No rain, no rainbow. ≪涙≦笑顔≫ 4
外は傘を指しても尚、歩く気にもならないくらいに土砂降りの雨だ。
そんな中、扉の前に佇んでいた美純は制服の肩をしっとりと濡らしている。
彼女はちょっと思い詰めたような表情をしていた。まるで、外の雨模様をそのままここに持ってきたように、薄暗くって重苦しい顔だった。
「どうしたの? ……は、いいか。まずは入りなよ。そんなところにいたら風邪を引く」
室内を促すトオルに、美純はなぜか応えない。だが、扉を押し開けたままの体勢のトオルは「ん、ほら」と顎で再度店の中に入るよう促した。
それでも美純は黙って立ち尽くしたままだ。
彼女の後ろの車道ではバシャバシャと派手な水音を立てて車が走って行く。
辺りには道を歩いているような人はいない。なのにこの天気の中、少女は歩いてここまでやってきたようだ。
きっとなにか事情があってのことだろう。
だが、土砂降りの雨はそんな彼女に優しくない。雨粒はアスファルトと少女の区別なく強く降りそそぐ。
まずは彼女を室内に引き入れるのが先だ。
「……美純っ」
トオルは昨日初めて会ったばかりの少女の名前を呼ぶと、腕を掴んで引き寄せた。
肩をぴくりとさせた美純はようやく顔を上げてトオルのことを見るのだが、その顔には戸惑いの色が濃い。
彼女はなかなか素直に足を踏み入れてこようとはしない。
だが、トオルは意思をのせた視線でじっと美純の目を見つめ返した。言葉よりも強い強制力が彼女の背中を押したのか、美純は口をきゅっと結ぶと『カーサ・エム』の店内に足を入れた。
それを見届けたトオルは開いていた扉を閉め、片手はすっと彼女の傘を受け取り、反対の手でそばにあった椅子を引き寄せて美純に座るよう促した。
しかし、今度もなかなか座ろうとしない彼女にトオルは低く声をかける。
「美純、座りなよ」
トオルが彼女の肩に手をのせてそっと押すと、美純は大した抵抗もなくゆっくりと椅子に腰を下ろした。
一度キッチンに向かうとやかんを火にかけ、それからまた店内のほうに戻る。カウンターの下をゴソゴソと探ってタオルを一枚取り出し、それを美純に手にずいっと押し込める。
しかし美純は自分の手に収まったそれに視線を落とすだけで、それ以上は微塵も動く様子はない。
「やれやれ……」
さすがにトオルは、ちょっと呆れてため息をつき、頭を掻く。
近付いていって彼女の手からタオルを奪い取ると、それを広げて美純の肩にバサッとかけた。渇いたタオルの生地の上から彼女の肩を撫でると、服を濡らしていた水分がじわりとタオルのほうに移っていく。
頭のてっぺんから背中にかけて長く流れる黒髪をちょっと荒っぽく拭いてやった。
くしゃくしゃっとされるとさすがにこれは嫌だったらしく、小さく声をもらして抵抗しようとしてきたが、気にせず続けた。柔らかくて艶のある髪は濡れていることを差し引いてもしっとりとしていて、きちんと手入れをしているのがわかる。
美純から明確な抵抗の意思を感じ、トオルはもう十分だと手を止めた。
「はーい、おしまーい」
なるべく明るく聞こえるように言うと、「あとは自分でやりなよ」と無造作に丸めたタオルを再び彼女の手の中に押し込める。
そしてトオルは再びキッチンの中へと戻っていった。その頃にはさきほど火にかけたやかんが蓋をかたかたとさせている。
「あっ……」
美純が何か言おうとしたのが聞こえたが、トオルはあえて聞こえないふりをして振り返らなかった。多分、また昨日と同じくいつまで待っても言葉は続かないのだ。
トオルは手際よくフィルターやデカンタを用意し始め、コーヒー豆の入った缶を棚から取り出した。
手元を動かしながらチラリと横目で見ると、美純はまた自分の手に収まったタオルに視線を落とし、ぼんやりと見つめていた。トオルの顔にふっと苦笑がもれる。
「ねぇ、コーヒー、飲める?」
キッチンから一度顔だけのぞかせたトオルは、美純に向かって声を上げた。
「……エッ?」
きょとんとした顔を上げた美純からは、やっぱり返事はない。
「あー……うん、いいや。多分飲めるよね。オーケー、オーケー、飲める、飲める……」
ひとりごちって何度か頷くと、要は済んだとばかりに美純の返事を待たずにキッチンへと引っ込んだ。 まだぽかんとしている美純の顔はそこに置き去りだ。
考えてみれば、彼女が飲もうと飲むまいと自分はすっかり飲む気だったから、いちいち訊かずとも勝手にいれてしまえばいい。
まぁ、彼女の好みを知らない今はあまりビターな味わいにはするのはよくないかなと、トオルはいつものブレンドよりも少しだけモカの配合を増やしてからセットする。
傾けたポットから静かに落ちる湯の音がコポコポコポッと店内に響くと、クローズタイムの間は一切BGMも流していない店内にまるでその音がBGM代わりのように流れる。