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Love laughs at locksmith. other side ≪Midori Aki.2≫

 翠が大学二年の秋。ライブで手売りするために焼いたCDのうちの一枚がひょんなことから地元のFM局のMCの手に渡った。それがきっかけとなり、一度だけ彼女達のバンドの曲がラジオの電波にのったことがあったのだ。ただ、無名バンドの曲がそう簡単にパワープレーされるわけもなく、たった一回のオンエアーの反響は彼女達の期待に反し皆無といっていいほど薄かった。

 ところが、だ。

 それからしばらくたったある日、なぜか突然彼女達のもとに音楽雑誌から取材の打診が入った。どうやら先方は偶然にも一度きりしか流れなかった曲をたまたま耳にして自分達に興味を持ってくれたらしい。もちろん断る理由などなかったから、メンバー全員が二つ返事でその申し出を受けることにした。

 担当してくれたインタビュアーは20代後半くらいのパッと見イケメンで、会話も面白く、取材は終始和気あいあいとした雰囲気で進んだ。バンド結成の経緯、メンバーそれぞれの自己紹介、音楽性……訊かれたことに答えるだけだったのに、終わってみれば取材時間は二時間近くに及んでいた。

 一体、自分達がどんなふうに紹介されるのだろうと発売日を待ち遠しくしていた翠は、出来上がってきた雑誌を手にして愕然としてしまった。彼女はそのときになって初めて出版社の意図に気付いたのだ。

 お目当ては自分と翔太――『二世』という肩書きだったことを。

 そのせいで一時メンバー内の空気はギスギスとしてしまった。記事を見れば、あの取材が何を目的としたものだったのかは明らかだ。誰だって自分がオマケみたいな扱いをされて満足なはずはない。

 ただ、それで奇しくもバンド自体の知名度は上がった。いままでよくても10数人だったライブの集客は、準備したチケットがあっという間にソールド・アウトするほどの恩恵を授かっていた。

 『結果よければ全て良し』ではないが、それでも結果というのは問題を解決する上で重要な特効薬になり得る。

 良くも、悪くも――その効果が純然たる改善ではなく、単に問題そのものから目を逸らすだけだったとしても、一瞬だけを切り取ればふたつは同意だ。

 自分達の曲を聴いてくれる人が増えればプレイするのが前より楽しく感じるのは当たり前で、好意的な反響を耳にすれば認められているという充足感にもつながった。自分達のやっていることに自信が持てた。

 バンドとしてのモチベーションがどうであれ、音楽をやる人間なら誰しも認められたいという欲求は持っているものだ。

 『新しい曲を作りたい』『もっと良いプレイをしたい』

 そう考えたのは、翠だけではなかった。

 目指すモノができたことによって個々の胸に火がついた。一人ひとりが前を向くことで、結果的に再びメンバーの足並みは揃い始めた。お互いに感じていた溝やわだかまりが全て消えたわけではなかったから、進み始めた船のバランスをとるのはとても神経質だったが、それすらもいい刺激になっているように感じられた。こわばった関係は時間がゆっくりと解決してくれるだろうと思えた。きっと、メンバーそれぞれが胸に抱いている音楽に対する思いの核は共通なはずだし、そうであれば自分もみんなも今は前に進める――そう、翠は思えた。

 実際、曲を書き始めると以前にも増して激しく意見が飛び交うようになった。それまでは翠や翔太に遠慮して言いたいことを溜め込んでいただろうメンバー達も積極的に自身の考えを口にしだしたのだ。

 絶対にうまくいく。今までより、もっと、もっとうまくいく。

 翠はそう確信していた。

 だからそんなとき、まるで降って湧いたようにメジャーデビューの話が舞い込んできても、それを疑ってかかることなどできなかった。

 彼女達はついに自分達が認められたのだと、純粋にそう思った――





「結局、私には才能なんてなかったの。……本当はずっと前からわかっていたはずなのに、それを受け止めたくなくって目を逸らしてた。だって、パパやお祖父ちゃんの仕事の関係で子供の頃から嫌ってほど一流っていわれる人達を見てきたんだもの。自分との差っていうか……違い、みたいなのは痛いくらい感じてた」 

「そんなの……お前が勝手に思い込んでるだけで……」

 翠はそっと首を振る。

「ううん、そうは思わない…………私は思えない」

 そうしようとしたわけでもなく、翠は無意識で自嘲気味な笑みを浮かべていた。

「メジャーの話だって、あとで考えてみればおかしかったのよ。ようやく地元の小さな会場をいっぱいに出来るようになった程度のバンドに声が掛かるなんて……そんな夢みたいなことって、普通、無いでしょ? あの時は雑誌に載って、ライブのお客さんも急に増えて、私も、みんなも、ちょっと浮かれてたんだと思う」

 翠の言葉に翔太は反論しない。代わりに彼はぐっと唇を噛んで、目を細めた。自然とその視線の先を追いかけるかのように翠の視線も漂い、虚空をまさぐる。

 行き着く先は最低限の光量で照らされた、ただの黒ずんだ床板だ。

 そこに何があるわけでもない。

 慰めも、同情も。

 硬くした言葉はコルク栓みたいに彼女の思いを喉奥でせき止めてくれていた。でも、それを引き抜かなければいつまでだって留めておけた感情の汚泥は、一度口に出してしまえばあとは瓶からこぼれ出るようにとめどなく溢れて止まらない。

「何よ……あとになって私と翔太の二人だけって……結局、前と一緒じゃない。欲しいのは名前のほう。実力とか、そんなのどうでもいいってことなんでしょ……」

「やめろよ、そんな言い方……。他のメンバーは俺達よりもっと傷ついてるんだ」

 苦々しさと戒めとが半々のやや険しい顔で言う。

 それがもっともな意見だからこそ、逆に翠は癇に触ってしまう。

「…………格好つけて、いい人ぶって。あなたが『他のメンバーと一緒じゃなければやらない』なんて言い出さなければ、少なくとも自分の夢だけは守れていたのに……」

 底に溜まっていた、一番黒い汚泥のカス。

 言う必要のない言葉。

 ヒュッ、と鋭く息を吸う音。

 右の頬に鋭く刺さる冷たい視線。

「本気で――――」

 耳に届く翔太のかすれた声に、翠はほとんど条件反射で胸を押さえていた。

「本気でそう、思ってるのか……?」

「…………」

 一分間に六十回の心臓の鼓動が、一回だけズキンと疼きに変わった。

 彼女を問い詰める、短くて長い沈黙。重たい空気。

 深い後悔の念。

「…………ごめん。うそ……」

 たっぷり十秒は使って自戒したのに口から出たのはそんな言葉。

 取り繕うので精一杯だった。ぎこちなく笑って冗談めかせてみせたが、とてもそうは見えない顔を自分がしているのはわかりきっていた。

 翔太が『ふぅぅ』と深く息をついて、まるでその行為が身体の中に発生したくすんだ感情を浄化しているようにみえた。ただ、次いで翔太から出た言葉が翠を責めるものではなく、むしろ気遣うものだったのに、翠はさらに胸を痛くした。彼に比べて自分がとてもちっぽけな人間に思えて、今度は素直に笑えた。

「なぁ、翠」

「ん?」

「お前、本当に……本当に、やめるのか? 俺はお前が歌をやめてく理由が今もわからないんだ。お前の歌はいいと思うし、お前のちょっとハスキーな声とかファルセットは……俺の憧れなんだ。そんなふうに歌えたらどんなにカッコイイだろうって、ずっと思ってたんだ。…………それを、全部、捨てるのかよ……」

 最後の言葉は少しうわずっていた。

 優しい男だ、と思った。ずっと前からそれは知っていたし、そんなところに密かに好意を覚えていた時期もある。だから、あらためて彼を優し過ぎる男だと思った。ほんのちょっとだけ胸がチクリとした。翔太が、その性格のせいで今より辛い思いをしてほしくないなと密かに願った。

「ありがと。翔太にそう言ってもらうのが一番嬉しいかも」

「……一緒にやらないか、って…………なぁ、これもう、何度目かわからないけれど……」

 説得よりも懇願に近い色の瞳が、じっと、翠の奥深いところまで見つめてくる。一体、何度この瞳に見つめられただろうか。数えたらきりがないくらいに。

 そのたびに彼女は首を横に振った。

 そして、今度も。

「うん、ごめん。やっぱり……出来ない。私には無理」

 そうか、と。翔太はほとんど声にならない声で呟くと、それっきりしばらく口を開こうとはしなかった。

 翠も口をつぐんだ。それ以上、もし訊かれたとしても彼女に言えることはなかったからだ。

 多分、翔太にこれ以上問い詰めてくるつもりはないだろうとは思ったが、それでも翠は俯いた。彼の目を避けたかった。

 もう一度あの瞳を見たら、今の気持ちがぐらついて崩れてしまいそうな気がして怖かった。

 ――もしも翔太の夢にぶら下がっていれば、自分ももう少しのあいだは夢を見続けていられるかもしれない。

 でも、その先は――

 彼女のした決意は、少なくとも人に言って聞かせるような理由だけが原因では生まれたものではない。不安や、疑念、それらからの逃避……他の人間からみればそう取られてもおかしくはないものだと自覚はしていた。だから、翠はその理由を誰かに聞かせたり、まして相談するなどということは一切考えなてこなかった。仮にそうしたとして、もし自分の弱さや甘さを指摘されたとしても、彼女には相手を論破する確固たる理論も自信もない。

 後ろ向きな思考なのはわかっていた。

 しかし、自分が二度経験し深く傷つけられた音楽業界のやり口と、父の会社がこれまで契約し一度も日の目をみることなく消えていったミュージシャン達のうらぶれた姿とを見てしまうと、彼女自身この世界であらゆることに打ち勝ってでも登り詰めてやろうという熱量は生まれてこなかった。

 中途半端に歌えて、中途半端に才能があって、それなのに音楽が好きな気持ちだけは中途半端じゃなくて。そういう人間を、翠は嫌というほど見てきた。

 音楽が好きで。

 だから諦められなくて。

 人よりちょっと歌えるから夢をみて。

 それで自分の引き際を見失ってしまった亡霊のような『プロ』アーティストを、彼女の父の会社は何人も抱えている。とてもプロとはいえないような金を貰い、とてもプロとは思えない仕事を断れず、それでも音楽から見切りをつけられない囚人のような人々。それに自分はなりたくない。

 祖父をみて、父の背中をみて、子供の頃からずっと音楽の世界に憧れていた。

 歌うのが好きだった。本当に大好きだった。

 でも、だからこそ好きな音楽を無心で夢だと言えなくなった今、彼女は決心した。

 このまま『音楽が好きだ』と言えるように、自分は音楽から逃げ出そう、と。




                   ◆



 世界はひとつの輪で出来ている。

 歴史も。

 ひとも。



 離れたはずのものは、本当はただ大きな輪をぐるっと廻るだけで、実はその輪から抜け出すことも抗うこともできないのだとしたら。

 ふと、そんなことを思うときがある。



 安芸翠は今年二十代最後の歳を向かえ、あの当時のことを思い出すことはもう少なくなってきた。

 今、彼女は父が経営する『AKIミュージック・アンド・エンターテイメント』でインターネット上でイベントやアーティストのコマーシャルを手がける部署に所属している。

 ネットの世界は不眠不休だ。

 だからというわけではないが、彼女も寝る間を惜しみ愚直なまでに実績を積み上げてきた。やり始めるまでは腰が重く、やり出したら体を壊しでもしない限り止まらない彼女の性質はネット相手の仕事には相性がよかったのもある。気が付けばそれなりの役職に収まっていた。

 二十代の若さで要職。社長の娘。

 風当たりは強い。

 それでも、彼女はもう自分を曲げようとは思わない。

 形は変わっても、立場は変わっても。

 


「私は、音楽が好き……やっぱり、大好き……」

 その気持ちだけは変わらないから。彼女は今日も自分の思いを守るためにこの世界で戦っている。




 ―――――― Sweet,Sweet,Sweet & More  安芸翠 ――――――

 

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