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All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 5

「もうわかってると思うけど、クロエっていい子なんだけどちょっと変わってるっていうか……すっごく自分が強いんだよね」

 美純は右手のひらでヒラヒラと胸元を仰ぐ仕草をしながら言った。

「恋愛番長っていうのかな、クラスの女子全員の恋愛事情は絶対把握してないと気がすまないタイプ。私、自分のことはずっと内緒にしていたんだけれど、夏休み前にとうとうばれちゃって」

 訊きたいのはそういうことじゃないんだよな、と思いつつも気になってトオルはつい訊ねてしまう。

「なんでばれたんだ?」

 美純はちょっと複雑な顔になった。言うべきかどうか悩んだようだ。だが、長めの瞬きをひとつした後、苦笑すると短く一言。

「朱奈」

「……だろうな」

 トオルも苦笑した。

「あの子の口に蓋をするのは不可能だろ」

「それって絶対無理だと思う。隠し事しないのが朱奈のいいところなんだけれど、時々それですごく困ることがあるんだよね」

「想像つく」

「でしょー。くすくす」

 たっぷりと汗をかいたからか、グラスのアイスコーヒーはあっという間に空になってしまった。おかわりを薦めると美純は嬉々として頷いたので、裏の倉庫は相当暑かったのだろう。

「クロエって子のほうは、他人の恋愛を気にするよりも自分の恋愛に忙しそうな雰囲気だけどな」

 金髪碧眼、モデル並みの容姿とスタイルなら年頃の男子諸君が放っておくはずはない。

 だが、美純は首を横に振った。

「ううん、その逆。あんなにパーフェクト美少女だと男の子達は引いちゃうみたい」

「ああ、なるほど」

「それに圭と智がいつもそばにいるのも原因かも。二人ともクロエとは幼馴染だから普通に一緒にいるだけなんだろうけれど、片方はサッカー部のエースでもう片方はアンダーなんとかの代表候補だから、周りの男子はひけ目を感じちゃうんじゃないかな」

 美純は顎の先にすらっと長い人差し指をそわせ思索の表情をしている。

「一年生の頃はそこまでべったりじゃなかったんだけどね。今年の春だったかな、クロエのご両親が離婚した頃からはいろんな意味で近くなったっていうか。クロエ本人は「昔っから仲悪かったから、やっと別れたかって感じ」なんて言って全然気にしたふうでもなかったんだけどね。三人とも同じマンションで家族ぐるみな付き合いだったらしいから、圭も智も心配だったんじゃないかな」

「なら、二人のうちのどっちかとくっつけばいいんじゃないか?」

 そう言うと、美純は微妙な顔をした。

「それはないでしょ。クロエも否定してたし」

「そうなのか?」

「『圭も智も子供の頃からの友達だから、異性って感じしないのよねー』って言ってたよ。第一、どっちかを選んだらどっちかを選ばないことになるわけでしょ。それって残酷じゃない?」

「残酷……ね。そういうもんかね、君ら女の子にとっては」

 おそらく、ふたりの少年は違った感情を抱いているはずだ。しかし、それを察するには美純も当のクロエも色々と経験不足なわけだ。さっきの圭太と智の二人の表情を思い出し、トオルは自然と苦笑が出た。

「あー、その顔。今、何考えてた?」

「別に。何も」

 トオルの表情の意味をどう取ったのか、美純が噛み付いてきた。わざとらしく肩をすくめ、からかい半分に答えていなすと、じーっと渋い目を向けてくる。

「なんか引っかかるなぁ、その言い方。まぁ、いいけど……」

 言葉ではそう言っていても気はちっとも晴れていないといった様子の美純を視界の角に置いたまま、シンクに沈めていた皿やカトラリーの類いを洗いながら言葉を切り出す。

「なぁ、それより」

 手っ取り早く話題の切り替えを狙ったそのひと言がどうも癇に触ったのか、視線のレーザービームは不機嫌な色をより濃くした。

「……それよりって、何より?」

 彼女にしては珍しく突っかかってきた。しかしトオルは大して気にしないふりをして話を進めた。

「俺としては、お前が最近顔を出さなかったことのほうが気にってるんだが。一体、最近どこに行ってたんだ」

「……あ、そういえば。そうだ、それだ。忘れてた」

 本当にすっかり忘れていたらしく、柏手を打ちそうなほど顔を明るくする。彼女はそのまましばらく考え込んでいたのだが、やがて目の前のトオルの視線に気付くと今度はなんとなく気まずそうな苦笑いをみせた。

「なんだよ? まさか俺に言いにくいことでもしてるのか」

「ち、違うって! 全然、そんなことはないんだけど……」

「ふーん。じゃあ、何? 毎日、ボランティアで利根川の浄化にでも勤しんでますか?」

「……違うもん。ばか。茶化さないでよ」

 くつくつと笑ってしまう。茶目っ気も意地悪も、それで拗ねる美純を見るのも久しぶりでなんだか新鮮だった。

「もー。せっかくちゃんと話すつもりで心の準備もしてきたのに、クロエのことで全部どこかに行っちゃったんだから……何から最初に説明すればいいかわかんないよ。んんーと、ね……」

 目をくるくるとさせているのは、頭の中を精一杯整理しているらしい。本人は一所懸命なのだろうが、はたから見ればそれなりに滑稽な表情だ。

「おいおい、そんなに大それた話なのか? 受験勉強のために夏期講習にでも行くことになったとか、どうせそういうことなんだろ」 

「……違う」

「じゃあ、赤点とって補習、とか。お前、数学苦手って言ってたしな」

「…………」

 突き付けられたキツめの一瞥でやりすぎを自重する。

「悪い。言いすぎた」

「…………」

 更なる無言の叱責にトオルは慌てて取り繕おうとしたが、やり方がまずかった。彼女の頭を撫でて機嫌を取ろうとしたのだが、そもそもそういう扱いをされるのが嫌だったらしく、美純はトオルが伸ばした手を払い退け、首を左右に振った。

「私、真剣なの。そういうの、ホント止めて」

「悪い……」

 トオルは咄嗟に引っ込めた右手で無意識に自分の口元を抑えた。

 言葉の通り美純の表情は真剣だった。いつもは嗜める側のトオルが見事に嗜められてしまった。悪ふざけが過ぎたのを反省し、口をつぐむ。

 だが、美純のほうはそれ以上は気にするつもりもないらしく、小さな深呼吸ひとつで目詰まりした空気を払ってしまったようだ。

「うーん、どう言ったらトオルにうまく伝わるかな。ちゃんと順序建てて説明できないかもしれないけど……」

「いや、いいよ。俺はかまわない、それでも」

 トオルは促した。

「大事なことなんだろ。聞くよ。ちゃんと」

 そう言うと答えは柔らかな笑顔だった。

「ありがと」

 瞬きを一回はさむと、美純の声のトーンはひとつ落ちた。

「……ねえ、トオル」

「なんだ?」

「トオルは私が何をしてたら怒る? どうしたら怒らない?」

「は?」

 微妙な言い回しに首を捻る。

「なんだよ、それは。まるで俺が怒るの前提みたいな言い方じゃないか」

「どうだろ。そうかな、わかんないや」

 聞き返すが、美純は一度言葉を濁しトオルの様子をうかがうような素振りをする。

「ね、トオル。お願いだから怒らないで聞いてほしい。約束して」

「そんなの……内容にもよるだろう?」

 自分の彼女がおかしなことをするような人間でないとわかっていても、改めてこんな言い方をされるとちょっと訝しんでしまう。

「お願い。ちゃんと、最後まで聞いて」

 ただ、美純は何時になく真剣な様子で、結局トオルはそれに押し切られてしまった。

「わかったよ。約束する。何があっても怒らない」

「……うん」

「その代わり、お前も約束しろよ。ちゃんと全部説明するって。このまま理由もわからずにただ距離だけ開くのは、正直辛い」

「うん。そうだよね」

 ようやく美純の表情に安堵のらしきものが広がった。ずっと忘れていたみたいに両手で固く握っていたグラスから、思い出したように冷たいコーヒーをすすっている。何度も、ゆっくりとした仕草で。

 トオルはさっきまで使っていたマグカップの中身をシンクに捨てると、自分にも冷たいコーヒーを注いだ。ブラックのままゴクリとひと息に喉へ流し込む。ちょっと強めの苦味が舌に残る。

 無言。

 トオルも、美純も。

 彼女の口から言葉が出るのを待つが、ストローから離れた唇は結局また同じ場所へと戻ってしまう。そうやって二人して黒褐色の液体とだけ会話する時間が続くと、互いの間に広がる沈黙はだんだんカップの底が見えないくらい濃くなっていく。BGMのスロー・ジャズはその間を埋めるかのようにとゆったりと流れるが、ウッドベースの音が今はむしろ耳障りに聴こえる。

 たっぷり五分は黙り込んいたか。

 美純は小さく深呼吸をすると、手に持っていたグラスをカウンターに置いた。

 口角に緊張が走り、そして緩むのが見えた。トオルは自然と耳を傾けていた。

「私ね。今、翠さんのところでお仕事の手伝いをしてるの」

「手伝い? なんの?」

 聞き返すと美純は一瞬だけ躊躇って、だがトオルとの約束通り、彼女は正しく答えた。

「うたを歌ってる。私……今、歌手になってみようかなって、思ってて」

 カウンターをようやっと乗り越えて届くくらいに小さな声だった。

 が、その音は一音ずつに深い意味を持っているかのようにトオルの耳と胸にしっかりと響いた。

 詳しいことは聞かされていなかったにしろ、翠の仕事柄、彼女が美純を勧誘してくるからにはそういう可能性もあるだろうとは思っていた。なんとなく予感はしていたような、まったく予想外のような、複雑な感覚。それでも、まさか美純の性格でその選択はないだろうと心のどこかでタカをくくっていたのかもしれない。だから驚きはあった。

「そんなに……そんなに安芸さんの勧誘は強引だったのか?」

 頭にまず浮かんだのはそれだった。美純の性格を考えれば、翠に強く押し切られ、断りきれなくなって受諾してしまった可能性もある。平太達の披露宴での事もまさにそれだった。

 しかし美純は、トオルの表情を見てすぐに彼の考えを察したのだろう。すぐさま首を振った。

「違うよ。誘われてはいたけれど、決めたのは私。私がお願いしたの」

「……?」

「意外って、顔してるね」

「まぁ……確かに意外だった。前に訊いた時は、電話とメールがしつこくて迷惑してるってふうだったからな。全然無関心なのかと思ってた」

「うん。前はそうだったんだけどね……」

 美純は少し過去を振り返り、苦笑をみせる。

 しかし、トオルはなんだか腑に落ちなかった。一体どんな理由があって、美純の心境が大きく一転したびだろう。トオルは推考してみるが、そもそも考えるに当たって大切な情報が欠落していることに気付く。

「なぁ、お前と安芸さんは何をしようとしているんだ?」

 それを、自分は知らない。

 聞かされていない。

「……そういえばお前、いつも俺が訊ねようとすると言葉を濁したり、話を逸らそうとしたよな。あの時、安芸さんからどんな勧誘を受けてたんだ? なんで俺に相談しなかった?」

「…………」

「美純、なんで答えない?」

「トオル、怒らないで聞いてくれる?」

「それはさっき答えた」

「うそ。今、ちょっと怒った顔してる」

「言っただろ、怒らないって。ちゃんと言えよ。約束しただろう」

 美純はほんの一瞬反論したそうな顔をしたが、すぐにその表情を引っ込めた。そしてしばらく黙考しては出しかけた言葉を呑み込む素振りを何度か繰り返し、やがてようやく口を開いた。

「翠さんとは、今、翠さんの会社が新しく始めた携帯用のアプリのお仕事をしてるの。AKIミュージック・アンド・エンターテイメントの新企画なんだって。新人アーティストの楽曲をアプリのユーザーが投票で決める『ユーザー主導型アーティスト』。その第一番目が私なの」

「……なんだ、それは」

 いまいち説明でつかみきれずにトオルは眉間に皺をよせた。

「えーとね、みんなに私がどんな歌を歌ったらいいか投票してもらって、その結果出来上がった楽曲を私が歌ってネット配信するんだって。ダウンロード数が多ければ次も新曲を歌わせてもらえるチャンスがあるけど、ダメだったらそこでおしまい。人気が出ればアルバムデビューもあるけれど、投票結果によっては演歌とかメタルとかのジャンルでも歌わなくちゃいけないみたい」

「はっ?! それって結構無茶苦茶な話なんじゃないか? 何を歌わされるかわからないって、お前、そんなんでいいのか?」

「ううん、イヤだよ。だから今は先行配信でAKI M&E所属のアーティストさんの楽曲の中から、私が歌いたいような曲を何曲かカバーして流してカラー付けしてるんだ。そうすれば、ちょっとはみんなも考えてくれるでしょう?」

「いや、そんなの断言できないだろう。相手はネットの向こうの人間だぞ。ふざけて投票する奴らだって絶対にいるだろうし……」

 トオルの言葉に美純はくすくすと笑って答えた。

「トオル、心配しすぎだよー」

「お前ッ……お前こそ、心配しなさすぎだろう?! そんな条件、お前にデメリットが多過ぎる。安芸さんはどうして自分の会社所属のアーティストじゃなくて、無関係のお前にこんな話を……」

 急に翠の顔が頭に浮かんで、それで眉間の辺りが熱くなった。

 どう考えたって、まだ世間知らずの娘をいいように使い捨てにしようとしてるとしか思えなかった。一曲歌ってダメだったらおしまい、しかも曲は何を歌わされるかわからない、なんて適当にもほどがある。失敗しろといわれているようなものだ。

「『みんなが生み出すアーティスト』ってコンセプトだから、事務所にもう所属している人じゃおかしいってことみたい。まっさらな無名の新人を探してたんだって。それで、たまたま私が候補に上がったみたい」

「だからって……そんな話、おかしすぎるっ。お前がそれでよくても、俺は……っ!」

 そんな条件でやって、もし失敗して、それではたして美純は傷つかないのか?

 ――傷つかないはずはないだろう。絶対に傷つくはずだ。

 自分の精一杯をやってダメなのとは話が違う。おかしすぎる。

 なら、自分が守ってやらなければ。そうすることが自分の役目だと、トオルは当然のように考えた。

 だが――

「私、トオルにこのことを言わなかったのは……トオルにはどうしても言いたくなかったんだよね。トオルに知って欲しくなかったんだ。全部。なにもかも。だって、トオルが知ったら絶対に止めるでしょう? 私の意見とか関係なく……トオル、優しいから。でも、それが嫌だった――」

 美純はほんのちょっと俯いた。落とした視線はそのままカウンターの上をさまよっているようだった。


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