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Jewel ≪空色の宝石≫ 12

「妹さん、どうかしたの? なんだか、泣いていたみたいだけど」

 本当になんの前触れも無く倫子が切り出した。

 あまりの鋭い出足はトオルが思わず息を呑むくらいだ。てっきり倫子はそういうことに首を突っ込まないタイプかと思っていただけに、かなり驚いた。

「…………」

 もちろん、美空は答えなかった。

 というよりも、本当のところはトオルと同様に驚いていたようだ。椅子に座るか座らないかのうちにいきなり話しかけられ、なんと返事をするべきかに困っていたのだろう。

「別に、話しづらいことならいいのよ?」

「あっ、い、いえ。そういうわけでは……」

「んー、そう」

 自分で訊ねておきながらちっとも気のなさそうな返事をして、倫子は視線を逸らす。

「ごめんなさいね、ちょっと気になっちゃっただけなの」

 それがあまりに口先だけの言葉に聞こえてしまって、正直トオルは落ち着かなかった。

 たった今美空の鼻先まで迫ったハズの会話を、彼女はあっさり放棄した。一体、倫子が何をしたくてこんなことを言い始めたのか、ほんのちょっとも理解ができない。

「あの子、美純ちゃんだったかしら? 可愛い子ね。高校……」

「えっ? ああ、二年生です。仲泉学院の」

「あら、お坊っちゃんお嬢様が通う名門校じゃない。すごいわぁ」

 その感嘆に嘘はないように感じた。

 しかし倫子が浮かべている人を喰ったような笑みを、美空は決してよくは思っていないようで、言葉こそ丁寧だが表情はあっという間に警戒を強めてしまった。

 明らかに作り笑顔とわかる表情なのは、そうであると知らしめるためか、ただの未熟か。

「いいえ、そんな事はありません。成績は悪い方ではないですけれど、だからといって優等生ともいえないですから」

「だとしても、よ。私なんかがどんなに努力したって入れるところじゃないもの」

「確かに、人一倍努力はする子です。それは私も認めてます」

 美空が倫子に対してひとつ毒を吐いたように聞こえた。

 それを聞いて倫子の目が少しだけ見開かれた。唇にしっかりと塗りつけられた口紅が、ややあってニンマリと微笑んだ。

 トオルはカウンターのこちら側で美空のためのコーヒーをいれながら、内心、かなり驚いていた。というのも、倫子がかなり荒っぽいながらも、ほぼ初対面の美空から幾つも会話を引き出していたからだ。

 しかも倫子のほうからは大して聞きもしないのに、美空のほうが勝手に答えているからすごい。

 初めて会ったときもそう感じたが、あらためて倫子という人間の凄さには驚かされた。

 懐が深い。説得力がある。

 客観的にみると自己中心的な言動も、彼女が口にするとちょっと違った意味を持つようだった。

 それに、話術というのは言葉だけでない、そう気付かされる表情や仕草の応酬。

 いつの間にか彼女のペースに引き込まれてしまった美空は、多分まだその事実には気付いていないはずだ。

「やっぱり、ちゃんとした家の子はデキが違うのかしらねー」

 不意に倫子が会話の立ち位置を変えた。

「ねぇ、私はあの子、好きよ。一所懸命で手を抜かない感じが、とっても。……お姉さんは違うの?」

「わ、私はっ……自分の妹を好きとか嫌いとか、そういうのはよくわからないんです」

 唐突な話題に言い淀んでしまう、美空。

「そう。でも妹さんのほうはお姉ちゃん、大好きみたいだけど?」

「そ、そう、なんでしょうか……」

「当たり前じゃないっ。あの子の表情を見て、わからない?!」

 ひどく驚いた顔で倫子が言ったのは演技でも、美空にしたら表情を暗くする理由のひとつにはなったようだ。

「でも、私は美純に厳しくします。怒りもします。ですから、あまり好かれているとは思えません」

「あら、そうなの。じゃあ、私の勘違いかしら?」

 倫子はちょっと残念そうな顔をして言った。そしてそのまま黙り込んでしまう。

 容赦なく話し始めたのに随分呆気ないんだな、とトオルは苦笑いだ。ただ、それすら計算のうちのように思わせる倫子の横顔には油断がならない気がしていた。

 きっちり最後のひと雫まで抽出した、いれたてのコーヒーを美空の前に差し出し、トオルはもうしばらく傍観者を決め込むつもりでいた。

「ありがとう」

 小さく言った美空の顔は、砂漠の真ん中で水を得たようなホッとした顔をしていた。

 琥珀色の温かな液体で、思いがけず沈んでしまった心をちょっとでも癒したい、そう顔に書いてあるように見えた。

「ねぇ、妹さんと同じように、あなたも良家の長女なんだからさぞや凄い経歴の持ち主なんでしょう?」

 しかし、だ。

 休む間もなく倫子は新しい話題を振った。

 折角のコーヒーに口を付けようとした美空の顔が、今度は明らかに歪んだ。

「別に……私は、人に誇るためにやってきたわけではないので。自分にとって必要だからそうした、それだけです」

 しかし、今度は美空もしっかりと立ち向かっていった。彼女にとって妹のことはともかく、自分のことを詮索されるのは御法度のようだ。

「それに、四方は父が一代で大きくした家です。『良家』とは違います」

「あら、そう。私にはどっちも大して変わらないように思えるけれど」

「いいえ、違いますっ」

 美空は強い口調で否定した。

「うちは……四方は、私がしっかりしなければただの成金ですから」

 口元をきゅっと引き結んだ表情は、美空がみせた初めての真剣な表情だった。

「すごいじゃない。20代そこそこで、もう家を背負って立つ決意をしてるってわけ? いいトコの娘さんはやっぱりデキが違うのね。感心するわ」

 しかし、そんな彼女の気を逆撫でするような言葉を吐く倫子に、さすがの美空も我慢しきれない。あからさまな不快感を顔に浮かべて、ついに倫子の事を睨みつけたのだ。

「茶化さないでくださいっ!! 私にとってはとても重要なことなんです」

 美空の剣幕に、驚いた倫子は目を丸くしていた。

 ただ、彼女のその顔が偽りのものだということは、多分もう美空だってわかっているはずだ。唇を噛んで言いたいことを我慢するのもそろそろ限界だろう。

 なのに倫子はまだ何かを言おうとするのだ。

「あら、そうなの。……でも、そんなご立派な覚悟をお持ちのあなたを、あなた自身が嫌っているように見えるのは、私だけ?」

「なっ?!」

 トオルは驚いて目を白黒させ、思わず倫子の顔を覗き込んだ。

「あなた、本当は自分の事、嫌いでしょ?」

 彼女の目は美空を真っ直ぐに見据えたまま、ピクリともしない。さっきまでコロコロと変わった表情は、まるで嘘のような大真面目な顔だ。

 美空は息をするのが先か、瞬きをするのが先か、顔じゅうが凍りついたままになっている。

「それって、どういう、意味ですか……」

 かろうじて言葉にできたのはそれだけ。

「どうって言われても、言葉のままなんだけど。あなた自分のこと嫌いでしょって言ってるの。ああ、気分を悪くしたなら謝るわ。ごめんなさいね」

 言葉に何の感情もこもっていないのはカウンターを挟んだこちら側からも明白だった。倫子の態度は反省なんてこれっぽっちもしていない。

「今岡さん、あなた、その言い方はあんまりだ。彼女に対して失礼ですよ」

 さすがにこれはまずいと、トオルは倫子に詰め寄った。

 けれど倫子はそれにまったく答えようともせず、美空も呆然としたままトオルの言葉など耳に入っていない。

 カウンターの向こうの空気は一触即発だった。

 次第に自分を取り戻し始めた美空の発する空気が、ピリピリと痛いくらいに張り詰めていくのをトオルは肌で感じていた。

「なぜ……」

 唸るような声だった。

「なぜ、私はあなたからそんなことを言われなければならないのですか? 初対面のあなたから、」

「失礼」

 倫子が素早く美空の言葉を遮った。

「私、お会いするのは二回目です。一度目は先日の宝石の販売会。ここでお会いしているんですよ」

「あ、あなたっ……自分の立場をわきまえていないの? こんなことをして、私が黙っていると思っているの?!」

 美空はもう爆発寸前だ。

 右の瞼が怒りで痙攣するのが見えた。

 トオルは頭を悩ませた。これは間違いなく倫子のほうが悪い。

 けれど、彼女が理由もなくそんなことをするような人間とは思えないのだ。きっと何か考えがあっての行動のはずだ。だからといって彼女を庇うにはトオルにしたって納得が言っていないことが多すぎたし、美空のほうをなだめるのはもう、手遅れだ。

「美空さん」

 倫子はさらにもう一言、切り出した。トオルはもう気が気ではない。

「あなた、ちゃんと恋をしたことある?」

 これには美空より先にトオルが絶句してしまった。

「もしかして、自分を誰かに好きになってもらおうとしたことって、今までないんじゃない?」

 仮に倫子に意図があったにせよ、これはもうやりすぎだ。

 トオルは思わず目を覆った。

「私が恋もしないような、冷たい女だとでも……」

 美空は怒りに震え、顔色はすでに赤を通り越して青白くなっていた。

 しかし、倫子はそうではないと首を横に振った。

「そうは言ってないけれど、でも誰のことも好きにならないようにしてるみたいには感じるわ」

 不意に倫子は席を立つと、すっと美空に近づいていった。それこそ顔と顔が重なるくらいまで寄って、耳元でポツリと話しかけたのだ。

「ごめんなさい、さっきからけしかけるような言い方ばかりして。だけど、あなたって誰のことも……それこそ自分のことも拒絶してるみたいに見えて、とっても痛々しくって」

「…………ぁ」

 吐き出すはずの漫罵を呑み込んで、美空は息を止めた。

「あなたはちゃんと自分のこと好きにならないとダメよ。じゃないと、あなたのことを大好きな妹さんがかわいそう」

「……私、……美純っ」

 美空はそう呟いた。


 

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