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Jewel ≪空色の宝石≫ 3

 トオルが今日の一皿目に選んだメニューはホタテのサラダ仕立てだった。

 ホタテは半口サイズに小さく切りそろえ、フレッシュのハーブをちぎって合わせる。味付けはシンプルに塩・コショウのみ。鮮度の良いものが手に入ったときはこれだけで十分だ。好みもあるのでヴィネガーはあえて使わず、レモンを添える。仕上げは南イタリア・シチリア産のエキストラバージン・オリーブオイル。

 本来であれば生の魚介料理は避けたかった。長女は生魚が食べれない。ならば生の貝好きであるケースは考えにくいからだ。それでもこのメニューをトオルが選んだのには理由があった。

『魚介料理のメニューを多めに。夫人、魚介類がお好きです』

 顧客インフォメーションの、四方夫人の部分にはこう書かれていた。

 こういうことは複数人のテーブルではよくあることなのだが、<一方が希望するメニューでも他方にとっては苦手な食材が入っている>ことはままある。実に残念なことなのだが、その場合は大概<食べたい側>が折れて<食べれない側>に合わせるのが常だ。

 けれどもそこにグループ内の人間関係ホストとゲストや力関係が関わってくると話がややこしくなる。譲ったり、我慢したり、無理したり……。それがヒトとヒトとの関わり合いだ、といえばその通りなのだが、こと言ってしまえば『日本人特有の』と言葉が付く。海を渡るとこういった感性は途端に意味を薄める。文化や習慣というのは本当に面白い。

 今回の四方家の3人の関係に関しては家族であるからそういった気遣いは無用なのだろうが、トオルが考えたのはホスト側である『ジュエリー・yoshika』のことだった。彼らにとって最も重要なゲストは四方夫人だ。当然、夫人の嗜好には応えたいはずだ。日本人の『魚介類好き』の99%は刺身好きと言っても外れないくらい、日本人の魚介好きは『生』のモノに目がない。ここは寿司大国・日本である。ならば、応えられる範囲内で鮮度の良い生の魚介類をお出しする必要がある、とトオルは考えた。あえて『生魚・NG』とだけ書いてあるということは、『それ以外の生魚介類はNoではない』ということだろう。長女もおそらくは食べられないことはないはずだ、とトオルは判断した。

 しかし、違った――――――。


「ごめんなさい。私、これ食べれない」

 長女は片手で自分の皿を数cmだけ前に押しやった。

「えっ……」

 トオルは口篭る。

「私、生の魚が食べれないんですけど、体調によっては魚介類全般の生モノが食べれないんです。と、いうか食べたくない時がある、というか。折角出していただいたのにすいません」

 長女はトオルの目を見て謝罪すると、丁寧に頭を下げた。

 しまった、とその時トオルは思った。こういう可能性が頭に浮かばなかったわけではなかった。

 彼はやりすぎたのだ。余計な気を回しすぎた。それで結局は全員を満足させる結果でなくなってしまった。彼のミスだった。

「美空、食べないの?」

 四方夫人が声を掛けると、長女――美空は頷いた。

「今日はちょっと無理みたい。ごめんなさいね。お母さんと美純は気にしないで食べてちょうだい」

「そう……」

 夫人は残念そうに顔色を曇らせた。美純も一度握ったナイフとフォークを置く。

 余り良い雰囲気ではなくなってしまった。食事の始めとしては台無しに近い雰囲気だ。トオルは唇を噛んだ。何とか、挽回する方法を考える。

 すごい速度で頭の中のパズルのようなものが組み替えられていく。言葉、食材、メニュー。この沈んでしまった空気を盛り返して、尚且つ長女にとって満足のいくお皿――。まるで探偵が推理する時みたいに情報が駆け巡る。

 言葉が、口を付いた。頭の中に完成に近づきつつあるパズルの、最後のピースを手に入れるために。「火の入った貝類は、お召し上がりになれますか?」

 美空の顔が上向いた。トオルの目を見る。

「ええ、本来は食べれない訳ではないので。でも、本当に大丈夫ですから気を遣わないでください」

「そう言われて気を遣わないコックは、コック失格ですよ」

 無礼にならない程度に口角を上げて、トオルは微笑んでみせた。

「お皿、一度失礼します。ほんの数分だけお時間下さい」

 言うとトオルは美空の前菜の皿を引いた。そして素早くカウンター内に戻ると、フライパンを火に掛け、オリーブオイルを流し、ニンニクを一欠片投げ込んだ。

 長く時間を掛けては意味がない。この間も、夫人と美純の手は止まっているのだ。二人と一人がお互いに気を遣い合う時間は出来るだけ短くしなければ。

 まな板の上にしめじと、予め下ゆでしておいたジャガイモを広げる。手早く半口サイズに切りそろえて、軽く塩を振る。フライパンの様子を見た。ニンニクの香りが立ってきて頃合だ。トオルは今切ったジャガイモとしめじを素早く放り込むと、それらを炒め始める。

 しめじの香りが立つ。ニンニクの香りと合わさり、絡み合う。ジャガイモの表面に色が付いてきた。そろそろか、とトオルは次の工程に移る。

 さきほど美空に出したホタテを、フライパンの中に滑らせる!

 するとキノコとニンニクの香りにホタテの香りが重なって、なんとも言えない複雑な香りが立ち上った。フライパンを振り、全体の加熱を均一にするよう務める。激しく振るとジャガイモが崩れ、食感がモゴモゴとした舌触りに変わるので、あくまでソフトに。

 そうしてホタテにほどよく火が入ったのをみると、トオルはカウンターの後ろからあるものを取り出した。

 それは、さっき彼が気付けで口にしたシェリー酒だった。

 ピッ、とフライパンに注ぎ込まれるシェリー酒。途端に青白い炎がフライパンを包む。芳醇な香りとその派手な様子に「おおっ」と店内のどこかで声が上がった。すぐにアルコール分は気化してしまうので、実際に火が付いている時間は数秒だ。そしてフライパンを火から下ろす。

 きゅうりを縦にスライスして、両端に互い違いの切り込みを入れる。片側の切り込みに、反対側の切り込みを噛ませるようにはめて、筒状のケースを作るとその中にフライパンの中身を入れる。上にはハーフカットのミニトマトとセルフィーユ(飾りハーブ)。皿にバジルを使ったソースを落とし、仕上げる。

 トオルはカウンターを出た。時間にしたら5分はかかっていない。そして手に持ったお皿を美空の前に差し出す。

「お待たせしました。ホタテとキノコのソテー、シェリー風味です」

 出来立てのその皿から上がる香りは、彼女の表情を柔らかくした。 

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