All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 8
先日削除いたしました、『All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 8』の再投稿版になります。
折角読んでいただいた方々のお時間を無駄にさせるような行動でしたが、あんまりにも不甲斐ない出来に自分で自分が許せず、『削除』という形をとってしまいました。
謹んでお詫び申し上げます。
許されるのなら、今後共どうかこの作品とお付き合いくださいますよう、よろしくお願いいたします。
ワイニスト
ジェラートは相当にお気に入りだったらしい。
サービスでいれてやった食後のコーヒーを飲みながらも、二人は未だヘーゼルナッツとこけももの余韻に浸っているようだった。クロエなどは皿に溶けてマーブルに残ったのをスプーンでこそげ取るようにしては口に運び、朱奈に「みっともないから止めなよ」と叱られている。
さすがにこれだけ満足させれば隣りで堂々とくつろいでいても文句はないだろう、とトオルは再びカウンターの席にどっかりと座ると、自分用にもいれていたコーヒーをすすった。モカ主体のブレンドは豆の原産国であるエピオピア特有のやや乳酸系の発酵臭がある。それが雑味だという人もいるが、トオルはそれを素朴さだと感じている。いつもより太陽が近いんじゃないかと思うくらいのうだるような今日の暑さには、まさにそれくらいの気さくな味わいが心地良いのだ。
まだ名残惜しそうに皿の上を見つめているクロエに、トオルは言った。
「なぁ、さっきメールしてみたけれど、美純、今日は来られないんだと。だから、いくらここで待ってても時間の無駄だぞ」
「…………」
実際はメールなんかしていない。ただ、美純が来れないのは事実だった。彼女は今日も遅くまで都内に居る。例のアプリの件は翠の会社にとって初めての試みで試行錯誤が続いているらしい。美純をメインに進む企画なわけだから、当然彼女は必要不可欠な存在に違いない。未成年ということを加味した上で許されるギリギリの時間まで協力したいんだと、昨夜、彼女は電話口でそう言っていた。
ただ、仮にそのことを洗いざらい喋ったとしても、彼女達――とりわけクロエが素直に聞き入れるとは思えなかった。トオルの口から出た言葉を、彼女はきっと全て疑ってかかるだろう。多分、そういう性格の娘だ。
「知ってる」
「……は?」
「だから、知ってるっつーの」
「ん、何を?」
トオルは首を捻った。
すると、クロエは体ごと捻ってこちらを振り返った。綺麗に整った眉が顔の真ん中に集まるみたいに歪んでムッとした表情を作っている。目が合うと慌ただしく瞬きを繰り返し、口の中ではブツブツと何言か呟いているのが見てとれる。
が、すぐにクロエは唇をキュッと噛み締めた。そうするのが、きっと彼女特有の感情をリセットするための習癖なのだろう。彼女はもう一回、今度は深く静かな瞬きをした。そのまましばらく瞼は伏せたままでいたが、やがて目を開けると、気を落ち着けるかのようにふぅっとため息をついた。
「もう、みーから聞いてるの。今、知り合いの仕事を手伝ってるって。だから、わりと毎日遅くまで遠くに居るって……昨日、メールもらったんだから」
「あ、そ……か」
トオルはちょっと肩透かしをくらったみたいな気分だった。
「なんだ。知ってたのか」
「は?! あんたね、当たり前でしょ。ウチらとみーは友達なんだよ。それともカレシだからって、自分だけが知らされてると思ったの? バッカみたい」
正直言うと、だいぶそうだと思っていた。おかげでちょっとバツが悪くなって口調に刺がはえる。
「本っ当、いちいち口答えしてくるな、お前は」
「あんたがムカつくからよ。べぇーだ」
「……チッ」
すかさずやり返されて、思わず舌打ちしていた。間近で見るクロエの顔立ちがいくら可愛くたって、さすがにこうも何度も悪態をつかれたらちょっと許せなくなりそうだ。
さっきから全くもってトオルのペースは乱されっぱなしで、別に論破されたという実感はないのだが、こと屁理屈に関してはクロエのほうが数段上だった。まるで、払ってもまとわりついてくる蝿を相手にしているみたいにイライラする。
「なぁ? そういうお前は美純が来ないのを知ってて、なんで今日、ここに来たんだよ?」
「えっ?」
「もしかして、美純が隠れて俺に会いに来てるとでも思ったのか。口では友達だなんて言っといて、本当のところはあいつのことを疑ってたりするんじゃないのか?」
挑発的な言い方になってしまった、と思った。だから、てっきり反論はあるんだと思っていた。しかし、今度にかぎってクロエは珍しくやり返してはこなかった。そのうえ、憮然としているんだろうが困っているようにもみえる微妙な顔をした。なんとなく気になってじっとみつめていると、それを嫌ったのかクロエは咄嗟に顔を背けてしまった。
「なんだよ、急に黙り込んで。気になるな」
「別に。なんでもない」
そういうそばからなんでもなくない横顔をされたら、気にするなと言われても気になる。が、普通に訊いたところでクロエが答えるとも思えない。
「あれ、クロエが今日ここでランチしようって言ったの、みーちゃん絡みじゃないんだ」
「えっ……違う、けど」
しばらく会話に入ってこなかった朱奈がずいぶん意外そうな顔で言った。それに言葉を返したクロエも、朱奈の反応が意外だったらしく小首を傾げる。
「ふーん、そう」
「なによぉ、朱奈まで」
クロエの口調がかすかに苛立って聞こえる。
「だって、クロエのほうから「ここにしよう」なんて言い出すから、てっきりそうなんだと思ってた」
「言ってなかった?」
「言ってない」
「そうだった? もう、忘れちゃった」
朱奈が呆れたように肩を竦めている。
「クロエ、そういうの直したほうがいいよ」
「何よ? ……なにを、よ?」
「そういう、嘘、みたいなの」
「嘘?」
「別に「友達だからなんでも話してほしい」なんて、そこまで言うつもりもないけど、友達なんだから変にとぼけたり誤魔化したりするのはやめて。私やみーちゃんはもうわかってて付き合ってるからいいけれど、そういうの知らない子達からは誤解されちゃうよ。クロエって、自分ではわかってないかもしれないけれど、全然嘘とか下手なんだし。すぐ顔に出るし」
「は? 朱奈、なに言ってんの?」
「はぐらかそうとするのもやめて。私、そういうのされるとムカつくから。大体、クロエって人が言ったことも自分が言ったことも絶対忘れない執念深いタイプだよ」
「うわぁ、ひどぉ」
クロエは情けない声でぼやいた。
「ねぇ。見えっ張りなのもいいけど、度が過ぎると敵つくっちゃうよ? いいじゃん、素直にまたここのパスタが食べたかったから来たって、ひえ、……は、」
急に朱奈の声がくぐもったのは、クロエが彼女のほっぺたをつねって引っ張っていたからだ。
「ちょっほ、フホヘ。はにふんの?」
「朱奈こそ、どうしていつもベラベラ……」
「はって、ほのはいははって、「ふょーほいひい」っへ、」
つままれっぱなしのまま大した抵抗もせず、朱奈はフガフガと続けた。
「なに? もう、よくわかんないっ」
クロエは苛立たし気に言った。自分でやっておいて腹をたてるクロエもクロエだが、女の子にあるまじき顔のまま平気でしゃべり続ける朱奈もどんなものか。トオルは思わず失笑する。
クロエが両手を離すと、朱奈はしばらく頬を撫でてからさっきの言葉を言い直した。
「だって、このあいだだって「ちょー美味しい」って興奮気味だったし。私、駅に着くまでのあいだに10回は聞かされたんだから」
「う…………っ」
「好きなら好きって、ちゃんとひへは、ひひほに」
見ると、また朱奈の顔がどうにかなっていた。さすがに今度は笑いをこらえきれなくて吹き出してしまった。
「ぶっ、ははは」
すると、クロエが素早く振り返った。
「なにが可笑しいのよ?!」
「そっち、そっち」
語気の荒い彼女の肩ごしに朱奈のほうを指差すと、クロエは一瞬考え込んでからようやくトオルが言わんとすることを理解したようだ。ちらっと決まりの悪そうな表情をしたのに多分本人は気付いてなのだろうが、トオルは見落とさなかった。
やがてクロエは、たっぷり5秒睨みつけてから朱奈のことを開放した。さっきよりもだいぶ強く引っ張ったらしく、朱奈の頬にはつまんだ指の跡がうっすらと残っていた。その場所を手でさすりながら、朱奈は朱奈でちょっと不服そうな目をしている。
二人のやりとりは見ていて面白かった。まるで正反対な性格同士、よくもまあこんな相手と友達をやってられると感心する。そんなことを考えながらトオルがぼんやりとクロエ達を見ていると、視線が気に入らなかったの彼女はふんっと鼻を鳴らした。
「なに? 文句あるの?」
「別に。なにも無いよ」
「あのさ、なんにも無いならじろじろこっち見るの、やめてよね」
「ふーん……」
さっきまでなら気に障っていたひと言も、なんとなく正体が見えてくると気にならなくなっていた。それどころか、よく見るとちょっと必死にも見受けられる言動が逆に可愛らしくも思えてくる。
クロエは眉を釣り上げて睨み付けてきた。整い過ぎた顔立ちとガラスのように青く済んだ瞳が、一見すると彼女を冷たくみせてしまう。けれど、本当はそうではないのだ。彼女のそれは威圧ではない。虚勢だ。
「……ちょー、美味しかったわけ?」
冷やかすつもりで言ったわけではなかった。ただ、確かめてみたかったのかもしれない。それが彼女のどれくらい本心なのか、を。
すると、クロエはさっきまでの険しい顔つきはそのままなのに、色だけが面白いくらいにどんどん変わって、とうとう最後は耳の先まで真っかっかに染まってしまった。まるで茹で上がりのタコみたいだった。それでも彼女は必死で平静を装っているつもりらしいが、唇の端はぴくぴく引きつってるし、肩だってわなないていて、動揺してるのが痛いくらいに伝わってくる。
思わず口元がほころんでいた。言葉にされなくとも十分に嬉しかった。
「褒めてくれて、サンキュー、な」
トオルが微笑んでみせると、クロエはとうとう膨らんだ風船がちっちゃくなるみたいに一辺に縮こまってしまった。鼻から下を手のひらで隠すように抑えながら、出した目だけが最後の抵抗とばかりにこちらを睨みつけていたのだが、その抵抗もそれほど長くは続かなかった。
「もうっ。ちょっと、朱奈ぁー」
どうやら彼女は矛先を朱奈のほうに向けたらしい。
「友達なら、そういうのは普通黙ってるもんでしょ? なんで言っちゃうのよぉ」
朱奈だけに聞こえるように小声で言っているつもりなのだろうが、三人以外に誰もいない静かな店内ではすぐ隣りのトオルにはまる聞こえだ。それに、
「別に口止めなんてされてないし。大体、クロエって素直じゃなさ過ぎ。「あんなご飯の美味しいカレシ、いいなー。みーが羨ましい」って言ってたじゃない」
「しゅっ、に、」
踏まれた猫みたいな声がしたと思ったら、そこからのクロエの動きはかなり敏捷だった。朱奈に飛びかかると、彼女の口を両手で押さえつけて無理矢理黙らせたのだ。
トオルは二人のやりとりが面白くって、また笑ってしまった。
クロエがその笑いをどう取ったのかはわからないが、恥ずかしさに顔を赤らめた彼女ときたら、普段が透き通るくらいに色白なだけに放っておけば火がついてもおかしくないくらいに見えた。
「朱奈、マジでありえないからねっ。あんたって、本当、ちょー最低っ!」
朱奈は何かを言い返したそうな目をしていたが、クロエはこれ以上は何も言わせまいと必死で彼女の口を押さえつけていた。
きっと、普段からこんな感じなのだろう。
トオルは、なんとなくだが美純がこの二人を気に入ってるのがわかる気がした。朱奈もクロエも性格はバラバラでぶつかり合うことも結構あるはずだ。でも、表面的にはどうであれ、根っこのところは真っ直ぐだと感じた。美純は二人のそういうところが気に入っているんじゃないだろうか。
少なくとも、トオルはそうだ。ちゃんと耳を傾けてやれば、しゃべる言葉に違いはあっても心は伝わる――そんなふうに思えたのだ。