかし今、その気持ちの切っ先を遠い彼方にいる相手に向けても詮無いことだ。

 トオルはグラスを持ったままの右手の人差し指だけ上げて、圭太を指差した。

「そんなこと言ってるけど、お前だって十分勝手だぜ?」

「え?」

 圭太が要領を得ない顔で首を傾げる。

「納得いくような理由があったって、クロエのこと、素直に送り出す気なんてないくせに」

「……そんなこと、ねーすよ。あいつがいいなら、俺だって、ちゃんと……」

 相手の目を見て言えない反論は反論ではない。

「ばーか。そういうのを見え透いた嘘っていうんだ」

「…………」

 返す言葉がないのをごまかそうとしたのか、手にとったグラスに口を付けかけた段になって中身が空だと気付き、バツの悪い顔をしている。その表情が面白くてトオルはケラケラと笑ってしまう。

 せめて底に残っていた溶けかけの氷を口にしようしたのだろう。グラスを大きく傾けていた圭太が、

「なぁ――――お前さぁ、クロエのこと、好きなんだろ?」

「ぶっ!!」

 豪快に吹いた。勢いよく口から飛び出した氷がカウンターを越えて、キッチンのどこかに落ちた音がした。

「うわ、きったねえッ。てめー、あとでちゃんと掃除してから帰れよな」

 トオルが睨みをきかせると、圭太はむせ返しながらもコクコク何度も頷いている。

「まぁ、氷だけだからいいっちゃいいけど」

「げほ、げほっ……よくねえっすよ! なっ、なんで俺がクロのことなんかっ!」

 涙目で睨まれても迫力なんてちっともない。

「それ、言っちゃう? あのさぁ、智もそうだけどお前らわかり易すぎだから。せめてもうちょっとうまく隠してからごまかせよな」

「い、やっ……だから……」

「初めて来たとき、あの子に友達って言われて露骨に傷付いた顔してただろ?」

「うっ……ぐ」

「ばーか、おじさんを舐めんなよ。これでもお前なんかよりは恋愛経験値高いんだ」

 色黒の肌が耳まで赤くなるのはちょっと見ていて笑えたが、顔に出さずに済ましてやったのは武士の情けである。


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