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Sweet,Sweet,Sweet ≪チョコとバニラと蜂蜜だって、こんなに甘くはない≫5


 尊敬する作者様の連載が先日、無事にハッピーエンドを迎えました。

 お疲れ様でした!!

 そして、なんと、ご好意で(我儘を押し通して……)友情出演(強制参加?)していただけることにッ!

 とっても光栄です。ありがとうございます。

 そんな作者様にこの『Sweet×3』を贈りたいと思います。 


 テーブルに戻ってきた美純の顔が「ん?」と小首を傾げていた。

 しかし、それにトオルは気付かない。彼はその時、なんだか心がここに無いような感じがしていたのだ。向こうから歩いてくる少女の姿には見覚えがあるのに、その中身はこれまで一度も見たことのない不思議な何かで出来ているような気がしたからだ。ぼんやりとしていて、本来なら自分がまず掛けてやるべき彼女を労う言葉を最初にかけたのはテーブルに座っていた一番若い後輩だった。トオル自身はしばらくは我を忘れてしまったかのように、意思のない目でじっと彼女の顔を見詰めていた。

 ようやく隣りに座った少女を美純自身だと頭が認識したのは、たっぷり数秒の時差を経たあとだ。

 頼りなかった意識とピントの合っていなかった思考とが一本の線でつながり、トオルの目がその横顔を美純だと認め出した。照明の落ちた会場でキャンドルの明かりを吸い込んで柔らかく燃えるグレーの瞳。長いまつ毛。すっと通った小振りな鼻筋。ぷっくりとした唇。形のよい耳たぶ。全部が間違いなく美純を構成するパーツだ。

 吸い込んだままですっかり忘れていた息を吐き出して、それと一緒にトオルはようやくひと言感嘆を絞り出した。

「なんか……すごいよな、お前」

「えっ?」

 美純のほうもちょっとぼんやりしていたらしく、トオルの声にはっとして振り向いた。グレーダイヤモンドみたいな色をした瞳がくるっとして、どうやらトオルが何を言っているのかわかっていない様子だ。

 トオルはそんな彼女の表情にほんのちょっとだけホッとした気がした。

 口元に小さく笑顔を浮かべることが出来て、自然と次の言葉がでた。

「普通さ、ああいう時ってテンパったりしないか」

「…………したよ。すっごく、緊張した」

 そう言ってから彼女がみせたのはぎこちなくも笑顔だった。緊張から開放された安堵の表情は、まだちょっと血色を取り戻しておらず青白い。

「でも、その割には堂々としてたじゃないか」

「追い詰められたら、なんだか開き直っちゃった。実は、周りとか全然見えてなかったし……きゃっ!」

 一曲歌い切ったのと緊張とで渇いていた喉を潤そうとしたのか、話半分に水の入ったグラスを取ろうと伸ばした美純の指先は、しかしうまく掴むことが出来ずにテーブルの上にグラスを倒してしまった。ビシャッと音を立てて小規模の洪水が起こる。中に入っていた液体の量が少なかったから被害は大したものではなかったが、テーブルクロスの上にはちょっとした水溜まりが出来上がってしまった。

「やだっ。ご、ごめんなさいっ、すぐに拭きます!」

 美純は反射的に表情を固くし、同席の男達に頭を下げて謝罪した。それから自分のナフキンを取ると、慌てて立ち上がろうとする。しかし、それをトオルは手で押し留め、彼女の手からナフキンを取り上げてしまった。

「いいから、じっとしてろ。お前がやると余計に被害が拡大しそうだ」

 豪奢な刺繍の入った布製のテーブルクロスは特殊な撥水加工が施されているようで、彼女のこぼした水は生地に吸い込まれることなくぷっくりと浮き上がったままだ。トオルはその上にかぶせるようにナフキンを置いて、水を吸い込ませた。

 一瞬、ぷくっと頬をふくらました美純だったが、すぐに思い直したらしく表情を崩した。

「……うん、ありがと」

 手早くテーブルの上を拭きながら、トオルは軽く首を横に振る。

「ん。そんなに酷いことにはなってないから、大丈夫。……お前、喉は?」

 そう言ってトオルは自分の手元のグラスを取って美純の前に差し出した。美純は自分の前をくるりと見回して、他に代わりになるものがないとわかると申し訳なさそうに頷く。

「もらう……ありがと」

 今度は両手のひらでしっかりと掴んだグラスから、彼女はコクリコクリと水を飲んだ。それに合わせて白くて細い喉が同じリズムで波を打つ。余程渇いていたのだろう。ゴブレット一杯分の水は、あっという間に美純の体の中に吸い込まれていく。

 グラスをテーブルに置いて、ふうっと大きくひと息を付くと、ようやく美純の顔にも精気が戻ったようだった。溢れたところを拭き終えたトオルが椅子に腰を下ろすと、彼女が小さく「ごめんね」と言ったのが聞こえた。

 首を横に振る代わりに、テーブルの下の彼女の手を握ろうとした。

 触れて気が付いた。よく見れば彼女の肩もそうだった。

 彼女は小刻みに震えていた。

 トオルは美純の手を握っていた手のひらに力を込める。すると触れた細い指先がピクッとぎこちなく動いたので、彼女の体の緊張が増したのがわかった。

「やだな、私。ホッとしたら、急に……」

 美純は照れくさいのと困惑とが混じった複雑な表情をして一度トオルを見たのだが、なぜかすぐに俯いてしまった。不自然なくらい背筋を正して一生懸命に震えを止めようとするのだが、むしろ固くした体のせいでますます震えはひどくなっていた。

「美純、お前はちゃんとやれてたよ」

「…………うん」

「すごくよかった」

「うん。ありがと」

「でも、本当だったらああいう時は戻ってきてもよかったんだぞ。こういうトラブルはどうしたってあるんだから、司会者やスタッフがそれなりにうまくフォローはしてくれるんだし」

「うん、わかってる。でもね……」

 口ごもった美純。気になって覗き込むと、彼女の横顔はなんとも言えない柔らかな表情だった。

「梨香さん……すごく申し訳なさそうな顔で私のことを見てたの。『ゴメンね、ゴメンね』って眼が言ってるみたいで。おかしいよね。梨香さんは全然悪くないのに。だって、本当だったら怒ったっていい立場でしょ? 『折角の結婚式を台無しにされたー』って。私だったら、きっと文句言っちゃう。一生に一度の大事な披露宴だもん」

 長く整った睫毛でグレーがかった瞳を覆い隠してしまうくらいに目を細め、美純はテーブルの真ん中で陽炎のように揺れるキャンドルの炎をゆらりと眺めている。瞼の間から微かに覗く瞳の中には炎の揺らめきが映り込んでゆらゆらと燃えていた。そんな胡乱な表情をしていると、この少女は17歳とは思えないくらい大人びてみえる。

 すっと、一度瞬きをした。再び開いたときには、さっきまでキャンドルを向いていた瞳がトオルをそおっと見詰めていた。

 そこにあるのは優しい灯りだ。

「それなのに、まず私のこと?……って思ったら、なんだか急に胸がきゅうーってしたの。今日の主役は梨香さん達なのに、これじゃ私、辛そうな顔をさせちゃってるだけだ、って思っちゃって。だから、歌いたいって……ちゃんと梨香さんのために歌ってあげたいって思ったの」

「そうか……」 

 小さく頷いて答えてから、トオルはふと高砂の二人を見た。

 美純のこの純粋な思いはどれだけ梨香と平太に伝わったのだろうか、と確かめるような気持ちで。

 見て、思わず口元が綻んでいた。

「美純」

 手を強く握り締めて呼んだ。えっ、と顔を上げた彼女にトオルは目顔で促した。高砂ではいつ美純が気付くだろうと待ち構えた顔の二人が、こちらに向かって小さく手を振っていた。未だ音響の不調が改善されず、余興のいくつかを見送るアナウンスが司会者からされても新郎新婦の表情が爽やかなのは、わざわざ理由を訊きに行くまでもないだろう。

 ただ、それは彼女達二人だけではない。

 未だ、会場全体も美純のアカペラの余韻にひったっている感があった。

 自分の右隣に向けて注がれる熱のある視線。

 それら全部を代弁するように、トオルはあらためて彼女を労う。

「よかったな」

「うんっ!」

 トオルの右の手のひらの中で美純の手が上下の向きをくるっと変えた。彼女のほっそりとした指先、人差し指と中指と薬指と小指が、トオルの指と指のあいだに滑り込んでくる。

 親指が絡み合う。

「よかった……」

 触れる指先からさっきまで伝わっていた震えは、いつの間にか止まっていた。

 トオルは、繋いだ手のひらから伝わってくる彼女のいつもと同じ温度に安堵した。嬉しそうな顔で頬を赤く染める美純は、トオルのよく知っているいつもと変わらない少女の横顔だ。ついさっき感じていた、見知らぬ誰かのような雰囲気はそこにはもうない。鞄の中で失踪したキーケースを見つけた時のようなほっとした気分だった。

 

 結局、音響機器は宴中に回復することはなかった。

 けれど、静かな時間は片時もなく、終始賑やかなムードに包まれた二人の披露宴は、最後の最後に新郎がこぼした涙でちょっとだけ静まり返った、最高の結婚披露宴だった――


  

 Sweet,Sweet,Sweet ―――― 安芸 翠


 

 披露宴は無事に終わり、会場はこれから二次会用に作り替えられるとのことで、ゲストは全員一旦待合室へ移動することになった。

 未だ、披露宴の余韻を残したまま。ポカポカとした温かさと、こそばゆい感じが胸の中に残っていて、混じり合って、なんだかトオルはちょっと落ち着かない。会場内はたっぷりと飲んで喰った宴のあとの様相なのに、気持ちのほうはまだ程よく高ぶったままだ。

 見回すと、どの客もまだ呑み足りなく、騒ぎ足らないと言わんばかりの顔。

 散々、平太に飲まされて、タコみたいになった真っ赤な顔で軟体動物よろしくフラフラな足取りの男が、会場の一角でやたらと元気よく騒いでいた。別の男がそいつの首根っこをつまみ上げ、乱暴に引き摺って会場を後にしようとする。そばでその様子を豪快に笑う男達の声が響く。

 もう一度退席を促すアナウンスが司会者よりされると、ゲスト達はゆっくりと立ち上がり、ぞろぞろと会場を後にし出した。トオルと美純も同様に席を立つ。

 だが、二人の向かう先は他のゲスト達とは違った。会場を出ると、同席だった男達に別れの挨拶を済ませ、彼らとは別の方向に向かって歩き出す。

 セレモニー的な意図の披露宴と違って、大騒ぎするのが趣旨の場にさすがに未成年の美純は置けない。そう思い、元々二次会は辞退する旨を平太達には伝えてあったのだ。後ろ髪を引かれるような思いは確かにあるが、今日のところは退散するのが正解だろう。

 美純も名残惜しそうではあったが、その辺りの意図は理解しているらしく、黙って手を引かれるままに歩いている。こういうところでアレコレと我儘を言い出さないところは、彼女なりに精一杯空気を読んでいるからのようで、高校生にしては大人し過ぎるきらいがあるが、トオルはそんな彼女の背伸びした性格を気に入っていた。

 最後にもう一度だけ平太と梨香に挨拶をしておけばよかったかな、と小さな後悔を美純に打ち明けようとした時だった。不意に大声で呼び止められて、トオルはびっくりして振り返った。

「ちょっとっ! 一体、何回、呼ばせるのよ!! いい加減、気付きなさいよ、もうっ」

 振り返った先に居た女性には、今にも彼の肩に掴みかかってきそうな勢いがあった。

 随分と不躾な口調に驚かされる。記憶が確かなら、初対面の相手だ。なのに、伸ばしていた手が戻っていった先は腰だ。

 背丈は美純よりちょっと上くらいだから、160センチ後半くらい。スタイルがいい。パープルカラーのティアードドレスの下から延びる脚はスラリと長く、魅力的だ。

 視線を上にすれば、最初に目を引かれるのは顔の小ささ。何頭身か測ってみたくなるくらい小さな顔に、整った鼻筋と切れ長の大きな瞳。そして、最高に気の強そうな細い顎。

 その顎の先をトオルに向けて、彼女――安芸翠が言った二言目は、

「違う、アンタじゃない。私が用があるのはそっち」

 だった。そして指差す先は美純だ。


 この日の彼女との出会い。

 それが、この先の美純の人生に大きな転機をもたらすものになるとは、トオル自身、そして当の美純にとっても思いもよらないものだった。だが、この瞬間から少しずつ二人の関係は形を変え始めていたと、後になってトオルは気付くことになる……。

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