All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 2
「イヤイヤイヤイヤ。だって、ありえないでしょー、それは」
冗談だと思ったらしく、クロエは眼前で何度も手のひらを振って盛大に否定しにかかった。しかし、朱奈はいたって冷静な声で返す。
「ホントよ。嘘じゃない」
「はぁー? それって、笑いのセンス、ありすぎじゃない?」
まともに取り合おうともせず、キシシッと独特な声色で笑う。朱奈がふんっと鼻を鳴らした。ガタタッと椅子の脚が音を立てた。
「……いい。もう、帰る」
「ちょちょちょ、うそ、嘘ですっー! もう、朱奈ちゃん、短気ー。すぐ怒るんだからぁ」
冷たい一瞥にさらされてたじろいだクロエは、あたふたしながら助けを求めるべく少年達のほうをチラリと振り向いた。
しかし、男子二人は揃って迷惑そうな顔を浮かべている。
それはそうだろう。
クロエにとっては彼らが役に立たない男どもに映っただろうが、実際のところ、朱奈みたいな性格の女の子の機嫌をそこねたときも、クロエのような女の子のわがままに振り回されたときも、男の側にうまい対処の方法などあるわけがないのだ。
下手なフォローは逆効果、イコール命取りである。トオルが不幸な少年達に同情の眼差しを送っているあいだに、腰を浮かせかけた朱奈をクロエが一人でどうにか踏みとどまらせるのに成功していた。憮然としていた朱奈も憤りの根はさして深くはなかったようで、座り直してしばらくするといつもの表情を取り戻していた。
が、なぜか対照的にクロエのほうは不服そうな顔をしている。オープンの準備のためにカウンター内に戻っていたトオルに向かって、その鬱々とした視線を投げてきた。
「ねえ」
「なんだ?」
こんな小娘に顎で問いかけられらば、張り合うつもりはないが顎で返したくなる。
「みーは今日も来るの?」
「はぁ?」と口から素っ頓狂な音が出た。すぐさま、クロエの訝しむ目にさらされる。
「だっておじさん、カレシなんでしょ。今日は来るの? 来ないの?」
「知らんよ。それに、あいつだって別に毎日ここに来てるわけでもない」
そう口にしつつ、胸がチリリとする。自分も、ここ何日美純の顔を見ていないのだ。しかも、そのことで少し感傷的にもなっている。クロエに返した口調が強くなっていたとしたら、原因はそれ以外にない。
トオルは一度しっかりと瞬きをすると、目に動揺の影が映らないよう気を配りながら、クロエの瞳をじっと見つめた。が、トオルの視線の意味をどう受けとめたのか、彼女の眉尻がぴくりと引きつった。
「わかんないって……なんで? もしかして、もう振られたの?」
「ムッ。君、なかなか言うね」
ストレートに刺さる言葉でほんの一瞬心が怯んだ。ポーカーフェイスはつくり損ねた。
しかし、すぐさま取り直すのが大人の余裕だ。
――『かろうじて』と付け足すべきかもしれないが。
「心配しなくとも、美純とはちゃーんとラブラブだから。電話もメールも毎日してる。好きだ、って一日十回は言うしな」
ちょっと大袈裟に言ってみて、思わず自分で笑ってしまった。咄嗟に余裕の笑みにみせたつもりだが、羞恥で出た笑みであることは絶対に悟られたくない。
「ただ、最近は忙しいみたいだったけ……ど、」
そこまで口にしてみて、だ。
ふと、トオルは頭の中に小さな疑問が浮かぶのを感じた。
『違和感』とでもいうべきか。
「……なぁ、一番最近美純と会ったのって、いつだ?」
問いは朱奈に向けて投げかけたが、返事はそこに居た全員一致で返ってきた。
「終業式の日」
少年のうちの一人が言うと、それに頷いて朱奈があとを引き継いだ。
「でも、式が終わったあと、みーちゃんはすぐに帰っちゃったから、それっきりなんです」
淡々と答える彼女に対し、カウンター前まで歩み寄ってきたクロエのほうは表情に苛立ちを浮かべていた。ぐいっと、さらに半歩トオルのほうに身を乗り出してくる。
「みんなで『おつかれー!!』ってやろうと思ってたのにさ。みー、いつのまにか帰っちゃうし。メールで呼び出しても返信ないし。『ゴメンねー、いまどこ』って返事が返ってきたの、夜遅くなってからだよ。そんなの、もう終わってるっちゅーの!」
ここにいない本人にぶつけるはずの感情をトオルへぶつけてくる。
「これは絶対オトコだ、って思ったね。見損なったなー。みーは絶対に恋愛よりも友情をとる子だって信じてたのになー」
わざとらしく首を振って頭を抱える素振りをするクロエに、トオルは反論しようと口を開きかけた。自分の彼女に勝手なイメージを持たれるのも迷惑だし、それで失望されるのはさらに気分を害す。
だが、彼より先にクロエを取り巻く三人が口々に言った。
「いやぁ、そこは恋愛っしょ」
「普通、恋愛だろ?」
「当然…………恋愛」
「なっ?!」
友人達から口々に全否定されて、クロエは自分の右手の上からカクッとずり落ちた。
「ちょ、ちょっとぉー、そこは友情でしょっ! おかしくない?」
彼女の見目形からしたら、口から「アンビリーバブル」とひと言出てきてもよさそうなところだ。しかし、その外見を大きく裏切る語尾に抑揚をつけた舌っ足らずな日本語は、どこにでもいるごく普通の女子高生と何ら変わらない。なのに、澄み切った蒼色の瞳を一杯に開いたクロエが両方の手のひらを胸の前で広げると、こちらは絵になるくらい様になったポーズで「Why?」のジェスチャーになる。
大袈裟な素振りでもって理解を得ようとしたクロエだったが、残念ながら彼女の連れ達は首を縦にも横にも振ろうとしなかった。逆に三人からは揃って疑りの目で見られてしまい、今度は難しい顔になってムググっと次ぐ言葉を詰まらせた。
到底三人分の圧力にはかなわなかったらしく、クロエはジリジリと身動ぎした。異論でいっぱいの顔が逃げ場を失って結局は観念した。
「も、もうっ! そうだけど……だ、だとしても!!」
あさっての方向に傾きかけた会話の指針を取り戻そうと、クロエは慌てて金糸のような長い髪を大きく左右に二回振り、邪魔な視線を払いのけた。顔をあげると、今度はトオルに向けて人差し指を突き付けてくる。
「結局、おじさんがみーを誑かしたわけでしょ?」
「…………あー、ちょっと待て」
向けられた指を右手で払いのけてトオルも反撃する。
「俺と美純はそういう関係じゃないぞ。お互いに必要だって思ったから、惹かれたんであって……」
言いかけてから、自分に向けられている好奇の視線に気付いてはたとなる。一体、高校生相手に何をムキになっているのかと急に冷静になった。だいたい、子供相手に同じ土俵でやり合うなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。トオルは咳払いのひとつで気持ちの切り替えと話題の切り替えを同時に図ろうとするが、
「嘘ね。どうせ、ただの制服フェチかロリコンでしょ……」
侮蔑したような目でぼそっと呟かれたら、くすぶっていた火が勢いを取り戻してしまった。
「……おい。お前にはひとの話を訊くって機能はないのか? 美純の友達だから我慢してたけどな、あんまり勝手なこと言ってると店から放り出すぞ」
「おじさん、それって逆ギレ?」
「…………いい加減にしろよ」
自然と声のトーンが低くなる。
無駄に見た目が整っているのが逆に神経を逆撫でする。
チリチリと憤りの炎が胃の腑を焼いて、理性と忍耐を燃やして気化させていく。それでもガキの戯言だと唇を噛んで精一杯の我慢を試みるが、クロエがさらに目を細めたあと発した四つの無音の言葉にギリギリまで感情を押しとどめていた堰が崩れた。
カウンターから乗り出すか、それとも一度表に出るか。
ほんの一瞬思考しているあいだに、ふと視界のなかのクロエの顔がぐるっと180°回転した。少年のうちの一人が彼女の腕を引いて強引に振り返らせたのだ。
「ばかッ、いい加減にしろ」
クロエが何か言い返そうとするより先に、少年は右手を振り上げると問答無用に彼女の頭を叩いた。
それほど強い一発ではなかったが、割といい音のする平手だった。
その音のおかげだろう、トオルは立ち止まると数回瞬きをするあいだに冷静さを取り戻すことができた。
「クロエ。先に言っとくけれど、この人、誑かしたり騙したりできるタイプじゃない。すっごい、気がちっちゃいから」
「ムッ……」
本人的には擁護のつもりだろうが、きっちり非難にも聞こえるところが朱奈らしいと思った。
しばらくじっと黙り込んでいたクロエだったが、気の強そうな彼女にしては意外なことに叩かれたこと事態あまり気にしていないらしく、顔を上げて一度フフンッと鼻を鳴らすと、もう気持ちは切り替わっているようだった。
「しゅーなーぁ? 先にって、遅くね?」
「別に。私はこの人とみーちゃんのこと、認めてないし。あなたとこの人が揉めてどうなろうと関係ないから」
相変わらずのマイペースっぷりだが、みれば他の三人は彼女のそんな言動に表情ひとつ変えていない。
どうやら、彼女達の日常はいつもこんな感じなのだろう。
ふと、この面々の中に美純を含めた状況を思い描いてみたが、トオルにはうまく想像ができなかった。