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Sweet,Sweet,Sweet ≪チョコとバニラと蜂蜜だって、こんなに甘くはない≫9

「なんで、寄りにも寄って今かな?」

 げんなりした口調で迎え入れると、スーツケースを壁際に置いた瑠璃はカツカツとヒールを鳴らし、そしてカウンターの美純の隣りにドサッと座った。

「何よ、その言い草?」

「……ちょっと昔のことを思い出して嫌な気分になっていた時に、たまたま古い友人の顔を見たものだから、つい、懐かしくて本音が出た」

「ハァ?! 意味わかんないし。それに、人をババアみたいに言うのもムカつくわね」

「ババアだろ。いい加減、自覚しろよ」

「丁度良く熟れてるのよ。試してみる?」

「嫌だね。食当たりしそうだ」

「ふんっ、〇〇のちっさいオトコ」

 瑠璃が白い歯を見せて笑ったのにつられて、トオルもクックッと笑いを漏らす。彼女の纏うあっけらかんとした雰囲気が、トオルの中に燻っていた『濁り』を一蹴してくれたようだった。

 昔っから瑠璃は自分勝手で、横柄で、周りを振り回して、でも愛嬌があって、丁度良くバカで、そして適度に優しさも持ち合わせた女だった。誰もが親しみやすく、また、誰もをハッピーにする明るさがあった。そんな彼女の放つ明かりに照らされたおかげで、トオルは視野狭窄に陥っていた視界がふっと広がった気がした。

 多分、フラッシュを浴びて目が眩んだ時みたいな感じだ。一瞬、翠が放った閃光のような強い光に圧倒されてしまったのだろう。それに、羨ましくもあった。自分がずっと昔に諦めなければならなかった思いの強さを、翠はまだ持ち続けているのだ。

 だが、それももう過去の事だ。振り返っても見えないくらい、ずっと遠くの記憶でしかない。

「まぁ、確かに。ちっさいオトコだよな……」

 トオルが独りごちると、瑠璃は妙な顔をした。

「あぁん? 何、納得してるのよ」

「別に。こっちの話だよ」

 この話題はお仕舞い、と小さく首を振ってみせた。

「なんか、キモいわね。あんた、そういうの全然似合わないから」

「うるさい」

「それとあたし、喉、渇いた。ねぇ、ギネス頂戴。ギネス、ギネスっ」

「本当、うるっさいよなぁ、お前。……ねぇよ、そんなもん」

 トオルは内心「しまったぁ」と後悔していたが、できる限りそれが顔に出ないように努め、わざとらしく頭を掻いてみせた。

 すんなり諦めてくれないだろうかと考えるトオルの胸中など知る由もなく、瑠璃はガーデニア色のルージュをのせた唇を突き出してぶぅぶぅと不満を吐き出した。

「何で? 何で? 前はあったじゃない、ギネス」

 チッ、と舌打ちする。

「売り切れたの」

「ええー、何でぇ? 何でぇぇ? あたしのギネスぅ……犯人は、一体どいつよ?」

 キョロキョロと店内の客の表情まで確かめ始める瑠璃にさすがに折れ、トオルは渋々白状することにした。

「……最後の一本は俺がさっき開けちまったからな。残・念・でした」

「ああっ! ち、ちょっとぉー、あたしのギネスぅー! ……あんたっ、それ返しなさいよ」

「あのな。相変わらず滅茶苦茶な論理だな。お前の頭の中は一体、なんで出来てるんだ?」

「ギネスよ、ギネス!!」

 見れば、瑠璃は半べそかいてむくれている。ある意味、一点に対するこのひたむきな思いの熱量は見習うべきかもしれない。トオルはとうとう観念した。

「ああ、もう! わかったよ。俺の飲みかけで良ければやるから、ちょっと黙れ」

 そう言って、自分の飲んでいたボトルを瑠璃の前に突き出すと、瑠璃はスンと鼻をすすってから上目遣いにトオルの顔を覗き込んできた。

「……ホレ。要らないのか?」

「要る」

 ぶすっとした表情で返事をした瑠璃は、ボトルを受け取るとそのまま大事そうにしばらく手の中に収めて眺めていた。しばらく、じっと。ラベルに書かれた文字でも読んでいるのだろうか。

 それから、思い出したかのようにボトルを傾けた。

「…………ぬるい」

「当たり前だろ、そんなの」

「ぶうぅ。こんなの、ギネスじゃない。あぁぁぁ……今日は絶対にギネスの気分だったのになぁー」

「知るか、そんなの」

「ああぁー、誰かさんのせいで台無しだぁ。ホント、誰かさんの……」

「殴るぞ、お前」

 細くした目で上から睨め付けてやるが、瑠璃はどこ吹く風だ。

「ああぁー、『暴力的な』誰かさんのせいで……」

 ちらっと、悪意の上目遣いでこちらを覗いてくる。

 そんな不毛なやり取りに最初に降参を出したのは、なぜか翠だった。

「ぷっ……くすくす」

 彼女は必死に堪えようとしていたようだが、とうとう我慢できなくなったのか声を上げて笑い出したのだ。

「ふふふふっ……もういい加減、素直に負けを認めなさいよ。あなた、絶対に敵わないわ」

「むぅ」

 しゅっとした顎先でもって断定されてしまう。あまりいい気はしない。

「どういう関係は知らないけれど、完全に轡を握られている感じよ。横で見てるとなんだか妙に可愛いらしいっていうか……あなたがまるで子供みたいに見えるわ」

「なっ、……」

 翠が指すのが自分のことだと気付いて、トオルは絶句した。

「待てよっ。子供はこっちだろう? 今のは撤回しろ」

「そうやって、ムキになるところとか? 何、張り合ってちゃってるの?」

「クッ……」

 翠はニンマリとした。半眼の奥にトオルの弱みを握ったかのような悦があった。トオルは悔しくて何か言い返そうと言葉を探したが、ちょっと荒っぽい言葉ばかり吐いてしまいそうなのと、それすら簡単にいなされそうな予感がして、ぐっと口を噤んだ。

 代わりに、目の前に座る瑠璃と翠を交互に睨みつけ、値踏みしてやる。

 タイプは違うが扱いづらさは同等か。美しい花には毒があるなんて言うが、この花は多分爆発だってしかねない。全く面倒臭いのがカウンターに並んだな、とため息と舌打ちが混ざって出てしまった。 

 そして、ふと気が付いたのだ。

 そんな面倒な女二人に挟まれて尚、もの静かな美純。

 もしかして、まだ翠の件でヘソを曲げたままなのだろうかと心配して覗き込んでみる。

 彼女は俯き、じっとカウンターの板の上に視線を落とし、そして身動ぎもしない。

「みあ……、ん?」

 呼び掛けようとして、トオルははたと気付いた。

 微かに肩を揺らしていた。カタカタ、と。それを見てすぐに彼は合点がいった。

「おい、美純」

 手を伸ばし、彼女の顎に指を掛けて上向かせようとした。ほとんど抵抗らしい抵抗のないまま引き上げられたその顔には、予想通りに満面の笑みが張り付いていた。どうやら美純は、両隣の女二人にいいように振り回されていたトオルを必死で声を殺しつつも大爆笑していたらしく、見ればカウンターの上にはポロポロ溢れた涙の跡まであった。

「…………ぷーーーぅ! ひひひひっ!! いや、もー、無理。ダメ。痛たたっ、げ、限界。お腹、よじれちゃうッ」

「お前、な。それはどう考えても笑いすぎだろ」

 音を鳴らして飛び立つ風船みたいにいつまでも尾を引くノイズを発して、美純はカウンターの一人分の狭いスペースの中で苦しそうに身を捩った。それを見た両隣も女子達も、堰を切ったように笑い出す。なんだか無性に悔しくなって、トオルは一番当たりやすそうなところに当たることにした。

 右手を振り下ろし、頭の上にチョップしてやった。

 軽く……のつもりだったのだが、どうやら思ったよりも力が入ってしまったらしい。叩いた自分の手までちょっと痛かった。

「ヒキャッ?! ちょ、おぉ……トオルぅー、痛いー。ココ、すっっごく痛いー」 

「うるさい」

「しかも、なんで私だけ?」

 美純はぐしゅりと鼻を啜り、さっきまでとは違った意味で涙目になって抗議してきた。右手が叩かれたところを何度もさすっているから、多分、かなり痛かったのだろう。

 ただ、ここで甘い顔をすれば、きっと三人のうちの誰かが付け上がるに違いない。

「一番近かったから、じゃないか?」

 トオルはできる限り素っ気なく事務的な口調で言い放った。

「あー、ひっどぉ。あんた、何よ、そのふざけた理由」

「虐待ね。女の子に手を上げるなんて、最低」

「私、笑っただけなのに。ココ、『ゴンッ』て凄い音がしたんですよぉ」

 が、藪蛇だった。あっという間に女三人は結託した。自分達の行動はそっくり棚上げし、トオルを極悪人のようにつるし上げてくる。最低だの、女の敵だの、もう言いたい放題だ。

「お前らなぁ、営業妨害だから、もういい加減黙れよ」

「うわぁ、怖っ。今度は脅迫なの? いっそ通報しちゃおうかしら」

 瑠璃は悪ノリしてバッグから携帯まで取り出した。

 トオルはため息もつけないくらいゲンナリした顔になって、深く肩を落とす。

「頼むから、本当、帰ってくれないかな……」

「嫌よ。あたし、まだ全然飲んでないし」

 瑠璃はこれっぽちも悪びれずに言う。トオルは目を覆った。

「なぁ、お前、一体何しに来んだ?」

「あん? ……ああ、そうだった」

 そういうと瑠璃は一度立ち上がり、持ってきたスーツケースに歩み寄ると中から一本のワインのボトルを取り出したのだ。

「これさ、預かっててくれないかな?」

 そう言ってトオルに手渡された銘柄は、三十数年前のボルドーの有名銘柄だった。

「ん? なんでまた、俺に?」

「帰ってきたら一緒に飲もうかなって、思ってね。あたし、明日からまたバルセロナに戻らなくちゃならないし。二ヶ月? 三ヶ月? 多分、そのくらいは帰ってこれないからさ。家に置いとくったってセラーもないし、だからトオルが預かっておいてよ」

「まぁ、構わないっちゃ、構わないが……何だ、お前、明日には向こうに戻っちまうのか」

「出してたオーダーの品が大体揃ったらしいから、鑑定やら、検品やら。それが終わったら、今度はアチコチ飛んで、新しい工房を探したり、新規の取引先を開拓したり、ね。これでも忙しい身なのよー?」

 再びストールに腰を下ろした瑠璃がサラサラと笑って答えた。

 彼女の生業はネットを使ったヨーロッパ家具の販売だ。扱う商品の中にはアンティークな物も含まれている。取引される金額は高く魅力的な商売らしいが、その分扱いは神経質だし、場合によっては偽物を掴まされそうになることだってあるという。やはり、最後は自分の眼と足で確かめなければならないのだろう。

「ねっ。それよりも、お・さ・けっ。あたし、コロナがいいな。ちゃんとライムを刺してね」

「ハイハイ。もう、何でも仰せのままに致しますよ」

 トオルは手早くライムをカットすると、ビールの栓を抜いて、そこに差し込んだ。カウンター越しに手渡すと、瑠璃は目をキラキラさせてボトルの中に絞り入れる。黄金色のバブルが漂う海へ鮮やかな翠色がダイブしていく様を、夢でも見ているような陶酔しきった瞳で追いかけている。

「いっただっきまーす。うぐっ、うぐっ……」

 見目麗しき女がみせるラッパ飲みというのは、日本ではあまり見掛けない。だから、それがこんなにも様になる女は逆に魅力的だ。

「その姿、似合うよなぁ、お前」

「うぐっ、う……なによ、文句あるの?」

「褒めてんだよ」

「ふんっ、そんなのちっとも嬉しくないわ」

「くくくっ、素直じゃないな」

 あっという間にボトルの半分を飲み干してしまった瑠璃が、微妙な表情をして顔を背けた。トオルは自分用にペールエールの瓶ビールを開け、瑠璃の顔の前に突き出す。

「ほらっ、瑠璃」

「えっ?」

 最初、瑠璃はそれが何を示しているのかわからなかったようで、トオルとビールを交互に見比べてポカンとしていた。その表情があんまりにも油断し切ったものだったから、トオルは思わず吹き出してしまった。

「な、なによ?!」

「はははははっ……いや、悪い、悪い。あんまりにもお前の顔が魚みたいだったからさ。つい、な」

「失礼な奴ね」

 瑠璃はふんっと鼻を鳴らして不平を漏らした。害した気分を酒と一緒に流し込もうと、再び瓶を手にした。トオルはそんな彼女のボトルと自分のボトルを軽くぶつけ合う。

「お前、な。しばらくは会えないんだろう? だったら、乾杯くらいさせろよ」

「あ、え、」

 素っ頓狂な声を上げて瑠璃が瞳をパチパチさせた。

「ほらっ、美純も。なんなら、安芸さんもよかったら」

 トオルが隣りの二人にも呼びかけると、美純も翠も顔を明るくさせて、すぐに手元のグラスを取って近寄ってきた。

「気を付けて行ってこいよ。じゃあ、乾杯」

 トオルの音頭で四人がグラスとボトルを重ね合わせた。ガラスの奏でる和音が、やけに透き通って聞こえた。瑠璃はボトルに残ったビールを一際旨そうにあおっていた。

 それからしばらくの間は、女三人が姦しく会話するのを横目に客のドルチェやコーヒーのオーダーに追われることになった。今夜のイチオシの『フランボワーズのムース、白桃のスープ仕立て』は大人気で飛ぶように売れ、ほとんどのテーブルからオーダーが入った。おかげで明日の分まで仕込んだつもりがほぼ完売状態だ。

 その後、半分くらいのテーブルはコーヒーを楽しんでからすぐに席を立ち、残りの客はゆっくりと食後酒に舌鼓を打っている。ひと通りの洗い物も済ませ、ようやく落ち着いてトオルが一息つこうかとカウンターを振り返ったとき、ちょうど翠と瑠璃が自己紹介代わりに名刺交換をしているのが目に入った。

「私、あなたのこと知ってました。以前テレビで、活躍する女性起業家の特集をやっていたときに出てらっしゃいましたよね? ちょっと憧れてました。自己紹介が遅れてすいません、私、安芸翠といいます」

 差し出された名刺を自分の名刺と引き換えに受け取った瑠璃が、紙の上にじっと目を落とした。

「『安芸翠』さん……WEB企画・宣伝課、課長。へー、お若いのに課長なんて、凄いじゃない。この『AKI・M&E』って、どんな事をやってる会社なの?」

「主に音楽関係のビジネスです。私の所属している課は、インターネット上での企画や広告を担当して……」

「エッ……? ねぇ、ちょっと……待ってよ……」

 急に瑠璃の顔色が変わった。

「嘘っ……『AKIミュージック・アンド・エンターテイメント』って……知らないはずなんてないわ、一部上場の大企業じゃない。それに、あなた……」 

 瑠璃がカウンターの上に置いた翠の名刺を指差した。

 そこには『安芸』の文字が――

「『安芸』姓って……もしかして……」

 今度は翠の表情が曇ったのをトオルは見逃さなかった。表情――というよりも、彼女の雄弁すぎる瞳が周囲の光を吸い込んでしまったかのように色を失ったのだ。しかし、彼女は一旦深呼吸すると、背筋を正し、しっかりとした笑顔を作って答えたのだ。

「はい。AKI・M&Eは私の祖父の起こした会社です。そして、祖父が会長になった今は、父が社長兼代表取締役を務めています」 

 トオルにはそれがとても誇らしい事のように思えた。

 誰もがその名を耳にしたことがある素晴らしい会社を造り上げた祖父と父を持つということ。そんな境遇は望んだってそうそう手に入るものではない。胸を張って自慢できる事だろう。

 なのに、だ。

 目の前にいる翠からはそんな空気が微塵も感じられなかった。むしろ彼女から感じるのは、無理矢理煩悶の房に閉じ込められた悲愴感のようなものだった。  

  

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