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Day by day. ≪昨日より、今日より、明日はもっと≫ 2

                   ◆



「はぁ、まったく……」

 誰に向けてなのか、何に対してなのか、そんな深過ぎるため息がひとつ。

「哲さん。それ、さっきからもう5回目くらいですって」

「そうは言ったってなぁ」 

 哲平はガシガシと頭をかいた。

「まぁ、確かにちょっと参りましたよね」

 トオルはそう言って、ほとんど下準備を済ましてしまった食材の山を眺める。普段の『カーサ・エム』ではまず抱えることのない量の肉や魚は、本来であれば今夜のうちには全部が消費されるはずだったのだ。

「これとこれは煮込めばストックできるし、これは今日のランチに回して……多分、なんとかなるとは思いますが、冷蔵庫はパンパンですね」

「そうか。どうにか、頼む」

「ええ。どうにか、します」

 トオルが一度しっかりと頷くだけで、哲平の顔も少し晴れる。

 もともと畑違いの業種である哲平には『カーサ・エム』内の仕事を微細に指示するだけの知識や経験はない。ただ、長くトオルの仕事を見てきた信頼関係から、トオルの言葉には全幅の信頼を置いてもらっている。

 彼がYESと言えば、哲平は首を横に振ることはまずない。

「あとは今夜の営業なんだが、お前はどう思う?」

「うーん、他の予約は事情を説明して全部断ってきたから、今更声をかけ直すのは厚かましいかなと……かといって週末はフリーの来店、あんまり期待できないんですよね」 

 トオルは無意識に渋い顔をしてしまった。

「こっちはどうにかなりそうにないか?」

「はぁ、正直に言うと、ちょっと……」

 かなり厳しいな、とトオルは考えていた。

 なにしろ週末の来客は、そのほとんどが地元の予約客ばかりだ。街の中心から少し離れた場所にある『カーサ・エム』は平日こそ近くの会社通いのOLや、帰宅の遅くなった人々の夕飯の場所にも使われることがあるが、週末はそちらの客層にはほとんど期待できない。ただ店だけ開けていたとしても、結果は散々なはずだ。

「思い切って、夜は閉めちまうか。俺も結構ガックリきてるし、休んじまわないか?」

 哲平があっけらかんと言ったので、トオルは肩をすくめてみせる。

「それは哲さんが決めてくださいよ。そういうのはオーナーの仕事ですって」

 まるでトオルが閉めると言えばそうしてしまいそうな哲平の口振りに、苦笑いだ。

 そんな彼の様子を見て哲平は、バンバンとカウンターを叩き、派手に笑い出す。ようやくいつもの哲平らしさが出た。

「そうか? お前がそう言えば、俺はいつでも閉めるぜ」

 やっぱりか、とは言わない。

「哲さん、冗談でもそういうの笑えないッス」

 トオルは肩を落として困った顔を装う。

 口ではいい加減なようで、哲平という男はかなり責任感が強く実直だ。冗談めかした事をよく言うが、大概本心ではない。彼流のユーモアみたいなものなのだ。

「よし、じゃあ今夜は休みだ。久しぶりにゆっくりしようじゃないか」

「わかりました。休みの告知、ホームページとかはお願いしちゃってもいいですか?」

「O.K.、やっておく」

 答えると哲平は自身のノートパソコンを開き、手際よく作業を始めた。

 トオルは彼のためにコーヒーをいれる準備をしながら、アップテンポで作業を進めていく。ランチタイムが始まるまでにやっておく仕込みの段取りを頭に描きながら、体は既に手元の作業を始め出す。急にディナータイムを閉めるということは、その時間に予定していた作業はすべて繰り上げる必要があるから、楽なようで実は結構大変な事なのだ。

 こんなことになってしまったのにはもちろん理由がある。

 もともと今夜はウェディングの二次会で貸切の予約が入っていた。哲平の親しい人物の娘が結婚することになって、それを祝う席が催されるはずだったのだ。

 ところが、だ。30半ばでバツが三つ付いた女性の今度の再婚は、丸が付く直前に破談になってしまったらしい。

 しかも式の二日前に、である。

 多分、うすうす予感はしていたのだろう。もともとこの予約を受けることに哲平はかなり難色を示していた。ただ、付き合いもあるから理由もなく断るわけにもいかず、渋々受けたのが案の定こんな結果になって、哲平としてもやり切れない気持ちなのだろう。

 トオルにはそのことを責める口はない。彼にだって仕事上の付き合いがあるのは理解している。

 自分の分と哲平の分、カップにコーヒーを注ぎ、哲平の方にはスプーン1杯の砂糖を入れる。薫りよく、苦味は抑え目なブレンドはちょっとした気遣いみたいなものだ。差し出すと哲平は首の上下だけで礼をして、目線はパソコンに向けたまま。トオルもフライパンを火に掛け、煮込み料理を作る準備をしながら、並行してランチ用のサラダをちぎったり、パスタソースの具材を切り分けたりと大忙しだ。

 オープンまでの残り30分をラストスパートのつもりで駆け抜ける。

 低血圧気味のスロースターターにはちょっとキツイが、たまにはそんな日も悪くはない。




 Day by day. ―――― 槙野 朱奈 ――――


「こんにちわー、って……あれぇ、哲平さんっ」

「おっ、美純ちゃん。いらっしゃい」

 12時半をまわった頃に訪れた来客は、普段滅多にランチタイムに顔を出さない美純だった。

 美純は店に入るとすぐ、カウンターに見覚えのある姿を見付けて声を掛けてきた。

「この時間って、いつもいらっしゃるんですか?」

「いや、そういうわけでもないんだけどね。今日はちょっと作業があってさ」

 そう言うと哲平はパソコンをちょいちょいと指差し、美純はなるほど、と表情で返事をしている。

 顔を合わせた機会は数える程なのになぜだか妙に気が合うらしく、美純はやたらと哲平に懐いていた。互いに自分のペースで話したいことを話し、相槌は打つが返事はいいかげんな二人は、きっとリズムが合っているのだろう。まるで年の離れた兄妹のように違和感なく見える。

 いつものように「いらっしゃい」と彼女を迎え入れたトオルは、目線を手元の作業に戻そうとして入口にもう一人別の姿を見付けた。

 年の頃は美純と同じくらい。美純が振り返って声を掛けたから、どうも彼女の連れのようだ。割と細めの、青と白が似合いそうなボーイッシュな雰囲気の少女。

「おっ、今日は友達と一緒なのか」

 哲平は言ってから笑顔で軽い会釈を送る。

「うん。槙野朱奈ちゃんって、私の同級生で親友。今日は……」

「ミーちゃんの好きな男の人ってのを、見に来ました」

 美純の言葉にかぶせるように言ったよく通る声は、店内にいた少なくともトオル達と、あと二組の家族連れには聞こえていたはずだ。

「にっ、ぎゃ?!」

「ばっ、ブ、ハッ……がっはは!」

 潰れた猫のような声も、カウンターを叩く大笑いも。

 きっとこのカウンターが壊れるとしたらその犯人は一人しかいないと、トオルはオーダーのパスタをあおりながらしかめっ面をしていた。 

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