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No rain, no rainbow. ≪涙≦笑顔≫ 11

 美純はトオルの差し出したコーヒーに手を付けようともしなかった。

 顔を上げようともしない。

 それでもトオルは淡々としゃべり続けた。確証はなくともそこに彼女が座っているなら、きっと耳に言葉は届いているはずだ。

 それがたとえ彼の思い込みだったとしても、喋り続けるには十分な理由。

 唇を少し湿らせ、ひと息吐く。思い出は言葉に再構成してみると、忘れていたようで案外鮮明に蘇ってくる。それが記憶の奥底にちゃんと残っていたのは、深く刻み込まれていた傷だからだろう。

 トオルは表情を曇らせる代わりに、一度ゆっくり瞼を閉じてから言葉を続けた。

「監督とは最後は喧嘩別れだった。俺の方が上手いのになんで使わないんだって、言ってな。理由を説明されたって、その時は言い訳にしか聞こえなかった」

 コーヒーに口を付けると、じんわりとほろ苦い味が口の中に広がった。ただ、昔を語るにはそれくらいでちょうどいいようだ。

「現実はシビアだった。過去の実績がどうであれ、三年間陽の目を見なかった男になんて、どこのプロチームも興味を示さなかった。テストを受けてもダメ。でも、そいつは諦めなかった。この国の指導者達には自分の才能は理解できないんだ、なんて言って海外に飛び出したんだ。でも……結局夢は叶わなかった」

 下ろしたカップの底がカツンと硬質な音を立てて、他に音のない店内に不気味なくらいに響く。

 カウンター越しに見下ろした美純の肩が、それでほんの少しだけ動いた気がした。

 トオルは視線の片隅に美純を置いたまま窓の外を眺めた。ガラス一枚隔てた向こうは、雨。どんなに強く降っても、それが過去の事まで流してくれることはない。

「思っても、思っても、思い通りにいかないことなんてたくさんあるよ」

 そこまで言うとトオルは一旦、口をつぐんだ。

 『カーサ・エム』の中は至って静かだった。それに店の外に人通りはなく、とめどなく降り続く雨の気配だけ。

 今夜は来客は見込めなさそうだな、とトオルは半ば諦めていた。

 ゲストは一人、それも迷い猫みたいな奴。

 なら、せめてこの大事なお客様にはとびきりのサービスと料理でご満足いただくべきだろう。

「そいつは結局夢敗れて、今はサッカー以外のことで飯を食ってる。大好きなことを自分の生き方にはできなかったけれど、なんとか自分の生きる場所は見つけられた」

「…………」

「将来なんてさ、なるようにしかならないんだ。夢が叶わなかったからって、それで人生が終わるわけでも、リセットされるわけでもない。だからどんなに綿密なプランを立ててみたって、未来の自分はその時になってみなけりゃわからないんだ」

 そう言うとトオルはガバッとカウンターから身を乗り出して、美純の前にあった紙をガサッと取り上げてしまった。

 美純は突然のことに驚いて、キャッと小さな声を出し、次いでトオルの顔を睨みつけてくる。その顔を見下ろし、トオルはにんまりと歯をみせつけて言ったのだ。

「これにお前が苦しめられるのはおかしい。だってここに何を書いたって、絶対に書いたとおりにはならない。だったら紙っぺら一枚にそんな深刻な顔をするのは間違いだろう。適当に……そうだ宇宙飛行士になる、とか書いておけよ」

 トオルは名案だとばかりに言う。

 美純は眉をしかめ、首を捻ると、顔じゅう怪訝な表情でトオルのことを睨み付けてきた。 

 そんな彼女の顔は少しも気にすることなく、片方の眉の端をつり上げて睨み返す。

「なんだよ? なっちまえよ、宇宙飛行士。居場所がないとか言うなら、ついでに木星あたりに家でも建ててさ」

「なっ、う、宇宙ぅ……木星ぃ?」

「まぁ、たまには遊びに行ってやるよ。そのかわり、メシは宇宙食なんてゴメンだからな。ちゃんとご馳走、作っとけよ」

 木星寿司とか木星カレーとかさ、と付け足し、トオルは美純の手元に進路希望調査書とついでにボールペンまで渡してやった。

「なんてっ言ったっけ、国際宇宙……なんとか会社? そんな名前じゃなかったか?」

 顎に手をあてて考えるふりをするトオルを、カウンターの向こうの顔がまじまじと見ている。そんな美純に向かってトオルは顎で促して、「さっさと書けよ」と真顔で促した。

「プッ……嫌よ、そんなの書けない。……くくくっ」

 それに、美純はとうとう破顔した。

 手元に置かれたカフェオレのカップに向かって、彼女は声を上げて笑った。カップの中身がびっくりしたみたいに暴れて回り、いくつも大きな波紋を立てている。

 肩を何度も揺らし、時々トオルを見上げてはまた笑い、その様子は胸に溜まっていたもの全部を笑いに置き換えているかのようだ。

「大体……あなた、馬鹿じゃないの? なれるわけないじゃない、宇宙飛行士なんて」

 笑いすぎて目尻に溜まった涙を片手で拭ってから、美純はすっと整った鼻筋を突き出して不遜な態度をみせてきた。さっきまでとは打って変わったその様子に、トオルは良かったような悪かったような微妙な思いだ。

 元気づけてやろうと思って話をした。それはうまくいったが、だからといってここまで調子にのられるのはちょっとムッとする。

 その鼻っ柱はきっちり折ってやるべきだ。

「はっはーん。と、いうことは現時点では俺の勝ちだな」

「ええっ、なんでよ?」

 トオルは当たり前だろ、と言わんばかりの顔で答える。

「俺だったら迷わず書いて提出してる。どっちにしたってなれないなら、書くだけ書いた俺の勝ちだ」

「はぁ? あなた、何、言ってんの?」

 美純は呆れたとばかりに溜息をついて言った。

「そんなこと書いたら、また呼び出しよ。きっと真面目に書きなさいって、怒られるわ」

 しかしトオルは、美純の顔の前に手のひらを突き出して、続く言葉を遮った。

「おっと、敗者の弁は聞きたくありません。まったく、最近の高校生はそのくらいの気合もないのかよ? 俺の高校時代なんてな……」

「何よ、あなたの高校時代がどうしたっての?」

 そう言われて、ちょっと頭を捻ってしまった。

「……なんか、くだらない記憶しか蘇ってこない」

「ぷっ、あ、あははははっ!!」

 美純は顔を真っ赤にして笑い転げてしまった。

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