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Jewel ≪空色の宝石≫ 6

 店を出ていく背中を送り出す際、トオルは気になっていた事を一つだけ美空に訊ねた。

「あのぉ、すいません」

「はい?」

「実は妹さんのことなんですけれど、ちょっと気になった事があって……」

「美純が、何かご迷惑を?」

 どうも妹のことになると過剰に反応するらしく、美空の声のトーンがひとつ低くなった。トオルは話が大袈裟にならないよう、ちょっと手を振って否定する。

「あっ、いえいえ、そう大したことではないんですが」

「なら、何か?」

「ちょっと気になったことがあって。妹さん、慌てたり緊張したりすると、吃ったり上手く喋れなくなったりすることがないですか?」

 美空の目の色が、その時、ほんの少しだけ変わったような気がした。

 彼女はトオルの質問に対して、すぐに答えようとはしない。

 代わりに半分だけ振り返った目が鋭く向けられ、トオルを見定めてくる。しばらくじっとトオルの目を射抜くように見ていたかと思うと、その視線が今度は彼の足元から頭のてっぺんまでを吟味するようにした。

 その行為自体はあまりいい気のするものではなかったが、よくよく考えてみれば彼女は赤の他人に家庭のことを詮索されたわけで、そのことに気付いたトオルはすぐに自分の考えを思い直した。

 第一、美空とは大した面識もないのだ。その割に彼はだいぶプライバシーに踏み込んだ質問をしてしまった。 

 トオルは自分の行き過ぎを反省した。

「すいません、ちょっと余計なことを言いました。今の言葉、忘れてもらえませんか」

 しかし、美空の反応はトオルが予想していたのとは違うものだった。

「ねぇ……あなた、どうしてそれを?」

「えっ?」

「どうして美純のその癖をあなたが知っているのか、って」

 彼女はゆっくりと向き直り、またひとつ声のトーンを落として言う。

 じっと、目を覗き込んでくる。

 それは査問にでもかけられているような冷たさと一種の圧力を感じる視線だ。

 美空の顔はさっきまでの正確に表情を創り出す機関ではなくなっていた。まるで相手の心の機微を見極めるためには、自分が冷静を通り越して無感情になる必要があるとでも思っているかのようだった。

 トオルは自分の迂闊な発言を嘆くとともに、そんなふうに他人を見る美空という女性をちょっと異質に感じていた。

 難しい人間関係を生きているのだろう。

 会って間もない彼女が実際にどんな性質なのかはわからないが、少なくてもトオルがこれだけ壁を感じるくらいだから、決して誰とでも友好的な性格ではないはずだ。

 トオルは素早く言葉を選ぶと、美空の質問にできるだけ短く答える。

「あの日の帰り、お出かけの準備が整った四方夫人とあなたからちょっと遅れて妹さんがこの店を後にしようとしたとき、そうだったんです。とても慌ていたのか、上手く言葉が出なかったみたいでした」

 ポーカーフェイスが果たしてうまく出来ていたかはわからなかったが、トオルの答えを聞いた美空がそれまで発していた警戒的な空気を幾分和らげたように見えたのは幸いだ。

 ふっと、小さく息を吐いたのは、たまった肩の緊張を解くためだったようだ。

「そう、ですか」

 彼女の視線がトオルからスルっと離れていく。そしてまた、あの笑顔が仮面のように美空の顔に張り付いた。

「あなた、すごいのね。あんな短い間のことなのによく見ているわ……びっくりする」

 そう言って目を細めた。

 トオルは美空に見付からないように小さく息を付くと、すぐに笑顔を作って返す。

「僕らはそういう商売ですから。お客様の小さな変化や異常にも敏感に反応してしまう……自然と、そういう性質になっちゃうんですよ」

「ふぅん、そうなんですか」

 その答えはあまりにも興味のなさそうな音だ。

 トオルは決して口に出すつもりはなかったが、美純は初めて会ったあの夜だってそうだったのだ。だが、そのことについて深く追求しようとするのは得策ではないと感じていた。

 あとは形式張った文句を述べて、これで終わりにするつもりだった。

 しかし、だ。

「あんまり、言いたくはないんですけれど……」

 もうすぐそこまで見送りの言葉が出かかっていたトオルは、ちょっと驚いて息を止めてしまった。 

 美空は、この話題を続けようとしていた。

 トオルは思わず唾を呑み込む。ゴクリッ、と思いのほか大きな音がしたから、もしかしたら彼女には聞こえていたかもしれない。

 ふぅと一回だけ息を付くと、美空はどこを見ているかしれない表情をしておっとりとした口調で話し始めた。

「あの子、小さい頃はそんなことなかったんです。昔は明るくって、本当によくしゃべる子でした。人見知りもあまりなかったから、誰とでもすぐ打ち解けた。だからあの子の周りはいつも明るく賑やかでした」

 ぼんやりとした目で。

 その視線は、でも自然と足元へと落ちていってしまうのだ。

「だけど……小学生の頃くらいからか、あの子はちょっと変わってしまったんです」

 じっと下を向いて喋る彼女の言葉を、トオルはすくい上げるように聞く。 

 言いづらいのは、彼女の様子をみても容易にわかっていた。 

 美空はもう一度肩の荷を下ろすかのように深いため息を付くと、それから口を開いた。

「……四方の家に生まれた以上、子供の頃から人との付き合いは避けては通れません。四方は大きな家です。父の仕事の関係で、いつも家には多くの人が出入りしていました。けれど父や母は多忙でなかなか家にいることがなく、代わって子供の私達がご挨拶やご接待をする機会も少なくはなかったのです。接待といっても招待されて食事をご一緒する程度ですが、そういった席に招かれると美純は幼いこともあってかなかなか上手く振る舞えなかったのです」

 なんとなく現実に思えない話題に相槌を打つこともできず、トオルはただ美空の横顔をじっと見ていた。

 彼女は話している間じゅう、表情をほとんど変えず、口調と同じように表情も淡々としている。

「上手に物を食べれない、上手に会話を挟めない、挨拶もほどほどに食事に手を付けてしまう、一息に食べてしまうと満足して眠ったりもする……あの子は接待の趣旨を理解しようとはしませんでした。勝手気ままに振舞って、結果、父の顔に泥を塗ったこともあったと思います。なかには父と仕事のお付き合いを解消する方もいたと聞きました」

 美空の横顔が、ふっとトオルの方を向いた。

 その目には何か深い感情があるように見えたのだが、それは少しも表情に表れることはなかった。

 多分、これまでも思いを簡単に口に出来る事は少なかったのだろう。

 そう考えると、トオルは複雑な気分だった。

「私は、父の負担になることは絶対に許してはならないと思い、美純を叱ったり仕付けたりしました。少しずつですが彼女の行儀もよくなった。だけどマナーや振る舞いをキチンとさせても、問題が残りました」

「それは、どんな?」

 トオルが訊ねると、美空はほんのちょっと躊躇ってから、やがて吐息のように細い声で答えた。

「あの子は目上の人間と話そうとすると、なぜか緊張していつも吃ってしまうようになったんです。酷いときは、父や母とすらうまく会話できないこともありました」

「そう、でしたか」

 トオルは言葉を返しながら、初めて自分が美純と会った夜のことを思い起こしていた。

 彼女があんなにも言葉をうまく言葉を紡げなかったのには理由があったわけだ。そう考えると、馬鹿みたいに笑ってしまった自分がどうしようもなくたちの悪い奴に思えてくる。

 胃の奥に苦い粒が落ちたような気分だ。

 美空はそんなトオルの様子は気に留めず、さらに続ける。

「欠陥品だったんです、美純は。あの子は四方のような特別な家には向かない子です」

「えっ……?」

 思わず耳を疑ったのだ。

 当たり前のように美空が口にしたその言葉は、耳に入ってきたところで全く胸には落ちていかない特別な声質の音に思えて仕方がなかった。

「欠陥品、って……」

 自分の口が無意識にその言葉を繰り返していたとしても、それが彼女のことを示すものだなんて思えない。

 あの子が実の姉からそんなふうに思われていたなんて、信じたくもなかった。

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