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All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 12

「……入れ」

「えっ?」

 智と圭太の二人がちょっと驚いた顔でトオルを見たので、心外だなと思った。どんな事情があろうと追い出すような血も涙もない大人だと思われていたのだろうか。

「いいから、入れよ。……すいません、ひと席横にずれて頂いてもよろしいですか?」

 トオルは掴まれていた腕をぐいっと引っ張った。呆気に取られていた圭太は、それでたたらを践むようによろめく。女だったら手を差し伸べているところだが、生憎汗臭い小僧に貸す腕はない。カウンターのサラリーマン風の客に頭を下げて席を譲ってもらうと、智と圭太に席へ座るよう促した。

 それからトオルは視線をぐるっと一周させ、食事や酒の追加がすぐになさそうなことを確かめると自分もキッチンへと戻る。

「……で?」

「は?」

 そこで二人して「は?」が出るか、と苛立った。

「クロエ、だよ。何があった? どうして急にそんな話になった?」

 ああっ、と智が頷く。が、圭太のほうは落ち着き無く視線を動かした。座ったことで少し頭が冷えたのだろう。周りの大人の視線や夜の店の雰囲気にのまれたのかもしれない。

 答えはすぐに返ってこなかった。

 さっきトオルに食ってかかったのが圭太のほうだったから、智はてっきり相方が話すものだと思っていたらしい。なかなか喋りださない圭太と、次第に焦れてそれが顔に出始めるトオルの狭間を何度も目が行き来しているのがわかる。

 ただ、こっちは営業中の時間を割いて付き合っているのだ。気長に待ってやるつもりはない。

「親権、とか言ってたな。そういえば美純もあいつの両親が離婚してるって言っていた気がする」

「はい、今年の春頃です。正確に言うと高1の春休み」

 なかなか口を開かない相方に見切りをつけ、智が言った。

「クロエん家、元々そんなに仲のいい夫婦って感じじゃなかったんです。あいつのお父さんとお母さん、仕事じゃ結構上の立場の人らしくて。怒鳴ったり、ぶつかり合いっていう仲の悪さじゃなくて、そもそも忙しくて絡みがあんまりなかったんだと思う。ずっと小さい頃からそうだったから、クロエ自身はドライに受け入れちゃってたけれど、外国人の家ってテレビとかみると『週末はファミリーでお出かけ』みたいなのが当たり前なようにやってるのに、あいつん家はほとんどそういうのなかった。最近だと中学の卒業式とか高校の入学式とか、普通はどの家の親も顔を出したがるイベントのときだってどっちも来なかったりして。ヤバイのかな、とは薄々感じてたんです」

 目上の相手に言葉を選んでしゃべるところは育ちの良さか、それとも体育会系の躾か。だが、時々語尾がくだけるところをみると後者だろう。

「離婚することと、お父さんの方がカナダに帰ること、ウチに報告しに来た時は両親一緒でした。淡々と報告するって感じで、いつもとおんなじ人あたりのいい顔して。ああ、こいつらもともと終わってたんだ、って思った。だからモメて別れたわけじゃないと思う。そのとき、親権はお母さんのほうが取るって確かに言ってたんですよ。「クロエは日本に残るから、これからも仲良くしてやってね」って、俺が直接あいつのお父さんから言われたから絶対間違いない。でも、急に……」

「カナダに帰ることは、クロエが直接お前らに言ったのか?」

 智は首を横に振った。

「俺達が知ったのは朱奈からです。クロエ、朱奈にはちゃんと会って話したらしいんですけれど、そのときの様子で朱奈は変に思ったらしくて、「知ってる?」って電話かけてくれたんですよ。俺、びっくりして、問いただそうと思ったんですけれど、あいつに電話しても全然出ないし、家に行っても居留守使われるし。で、圭に連絡してるうちに今度は逃げられて。もしかしてもう出国しちまったのかなって焦ったから、ダメもとで圭と二人して駅とか張ってたんです。けど、全然来なくて。『これ、マジでやっばいパターンなんじゃないか』って思ってたんですよ。でも、ここに来たの4時頃なんですよね? じゃあ、たぶん大丈夫だ。まだ、日本にいる」

 智は最後は自分を言い聞かせるような言い方をした。顔つきがいつの間にか険しくなっている。トオルは高校生コンビのためにロングタンブラーを二つ取り、アイスコーヒーを注いだ。ミルク多め、シロップ多め。嗜好を訊くつもりはなく、異論も然りである。そのまま無言で二人の前に突き出した。

 大体の状況はわかった。が、腑に落ちないところは残る。

 今度は座ってから急に静まり返ったほうをじっと睨めつけた。トオルの視線に気づいたからか相手は怯み、飲みかけのアイスコーヒーはストローの中をゆっくりと上から下に降下していく。

「なんで一回決着ついたはずの親権の問題が再燃したか、お前、聞いてないか?」

「えっ……、とぉ」

 直感した。これは知ってる目だ、と思った。

「言えよ。聞かなきゃ、何もできんだろ」

 圭太は一瞬考える顔をした。そして、隣りに座る智に何やら耳打ちをする。智が「ばーか。お前、考えすぎだっつーの」と咎め、圭太の肩を強く叩いた。それでもまだ彼は悩んでいるようだったが、やがて決心がついたのかトオルの顔を見上げた。

「カナダにいるクロの親父さんのほうのじーさんが、向こうで親父さんに内緒で裁判を始めちゃったらしいっす。じーさんに法律に詳しい友達がいるらしくって、どうやったのか知らないけれど親父さんの名義で告訴して、一審? はもう親父さんの側の勝ちになったって。で、上告? ってのをしないとクロの親権が親父さんのほうに移るのが確定するんで、お袋さんは昨日カナダに向かったらしいっす」

「…………」

 うまく声が出せないと思ったら、無意識で息を止めていたからだった。自分の顔が固くなるのを感じ、トオルは唾を呑む動作の続きでこわばった顎の筋肉をほぐす。

 今までの人生で自分が一度も実感としてしたことのないような話題を、たかだか高校生が身に起こる現実のこととして話す。奇妙な感じだ。だが、圭太が単語の意味を理解しないままに会話しているその事実が、逆に覆しようもないくらい現実であることを意味していた。

「どうにかなりそうなのか?」

 訊ねると、智が中途半端に首を傾げた。

「朱奈が訊いたら、クロエはちょっと微妙だって答えたらしいです。一審にはクロエのお母さん、行ってないんですよ。たぶん、ハメれたからだと思うんですけれど、クロエのお母さんは起訴のこととその結果をほとんど同時期に聞いたらしいんですよ。でも、こっちの理由がどうだって最初がそういう感じだから、裁判所は上告しても棄却する可能性があるって。それもきっと、向こうの作戦なんだ」

 憎々しげに吐き捨てる。

 トオルは少し深い息を吸って、吐いた。法律に詳しいわけではないから、悲観的な考えしか思い浮かばない。だが、そこに圭太が出てきた。

「ただ、可能性がないわけじゃなくって、俺達くらいの歳の子供の親権は子供の意志がかなり反映されるらしいんすよ。だからクロエも急遽カナダに帰ることになったんすけど……それでも一度決まっちゃった裁判を覆すのは結構難しいらしいんすね。それに、親父さんは元々はクロエの意思を尊重して日本に残れるようにしてくれてたのに、どうも向こうでじーさんに説得されちまったらしくって、今では「大学出るまではカナダにいたほうがいい』って言い出してるみたいす」

「まずいんじゃないか、それ」

 トオルが周りの目を気にして小声で言うと、圭太は同じように小声で「まずいっす」と言った。

「それにクロエがカナダに行くこと自体もヤバイかもしれないんです。行っても、もし敗訴になったり、そもそも棄却になったりしたら、一審の判決が生きているから、アイツ、帰って来れなくなるかもしれないんです。たぶん、お父さんが出国させないと思う……」

 智が険しい顔をした。

「……諸刃だな、それは……」

 トオルも唸るしかなかった。


 

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