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“Boyed” meets Girl ≪オジサンと少女≫ 2

  

 道沿いの段差を椅子がわりにして座る30半ばの男と高校生の少女。

 こんな不思議な組み合わせは、きっと真っ昼間だってそんなには見掛けないだろう。ましてや深夜零時をまわった今、人目に付けばどんな勘違いをされるか。

 だが、この街の夜はいつも静かだ。辺りに人の気配はない。

 少女はだいぶ落ち着きを取り戻したものの、ときどきまた思い詰めたような表情をしては、ポロッと涙をこぼした。深夜の静寂のなかにそのすすり泣く声だけが響くのだ。たとえどんなに薄情な男だって無関心ではいられないはずだ。

 本当は何か言葉をかけてあげたいと思うのだが、トオルはに彼女を慰めるようなうまいセリフはなかなか思いつかなかったし、そもそも声をかけるタイミングもうまくつかめない。頃合を見計らっていざ口を開こうとしても、すぐに新しい涙の跡をつくる彼女の横顔をみてしまうと、折角頭に浮かんだ慰めの言葉なんて呆気なく何処かに消えていってしまった。

 結局、トオルにできることなんて、ただぼんやりと空を見上げて待つくらいしかない。

 多分、年頃の女の子が初対面の男なんかに泣き顔を見せたくはないだろうから、すんっと鼻をすする音だって、嗚咽を無理に呑み込もうとして逆にむせ返すのだって、彼は聞こえないふりをしていた。

 トオルはただずっと夜空を眺めていた。

 そして星を数えながら時間が過ぎるのをじっと待っていた。

 頭上に広がる星屑の海は、いつまでだって彼女が涙を流していいように後から後からまたたきを増やしているようにも思えてしまう。

 まさに無限だ。

 だが、少女の涙は永遠ではない。気付くと隣りの少女は膝を抱え、小さく丸まるようになっていた。

 そろそろいいだろうと思い、トオルはゆっくりと腰を上げた。

「んん……っ」

 日中は暖かくなったとはいえ、春の終わりの夜はまだまだ涼しい。しばらく座っていた体はなんとなく強ばっていて、トオルは腕を伸ばしたり、首を鳴らしたりして、春宵に同化しそうになっていた体を活性化させる。そんな彼の動きが気になったのか、少女はゆっくりと顔を上げた。まだ頬に残る微かな涙の筋を右手の甲で何度かこすってから、肌寒かったのか首をすくめていた。

「行こっか?」

 トオルが声を掛けると少女は無言のまま頷いた。

 ただ、彼がした笑顔の返事には無表情しか返してこない。それでも足を進める気になったのだから少しはマシか、とトオルは肩をすくめる。

 軽い冗談やちょっとした雑談には無言のままの少女も、問いかけには大抵「うん」か「ううん」で返事をしてきた。

 それでわかったのだが、彼女の家は電車で一つ隣の駅だった。

 けれどここは『都会じゃない街』だ。都内と違ってひと駅ひと駅の間はかなり距離がある。ひと駅あれば小旅行、ふた駅だったら歩いて帰るのはまず諦めたほうがいい。終電のとっくになくなってしまったこの時間に彼女を家に送り届けようとするなら、タクシーを利用するほかはない。

「駅まで、歩ける?」

 トオルが訊ねると、少女はコクリと頷いた。

 彼がガードレールのそばに倒れていた自転車を起こし、手押ししながら駅に向かって歩き出すと、少女はそのちょっと後ろを黙ってテクテクと付いてきた。

 二人は駅までの道のりを無言で歩き続けた。カラカラカラッと自転車の車輪が廻る渇いた音が辺りに響き、二人のカツカツと鳴る足音がそれを追いかけるように聞こえる。深い静寂は、時折、電球の古くなった街灯がジジジッと鳴るのがわかるほど。互いに一言も発しないから、尚更その静寂が際立った。

 しばらく歩くと交差点と信号機が見えてきた。その場所を左に曲がれば駅はすぐだ。

 ところが、気付くと足音のひとつが遅れていた。

 カツッ、カツッ、カツッと一歩の感覚が長くなっている。トオルが振り返ると、さっきまですぐ後ろに付いてきていたはずの少女がずいぶん離れて歩いていた。トオルは立ち止まって彼女が来るのを待とうとしたが、そうすると彼女も同じように立ち止まってしまう。

 辺りが急に静かになったので、不気味なくらいにくっきりと信号の点滅音が聞こえた。

 互いに立ち尽くしたまま。

 まるでどっちが先にしびれを切らすかの我慢比べをしているようだ。

 少女は、まだ立ち止まったまま。

 そしてトオルもまた動こうとはしなかった。

 しばらくはじっとしていたが、我慢比べはトオルの負けだ。彼は一度大きく肩で息をつくと、押していた自転車のスタンドを立てた。カタンッと鳴ったその音に少女の肩がビクンッと反応するのが目に入る。

 近付いていくと、少女の手を握り締めた。

「……!?」

 少女はまたビクッと反応したが、トオルはもう気にしなかった。

 彼は少女の手を引き、再び歩き出す。そうすると彼女も素直にあとに従って付いてきた。

 すぐ側まで来ていた交差点を曲がり、目の前のロータリーを横切れば、その先には駅舎がある。

 駅名を記した看板が暗闇の中で煌々と明かりを灯していて、迷宮を抜けた冒険者を迎え入れているようだ。トオルはようやく肩の荷が下りた気がした。

 あとはタクシーを拾って、この少女を見送るだけだ。そこまですれば彼は十分、自分の責任を果たことになるはずだ。

「……なんにも」

 急に彼女の足が止まった。明らかな抵抗の意思を、つないだ手から感じた。

「うん?」

 トオルは振り向いて聞き返した。

「……なんにも、訊かないんですね」

 少女はようやく顔を上げたかと思うと、じっとトオルの目を見据えてきた。口をきゅっと引き結び、眉間の辺りにもぐっと力が入り、意志の強そうな表情をみせている。

「こんな時間にどうして一人でいるのか、とか、なんで……あ、あなたの自転車の前に飛び出したのか、とか。気にならないんですか?」

「…………」

 トオルはしばらく黙って少女のことを見ていた。

 やがて大きく息をつく。

「キミは、さ……」

 トオルが口を開くと、少女はすぐに目を伏せた。

 そんなに聞くのが怖いなら訊ねなければいいのに、とトオルは思ってしまう。ひりひりとした横顔をじっと見つめながら、トオルはつきたくもない溜息をついた。悪いことなどひとつもしてないはずなのに、悪者にされた気分だった。 

「君は一体、どうしたいの? 問い詰められたいの?」

 おかげで投げやりな口調になってしまった言葉にますます気が滅入ってしまう。

「…………」

「それとも、俺に慰めてもらいたかったりして?」

 少女が大きくかぶりを振った。

「そっ、そんなんじゃ、ないっ……私、そんなふうに思ってなんかない、です」

「そ。でも、別にキミが何を考えていかなんて、悪いけど俺には興味ないんだ。だからわざわざ『なんで?』なんて訊くつもりもないよ」

 トオルは苦笑してみせてから振り返り、歩き始めた。

 冷たい言い方かもしれないけれど、これ以上踏み込むつもりはまったくなかった。

「…………」 

 少女の足音が後ろに続くのが聞こえた。

 それだけでトオルは十分だ。

 彼女をタクシーに乗せれば全部が終わる。それから先は自分とは無関係なはずだ。彼女がどこの誰で何をしようとしていたかなんて、聞いたからって自分のやるべきことは変わらないのだ。

 ところが、ちょっと計算外のことが起きていた。

 駅の時計を見て、その事実にトオルはちょっと驚いてしまう。

 時刻は間もなく深夜の三時をまわろうとしていたのだ。そんなに時間が経っていたとはこれっぽちも思っていなかったから、おもわず「うわぁ……」と口に出してしまった。

 しかしこんな時間では当然といえば当然なのだが、乗り場にタクシーは一台も停まっていない。

 よく見れば駅前も閑散としていて、普段感じたことがないくらいにロータリーの広さを実感させられる。明かりがついているのは駅名の看板くらいで、構内はもうほとんど電気が消えていた。

「はぁ、まいったな」

 トオルは頭を抱えて座り込んでしまった。

 駅に着いたら彼女をタクシーに乗せ、運転手にいくらか渡せば御役御免のつもりだった。

 こういう展開はまったく想定していなかったからトオルも困惑してしまった。まさか彼女を放って帰るわけにはいかないし、かといって次のタクシーが何時来るのかなんて見当も付かない。

 最悪の場合、明け方まで待って最初のタクシーをつかまえる方法もあるが、それにしたってずっとここで待っているのも考えものだ。

 これが男だったら自分の店に連れて行って、椅子でもどこでも好きに寝ろってこともアリなんだろうが、女の子相手にそれはちょっとまずい気がする。

 どんなに口でその気はないと言ったってトオルも一応男だ。初対面の少女に信用しろというのが無理な話だ。

「うーん……」

 あれこれと頭をひねっているうち、トオルは何気なく胸のポケットをまさぐってしまった。しかしそこには何も入ってはいない。はたと気が付いて、彼は思わず舌打ちしてしまう。

 煙草はちょっと前にやめたのだ。

 だが悪癖はなかなか直らないようで、考えがまとまらなくなるとどうしたって口寂しくなってしまう。なんだか色々な事が同時にうまくいかなくなった気がして、トオルはガクっと項垂れてしまった。

「ははは、……せめて君が男の子だったらなぁ」

 トオルはひとりごちに言った。

 少女はトオルが言ったその言葉の意味を探りかねて、首を傾げていた。トオルは溜息に似た力ない声で「そうしたら、二人乗りして送ってちゃうんだけどね……」と続け、また笑ってみせる。

 彼の自転車はいわゆるママチャリだが、荷台のついていないタイプだったから二人乗りするにはフレームに足をかけて立ち乗りさせなければならない。

 スカートだってヒラヒラするし、そんなの女の子にさせるなんてできない。

「ははははっ、はぁぁ……」

 情けない顔でしていた笑いは、最後はかすれて夜の静寂の中に消え去ってしまう。笑い声もでなくなると、あとはもう肩を落とすくらいしかできそうになかった。

 ところが、だ。

 気が付くと、くいくいとトオルのシャツの裾を少女が引っ張られていた。

 振り返ってみると、すぐそばにあった彼女の顔が首をコクリと縦に動いた。

 トオルは最初、それが何を意味していたのかわからなかったのだが、すぐに彼女が指さす先を見て合点がいった。

「えっ、ほんと?! じゃあッ」

 今度は少女の方が先にスクっと立ち上がっていた。

 再び走りだした自転車は最初はゆっくりとした安全運転で、それでも人も車も通らない深夜のサーキットでは、ストレス・フリーでぐんぐんと疾走することができた。

 ついさっき安全運転を誓ったばかりなのに、いつも走るこの道が自分だけのモノみたいに感じられると、なんだか子供のように胸が踊ってしまう。

 上機嫌なのは深夜の街を我が物顔で走れるからか、それとも背中から漂うほんのり香りのせいか。

 次第に目の前にT字路が迫ってくると、トオルは背中に向かって訊ねた。

「ねぇ、どっちっ!?」

 後ろから元気よく響く声。

「左っ!!」

 そして少女の左手のひとさし指が進路を示す。

「りょおっっっかぁい!!」

 キャプテンからの指示に従い舵をきるトオルは、まるで大海原にでた海賊のような気分だ。

 水無月の夜の空気をいっぱいに浴びて。

 しっとりとした風に頬を撫でられて。

 二人は、街を走り抜けた。人気のないトンネルを、荘厳な雰囲気の神社の脇を、誰もいないコンビニの前を、静まり返った踏切を、ぐんぐんと疾走していく。

「ねぇっ!」

 ふいに顔を後ろに向けたトオルが、少女に声をかける。

「何っ!?」

 目をくるるっとして少女は聞き返してきた。

 互いに叫び合うような大声で会話してしまうのは、前からぶつかってくる風の厚い壁のせいで、自然とそうなってしまうからだ。

「名前っ!」

「えっ?」

「名前っ、教えてよ! 何ていうのっ?!」

 少女はちょっと黙って考え込んだが、やがてトオルの頭の上でもごもごと小さく答えた。

「えー、聞こえない」 

 トオルはもう一度大声で聞き返した。

「ねぇーっ、な・ま・えっ!!」

「もうっ……みぃ・あぁ・やぁ! 四方美純っ」

 ちょっと不満そうに言ってから、すぐにムスッとしてしまう少女。

 なぜそんな顔をするのか理由はわからなかったが、その表情は今夜初めてみせる歳相応の少女らしいものだった。トオルはその様子を見て思わず顔が柔らかくなる。自然と口角が上がって、ペダルを踏む足にも力が入る。

「俺は、廣瀬トオル。『ト・オ・ル』はカタカナッ!」

「何それっ、変なのっ! オジサンみたい!!」

 口を尖らせてみせる美純の顔には、子供っぽい悪意が滲んでいた。

 その顔を見たトオルは、なんだかちょっと意地悪したい気分になって、急ブレーキをかけて突然自転車を停止させたのだ。

 こめかみに響く甲高いブレーキ音が鳴る。

「きゃっ、わあっ!?」

 美純はびっくりして大声を上げた。

 慣性に振り回された美純の体が、勢いそのままトオルの背中に突っ伏してくる。

「も、もう、ちょっとぉー。あぶな……ひゃっ!」

 トオルが話しかけようと肩越しに振り返ると、思いのほか彼女の顔が近くにあってちょっとドキッとする。だが、彼女のほうはもっとそうだったらしく、目をまんまるにしてびっくりしていた。彼女の両手が慌ててトオルの肩を強く押し返してきた。

「まぁ、オジサンはオジサンだしね。でも、単純な名前だから覚えやすいだろ?」

「ううぅ、ば、馬鹿っ。そんなつもりで……言ってないもん」

 目を見て笑いかけると、美純は慌てて顔を背けてしまった。

 彼女はちょっと上擦った声になって、それでもなんとか自分の不利を取り戻そうとトオルに抵抗してくる。

「あ、あのさっ、ちょっとは言い返しなさいよ。オジサンなんて言われてるんだからっ」

「はははっ。実際、おじさんだからねぇ。……俺、34だし」

「さ、34っ、私の倍なのっ? きゃー、それじゃオジサンを通り越して、もうオジイサンじゃない」

 その言葉に思わずくっくっと笑いながら、トオルは再び自転車をこぎ出した。

「いいよ、別に何でも。美純の好きなように呼んでくれて」

 そう言ってトオルはスピードを上げる。

 トオルの言葉に対して、美純から答えは返ってこなかった。

 ただ、頭の上では彼女が言いづらそうにもごもごと何かを喋っていた。風のせいでよくは聞こえなかったが、やり込めたのだけは間違いなかった。 

 ようやく彼女の家に到着して、トオルから出た第一声が「おーっ!」だった。

 立派な門。そこから玄関までの長い距離。暗くてよくは見えないけれど、隣、近所の1.5倍くらいはありそうな建物のシルエット。

 言葉通りの立派な豪邸に、しかしながら娘の帰宅をいまかと待つ温度は感じられない。

「……ご両親は?」

「今日は仕事だから、居ないんです」

 そう言って振り向いた美純の顔が何かに気付いたようで、急に不自然な固さをみせた。

「あっ、そ、それに姉が一人いましゅが、きっ、き、今日はしゅご、仕事へ……」

 急に妙な敬語で言葉の端々を噛む美純に、トオルはまたちょっと笑ってしまう。

「ぷっ、くくくっ。ほんと面白い娘だよね、美純は。どうしたの、急に? 別に今更敬語なんか、いいのに」

 そう言われて美純は気恥しそうに顔を赤くして、反論してきた。

「ちょ……ちょっと、あなたってほんと失礼な人ね! 折角、ちゃんとお礼を言おうと思ってたのに、そんなんじゃ、感謝する気も失せるじゃないっ!!」

 ころころと表情を変えたと思ったら今度は怒り出す美純に、さすがにトオルも苦笑いだ。

「別に、いいって。礼なんて言われるほどのこともしてないし」

 そういって、トオルは肩をすくめてみせる。

「まぁ、ともかく無事に送り届けたし。俺はもう眠いから、じゃあ行くね」

「えっ、あっ、……あの」

 歩き出そうとしてすぐに呼び止められ、トオルはちょっと眉をしかめてしまう。振り向くと思わず不満の言葉が口をついて出た。

「まだ、何かあるの? もう、いいでしょ。俺、帰るよ」

「い、いや……あ、あのっ、だって……」

 口ごもる美純にトオルはちょっと苛立ってしまう。正確にはわからなかったが、おそらくもう明け方近くであることは間違いない。彼女のお守りは十分にしてやったつもりだし、送り届けたことで責任だってちゃんと果たしたはずだ。さすがにもう開放されてもいいだろう、と思っていた。

「あのさ、何か言いたいことがあったら『カーサ・エム』って店に来て。悪いけど、今夜はもう寝かせてくれよ……」

 そう言うとトオルはヒラヒラと手を振って自転車を走らせてしまう。

「え、ちょっと、待ってよっ!!」

 後ろの方で美純が何かを言うのが聞こえていたが、今の彼はもうそれどころではなかった。

 眠気で頭がくらくらするのに、東の空がぼんやりと焼け始めている。このまま仕事だなんて、絶対に無理だ。

 誰かが言った通りだった。

 この体はもうオジサンなのだ。徹夜なんて、もっての外だ。

 

 

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