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Jewel ≪空色の宝石≫ 14

「美空……」

 トオルは口を開いた。

「美純は、多分そんなに弱くないよ」

「えっ」

 美空は顔を上げる。

 彼女はトオルの顔をまじまじと見た。その表情から何かを見付け出そうとするくらいに、じっと。

「君は、どういう理由があったか知らないけれど美純には厳しく当たってきたよね。違う?」

 一瞬の沈黙と戸惑いがある。

 ほんの少しだけ彼女の瞳が俯いた気がした。けれど、すぐにそれはトオルを見詰め返してくる。

「……はい。あの子が子供の頃は、四方の家に相応しい人間になってくれるようにと、私が仕付けるつもりで接していました。私はその頃、そうすることが正しいと思っていましたから」

「でも、君だってその頃は子供だろう?」

「父と母は忙しい人でしたし、家には彼女を教育する係のものも居りましたが、あくまで使用人です。なかなか美純の自由奔放を止めることができませんでした。だから私が……。でも、周りには『四方家長女』の振る舞いに異論を唱えることのできる人間は居りませんでしたので、ときには行き過ぎた事もあったかと今では自覚しています……」

 トオルは小さく頷くと、さっきからずっとそうしていた腕組みを解いた。気を抜いたときについ出てしまう悪癖である、ガス台の角をハイチェアー替わりにしているのに気づき、背筋を正す。彼女の言葉の意味はわかるが納得はしていないという含みを、左の眉を釣り上げて示す。

 その仕草に美空が口元を強く結んだ。

「けれど、そのせいで美純は君を怖がってるよ。君に怒られたくないから、変に緊張して、それで萎縮してうまくしゃべれなくなることがある。吃ったり、つまったりするのは、君が彼女の発言や言葉遣いに厳しく目を光らせていたからだとは思わない?」

 トオルは美空を真っ直ぐに見つめた。

「……はい。確かにそうだと思います」

 美空は素直に非を認めるとじっと見据えてくるトオルの視線を嫌ってか、すっと視線をそらした。

「じゃあ彼女の事を『欠陥品』だと思うのは、どんなところ?」

 そう言われて、うっと美空は声を漏らした。

「君、本当はそんなこと、思ってなんかいないんだろう? でも、わざと彼女に辛く当たるようにしたのは、彼女がだんだん社交の場を避けるようになったからじゃないのか?」

「…………」

「『四方の家には向かない』なんて言って、それで彼女がそういう場に出なくていいような空気を作った」

 トオルの言葉に、美空は答えない。

 俯いたまま黙りこくっている。

「でもね、君がそんなふうに言うから、美純はそれで自分の居場所を失ったと勘違いしているんだと思う」

「それって、どういう事です……?」

「たとえばさ、自転車にひかれて大怪我をして、一生入院生活……とか」

 トオルは苦笑してみせる。

「えっ、そ、それって? 美純は、一体何をしようと……」

 彼女はカウンターに手をついて立ち上がった。

 一歩踏み込んでトオルに詰め寄る。

「多分、美純は邪魔な自分を少しでも早く追い出そうとしているんだと思う。君に迷惑をかけたくないから、なんとかして四方の家を出ようとしているんだろう。その、発想自体はすごく幼稚かもしれないけれど、それを決意した心はすごく強いよ。真っ直ぐ純粋で、思いやりがあって優しくて、自分のことより家族のことを……君をすごく大事にしてるのがよくわかるんだ。だから彼女はとっても強い」

 知ってるんだろう? と、トオルは目で訊ねる。しかし、美空の目は困惑するばかりで答えない。

 トオルはそんな様子の美空からそっと目を逸らして、くだんの姫の顔を頭に思い浮かべてみた。

「彼女は折れないんだ。たとえ自分が辛くっても傷ついても、君や家族のために必ず乗り越えようと努力する。あの子は本当はすごく強くて、しなやかなんだ。知らなかったろ?」

 半分は教え諭すようなつもりで言葉を紡いでいく。

「ねぇ、美空。君は間違っているよ」

「えっ……」

「君がそんなふうに生きなくても、美純はちゃんと自由に生きていく。あの子はきっと大丈夫だ。……多分、君なんかよりずっと」

 カウンターの上をさまよう目が、ピタリと留まる。

「……?」

トオルにはなんとなくわかっていた。

 美空の言葉に嘘はない。

 美純を思う心にも、妹のために自分が何かしてやりたいと思う気持ちにも。

 彼女は純粋に美純のためを思って、ただ一人全身全霊で四方の家のために尽くそうと考えているはずだ。それを間違いだとはトオルも言うつもりはない。

 ただ、彼女は自分の心から目を逸らしている。

「君はね。美純のため犠牲になるようなふりをして、本当は自分を庇っただけだ。もうこれ以上傷付きたくないから、美純の背中に隠れただけだ」

「…………!」

「ちょ、ちょっと、あなた! それこそ言い過ぎなんじゃッ」

 トオルの不躾な言葉に不快感を強くして黙り込む、美空。

 さすがに倫子が割って入ってきたが、この他人の心の哀歓を巧妙に掴む女史を敵にまわしたとしても、トオルは退くわけにはいかない気がした。

 四方の二人の娘達のためにも。

「美空。君が本当に求めているのはなんだい? 望むのは、誰よりも高潔な犠牲かい? それは世界最高の人柱ってこと? でも、そんなのはおかしい。美純はそんなもの求めていない。むしろ、君がそうすることで傷つくのは君じゃなくて、美純の方だ」

「だ、だけどっ……」

「今の君は後ろにゼロばっかりつく値札をぶら下げた宝石と変わらないよ。そんなの誰にも価値のない、誰からも理解されないし、誰のためでもない。ただ独りよがりに高価な輝きをチラつかせたって、その光りは君のことしか照らさない。美純のことなんて、絶対に照らさない」

「だけどっ!!」

 顔を上げた美空は、歯を食いしばって必死の表情だった。

 本人すら目をつぶっていた胸の底の部分を赤裸々にされれば、誰だってこんな顔にもなるのだろう。 

「私がここで全部を受け入れなかったら、たくさんの人が苦しむことになるかもしれない! 美純だって、父だって、……それに四方に関わる多くの人々だってそうよ。私は四方の長女だもの。この家の貴重な『資産』なんだもの。自分の夢や幸せを捨てても守る覚悟をしなくちゃならないんでしょ!! そうやって生きていかなくちゃいけないんでしょっ?!」

「バカだな。そんな事、誰も言ってないだろ。お前、見た目の割には随分とガキなのな」

 急にカウンター越しに腕を伸ばすと、美空の無防備だった鼻の頭のところを指でつついてやる。

 美空はまるで痛いところを突かれたかのように、キュッと唇をすぼめた。

「あのさ。確かに君は他のみんなと大きく違う場所に生まれてしまった。みんなと同じような自由はないかもしれないし、みんなと同じようには選択もできないかもしれない……」

 トオルはゆっくりと諭すように、美空の手に収まるペースでちょっとずつ言葉を続けていく。

「でも、よく周りを見てみるとさ……本当はみんなだって誰一人同じじゃないんだ。隣の誰かと同じ選択は自分には絶対できないでしょ? でもその代わり、君には君だけにできる選択がたくさんある……。それはみんながみんな、必ずそうなんだ。だって、全部がおんなじ人間なんて一人もいないんだもの、自由の形だって誰一人、一緒じゃないよ」

 美空はその言葉に苛立ちの色をみせる。

「そんなの、……ただ言葉を変えただけ。私の痛みも苦しみも、ほかの誰にだって理解できないわ!」

 けれどトオルは揺らがない。顔には笑みさえ浮かべて、返す。

「そうだよ。だから美空、君は自分で見つけなくちゃ。君のための自由を。君のためだけの夢を。それは『四方美空』だからこそ歩むことができる、世界でたった一つの『君の専用の未来』だ。でも、それを必要としているのも、それを見付けられるのも、多分君だけなんじゃないのかな?」

「ううっ」と美空は言葉を詰まらせる。

「全部、君次第ってね。それに恋もそうだ」

「えっ?」

 美空は急にトオルの口から出てきた言葉に驚いて、俯き加減だった顔を持ち上げた。トオルは小さく微笑んでから、言葉を続ける。

「君の恋は、たまたま他の人より障害が多くできてるだけさ……だから諦めなくていい、絶対に捨てちゃダメだ。だって、そんなに君は安い女じゃないだろう?」

 彼女の目に映るトオルがいっぱいの笑顔になって、言う。

「美空、君は最高の恋をしなくちゃいけないんだと思う。そうだよ、四方の家のためにも、誰よりすっごい恋を経験しなくちゃいけない」

「……?」

 美空はトオルの言葉の意味がわからず、不思議そうな顔をしている。トオルはちょっといたずらっぽい顔をして美空に近づいて、小声で呟いた。

「だってさ、頭の固い君のお父さんが観念して嫁にやるくらいの凄い奴が必要なわけだろ? そんなとびっきりの相手、映画みたいな恋でもしなきゃつかまるはずがない」

「なっ、それ……ぷっ、くくく……やだ」

 目を細め、歯をみせて言うトオルの顔につられて、とうとう美空は吹き出してしまった。口元を押さえ、懸命に笑いを抑えようとするが、そうすると今度はポロポロと涙が溢れ出してきた。彼女はどうしよもなくなった感情のさざ波を、もう上手く抑えられずにいた。

 トオルは乗り出していた体をカウンターの後ろに戻すと、倫子を見た。彼女もまた優しい笑みを浮かべて美空の横顔をじっと眺めていた。グラスのワインを時々満足そうに舐めている。

 そのうちにトオルの視線に気づいたのか、彼女は顔を上げるとニヤリと笑って呟いた。

「そんな臭いセリフ、言ってて恥ずかしくないの?」

 目顔で失笑する彼女。トオルはちょっと営業用の苦笑いをみせて返すのだ。

「そういうのは黙ってるのがマナーなんだよ」

 ちっちゃな抵抗と共に。


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