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All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 9

 昼の営業時間もそろそろ終わりだ。

 いい加減小競り合いを続ける小娘共を眺めるのも飽きてきたし、そろそろ追い出すかな、と思ってトオルは腰を上げた。

「なぁ、」

 と、切り出すまでそのつもりだった。が、そこでふと気が変わった。

「……ちょっと訊きたいんだけれど、携帯のアプリってさ、一体どうやってやるんだ?」

「へっ?」

 朱奈のほうはそれほど表情を変えなかったが、クロエはまるでトオルの言葉の意味がわからなかったかのような唖然とした顔をした。そして、次の瞬間――

「ぷっ、あははははははは」

 堰を切ったような笑いがあふれ出した。

「むっ。なんだよ?」

「あは、あははッ。実は結構オッサンだよねー」

「結構とか、つけんな。おっさんなのは自覚してる」

 トオルは舌打つと、年長者を敬わない小娘の額をペチリと戒める。

「あいたっ。なによー、もう。でも……ふふふ、ちょっと笑えるわ。あんた、スマホ持ってて一体何が使えるの? まさか電話とメールだけとか言わないでしょうね」

 むぐぐと、トオルは喉の底で唸ってしまう。

「……あと写真、とか」

「ぶっ! あ、あはははは。ありえない! それ、絶対ありえない。第一、「とか」って何となによ。言ってみー?」

「うっ」

 トオルが返せないのをみると、クロエはとうとう口だけでは足らずに全身で笑い出した。手のひらでカウンターをパンパン叩き、腹を抱えては身を捩り、椅子の下では両足をバタバタさせた。

「無いんじゃんっ。なら「とか」とか言うなって。笑えるー」

 すっかり毒気の戻ったクロエがケタケタと笑う。腹立たしいが今回は完全に部が悪いのもあって、トオルはクロエを相手にするのは止め、会話を朱奈に向けるべく視線を送った。

「なんで急にアプリなんです? ネットとかSNSとかもまだやってないのに?」

 すると、朱奈からは逆に質問が返ってきてしまった。ネットはわかるがSNSとはなんぞやと聞いてみたくはあったが、今の本題はそこじゃない。

「実は、知り合いから会社の企画で新しいアプリを作ったから感想や意見をくれないかって頼まれててさ。でも、実際のところ俺はそういうの全く詳しくないし、そもそもアプリってものがどんなものかもわかっていなくて、どうしたもんかなって思いながら結局ずるずると先延ばしにしてたんだ。そうしたら、」

「そうしたら?」

 のってきたのはクロエの方だが、トオルはかまわず朱奈を向いて答える。

「怒られた。なんでシカトすんだよ、みたいなメールが来た」

「バッカみたい。当たり前でしょー、そんなの。友達無くすって、マジで」

 クロエが肩をすくめ、呆れた顔をした。

 即興で作った脚本だったが、高校生には緻密に組んだ設定よりこのくらい大味なほうがわかりやすくてよかったらしい。それに言っていることも大筋は嘘ではない。

「でも、それでなんで、私達?」

 だが、朱奈は別のことが引っかかったらしい。彼女はトオルと目が合うと怪訝そうに眉間に皺を寄せた。

「そういうの、みーちゃんに頼めばいいのに。彼女なんだし」

 まさしく正論なのだが、実はこの件について美純は協力的ではなかった。

(うーん。教えるのは嫌じゃないんだけれど、目の前で聴かれるのはなー。ちょっと恥ずかしくって……嫌かなー、なんて……)

 結局、美純にはいくら頼んでも断られてしまった。自力でなんとかするという選択肢も考えるには考えたが、それでなんとかできる見込みはほぼない。

 トオルは小さく苦い笑みを浮かべながら、

「美純には何度か頼んでみたんだけれど、しばらくは忙しくてここには来れないみたいでな。かといって、これ以上先に伸ばすのも相手に悪い」

 トオルは両手のひらを顔の前で合わせ、二人の少女を拝んだ。

「頼むよ。この通り」

 別に、絶対に彼女達に頼まなければならない理由はないのだが、しかしこんなにも頼みやすい相手もなかなかいないのだ。ほかの客だと余計な気を使ったり使われたりもあるし、第一イメージがある。営業中に客に携帯の使い方を教わっているシェフなんて、うだつの上がらなさでいえば昨今の政治家レベルである。

「えー、なんか面倒臭いなぁ」

 口ではそんなことを言いながらも、トオルの手からするりと携帯を奪っていくあたりが全く素直じゃない。朱奈が横でその様子をみて笑みを浮かべている。

「で、そのアプリって、なに? どんなん?」

「ん? ああ、AKIミュージック・アンド・エンターテイメントって会社の……」

 そこまで言いかけた瞬間、突然クロエがガバっと頭を上げた。

「なっ?!」

 ちょうど二人でタッチパネルを覗き込もうと顔を近づけていたところだったから、急に動いた彼女の頭は間近にあったトオルの顎を掠めるように通過していった。咄嗟に後ろにのけぞったからなんとか事なきを得たのだが、危うく一発K.O.を食らうところだった。

「ちょっと! あんたの知り合いって、AKIの人なの?」

「あ、ああ……」

「マジでっ?! それじゃ、森脇りんちゃんとか、syokoのサインとかもらえたりする?」

 たった今、何があったかなんて気づいてもいないのだろう。クロエは純粋に期待だけを映した瞳をキラキラと輝かせている。

「あのな。そんなのもらえるわけないだろう」

「えー、つまんなーい。ちょー使えなーい」

「ふん、誰がお前なんかに使われてやるもんか」

 トオルは鼻を鳴らす。

 クロエは「ちぇー」とか「ぶぅ」とか言いながらふて腐れた。唇を突き出してまだブツブツとこぼしている。本気でどうにかなると思っていたのだろうか。

「なぁ、そんなことより、そこからどうするんだよ」

 いちいち付き合っていたら埒が明かないので、さっさと本題に戻そうと携帯を指差してせっつくと、クロエは目一杯渋々の表情をしながら再びタッチパネルの上に指を走らせた。

「どうだ。あったか?」

「……ねぇ。あんたが言ってるAKIのアプリって、この『Project Vi-Jun』っていうヤツ?」

 一旦指を止めたクロエが顔を上げた。やや上目遣いの視線に問われ、その時になって初めてトオルは気が付いた。

 ――自分がアプリの詳しい内容はおろかタイトルすら知らないことに。

「あ……れ? ええっと、そういえば……俺、名前、わかってないんだよな……」

「はぁ?! ちょっとぉ、なによ、それー。そんなの、どうやって見つければいいのさぁ」

「いや、悪い。すっかり忘れてた。今の今まで全然気付かなかった」

「『悪い』って、悪すぎでしょ。ウチの苦労、どうしてくれるの?」

 クロエがほっぺたを膨らませて不服そうな顔をした。彼女に苦労なんていうほどの苦労をさせたとも思えないが、たぶんそれをつっこむと藪蛇になる。

「だから、ごめんって。悪かったよ、余計な手間かけさせて」

「あー、手ぇ疲れた。肩こった。無駄なことするのって、ちょー疲労。ね、朱奈?」  

 クロエは同意を求めて朱奈に振ったのだろうが、朱奈から返ってきたのは全く別な反応だった。

「これ……『ユーザー参加型新人アーティストプロデュース』って書いてある。どういうこと?」

「あっ、それだ。それ」

 思わず手を叩きそうになる。朱奈は朱奈で自分の携帯から探してくれていたらしい。トオルはクロエにも同じアプリを開くように言った。

「AKI所属のアーティストの曲が何曲か、カバーで配信されてる。それを聴いて、このアーティストに合うと思った曲のジャンルやテーマをみんなが投票して決めていくシステムみたい。デビュー曲がどんな曲になるかはユーザー次第、ってこと? ちょっと面白いかも」

「ふーん……ねえねえ、朱奈ぁ。りんちゃんの曲、ある?」

「ない」

「でえぇー、つまーんなーい」

 クロエがカウンターの上に勢いよく突っ伏した。投げ出した腕がソーサーにぶつかって、その上のカップが迷惑そうに鳴った。

「でも、Juliaのbreathがあるよ」

「うそっ!」

 ひょこっと顔を上げたクロエは朱奈を向いてぱたたっと瞬きを繰り返した。それに朱奈が首肯を返す。クロエが勢いよく身を起こした。

「聴きたい、聴きたい」

「クロエ、breath、好きだよね。カラオケ行くといつも歌うし」

「うん、好き。『本当は好きって言いたいのに、目が合うと息もできなくなる』――ってトコが特に好きなんだ」

 クロエは歌詞を軽くメロディーの上を走らせるように歌う。

「知ってる。その話、前も聞いた」

「あれー、そうだった?」

「うん、したよ。前にカラオケ行ったとき。みーちゃんも、菜々緒も居た」

「うぅー、したような気もする……けど、もうわかんないっ」

 記憶をまさぐってみても確証が持てなかったのだろう。クロエの目が困ったような照れくさいような表情をして、そして苦笑いした。

「……でもさ、興味ある。この曲、相当歌い込んでるから結構自信あるんだよね。案外ウチのほうが上手いんじゃない?」

「相手はプロだよ。クロエ、天狗」

 朱奈が呆れ顔で嘆息をつくが、クロエはちょっと心外そうにふくれた。

「わかんないじゃん。プロっていったって、デビュー前の新人だよ。もしかしたら、全っ然、大したことなかったりするかも」

「いや、それはないだろ」

 クロエ自身は知らないこととはいえ、美純をそんなふうに言われるのはあまりいい気がしない。トオルが口をはさむと、

「自分だって聴いたことないくせに。いいよ、聴こ、聴こ。ウチが確かめる」

 そう言って、クロエは朱奈が差し出したイヤホンの片一方を耳に刺した。

「これでウチのほうがイケてたら、デビューしちゃおうかな。なんなら、あんたがウチのことAKIに売り込んでもいいよ?」

 目を細め、ケタケタ笑いながらクロエが言った。


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