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Opposites attract. (正反対のもの同士は引き合う) 3

 美純が青虫みたいにもしゃりもしゃりと、口だけ動かしてサラダを食べている。その顔は、さっきからむくれたままだ。ほっぺたにたくさん詰まってるわけでもないのに、咀嚼のあいだも飲み込んでも、ぷうとしている。きっと何を言っても藪蛇だろうな、と思ったトオルはしばらく彼女をほっておくことにした。

 食事のあいだにも何度か着信のある彼女の携帯電話。そのたびに美純は画面を覗き込むと、短い文の返信を送り返した。そして何件目かの返信を見たときに、急に美純がほくそ笑んだ。ちらりと横目でトオルを見ると、もう一回、ほくそ笑んだ。続けて届いた新しいメールが、とうとう彼女の胸の薄曇りを全部払ってくれたらしく、美純はニンマリと微笑む。トオルは背を向け作業をしていたから、それまでの様子には気付いていなかった。彼からしてみたら振り返ると表裏をひっくり返したみたいに美純の機嫌がよくなっていたわけだ。なんだかその様子に妙な気がして、トオルは眉間にしわを寄せた。

 その後また、美純は終始ニコニコと始めた。お得意の鼻歌が復活し、今は店内に流れるイギリスのロック歌手のインストゥルメンタルが、彼女なりのアレンジを加えたカヴァー曲になる。『イギリス第二の国家』には不届きにもとぎれとぎれの日本語の歌詞が付け加えられる。それも「気づきもしないで」とか「鈍感なくせに」とか、ちょっと耳を傾けるとずいぶんな歌詞だ。

「あのさ、それ、洋楽のインストだぞ。何でまた日本語のおかしな歌詞なんて付けるんだよ?」

 トオルは次の料理に手を動かしながら訊ねる。

「えー、だって原曲なんて知らないもん。別にいいでしょ、そう聞こえるんだから」

「いや、それはそうだけどな……」

 威厳を取り戻すための戦いは、呆気なく終わる。17歳の少女の前には名曲も形無しだった。

 

 急にバタンッと入口のドアが開いた。

「やぁ、トオル。元気ぃー!」

 やたらと明るい声が先に店内に入ってきて、それからガコガコと音をさせながら本人が入ってきた。割としっかりとした木製の底のサンダルが、フローリングの床と当たって大きな音をたてる。マキシ丈の赤い花柄のワンピースがバサバサと音を立てて店内を縦に横切った。腕にかけていた明るい色のレースのボレロを邪魔くさそうにカウンターの椅子に放り投げ、手に持ったコンビニの袋をガサッとカウンターの上に置き捨てる。

「これ、お土産」

 そう言われたコンビニ袋の中身は、外見からはなんだかわからない。ただ細長い棒のようなものが幾つも入っているようだ。不規則な向きに突き立ったアンテナみたいに、その棒がところどころ中から袋を押し上げている。チラッとみた美純からはウニのような形のモノを想像させた。

「おい、またソレかよ」 

 しかしトオルはうんざりしたような声で答えた。彼には見なくても中身がわかったからだ。

「いいじゃないよぅ、あたしとあなたにとっちゃ感慨深い品でしょう?」

「だからって、そんないっぱいあってもなぁ。実際、この前にお前が持ってきたのだって、まだそこに残ってるんだ」

「さっさと食べなさいよ! まったく、贈り物のしがいのない奴よね」

「なんだよ、それ……」

 呆れた、と声を上げたその来客に、逆に呆れて二の句の継げないトオル。「まあ、いいわ」とさっさと椅子に座るその女――泉瑠璃は、座ってすぐに横を振り向いた。視線の先の、そこにいた美純はドキッとして口ずさんでいた鼻歌を止めた。

「ご、ゴメンナサイ……」

 アイラインがきっちりと縁どられた瑠璃の大きな瞳がじっと見詰めてくるので、自分の鼻歌が気に障ったんだろう、と美純は反射的に誤ってしまう。そして瑠璃の視線を避けるように俯いた。しかし、

「ちょっと……澄んだ音。いい声ね、キミ」

「えっ?」

 びっくりして思わず美純は声を上げた。想像していたのと全く違う瑠璃の反応に、驚いた。

「素敵。ねぇ、なんでやめちゃったの?」

 あっけらかんと瑠璃は言う。美純は顔を上げ、瑠璃の表情を覗いた。その目には初対面の相手への挨拶変わりな世辞や社交辞令のような色はなく、むしろ歌が急に止んでしまった事への純粋な不満みたいなものが映っていた。それで美純はますます困惑してしまった。

「おい、瑠璃。うちの客に馴れ馴れしく話しかけるなよな。お前ら、初対面だろ?」

「あなたは馴れ馴れしくないの? 『うちの客』とか『お前ら』とか」

 言葉じりを掴まれてトオルは苛立った。おまけに茹でていたパスタの出来上がりを示すタイマーが鳴って、益々苛立つ。

「ああ、くそっ」

 そうこぼしながら、トオルは茹で上がったパスタをフライパンに移した。舌打ちしながら鍋をあおった。

 そんなトオルのことには我関せず。

 瑠璃はズイっと美純の方に体を寄せて言った。

「キミ、ホントいい声だよ。うんうん、羨ましいー。カラオケとかじゃ、採点、すっごいんでしょ」

「えっ……い、いえ、そんなんじゃ……。それに鼻歌なんて褒められたら……私、恥ずかしい」

 美純は思わず顔を赤くして、肩を小さくしてしまった。

「ひゃーっ。かっわいいね、女子高生! あたしのときってどんなだったかな? う~ん……」

 ちょっと昔を思い出すみたいな顔をするが、瑠璃はそれをすぐに止めにしてしまう。そして目をカウンターの向こうのトオルにやると不躾に訊ねる。

「ねぇ、なんでこんな可愛い子がここにいるの? バイト?」

「お前なぁ! だからその子はうちの客だって言ってるだろう?」

 トオルは荒っぽく答えた。ついてないことに、今日のメニューは仕上げにかなり気を遣うメニューを選んでしまったのだ。美純のためのパスタは、生ウニのペペロンチーノだった。ちょっとでも気を抜くと火が入りすぎてダマになったり、固まったりしてしまうから手が止められない。

「あんた、偉そうな店員ね。見たことないわ、そんな奴」

「ぐぅ……。うるっさいなぁ、お前が来るといつも調子が狂う……」

「へぇー、尚も上から。ちょっと、責任者、出しなさいよ!」

「ああ、うるさい!」

 ニマニマする瑠璃にお手上げのトオルは、それでもなんとかパスタを完成させ、盛り付けた。皿の上に山吹色の淡い色合いのソースが絡んだシンプルな一品ができ上がる。仕上げに飾りのウニを小さじ一杯とハーブを一枚添える。そして小さくなったままの美純の前に差し出した。

「ああ、美味しそ。それって、あたしにはないの?」

 さっきまでの難癖はもうどこかに置いたらしい。瑠璃はさっさと新しい興味に乗り換えて喋る。

「あるわけないだろう。欲しかったらご注文をどうぞ、お客様」

「うっわぁー、言っちゃったよ。友達がいのない奴だねー、あんたって」

 瑠璃はその魅力的な造りの大きな瞳を見開いて言うと、憮然と頬を膨らませた。

 何かぶつくさ言いながら、瑠璃は自分が土産に持ってきたコンビニ袋をひっくり返す。中からはバラバラと棒付きの飴がカウンターに落ちた。その数、10コ以上。それは昔からよく目にする、派手なデザインのビニールでまんまるの飴をくるんだ棒付きのお菓子だ。瑠璃は包装に書いてある文字を幾つか眺めては置き、眺めては置きして、今の気分に合う味の一つを見付けると、ビリビリと包装をはがして口に入れた。土産と言いながら贈った主に気兼ねもなく食べてしまう辺り、彼女のサバサバとした性格がわかる。

 瑠璃はチュパチュパと飴を舐めながらも、すぐ横のパスタの皿をじーっと眺めていた。

「……やっぱり、美味しそう。あたしもそれ、食べたいなぁ」

「う~、じっと見られると食べづらいよ……」

 とうとう美純が音を上げた。見かねたトオルが助け舟を出すことにする。

「おい、瑠璃。いい加減にしろよ」

 ちょっと威圧感を込めた声でトオルが言う。すると瑠璃はトオルを見上げて答えた。

「よーし、決めた。あたしにもコレ、頂戴。金はもちろん払うからさ」

「ふう。……当たり前だ、誰がお前になんか恵んでやったりするか」

 トオルはげんなりとして、彼女のためにフライパンを手に取った。


 泉瑠璃。彼女はいつもトオルのペースを乱す『天敵』みたいな女だった。

 くるくると変わる彼女の会話に、いつも彼は手を焼くのだ。

 

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