Love begets love. ≪それでも、男と女はすれ違う≫ 10
なんとか宥めて外へと連れ出したものの、最初の予定地だった本屋はスル―された。まあ、特別期待していたわけでもないのでそれはいいのだが、おかげでトオルはただの専属荷物持ちとして方々を連れまわされることになってしまった。
出がけはツンツンしていた瑠璃だが、ディアゴナル通りのコルテ・イングレスに着くと機嫌も少し上向き始めた。グラシア通りのブランドショップやレジアの香水をあれこれ吟味してから、ザラやカンペールを物色し、彼女のお気に入りらしいデシグアルに来たときにはようやくご機嫌だ。なじみの店員がいるらしく、トオルのことなどそっちのけで1時間以上しゃべり倒す始末。
アパレル関係のスタッフなんてしゃべらせたらいくらでもしゃべり続ける猛者ばかりで、口数の少ないトオルなどは10聞いて1返すのがやっとなくらいだが、そこはさすが瑠璃だ。弾幕のようなラテントークにも平然と渡り合っている。
連れまわされ、店に入るたびに増えていく荷物の量には正直うんざりだが、そのたび見せられる瑠璃の試着姿はちょっと目を奪われるものがあった。この女は整った顔立ちとメリハリのある体型、170㎝近くある身長にすらっと伸びる手脚を持つ、モデルにしたとしても遜色ない文句なしの美人だ。まるでちょっとしたファッションショーを見てるような気分だった。
これ以上は抱えきれないぞというくらいに増えまくった手荷物を抱えて、ようやく店を出たのが午後7時くらい。さすがに瑠璃のショッピング熱も鎮静化したのか、タクシーでいったん帰宅することになった。
が、家に着いてからがまたファッションショーの続きだ。
今度はディナーに来て行く服を選ぶのにあれやこれやと1時間近く奮闘し、店にようやく付いたのが8時半過ぎ。予約の時間を30分以上回っていた。
どうやらこの店のマネージャーとも知己らしく、出迎えにきた恰幅のいい中年の黒服と運命の再会を果たしたかに抱擁し、よく喋り、よく笑い……彼女はつくづくこのラテンの国の水とよくあっているなと感じた。日本では受けとめきれない並はずれたバイタリティやテンションは、たっぷりの情熱と大らかで楽観的な気質のこの国では十分に個性の範囲だ。ふと、アヒルの群れに紛れ込んだ白鳥の話を思い出して内心偲び笑う。アレが白鳥とか。どう考えてもインコやフラミンゴの派手派手しい部類だろう。
食事は瑠璃が絶賛するだけあって絶品だった。
勝手にカマレロと話を付けて開けさせたロゼのシャンパーニュも相当に美味かったが、前菜に出てきたエビや貝と豆を使ったサラダに身もだえそうになった。地中海料理のフュージョンと聞いていたが、和のエッセンスも取り入れているらしく、醤油やわさび、山椒などの取り入れ方も見事だ。メインディッシュの牛フィレ肉がアプリコットと梅肉のソースで出て来たときには、思わず厨房に行ってシェフに拍手を送りたくなった。
「すごいな、ここのシェフは」
「でしょう! 次のミシュランでは絶対に星を取るだろうって巷じゃ騒がれてるんだから」
「これなら一つ星は確実だな。あとはいくつ星を取るかってとこだろう」
「だよね! そうだよね!」
興奮気味にまくし立てる。トオルの共感を得たことで気を良くしたのか、瑠璃は椅子の上で器用にぴょんこぴょんこ跳ねた。目をキラキラとさせて、まるでご自慢の宝物をお披露目する少女のような無邪気な表情。こいつもちゃんとこんな顔できるんだ、と長い付き合いにも拘らず新たな発見だった。カウンターを挟んでの客と店員の関係では引き出すことのできない素の表情、ということなのだろうか。魅力的に思えるのは普段の彼女とのギャップが大きいからかもしれない。
「ルーリ、ひさしぶり」
と、どこからか独特のイントネーションが瑠璃を呼んだ。スペイン語ではあるのだが、この国ではあまり聞き慣れない流麗な口調が別の国の言葉のように聞こえてしまう。ただ、瑠璃はそれに慣れているらしくすぐに反応した。
「パウラ!!」
コックコートを着た小柄な女性が店の奥から出てきた。瑠璃が立ち上がると、二人は近づいて頬に左右のキスを交わす。
「どう? あなたが来るって聞いたからメニューにハポンのテイストを取り入れてみたの」
「最高! なんて表現したらいいかわからないくらい、最高よ! あんたって、つくづく天才よね」
「もう、誉めすぎよ」
「そっちが謙虚すぎなのよ。シェフなんて職業、ちょっと傲慢なくらいのほうがちょうどいいんでしょ?」
「あなたみたいに?」
「そう。あたしみたいに」
片手を腰、片手を胸に芝居がかったポーズを決める瑠璃。コックコートの女性がプッと吹きだし、つられて瑠璃も笑いだした。
「あいかわらずねー、ルーリ。でも、今回は急だったわね。ちょっと無理して席つくったから、狭くなかった?」
「ぜーんぜん。ごめんね、今日の今日で無理言っちゃって」
「別に。困るのは私じゃないしー」
と、パウラと呼ばれたコックコートの女性は視線を離れた場所に投げる。そこにいた中年の黒服が視線に気付いてさり気なく笑顔を返してきた。さすがはプロのサービスマンだが、よもや女二人が自分をネタにしているとは思ってもいないだろう。
「商談?」
「あはは、違う、違う」
瑠璃は首を振る。そしてトオルを指さして、
「この男にアンティークの価値なんて理解できるわけないわよ。それにこの顔よ。どう見たって持ってそうには見えないでしょ?」
などと失礼極まりないことを平気でのたまう。まあ実際のところ金持ちってわけじゃないから強く否定もできない。
パウラは返事の代わりに肩をすくめた。当然と言えば当然だ。初来店の客を笑いのネタにするのには抵抗があるだろう。
と思ったのだが、そこはさすが瑠璃の友人。ちらっと横目で窺うと、本人は隠しているつもりらしいが明らかに目の動きがトオルを品定めしている。そして、
「……ぷっ! くくく、あ、あは、あははははっ!」
耐えかねて吹き出した。しかもかなりの笑い上戸らしく、一度ツボに入ると相当に引っ張るようだ。パウラは腹を抱え、体をくの字に折って大爆笑した。
「ルーリ、それ言い過ぎよ」
口では窘めるようなことを言っているが、そういうあんたはどうなんだ、である。えずくくらい笑われたら肯定されてるのと一緒だ。虫の居所を悪くしたトオルがテーブルの下で足を組み直した気配を察したのだろう、パウラが気不味い顔を向けてくる。
「ごめんなさい、悪気はないの。そういえばまだ自己紹介もしていなかったわね。私、パウラ・アレヴィ。この店のシェフをしてます。ルーリとはどういう関係?」
不機嫌とはいえ、さすがに差し出された手を拒むのは躊躇われ、素直に握手を交わす。
「トオル・ヒロセ。こいつとは昔のなじみというか、ただの腐れ縁」
「ふーん、ただの、ねー」
ふふふん、とパウラは不敵に微笑んだ。
「で、ルーリ的にはどうなわけ?」
「なにがよ?」
瑠璃が眉をへの字にして問い返す。パウラはますます面白そうに笑い、
「普段のあなた、他人に干渉しないし、されたくないタイプでしょう? なのにどうなのって話」
「はぁ? パウラ、あんた何が言いたいわけ?」
「あなたこそ、もういい年なんだからうかうかしてないの」
パウラが人さし指でノンの仕草をし、悪戯っぽい微笑をする。
「いつもは誘ってるみたいにきわどいドレスばっかり着てるくせに、今日はずいぶん大人し目のデザインを選んできて。それって絶対、あなたのセンスじゃないでしょ? 彼の趣味?」
胸元だってぜんぜん開いてないし、と瑠璃の肩からへそにかけてを指でV字になぞると、瑠璃の頬がぱっと赤くなった。
「ちょっ、……ち、違うからねっ! 全然そんなんじゃない。ただ、なんとなくそういう気分だったってだけなんだから!」
瑠璃がパウラの手を払いのけ、反論する。
「そんなにムキになって否定しなくてもいいわよぅ。気分よねー、気分。はい、はい。わかるわー、わかる」
「そ、そうよ。気分なのっ」
ふんッと顔を背けた瑠璃を、ニヤニヤ顔のパウラが下から覗きこむ。完全に楽しんでいる顔だ。
「……で?」
「なによ?」
煩わしげに聞き返した瑠璃に、パウラはそっと近づいた。耳元まで寄ってから、
「脈はありそうなの?」
わざわざトオルに聞こえるくらいの声で呟く。目を剥いた瑠璃が掴みかからんばかりの勢いで、
「だ・か・ら! こいつはそういうんじゃないって言ってるでしょ。あんた、思いっきり誤解してるから!」
「ふふふ、照れちゃって」
「て、照れてなんかないッ! からかわないで。本当、全然違うんだから!」
適当に流しておけばいいものを喰ってかかる瑠璃に、パウラは明らかに面白がっている顔だ。この喋らせたら留まるところを知らない女を口でやっつける人間が居たもんだ、とトオルは素直に感心する。まったく世界は広い。
「じゃあ、邪魔者は消えるわねー。ゆっくりしてって」
「うるさいっ! もうすぐ帰るわよ!!」
さんざん瑠璃で遊ぶと、パウラは満足したのかさっさと厨房に引き上げてしまった。ふくれっ面の瑠璃はその背中に向けて『いー』と歯をむく。荒っぽく取った自分のグラスの中身を、まだかなりの量が残っているというのにひと息で飲み干した。そして今度はトオルのグラスのワインを顎で指し、さっさと飲めと無言のプレッシャーをかけてくる。
ところが――
そこで若いカマレロがすっと瑠璃の横に立ち、あまりにも自然に彼女のグラスにワインを注ぎ足したのだ。もしくはこれもパウラの悪ふざけの一環なのかもしれないが、そのタイミングの良さにトオルは思わず吹き出してしまった。瑠璃の顔が怒りでいっぺんに赤く染まるが、さすがに彼女もその矛先をずいぶん年下のカマレロに向けるのが筋違いなのはわかっているらしく、テーブルの下で八つ当たりキックが何発もトオルの脛に飛んできた。