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Opposites attract. (正反対のもの同士は引き合う) 7

 二十代の頃、一時期この辺りで働いていたこともあって、よく行くCDショップが何件かあった。大きな店舗は買いたいものがすでに決まっている時に行く程度で、むしろ小さなフロアーの一角にあるようなショップのほうが、スタッフの好みが品揃えにも偏って反映されていて興味をそそられた。その顧客を選ぶような潔さが、トオルは案外好きだった。

 店の休憩時間にぶらつくにはもってこいの場所だった。ほかじゃ決して聴けないようなタイトルが視聴に入っていたし、ショップのスタッフはたまに食事に来てくれたりもしたから、彼はお礼の意味も兼ねて足繁く通った。そうしている間に、いつのまにか『友人』とまではいかなくとも『仲間』意識は芽生えていたのかもしれない。趣味が似ているおかげで、話しかけるとやたらとうんちくで返してくるショップのスタッフが退社するときには、全然他人にもかかわらず何故か送別会に呼ばれて、朝まで飲んで語った記憶もある。

 そうして今、そんなトオルの馴染みのショップはもうどこにも残っていない。残ったのは自分の中で一番重要度の低かった、楽器の販売やスクールも開催する大店舗だけだった。時代はたったの十年くらいで変わる。今や音楽はネットで購入するものだ。店舗を構えてする商売ではなくなってしまった。

 トオルはこの辺りに唯一残る店舗で、美純のために何枚かのCDを選んでやった。彼女は「あの日のこのくらいの時間に流れていたヤツ」とか「雨の日によくかかってるアレ」とか、かなり漠然と捜索対象の特徴を上げるのだが、その都度二人は四苦八苦して問題の曲を探り当てることになった。検証を重ねても美純が探す曲が本格的にわからないとき、トオルは思い切って彼女に歌うように指示した。美純は顔を真っ赤にして拒否するのだが、結局はトオルの説得に負けて二回ほど彼の耳元で小声で歌った。メロディーだけを口ずさむように歌うその曲を、美純は多くても数回耳にしたことがあるくらいのはずなのに、彼女は見事なまでに一音も外さず漏らさず記憶していた。トオルはそのことに随分驚いた。

 彼女の声は確かにあの日の瑠璃が指摘した通り、よく澄んでいて聴き心地がいい。正確なコピーでスムーズに響くメロディー。おかげでこの方法はいとも簡単に目的の曲にたどり着くことが出来る有効な手段だった。しかし、美純がどうしても恥ずかしがってそれ以上続けなくなったのと、他の客からの視線がなんとなく気になり始めたことでこの捜索方法はあえなく中止となった。考えてみれば、公衆の面前で急に10代の少女が一回りは歳上の男の顔に唇を寄せているのだから、その観点から見てみるとこの方法には重大な欠陥があったわけだ。おかげでその場に留まりづらくなった二人は、最低限必要な用事だけ済ますとそそくさと店をあとにした。

 店を出てからしばらくすると、どちらともなく笑いだした。顔を見合わせると笑いは止まらなくなっていた。自分達のことを伺い見ていた買い物客の表情が幾つも思い浮かんだ。どの顔も見てはいけないものを見たかのように目を見開き、そして目を伏せていた。トオルと美純はゆっくりと朱に染まり出す空の下、普段は決して揉まれることのない人ごみに揉まれ、巨大な交差点を何度も渡った。街の気配はビジネスとショッピングの行き交う風から、帰宅と交遊がすれ違う空気へと変わっていくように感じた。気が付くと街灯が煌々と点いていた。そんなものがなくとも街を照らす光りなんて、道路を挟んで左右に建ち並ぶビルの窓からの明かりと、頭上に光る二色のライトで十分なのに、だ。

 トオルはふと、思った。彼らを見下ろす頭上のライトが、二つの色を駆使して人の心を支配している。街のあちこちにはびこるこの憲兵たちは、交差点の四隅で目をひからせ、人間の魂のスイッチを握っているようだ。赤く光れば人々は歩むのを止め、青の許しが出るまで一歩も動くことなく立ち尽くす。たくさんの人々が行き交うこの街。同じだけ人々の感情や思惑が絡み合っているはずなのに、誰の表情からもその本質を見付けられない。この街は無機質。行き交う人は魂を奪われた抜け殻みたいに同じ顔をしている。

 トオルは、昔からこの街が嫌いだ。ここは人が留まるには冷たい。彼にとってここは、ただ立ち寄るだけの場所だ。

 

 二人は人通りの多い場所から離れていった。ビルとビルの谷間に、ところどころ背の低い建物が見え始める。トオルはその中の一つを目指した。路面に落ちる暖かな光が見えた。街を照らす硬質の光とは異なる、人の体温を感じるような明かり。トオル達はそこに向かって歩んだ。ここには今や大企業やチェーン店が主力となった外食産業に、勝ち目のない戦いに身を投じる仲間がいる。自分と同じ数少なくなったレジスタンスの一人が、無機質な街から逃げ遅れた人々を匿うようにひっそりと居を構えている。この場所に店を構えて三年。12席ほどの小さなビストロのオーナーソムリエは、トオルがこの業界に入った頃からの友人である古沼平太という男だ。二人は時々こうして互いの店を訪れては生存を確認し合う、いうなれば戦友のような間柄だった。

「お。久しぶり」

「ああ」

 来店してきた古くからの友人を見付け、平太は接客中だったテーブルから一端振り向いて声を掛けてきた。トオルは手短な挨拶で済まし、通り過ぎる。平太の顔はまたテーブルの客の方に戻り、トオル達は案内してくれる女性スタッフに従って彼の横を素通りする。

「あの人、知り合い?」

「ああ、結構昔からの。確か同い年だったかな? 一時期、同じ店で働いてた」

「ふ~ん……」

 美純は不思議そうにしていた。

「もっとちゃんと挨拶とか、しなくていいの?」

 トオルは案内された店の隅の席に腰掛ける。そして目線で向かいの席に座るよう、美純を促す。彼女はそれに気付いて席に付いた。二名分の小さなテーブル席だったから、割に二人の距離は近い。

「別に。どうせ、そのうち向こうが来る。それにさっきはあいつが接客中だったからな」

「そうなの? なんだか、物足りない再会だな」

「お客さんがいる場所では、そんなもんなんだよ。俺達の業界のマナーみたいなもんさ」

 トオルはそう言って答えた。美純はそれでもまだ釈然としない様子だったが、トオルはあまり気にしないことにした。

 二人の会話が一端途切れると、頃合を見計らったようにスタッフの一人が飲み物のメニューを持って現れた。トオルはグラスでシャンパーニュを、美純はフレッシュのオレンジジュースを注文した。待っている間、なんとなく二人の間はぎこちなかった。トオルは、普段『カーサ・エム』で彼女と会うのとは違う、ちょっとした違和感に戸惑っていた。話題を探しても大したものが浮かばない。

「あ、……あのさ」

 美純が何かを言おうとした。しかしそこに、注文の飲み物を持って現れた平太が割って入ってきた。

「お待たせ。元気そうだな」

「まぁな。そっちはどうなんだ?」

「こっちも問題なし、かな。店も三年経って少し起動に乗ったし、自分的にもやっとリズムを掴んだ、ってとこか」

 平太は目を細め、口元をニッとをやってみせた。そして持ってきたグラスをそれぞれトオルと美純の前に差し出す。が、その時になってようやく彼は、トオルが連れている相手が自分の想定外の存在だということに気が付いたようだ。

「お? 高校生?!」

「…………」

 思わずこぼした平太の確認とも質問とも取れる言葉。自分の事を言われて、しかし美純は答えなかった。平太も美純にはそれ以上言葉を掛けない。

「なんだぁ、トオル。お前、家庭教師のバイトでも始めたか?」

 代わりに向き直ると、トオルの方に首だけ傾けて言った。

「あのなぁ、俺がそんなこと出来るタイプだと思うか?」

「おい、となるともうこれは……」

 ちょっと考えるみたいに顎に手を当ててみせる、平太。そして今度は体を少しテーブルに寄せ、小声でぼそっと言う。

「犯罪……って事かぁ? なぁ、トオル、知ってるか? 都内だと18歳以下に手を出すとだな……」

「馬鹿。この子はそんなんじゃあ、ない。それにその条例は都内だけじゃない」

 トオルは虫でも追い払うように手のひらをはたはたと振り、平太の視線を遮った。

「ははは、知ってる」

「ちっ」

 二人はそうやってしばらく『店員と客』の立場でさり気なく再会を楽しんだ。

「……とはいえ、俺の不信は拭えないぞ。ちゃんと彼女、紹介してくれよ」

 平太は腕を組み、トオルを見据えた。観念したみたいな顔でトオルは答える。

「店の常連の子だ。この子のご家族にもよくしてもらってる。彼女のお姉さんの頼みで、今は食事の面倒を見るように言われてるんだ」

「……よく、わからん」

「説明すると長いんだ。だからもう、気にするな」

 トオルは首を振って、手は『お手上げ』のポーズをしてみせた。

「俺はやっぱり、……お前には自首を勧めるべきかな?」

「だから、違うって言ってるだろう」

 そんな二人のくだらないやり取りに水を差したのは、さっきからちょっと緊張気味に座っていた美純のくすくすと笑う声だった。


 

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