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Sweet,Sweet,Sweet ≪チョコとバニラと蜂蜜だって、こんなに甘くはない≫4

 抜けるような晴天、とまではさすがにいかなかったが、ついさっきまで空を覆っていた雲も挙式の時間が近付くとまるで気を利かせたかのようにほとんどがどこかへ姿を消してしまった。

 頭上には手を伸ばせば摘めてしまいそうな小さな積雲の残りかす。目の前に広がるのは海と空とが描く密度の濃い青のグラデーション。

 履きなれた白いスニーカーとジーンズみたいな景色はいつもの夏色の取り合せなのに、長く、長く真っ直ぐ視界の向こうまでつながる水平線はサテンのシャツみたいに特別だ。

 階段を登りきってその場に立った瞬間、トオルは圧倒されて息を呑んだ。そこに広がる、視界に収まらないくらいの大パノラマは、確かに最高の一日を演出するには打って付けだった。

 相模湾沿いに面した丘の中腹に建てられた三階建ての真っ白な造りの結婚式場。天気の良い日にはウッドデッキ張りの屋上がチャペルに変わるのがウリのリゾート・ウェディング。その湘南の海を見下ろすかたちの屋上スペースでは、二人の登場を待つ挙式参加者が頭上からふりそそぐ肌に刺さるような夏の日差しと、海面に映る乱反射の光に目を細めながら、彼らが登場するはずのエレベーターホールにじっと視線を集中させていた。

 遠くから聞こえてくる波音。

 ざざぁー、ざざぁー、っとあまりにも穏やかなのが、なんだか逆に神経を逆撫でられる気がして落ち着かない。

 胸がざわざわとして、鼓動がトクトクと速くなっていく。

 そしてそれは、今、ここにいる誰もが同じように感じていることだろう。

 一秒一秒を普段の何倍も長く感じてしまい、ひと息ひと息が甘苦しく、待ち遠しい。

 足元に貼られた板の木目をもう何度なぞったか。苛立ちすら覚えそうになったときに、隣りで美純がふっと深く息を吸い込んだのがわかった。

 次の瞬間――

 そこにいた全員が「わぁー」とため息のような歓声を上げた。

 トオルの目が無意識に声の向けられる先へと引き寄せられる。

 そして、彼の視界に飛び込んできたのは、ようやく姿を表わした新郎と、そのあとに続き彼女の父親にエスコートされてくる白いベールとドレスの新婦。歓声はすぐに割れんばかりの拍手に代わり、彼女はその場の全員の笑顔に迎え入れられ、ゆっくりとした足取りで赤いバージンロードの上を歩き出した。

「すごい…………」

 美純が瞬きするのも忘れたかのように一点を見つめたまま言った。確かに、美しいとか素敵とか、そんな言葉で表現しようとするとどれもしっくりこない気がする。真っ青な空と海をバックにして、白のウェディングドレスを着た梨香が、宣誓台の前に立つ平太のところにたどり着く。

 自慢するだけある。

 世界で一番の女の笑顔は、だが、隣りに立つ男には勿体ないくらいの幸せそうな顔だった。

 

 挙式は滞りなく進み、写真撮影のあと、参加者は披露宴会場に移動して二人の登場を待つことになった。

 ウェルカムドリンクのシャンパンを受け取ったあと、トオルは美純を連れ添って会場内に入った。

 二人の座るテーブルは会場最前列の端の卓で、残念なことに新郎の横顔が一番よく見える席だ。

 あとからやって来た同じ卓の面子は、どの顔もトオルがよく知る人間ばかりで、古くは20代前半の頃の仕事仲間もいる。

 おかげでテーブルは小同窓会のような雰囲気だ。

 そんな空気の中、美純が孤立しないようにと早々に彼女のことを紹介したのだが、トオルの気遣いは全くと言っていいほど無意味だった。

 皆の興味と話題の矛先は常に美純を向いていた。むしろ、隣りに座るトオルのほうが疎まれ、冷淡な扱いを受けているような気がしたくらいだ。

 次第にテーブルの盛り上がりが加速し始め、集まりの趣旨があやふやになりかけた頃、ようやくカーテンが閉じられて、照明が落ち、会場内に司会者のアナウンスが響いた。

『本日はお忙しいところ、新郎・古沼平太、新婦・徳倉梨香の結婚披露宴にお越しいただき……』

 そして、とうとう始まった披露宴。

 平太らしく、砕けた挨拶で新郎自らが場を盛り上げると、それに続く挨拶や乾杯も非常にシンプルにまとまった肩のこらない出だし。

 歓談に入れば、会場はより一層アットホームな雰囲気に包まれる。高砂を何重にも取り巻くような人垣は、さすが二人の人徳を感じさせるものだ。

 出てきた食事もそぞろに、手に手にボトルを持った平太の後輩達の目的は一目瞭然。

 誰が鬼の首をとるか。

 しかし、自他共に認める極度のザルは、ちょっとやそっとでは陥落するはずもない。結局、中座の前に何人かが返り討ちにあって席でぐったりとしていた。

 梨香に続き、平太も席を外すと、会場内の空気は一旦緩んだ雰囲気に入れ替わった。皆、煙草を吸いに立ったり、用を足しに行ったり、と思い思いにリラックスしながら二人が戻ってくるまでの時間を費やしている。

「ん?」  

 ずっと同じ体勢で座っていれば、腰や背中、体のあちこちが鈍麻するのも仕方ない。

 トオルは両手を頭の上に伸ばして椅子の形に固まってしまった背筋をほぐそうとしたのだが、ふと、その時に気が付いたのだ。

「なんだ、美純。全然食べてないじゃないか?」

 宴の間は照明が暗いこともあって気が付かなかったが、見れば美純の前にはほとんど手の付いていない料理の皿が何枚も並んでいる。

「美味くないのか?」

「そういうんじゃなくて……」

 こちらに向けてきた顔が緊張でパリッパリにこわばっていた。少しでも表情を維持しようとして力を入れているせいか、眉間には皺が寄り、本人は微笑のつもりなもかもしれないが口は真一文字。

「……味がしない」

「ぷっ、……くくくっ」

 思わず吹き出してしまった。

「なんだ、お前、そんなに緊張してるのか」

「ち、ちょっとぉ、そんなに笑わないでよ」

 美純はトオルにだけ聞こえるように小声でぼやくと、眉をつり上げ、テーブルの下の彼の太腿をギュッとつねってきた。

「い、痛っ、何するんだよ?!」

「うるさいっ。全部、トオルが悪いの」

 八つ当たりは風船みたいな顔でする。

「あのな。……いや、しかし……お前ッ……くくくっ……今、すごい顔してるって知って、てててっ! い、痛、痛、痛ッ!!」

 ちょっとした冗談のつもりだったがまずかった。ぐいぐいとつねってくる指先の力が強くなり、最後は全力で腿の肉をねじ切られそうになった。瞼の裏がスパークするみたいな刺激に、思わず飛び上がりそうになってしまう。目尻に滲んだ涙を手の甲でぐいっと拭い、じんじんと痛みが後を引く腿を何度もさすった。

「……ってぇー。お前な、ちょっとは手加減……を……」

 言いかけて、その口が途中で動かなくなってしまった。

「ふんっ。バーカッ!」

 美純に45°につり上がった目で一瞥されて、鼻を鳴らされ、挙句そっぽを向いてしまった。それっきり彼女はトオルのほうを見ようともしない。やり取りを見ていた同席の仲間からは冷笑と冷やかしの声を頂戴したが、そちらには適当に苦笑を返しつつ、トオルは美純の顔色を覗き込む。

 横顔はやっぱり風船だ。しかも、今度のはちょっと触れば破裂しそうなほどパンパンだ。

「悪い、ちょっと調子にのりすぎた」

「…………」

 返事は返ってこない。

「なあ、美純っ」

「いい。…………もう、知らない」

 見事に取り付く島もない。

 しかし、今回は完全にトオルの方が悪い。自分でもその自覚はあったから、ここはちゃんと謝るべきだ。そう思って声を掛けようとした時、まるで申し合わせたかのような最高のタイミングで会場内にアナウンスが響き渡り、照明が落ちた。

『大変長らくお待たせいたしました。新郎新婦のお二人が……』

 彼女の肩を叩こうと伸ばした手は、そのまま自分の頭を抱えることになった。力の抜けたようなため息が出てしまう。暗くなってくれたおかげで自嘲の笑みを見られなくてすむのが唯一の救いだろうか。平太達には何の罪もないが、ちょっとくらいは空気を読めよとぼやきたい。

 司会者の高らかなアナウンスに続き、新郎新婦の再入場に向けた音楽が流れ出すと、会場の視線は自然と一ヶ所に集中していった。

 そして、ライトの輪の中に姿を表わした二人に、再び会場は沸き立った。平太は白のタキシードはそのままに、ベストとタイをピンクにコーディネイトしている。梨香はフリルたっぷりのマリンブルーのドレスが、挙式のときに目に焼き付いた今日の海と空の色を彷彿とさせた。

 二人はトーチの火を手に各テーブルをゆっくりと回っていき、ひとつひとつの卓上のフローティングキャンドルに火を灯しては、掛けられる祝福の言葉に笑顔を返している。

 彼らは長い時間を掛けて会場をぐるっと大きく回り、トオル達のテーブルにやってきたのは一番最後だった。

「おめでとう、平太、梨香さん」

「おめでとうございますッス」

 男ばかりのテーブルからは大して気の利いた言葉は出てこないが、それでもシンプルなだけに真っ直ぐ伝わったようだ。二人からははち切れそうな笑顔が返ってきた。

 そして、彼らはキャンドルに火を灯そうと腕を伸ばした。

 しかし、何を思ったのか梨香が一旦手を止めたのだ。テーブルの誰もが、新郎も含めて怪訝な顔をしてところで、ふと、梨香が目線を美純に落とした。

「美純ちゃん、……コレっ」

 彼女の左手の人差し指が、左の耳たぶをつついた。

 その意味がわかるのは、美純とトオルだけだ。

「あ、あっ! 梨香……さん」

「ありがと。ねぇ、ちゃんと似合ってる?」

「……はい、とっても……とってもよく似合ってます」

 美純の顔がはちみつみたいに甘く微笑んだ。

「よかった。もし、素材負けしてるなんて言われたらどうしようって、本当はちょっとハラハラしちゃってたのよ」

 梨香の笑顔は、優しさの中にビターチョコみたいなほろ苦ジョークの混じった、大人味。

「そんなこと……。嬉しいな、ありがとうございます」

「やだ、お礼を言うのはこっちよ」

 くすくすと微笑みながら、梨香は目顔で平太を促した。そうして二人の手からトオル達のテーブルのキャンドルにも火が灯る。柔らかくて優しい炎のゆらぎが、なんだか気持ちまで柔らかく溶かしてくれるようだった。

 再び高砂へと戻った二人に会場の全員が拍手を送り、続けて司会者が届いた電報を読みあげ始めたときに、トオルは改めて美純に頭を下げた。

 なんだか、不思議と真摯な気持ちになっていた。

「美純、本当にごめん。俺が悪かった。お前の気持ちになって考えたら、あんなこと言うべきじゃなかったって、反省してる」

「…………」

 トオルは美純のほうに正しく膝を向け、そこに額が付くぐらい深く頭を下げた。当然、簡単には許してくれないだろうが、許してもらえるまでは頭をあげるつもりはなかった。

 周りの目はあまり気にならなかった。

「ごめん」 

 美純は返事をしてくれない。

 喉元まで出そうになったため息を、奥歯を噛み締めてせき止める。

「…………ごめん」

 テーブルの空気が重くなっているのは感じていた。こんな日なのに悪いなとは思ったが、そこはもう許してもらうほかない。むしろ、トオルは結局のところ「ごめん」くらいしか言えてない自分のことのほうが許せなかった。

 謝るにしたってもう少しあるだろう、と。なのに彼の頭はいくら捻ったって他の謝罪の言葉を紡ぎ出そうとしないのだ。なんだか、情けなくなってくる。

 どんなに深く反省しても、「ごめん」はたったの三文字。

 伝えられる気持ちもたったの三文字ぶん、か。

 でも、それなら「好き」よりもたくさん気持ちが伝わっておかしくはない。

 そんな考えが頭の角をちょっとだけ過ぎったとき、だ。ふいに、彼の左手の甲にひんやりとした細い感触が触れてきた。 

「……ばか。」

「えっ?」

 しばらくするとその指先はトオルの体温と馴染んで温かくなっていく。ゆっくりと顔を上げるとそこにはまだ不満を残す横顔があって、トオルと目が合うなりまずは「べっ」と舌を出してきた。鼻の頭にはしわっしわに皺を刻み込んで、油断するとまたその表情を笑ってしまいそうになるが、さすがに今度はトオルも堪えた。

「私が歌うの、この次だから……」

 それだけ言うとまたそっぽを向いてしまうが、代わりにさっきまでトオルの甲の側に重ねていた手のひらが、するりと内のほうに滑り込んできた。どくんっと一回激しく脈がはねて、トオルは思わずゴクリと唾を呑み込んでしまう。おそるおそる、握る手のひらに力を込めてみると、彼女のほうも同じように握り返してくれた。

 視線をステージから逸らそうとしない美純の顔を、トオルは彼女の隣りで見詰めていた。幾分、いつもよりも固い表情。きっと今も緊張しているのだ。

 ただ、さっきまでの逃げ出したい気持ちの彼女とは違って見えた。それに覚悟を決めた、というのともちょっと違う気がした。そういった張り詰めた感情からではなく、もっとしなやかで内面から出てくる思いを編んだような気概が美純のその表情から感じられたのだ。

 美純が肩で一回、大きく深呼吸した。

 そして、トオルとつないでいた手がすっと放れていった。

「行ってくるね」

 椅子から立ち上がった彼女が今どんな表情をしているかは、会場内の照明が薄暗くて確かめることは出来なかったが、きっと笑顔のはずだ。

 だから、送り出すトオルも笑顔だ。

「ああ、頑張れ」

 振り向く間際に右手をヒラヒラとさせ、ステージに向かってちょっと足早に歩いて行く彼女は、ミントグリーンの鮮やかなドレスが眩しいくらいによく似合っていて魅力的だ。ふと、会場の半分くらいが色めき立ったように感じたのは、きっと、トオルの気のせいだけではないはずだ。

『あ、あの……今日はお招きいただきありがとうございます。私は、平太さんとも梨香さんともお会いしたのはつい最近なんですが……』

 司会者に促されて二人にお祝いの言葉を述べる美純は、ときどき詰まりはしながらも一生懸命に思いを伝えようとしていた。 

『……それで、梨香さんから歌ってほしいって言われたので……今日は歌わせてもらおうと思います。よろしくお願いします』

 言い終えてから、美純はぺこっと頭を下げた。見るからに少女の容姿をした彼女だ。周りはほとんどがひと回り以上歳上、当然、励ましの温かい拍手が起こる。

 やがて、ゆっくりと照明が落ちていき、スポットライトが新郎新婦と美純とだけを照らし出した。

 まるで、自分の事のように思えてしまって鼓動が速くなっていく。さっきまでつないでいた彼女の手の感触を確かめるみたいに左手を握りしめるが、そこにはもうとっくに彼女のぬくもりはなく、代わりにじっとりと汗が滲んでいた。

 100人近く集まった会場内の誰もが固唾を呑んで彼女を見守った。緊張感と期待感とが上り階段のように、一段、一段、ゆっくりと上がっていく。

 が、盛り上がった期待はいつまでもそのままではいられない。そこに満足感という燃料を送り込まなければ、やがて火はくすぶってしまう。

 音楽がなかなか始まらない。

 美純も歌い出さない。それどころか困惑顔だ。

 しかし、もっと困惑を隠せなかったのは会場のスタッフの方だった。最初は一人が音響機材の前であたふたとしていたが、やがてもう少し年上の責任者らしきスタッフがやってきて、同じようにあたふたし始めた。

 司会者が慌てて場をつなごうとMCを入れるが、静まり返ってしまった会場を盛り上げようとするには、あまりにも不安要素が多すぎだ。その後ろでは二人の男がガチャガチャとアンプやCDプレイヤーをいじっては首を横に振っているのだ。『もう少々、お待ちください』が白々しく聞こえてしまう。

 素人目ではあるが、多分、そう簡単に改善は見込めないだろう。

 音源であるCDのファイル拡張子が読み込めないとか、はたまたデジタルデータの消失だとか、理由は色々あるだろうが、そういったものは宴中の数十分で解決できるような問題ではないことがほとんどだ。

 そしてそれは会場の多くの人間が感じていたはずだ。なぜならトオルを含めこの場にいる多くの人間が、大なり小なりそういったことに関わる商売を生業にしている者たちなのだ。

 ――これは無理だ。

 誰もがそう思っていた。それは新郎と新婦も同様だろう。

 ただ、だからこそ梨香は申し訳なさそうな顔を美純に向けていた。

 自分がお願いしたばっかりに、と思っている顔。出来ることならそんな彼女の思いも、美純の気持ちも、ちゃんと昇華させてやりたい。

 ただ、――それはきっと難しいはずだ。

 その間も、美純はずっと一人でスポットライトの光の下に晒されている。

 会場の中でぽつんと、まるで取り残された子供ように。

「あの子、可哀想になぁ……」

 どこからか同情する声が聞こえてくる。

 さすがに、これ以上はトオルも我慢できなかった。自分の彼女が晒し者みたいになっているのを黙って見ていられるほど大人ではない。

「み……ぁ……」

 立ち上がって、名前を呼ぼうとした。ただ、その声は彼女には届かなかった。

 マイクを通して聞こえてきた美純の息を吸い込む音にかき消されてしまったからだ。

 ほんの一瞬、美純が自分のことを心配そうに見つめる梨香に向けてフッとほほ笑みかけたようにみえた。


 ――彼女は躊躇わなかった。

 今、どうしても伝えたい……その思いが、彼女を強く後押ししたのかもしれない。

 トオルは目に映る美純の姿と、彼女を取り巻いている空気に圧倒されてしまったかのように、思わず息を呑んだ。 

 

 沈黙を幾層にも重ねた厚い静寂を断つのは、透き通った響きのアルト。


 『ねぇ、……』


 歌い始めは、大事な誰かに呼びかけるように。


 ……私、悔しかったの

 親友だって思ってた

 なのに、『付き合ってる』より先に『結婚する』って聞かされたわ


 そう

 好き、なんて、きっと勘違い

 そんなふうに言うつもりだったわ

 だけど、あなたの幸せそうな顔見たら、おめでとうって言葉が出た




 曲は、あるアーティストが結婚する親友のために書いた一曲。

 

 突然聞かされた結婚の知らせ。

 最初は素直に受け入れられなかった。

 だけど、自分には一度も見せたことのない表情を彼女から引き出す人を、だんだんと認めていって。

 大切だから、最高の友達だから、幸せになってねと歌う……。


 彼女の奏でる音がゆったりとしたピッチのしっとりとしたメロディーにのって、会場全体に穏やかに広がっていく。誰もが、その一瞬前までのゴタゴタのことなど忘れてしまったかのように、息を呑み、彼女に目を奪われ、そして離せなくなってしまう。

 スポットライトの光の中に見るのは、さっきまでと同じ少女の顔。

 その、はずなのに。

 初めて聴く鼻歌以外の歌は、同じ無伴奏というフィールドながら別格で。

 その声量と声質、音感にトオルは言葉を失った。

 柔らかくて、なめらかで。時に力強くて、けれど繊細で。

 そして、優しくて。

 甘くて。でも、ほろ苦くて。

 切なくて。

 彼女の歌声は、まるで思いを伝えるためならいくらでも色を創り出すパレットのようだ。

 そこには、トオルの知っているのとは違う美純がいた。

   

 

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