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All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 3

                   ◆


 クロエがほぼ一人でしゃべり倒していたために、一緒にいた二人の少年は居心地の悪い思いをしていたようだ。美純とはあくまでクラスメイト程度の仲らしく、話題が彼女について右左しているあいだは滅多に口を開こうとしなかった。

 そもそも、彼らはここに来るつもりはなかったのだろう。表情には惑いがあり、場からは常に距離をとっているように感じた。

 そのうえ、トオルのことは積極的に避けている嫌いがある。まぁ、『17歳の少女と恋愛をする34歳の男』なんて普通の高校生の恋愛観の尺度から考えればかなり逸脱した未知かつ奇異の存在なのだろう。

 当然だ。

 トオル自身ですら、まだ時々他人事のように思えてしまうのだ。

 美純との関係は、極論、相手が美純だったから結果そうなっただけのことなのだが、ふと冷静になって客観視するとあらためて自分達の関係の重大さに気付く。だから、彼らがトオルを異質と感じるのは無理もないことだろう。トオルもまた、自分に対して同様の感情を抱いていなくはないのだから。

 散々不満を並べ立てても箇条書きにすると三つくらいをグルグル繰り返すだけで、口を開けると不満か愚痴しか出ないと悟ったクロエがようやく黙ると、朱奈がやっとタイミングを得たといった顔で彼女の友人達を紹介してくれた。

 クロエ・アルバ。彼女はカナダ人の両親から生まれた生粋の北米人だが、親の仕事の関係で物心つく前から日本で育ったそうだ。流暢、というよりもネイティブに近い言葉はそのためか、と得心する。

 連れ立ってきた男子二人は、栗色の髪を肩くらいまで垂らしたわりと体格のよいほうの少年が金子智、トオルより頭ひとつ分背の低い目付きの鋭いほうが吉田圭太。彼らはクロエの幼馴染だそうだ。

「ガッコにいたから無理矢理引っ張ってきてやったぜぃ。ヴい」

 誰に向けて発せられたのか不明なクロエの言葉に、圭太のほうはあからさまに嫌な顔をし、智のほうは呆れ顔だ。部活終わりだったらしく、男子二人は夏休みにしては大きなバッグを肩から垂らしている。サイドポケットからチラッと見える物体、レガースやスパイク、Yシャツ代わりに着ている汚れたプラクティスシャツがちょっと当時の自分を懐古させた。

 クロエ達が用があるのは美純なのだから、トオルが彼女の動向を感知していないと知ればてっきりすぐに帰るかと思っていた。男子二人はもうすでにこの場を立ち去りたそうな顔をしているし、朱奈はそもそも興味がなさそうにみえる。クロエとて、まさか言葉の通り張り込むつもりもないだろう。

 そう思っていた。

 ところが彼女は急に踵を返すと、その足は出口には向かわず、何を思ったか断りもなく勝手にテーブル席のひとつに滑り込むように陣取った。携帯を取り出して操作しながら左の人差し指をくるくると回し、他の三人にも座るように促した。

「こら。そこは教室の机じゃないぞ」

「はぁ? そんなのわかってるんですけど」

 振り向いた長い金髪の横から覗く侮蔑するような目が口以上に鋭い。別にやり返すつもりなどないのだが、自然と眉根の上昇角が上がった。

「わかってないだろ。もうすぐ店がオープンなんだ。そこで集会みたいにやられると迷惑だって言ってんだよ」

 朱奈は表情こそ変わらずだが、勘のいい子だから当然理解はしているだろう。智と圭太は顔をハッとさせ、座りかけた椅子から慌てて一・二歩後ずさり距離をとった。直視しないようにしながらもクロエとトオル、両方の顔色を伺っているのがわかる。

 相手は高校生なのだから、本当ならもう少しくらいやんわりと言ってやるべきかもしれない。

 ただ、あとのひとりは多分それくらいで意図が伝わるタイプではないだろう。

「じゃあ、どうしたらいいのよ?」

「言わなきゃわからないか?」

 トオルが聞き返すと、返事の代わりにフンッと鼻息がひとつ返ってきた。彼女なりの挑発なのだろうが、そこはあえて気づかないふりをしておく。こちらは小娘の一挙手一投足にいちいち腹を立てるほど子供でもないし、この手合いは放っておけばまず間違いなく焦れて折れる。

 他の三人のジトッとした視線の集中砲火にさらされてもクロエはすぐには動こうとしなかった。椅子の背もたれにピッタリと背をくっつけての抵抗運動。口を真一文字にして、体じゅうからは拒否のオーラを滲ませていたが、しかしそれも長くは続かなかった。

 しきりに片方の耳たぶを触り出したクロエは、今度は首をあちこちに向けて何かを探しているようにも見えた。咳払いを数回。溜息を、見付けた限りで二回。落ち着きがない。

 しまいには膝をカタカタと揺らし始めたが、それはさすがに自分でも許せなかったらしく、クロエはとうとう立ち上がると両手でダンッとテーブルの上を叩いた。 

「もうっ、ムカツクわぁ。いっぱい考えすぎたせいで、マジでお腹が空いた。ウチ、ご飯食べる!」

 そう言うと、再び自分の領地を主張するかのようにドカッと椅子に腰を落とす。

 トオルは一瞬呆気に取られて、次いで「そうきたか」と思った。

 気が強いというか、頑固というか――。しかし不快ではない。

 過去にそういう女に振り回された記憶がチラッと甦ってきて、内心でちょっと苦笑してしまう。顔には出ないように噛み殺しながら、トオルはカウンターから出るとクロエのもとに無言でメニューを差し出した。

 どの皿を選んでも、多分普通の高校生が一食にかける金額の数倍なはずだ。しかし、さすがは美純も通うお坊っちゃまお嬢様学校の生徒だけあって顔色は変わらない。ここまでくるとトオルももう文句を言うつもりはなかったので、立ち尽くしたまま傍観する三人の背中を押して椅子に座らせる。

 ページをめくりメニューと睨めっこをする、クロエ。やがて彼女の反対側の席に座った智が「俺も食べようかな……」と呟くと、クロエが見ているメニューを指で引いてテーブルの上に広げさせた。二人がその気になれば食い気があとの二人に伝染するのは早い。いつのまにか四人は一枚のメニューブックをもとに額を寄せ合って、それがまるで作戦会議しているみたいでトオルは吹き出してしまった。

「あのさ」

「なに?」

 ふてぶてしく答えたクロエをやや無視するような格好で、四人ともに聞こえるように言う。

「みんな、美純の友達だし。さすがにタダってわけにはいかないけれど、パスタなら何を頼んでも一番安い値段にしてあげるから、好きなものを頼んでいいよ」

 四人は互いの顔を見合わせしばらくざわっとすると、作戦会議はさらに熱をおびた。



 結局、一人ひと皿ずつのパスタを注文してきたので、トオルがそれに大盛りのサラダを付け足して出してやると、皆が目をキラキラとさせて自然と口元をほころばせた。

 そういう顔をするときは、普段無愛想な朱奈や小生意気なクロエも歳相応に純粋な眼になるのが面白い。食べ物に対する欲求はとても原始的な反応だろうから、自然とその人の素の部分をさらけ出すのかもしれない。笑顔と会話が弾むテーブルを眺めていると、さっきまで憎ったらしく思えていた小娘もだんだんと可愛らしく見えるような気がしなくもない。

「これ、マジで美味いっす」

「ん? ああ、ありがとう」

 圭太があまりに真っ直ぐな瞳でいうものだから、さすがのトオルもちょっと照れた。向けられた視線からほんの少しだけ逃げながら笑顔をつくって返す。声がうわずったのは、どうやら気付かれずにすんだようだ。

「なぁ、君達、サッカー部かい?」

 かすかな動揺を隠蔽するのに何気ない話題を振る。すると、男子二人はそろって咀嚼しながら頷いた。

「あのねっ! 智も圭もすごいんだよ!!」

 その会話に割り込んできたのはクロエだった。

「二人とも二年生なのにレギュラー取っててー。二年でレギュラーなのは智と圭とあともう一人だけなんだけど。智はストライカーで春の二次予選、準決勝で負けるまで毎試合得点だったんだよー」

「へー、毎試合か。凄いな」

「でしょう? でしょう!」 

 クロエは目の前にパスタの皿を置かれた時の何倍も笑顔を輝かせた。当の智は照れ笑いだが満更でもない様子だ。

「君らの高校、強いのか?」

 トオルの問いかけに智は一瞬躊躇はしたが、すぐに首肯した。

「はい。けっこう強いです」

 それは自信のある奴がする表情だった。

「でね。でね。圭はアンカーなのっ!!」

「ほう……」

 トオルはそれを訊いてちょっと驚いた。

 圭太のポジションに対してではない。それを確かな認識として言うクロエにだ。

 『アンカー』はチームの裏方にあたるポジションだ。その呼び名もポピュラーなほうではなく、一般的には『ディフェンシブ・ハーフ』とか『守備的ミッドフィルダー』などと呼ばれる。智の『ストライカー』のような華のあるポジションは目立つからサッカーに詳しくない女子高生からも認知されやすいが、圭太のポジションはチーム内の役割こそ重要であれ、わりと地味だ。

「チームで一番脚が早いから、ピンチの時には誰よりも速くビュビューッて飛んできてくれるし、自分よりずっと大きい相手でも絶対負けないんだ。本当、凄いんだよ」

 いつの間にかこぶしを握り締めて力説しているクロエを、圭太はちょっと迷惑そうに睨んだ。「なによぅ、圭ぃ」とまだ言い足りなさそうにする彼女の鼻をきゅっとつまんで黙らせようとしている。 

「なんだか君は、二人のことになると真剣みたいだね」

 そこへトオルはあえて言葉を含ませて言ってみた。クロエの鼻をつまんだままだった圭太の肩が、ピクリと微かに反応したのは見逃さない。

「えっ……」

「べた褒めしてる」

 言われて初めて気付いたのか、クロエは瞳を丸くし、口を手で覆った。

 その反応に思わず微笑んでしまう。

「でも、さ。君の目から見て、本当はどっちの彼のほうが凄いの?」

 トオルの言葉の意図に気付いた男子二人は、急にそわそわと居心地悪そうにした。それをみてさらに微笑ましく思えてしまうのは、彼にとっての青い時代がとうに過ぎ去ってしまった証拠でもあるのだが、今、その事実は一旦胸にしまっておく。

 クロエがどんな顔をしてうろたえるのかと興味津々覗き込む。ちょっと大人気ないとは思うが、さっきまでの鼻っ柱をこれで少しは折ってやれるかなと期待した。

 しかし、顔を上げた彼女は思いの外あっけらかんとしていた。

「どっちがって、比べる意味なんてなくない? 二人ともチームが勝つために頑張ってるんだし。二人を応援するのは、もちろん幼馴染っていうのもあるけれど……ウチの一番の親友だからかな。それって、当然でしょ?」

「あ。……まぁ、確かにそのとおりだとは思うけれど」

 期待していたのとかなり違った反応に、トオルは逆にとまどってしまった。もうちょっと女の子らしい返しがあると思っていたのだが、こんなところで妙に優等生な回答をもらってもどうしたらいいのかわからない。むしろ、自分の器の小ささを浮き彫りにされたみたいで決まりが悪い。

 ただ、トオルよりも数段辛い思いをしたのは向かいに座る二人の少年達だろう。

 トオルが思うに、二人とも同じ感情を腹に隠しているはずだ。なのに、それをあまりにも見事にバッサリやられてしまった。智のほうは辛うじて微笑のようなものを貼り付けているが、圭太はテーブルの一点を見つめて呆然としている。

 女の子から与えられる『親友』の称号は、最高に有り難くないバッドエンド・フラグだ。それを心無い大人の悪戯で無情に突き付けられてしまった彼らには、同情を通り越して懺悔の気持ちになる。

「……みんな、ドルチェでも食べてくか? サービスするよ」

「マジ? やた!」

 トオルにしたら罪滅ぼしのつもりだったが、歓喜したのはまったく別の相手だった。



 ひと通りフルーツやデザートまで食べ尽くすと納得したのか、朱奈達は席を立った。

「あれ。いつの間にか着信きてる」 

 クロエがバッグから取り出した携帯を確認して言った。どうやら美純からメールが入ったらしく、

「今、用事で都内に居るんだって。お父さんの仕事の関係の人と食事だってさ。……ちぇ」

「そんなのしょうがない。帰ろ」

「あーあ、時間無駄にしたー」

 ぶつくさ言うも、動き出せば早かった。荷物もカバン一つしかないから身軽だ。引いた椅子を戻すなんて機能は昨今の十代には標準装備されているわけもなく、テーブルの上の皿もどうやって乗せたのか理解不能なくらい不思議な重なり方をしている。

「バイバイー」

 まともに挨拶したのはクロエくらいだ。朱奈はいつも通りちょっと首を傾けただけ。そして傷心の二人はもう心ここにあらず、だ。

 旋風の過ぎ去っていった後始末のためにカウンターを出ると、椅子をなおし、テーブルの上の皿を重ね直して洗い場に運ぶ。ダスターでテーブルの上を清掃し、ナフキンやカトラリーの類を設置しようとしたとき、ふと店の奥から細い声が聞こえてきた。

「トオル…………みんな、帰った…………?」

 声のするほう、キッチンの裏手にある倉庫兼スタッフルームの扉がほんの少しだけ開いて、そこから店内の様子を伺うように誰かがこちらを覗いていた。

「ああ、もう帰った。大丈夫だ」

「あ、……あっ………」

 かすれた声がして扉が大きく開くと、中から人影がズルッと飛び出してきた。全身脱力しきってよろめき、すぐそばの壁に手をついてなんとか体を支えると気息奄々な様子で項垂れ、呻く。

「ここ、あっっっー。焼ける、溶ける、茹だるぅぅ……」

「知るか。事情も大して説明せずに匿ってくれなんて言われたって、そんなところくらいしか提供してやらないからな。文句はナシ」

 そう言ってやると相手はしばらく朦朧とした頭で記憶を振り返っているようだったが、やがて思い出したのか、顔の前で手を合わせてペロッと舌をみせた。

「うん。サンキュね、トオル」

 美純だった。


 

 

 

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