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Opposites attract. (正反対のもの同士は引き合う) 11

 ジャガイモと玉ねぎ、アンチョビを使って温製のサラダを作る。さっぱりとワインヴィネガーにオリーブオイルで味付け、上にはルッコラ(ゴマの香りのハーブ)と留利子の好きな生ハムを飾る。ルッコラは近くの農家さんから朝採りを分けていただいた物だ。新鮮で、その分香りが鮮烈。だから美味しいのだと教えると、噛み締めた留利子は目をキラキラとさせて頷いた。

 まるでこっちが教師になったみたいな気分だ、とトオルは内心ほくそ笑む。

 彼女から『リゾットが食べたい』とリクエストがあったので、次のひと皿は小海老とズッキーニのリゾットにした。弱火にかけた米を、焦げ付かないよう絶えずかき混ぜ続ける。仕上げには緑がかった香りが特徴のトスカーナ産のエキストラバージン・オリーブオイルとミントで香りづけした。

「ミント……ですか? なんだかガムみたい」

 留利子は出された料理を、なんとなしに疑惑の目でもって見た。

「でも、結構美味しいんですよ。騙されたと思って、まずは一口どうぞ」

「はぁ……」

 半信半疑なまま口に運んだ料理を二・三度噛むと、留利子の表情が一転して、そして何度もコクコクと頷いた。感想を言うために飲み込もうと一生懸命咀嚼してる間も満面笑みな彼女からは、言葉で聞くよりも先に言いたいことが全部伝わってきてしまった。

「美味しいー。『なんでミントが』って思ってたんですけど、この香りがとっても料理と合うんですね」

「ナスとかズッキーニと、ミントの相性はすごくいいんです。イタリアではよくやる組み合わせらしいですよ」

「へー。目から鱗、です」

 メインディッシュはお酒のつまみになるように、一口サイズの小さなカジキのグリルを用意した。トオルは実際のところ留利子がどのくらいの量を食べれば満足するかはわからない。だからボリュームはあくまでほどほどに留めておく。

 食べ終わった留利子はまるで胸にいっぱいになった満足を吐き出して、代わりに新しい空気を取り込むような大きな深呼吸を一回した。それからグラスに口を付け、しばらく余韻を楽しんでいるようだった。カウンター越しに見える彼女の瞳がウェットな光を溜め込んでいる。

 やがて顔を上げた留利子が一言、「美味しかった……です」と呟いた。

 けれど、それは何故か言葉の内容とは裏腹な、さっきまでの笑顔に比べると随分ぎこちない笑みと一緒に出た言葉だった。

 もし彼女の口から出たその言葉が、ただの甘言ならばトオルも多分気にはならなかったはずだ。だがその表情は不自然で固く、作り笑いにしてはあまりに粗雑な出来だった。留利子の少なくなったグラスにシャンパーニュを注ぎ足し、食べ終わった皿を下げながら、トオルはほんのちょっとだけ視線を向けて彼女の眼を見た。

「もしかして今週……ちょっと嫌な目にあっちゃいました?」

「えっ?!」

「すいません、勘ぐるみたいな言い方で。でも、気になっちゃって」

「…………」

 留利子はさっきまで両手で大事そうに持っていたグラスを『ことり……』とカウンターに置いた。今夜、何度もトオルを見上げていた視線は、一度落ちたきり一向に上がらなくなってしまった。そうなると、出ていった言葉を元に戻せるわけもなく、かといってもう一言をかけられる雰囲気でもなかったので、トオルも同じ様に黙り込むしかない。

 一つ、二つ、洗い上がりのワイングラスをふき上げる。照明の光の下に掲げ、曇りがないか確認する。その作業のあいだあいだで、時折ちらっと視線を留利子に投げた。が、表情は変わらない。ああ、これは触れてはいけない話題に触れたんだな、とトオルは自省の念にかられて視線を床に落とした。

 そんな様子のトオルに気が付いたのか、留利子はちょっと慌てて首を振った。

「違うんです、ごめんなさい。……でも、私が黙っちゃったら気にしますよね。だけど本当に、なんでも……な」

 そこまで一息に言って、また彼女は黙ってしまった。一度見上げた顔は、何年も使い込んだ古い扇風機の首みたいに、再び力なく項垂れてしまう。二人の間にはもとの沈黙の空気が流れた。

「あの……大庭さん。悩みの種はもしかして『アイツ』ですか?」

「えっ?!」

 ふと思い付いて言ったトオルの言葉に、俯いたままの留利子の肩がピクッと揺れた。

「アイツ……って、誰の……」

「いや、美純がまた何か仕出かしたのかな、と思ったんですけれど。違いました?」

 洗い上がりの食器をすべてふき上げ、今度はそれを元の場所にしまいながら、トオルは答える。そのうちにテーブル席のカップルが会計のために立ち上がったので、トオルは一度カウンターを出て二言、三言の会話で見送る。そして留利子を除くと最後のお客だった、彼らの使ったテーブルの後片付けを始めた。デザートの皿とコーヒーカップ、それにグラスをカウンターまで運んでいく。

 ちらっと壁の時計を見ると、もうじき閉店の時刻。トオルはテーブルの上をささっとふき上げ、けれどセッティングは見送ってカウンターに戻る。

「すいません、話の途中で」

 留利子に向かい、軽く頭を下げてみせる。彼女の方は「いいえ……」と小さく首を振って返してきた。

 彼女のグラスの中身は、さっきから一向に減っていない。ボトルの中身もまだ半分くらい残っている。口では否定するが、やはりいつもと様子が違った。トオルはもう一度カウンターを出ると、入口の扉に掛けた看板を『Close』に掛け替え、再びカウンターに戻ってきた。そして今度は奥に入ろうとはせず、棚から空のグラスを一脚取り出すと、セラーからは口の開いたワインのボトルを出し、用意したグラスにドボドボと無造作に注ぎ出した。そして留利子のそばでぐいっと一杯飲み干す。

「……あの、どうしたんですか?」

 普段、余程親しい友人と二人きりでもない限り、トオルはカウンターの手前側で酒を飲む機会はない。それは彼の中での『スタッフとゲスト』の線引きみたいなものだった。だから留利子はトオルが自分の横で酒を飲む姿をみたことがない。何事かと、不思議そうな顔でトオルを見上げる。

「もう、お客さんもいらっしゃらないし。じゃあ、大庭さんの話をちょこっと聞こうかな、と思って」

「えっ?」

 トオルは留利子の隣の椅子の背もたれに手をかけ、そして体を曲げて彼女の顔に自分の顔を寄せた。

「何か、ありましたよね?」

「あっ……」

「別に無理に言えとはいいませんけれど、その気がなければここには来てないんじゃないかな? 僕は『相談にのります』なんておこがましいことを言うつもりはないですし、口は割と硬い方だと思います」

「…………」

 留利子の目がじっとトオルの事を見つめている。トオルはしばらくその視線を受け止めたまま黙っていた。向かい合う彼女の瞳に迷いがあるのがわかったが、トオルはもうこれ以上説得するつもりはなかった。彼女にとって、今、大切なのは『吐き出すこと』だ。それには彼女自身が思い切る必要がある。トオルに促されて出る言葉では、多分留利子の中のモヤモヤはしつこく胸に残るはずだ。

 やがて『ふっ』と留利子の肩に入った力が抜けたような気がした。トオルは彼女の表情の中に小さな変化を見付けると、手をかけていた目の前の椅子を引き、そこにゆっくりと腰を下ろした。空になった自分のグラスにワインを注ぎ、今度はそっと傾ける。

 ――あとは待った。

 彼女が口を開く……それをただ、じっと待つことにした。


「この間の、電車に乗り合わせた時のこと、覚えてますか?」

 留利子の目が一度ちらっとトオルを向いた。彼が視線に気づいたのを見付けると、すぐにその視線をカウンターの奥の方に逃がしてしまう。トオルはその視線の先を追いかけながら「ええ、覚えてます」と答えた。彼女はゆらゆらとあちこちに視線を投げたあと、さっきからずっとそのままだった自分のグラスにようやく目を止め、そして手に取って口を付けた。おそらく中の液体はぬるくなってしまったはずだが、彼女は気にした様子もなく二回、三回とグラスを傾け、そしてとうとう空にしてしまう。トオルは少し体を乗り出して、彼女のグラスをまた充たした。

「ありがとう」

 ようやく笑顔らしいものをみせる留利子。トオルは軽く口角を上げて彼女の言葉に答える。

 留利子の手元、15cmほどの高さのグラスの中を15cmの儚い徒花がたゆたい昇っていく。トオルはじっとその様子を眺めながら留利子の言葉に耳を傾けた。留利子は舌を湿らせたおかげで、次第に言葉数を増やしていった。彼女が話し始めたのは、あの時隣にいた男のことだった。

「私の彼は音楽の仕事をしている人間です。……決して有名ではないんですけれど」

「美純に聞きました。プロのドラマーだ、って」

「うーん、メジャーデビューのお話を頂けるくらいではありますが、それってまだ『プロ』ではないですよね。でも、真剣に音楽に取り組んでいる人ではあります」

 トオルは頷いた。初対面の、言葉一つ交わしたこともない相手だが、独特の雰囲気がある男だった。

「でも、ちょっと意外な組み合わせですよね。大庭さんと彼って。なんだか共通点を見つけられないっていうか……」

 トオルの言葉に、ほんのちょっとだけ口を尖らせる留利子。

「あ。ごめんなさい、そういうつもりじゃあ……」

 慌てて弁解するトオルの顔に、留利子は一転表情を変えた。片手で口元を押さえて吹き出すと、反対の手はヒラヒラと振って感心薄いのを露わにした。おそらく、ことあるごとに同様の意見に晒されているのだろう。なら、むしろ変な気遣いはしない方がいいのかもしれない。トオルは一旦呑み込もうとした言葉を、もう一度素直に口にすることにした。

「やっぱり……ごめんなさい。正直言うと、そういうつもりでした。だって大庭さんとは全然そりが合わなそうだし」

「あー、ひどいんだ」

「いや、『見た目』はですよ。彼とは話したこともないから、性格とかは知らないですし」

「ふふふ。じゃあやっぱり、見た目は全然合わないってことでしょう?」

 留利子がちょっと身を乗り出してくる。

「い、いやぁ……。言い出しといてなんですけれど、そういうのやめません?」

 トオルは自分の掘った墓穴を埋めようと慌てて弁解した。その狼狽ぶりをまじまじと見ていた留利子は、さっきにも増して肩を激しく揺らした。

「私、シェフのそんな顔って初めて見るかも。私って、こう見えてちょっと意地悪なんですよ?」

「ははは、次から警戒するようにします……」

「くすくすっ」

 留利子は小さな子供のように目を細めた。







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