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Let bygones be bygones. ≪昔のことは昔のこと≫ 3

                 ◆




 モカ色のドルマンスリーブに黒のブーツが、カウンターの向こう側でよく似合っていた。

 瑠璃はスタイルがいい。そのせいかなんでも普通に着こなしてしまうのだが、とくにシックな色やデザインの服を着ると、こちらも思わず息を呑んでしまうくらいだった。まるで30代の大人の女の見本のような雰囲気。彼女自身もそれをよくわかっているらしく、ひと目に自分を晒すときに着ている服はどちらかというと落ち着いたデザインの物が多い。

「大体ね? なんであたしがこんな目にあわなきゃならないのよ?」

「まぁ、とりあえずは機嫌をなおしたらどうだ。そんな座った目で怒鳴り散らすと、どっかの柄の悪いオッサンみたい見えるぞ」

「あぁん? なんか言ったかしらっ」

「いいや、……別に」

 落ち着いた雰囲気とは対照的に、荒っぽく捲し立てる彼女。憤慨の理由はどうやらここまで来るのに使ったタクシーの運転手の視線のようだ。

「言っとくけどね、あたしだって別に見るなって言ってんじゃないよの! むしろ見られてもいいようにいつだって着るものには気を使ってるわけだし。容姿全般、自信だったらあるのよ」

「言うねぇ」

 瑠璃は舌打ちの代わりとばかりに、「あったりまえよ」と言い放った。

「だけど見られ方ってあるじゃない? チラチラ、チラチラ、バックミラーからこっち見てきて……本ッ当うざったいのよ。おまけにこっちは折角決まりかけた契約が振り出しに戻って最ッ高に最ッ悪な気分だってのによ? 『素敵なお洋服ですね。これからデートですか?』とか訊いてきてさぁ、もう意味わかんないのよっ。『オヤジー、頼むから空気読め』って」

「運がないな」

「……運がないなぁ?! それで済ますのっ? 冗談でしょ? あたしのこのムカツキをアンタがどうにかしなかったら、これ、永久に残ったままになるじゃない?」

「どうせ明日の朝にはケロッと忘れてるんじゃないのか」

「馬鹿言ってんじゃないわよ! カエルじゃないんだから、そんな簡単にどっか行ったりしないわよ」

 瑠璃は苛立ちを真っ直ぐにモノににぶつけた。左手がバンバンと荒っぽくカウンターの上を叩いた。

 トオルはたしなめる意味も含めて、瑠璃に見えている左側の顔だけ苦笑いしてみせる。

「……昔のお前に聞かせてやりたいよ、その言葉。馬鹿みたいに飲んじゃ、いつも翌朝にはスッキリした顔してたぞ」

「ちょっとぉ、アンタ、喧嘩売ってんの? そんな昔の事はいいから、あたしに酒を売んなさいよぉ。ほらグラス、もうすぐ空くわよー」

「空けてから言えよ」

「じゃあ、アンタ、空けなさいよ。あたし、それ、好きじゃないの。もう、いらないわ」

 別に瑠璃は酔っ払って絡んできているわけではなかった。彼女は根っからの絡み症だ。たとえ飲んでいるものが水でも酒でも、同じテンションで喋り続ける。飲み会で『一人だけウーロン茶、なのにみんなと同じテンション』そんな奴が大概グループに一人はいるが、彼女がまさにそれだ。しかも、すこぶるタチが悪い。

「一体、何を飲むんだ? ワインか、バーボン……軽い酒ってかんじでもないよな」

 トオルがカウンター裏の酒瓶を並べた棚をぐるりと見渡す。今の瑠璃の口を無駄に動かすための安くて強い燃料を選んでやろうとする。

「ああっ、そうだ!」

 その時、瑠璃が急に大声を出した。店内にはカウンターのもう一人を除いて他に誰も居なかったから、音量に比べて驚いた人数は少ない。だが、トオルは振り向いて強い口調でもって言った。

「急にでかい声を出すなっ。他の客に迷惑だろう?」

 トオルはジロリと睨みつける。しかし瑠璃は悪びれない。

「……『他の客』って、美純ちゃんしかいないじゃないのよ。そういうの、もっと繁盛してから言ってよね。逆に迷惑だわ」

 瑠璃が目顔で美純に同意を求めていた。横に座った美純は、答え辛そうな顔をして笑っていた。

「ちょっともう、話しを逸らさないでよー。言おうとしてるコト、忘れたらどうすんのよー?」

「うるせぇなぁ、だったら何処かに書いておけばいいだろ」

「ぶぅー、そんなの面倒臭い」

「じゃあ、忘れる前に早く言えよ……」

 トオルは瑠璃とのやり取りがだんだんと面倒臭くなってきて、返答が雑になる。ただ、相手はそんなことを気にするタイプでも、そんなことでめげるタイプでもなかったから、会話は彼女のマイペースなまま続いた。

「ねぇ、トオル。あなた同じ接客業なんだから、代わりにあたしに謝る気、ない?」

「お前なぁ、何、言ってんだ」

 なんとなく予想通りだった内容に、トオルは項垂れる。

「ねぇ、早く、謝りなさいよ」

「瑠璃……。謝ってもいいが、今日は大人しく帰ってくれるか?」

「ハァ? なんで? ここがあたしん家よ?」

「違うよな」

「うそぉ。……だって、あたしが主人であなたが管理人。日本にいない間はよろしくって、そういう話でしょ?」

 瑠璃が両手を広げて不思議そうな表情をした。トオルはカウンターを乗り出して、その手をはたく振りをする。

「真っ赤な嘘を、それっぽく脚色するのはやめろ」

 瑠璃は俯くと、小さく口元だけでほくそ笑んだ。「ちぇっ」と小さな呟きが聞こえた。

「あ・とっ! 自分ばっかり嫌な目にあったみたいに言うのもよせよ。どうせ相手の運転手に仕返し紛いの事をしているんだろう?」

「なんで、そう思うのよ」

 トオルは胸の前で腕を組んで言う。

「お前のその口が黙ってやり過ごすなんてこと、するはずがない」

 確信を持って答えた。瑠璃はこういうケースで簡単に引き下がるタイプではない。まぁ、そんなタイプだからトラブルにも事欠かないのだが。

「別におかしな事なんてしてないわよ。『トークの代金は払いませんから、黙って運転してもらえます?』って、ちゃんとお断りしましたっ」

 瑠璃の横で美純が抑えきれずに笑い出した。その様子を見た瑠璃はえらく誇らしげだ。

「なぁ……一体、お前は何をしに来んだ」

「相変わらず、人を客と思わない失礼な奴ね、あなたって」

「そう、思いたいんだがなぁ……」

「まぁ、いいわ。あたしもただの冷かしだし。気にしないで」

 美純の笑いが一向に止まる様子はない。

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