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Jewel ≪空色の宝石≫ 15

「さぁて。何、飲みます?」

 トオルの呼びかけに、ややぐったりとした面持ちの倫子は答える。腰を深々と椅子に沈め、深々と嘆息する彼女を見て、トオルはちょっと眉を上げてみせる。

「あなたねぇ~。まぁ……いいわ、バーボン頂戴! ストレートで!!」

 そこまで酔っ払っているわけでもないのに、わざとらしく腕を振り回して叫ぶ倫子。その様子にくすくすと笑いを漏らすトオルは、ますます意地の悪い顔をして言う。

「OK。じゃあ、シェリーにしましょう」

「あなたねぇ~。何だかちょっと嫌いになってきたわ」

「ははは、そう言わず」

 美空が店を出てからどのくらい経っただろうか? 『カーサ・エム』にはトオルと倫子の二人が残る。時刻はとっくにラスト・オーダーを周り、トオルはこの目の前の倫子をノックアウトすれば本日の営業は終了である。

 しかし、敵もさるもの。そう簡単には倒れない。

 ボトル一本は空けていようと思うが、見た目ではそこまで酔った印象はない。立たせてみれば違うかもしれないが、ここまで椅子との相性がいいとそれも最後まで叶わないだろう。

 トオルはロックグラスに丸く削った氷を入れると、そこに酒を注いだ。なんだが茶色がかったその液体は、氷でいっぱいのグラスに注がれてやっと透明度をみせるくらいに深い褐色の酒だった。ウイスキーよりもっと焦げたような色をしていた。

「また、強そうなお酒ね~。私を殺そうとしてる?」

「まさか。あなたを殺すには、きっとお酒じゃ役不足だ」

「全く。私はもっと幸せな死に方をする予定だから」

 くすくすとトオルが笑いを漏らすと、「なによ」と倫子はその様子を不機嫌な顔をして眺めていた。

 マドラーが静かに氷を転がす。からからと乾いた音でグラスが鳴く。

 そしてグラスが倫子の前に置かれた。トオルの手元にも丸氷を作る際に削り落とした氷を入れたオン・ザ・ロックが用意されている。

「乾杯、します?」

 トオルが差し出すグラスを見て、倫子はニッコリと微笑むと自分のグラスをそれに重ねた。


 チンッ――


「あなたが入れると何でも美味しいってのが、だんだん憎らしくなってきたわ」

「はは。ありがとうございます」

 トオルはちょっと砕けた会釈で返すと、グラスを傾けた。

 

 たっぷりと時間を掛けて熟成させた、葡萄を原料にする酒――シェリー・オロロッソ。二人が今、口にするその液体にはワインとは違った一つの秘密がある。


「倫子さん、知ってます? シェリーって、アルコールのカテゴリーに分類すると『酒精強化ワイン』。ワインなんですよね。だけど、このワインは毎年毎年、同じ味の液体が瓶詰めされてリリースされるんです。生産年毎によっての味の違いがない……厳密に言うと味を変えないように努力された物ができ上がる。そんな、他とはちょっと違ったスタンスのワインなんです」

 倫子はグラス越しに目をキョロっとさせて応える。その表情が、ちょっと可愛らしい。

「『ソレラ』って呼ばれる熟成の方式で、何段かに積み重ねた樽の、一番下の段の樽から瓶詰めするんです。で、減った分をひとつ上の樽から、二段目の減った分をその上から補充する。そして一番上の樽にはその年の新しい酒を補充するんです。そうやって何十年も均一な味を保つ努力をしているんですよ」

「へぇ~。そうなの」

 そう言って倫子はグラスの中身をジロジロと覗き込んだ。カララっと氷が鳴いた。恥ずかしそうな音色をした。

「……でも、それは決して『変わらない』んじゃなくて、『変わることを受け入れた』上での選択なんです。ワインってお酒は発酵や熟成を自然に委ねて作られるものである以上、常に同じ味ってことは絶対に有り得ない。だからこそ現実をしっかりと見詰め、誰よりもゆっくりと穏やかで小さな変化にあることを選択した。伝統や格式を守るということは頑なに変わらないということじゃなく、しっかりと地に足を付け確かな一歩を歩み続けることなんだ、と。何十年も先の幸せを冷静に見据えて、大成功と大失敗を繰り返して成長していくのではなく、小さくても着実な歩みを積み重ねていくのだ、という決意の仕方。それもまた、人の生き方……ですよね」

 トオルは、最後の方はまるで自分に言い含めるかのようにゆっくりと呟いた。そして彼は自分のグラスにそっと視線を落とす。

「四方宗太郎が、そうだと……?」

 倫子が小さく応えた。

「いや、……こればっかりは本当のことはわからないですけれどね」

 ちらりと見やった目が、そっと細くなった。 

「でも、そうであったらいいな、と。ただ、みんなが自分以外の誰かの幸せを願っただけ。それが上手く回らなくなっちゃっただけなら、そんなには悲しくはないから」

 倫子は黙ってトオルの言葉を聞いていた。何か特別なものを見るように静かに、じっと。

「美空は自分の家と美純のために、自分の本当の心を隠そうとした。それこそ、自身の眼から。だけどそれは簡単なことじゃなくって、結局、幸せを願った人々を逆に傷つける事になってしまった。でも、これだけだったら、まだ取り戻せると思いません? まだ、きっと大丈夫……。だってみんなが誰かを幸せにしようと願っただけだから」

「そう、かもね……」

 倫子の答えは肯定でも否定でもないような、ちょっと曖昧な言葉だった。

 それは正しい。トオルもそう思う。

 でも、彼女達が『変わること』を決意できたなら、もしかしたら今よりもっと素敵な未来に出来るかもしれない。そう、トオルは願うのだ。

 

「それにしても…………」

 トオルは纏っていた空気の色を変えたみたいに、急に口調を化えた。

「随分と驚かされました。あんな無茶をする人だとは思わなかった。美空、……っていうより四方家を敵に回したら、倫子さん、大変なんじゃないんですか?!」

 けれども倫子の表情はあっけらかんとして、口にする言葉も気のない響きで。

「言ったでしょ。女を一人で50年もやるには色々と必要なのよ。――勘も度胸も」

「うわぁ~、それだけで片付けちゃうんだ……」

「そう……あとね、男」

「はぁ? 女一人って、言ってませんでした?」

 素っ頓狂なトオルの言葉に、目を一本線にしてのら猫みたいな顔をする倫子。そして彼女はくししっと笑いながらトオルに指差した。

「……あなたがいたから。もし最悪の事態になっても、きっとあの日のオードブルみたいにあなたが解決してくれるって、私、確信してたのよ?」

 トオルは額に手を当てて、困ったふうにみせた。実際、呆れていた。

「買いかぶりすぎですって」

「そう? でも私、人を見る目には自信があるのよ~」

 まだくししっと笑う倫子は、気だるくなった身をさらに深く椅子に預け、目を閉じた。

「まぁ、……あなたに言われるなら、悪い気はしないですよ」

 トオルは柔らかく微笑んで、またグラスを傾けた。彼もまたいつものガス台の角に腰を落ち着けていた。

「でも、これで『借り』は返したわよ~。それに『あの子』がちゃんと恋愛するためにも、お姉さんとの関係はうまくいってないとね~」

 カララっと鳴らす氷。グラスを自分の頭上のライトにかざし、光の加減で変わる褐色の宝石を見るように目を細める倫子の声は、なんだかはずんでいるようにも聞こえた。

「あー、なんです、それ?」

「ええっ?! あっきれた、あなた……」

 彼女にとっては的外れだったトオルの答えに、倫子は今日一番の驚きをみせて大声を上げた。

 けれどもトオルはほんわりと回り出した酔いもあって、いまいち彼女の言葉を問いただす気にもならなかった。この場は適当な笑みで乗り切ってしまうことにしする。倫子もそれ以上は特に何も言いはしなかった。

「まぁ、いいわ。私も、そっちまでは手は出さないわよ。女を一人で50年もやるとちょ~っと意地悪にもなるしね」  

 

 あと一杯だけ付き合ったら、今夜は閉めよう。トオルはそう考えていた。



 ―――― Jewel

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