Love begets love. ≪それでも、男と女はすれ違う≫ 4
「……それって、やっぱり答えないといけないんですよね?」
彼女の両親、とりわけ父親のほうとは今日初めて顔を合わせたばかりである。まずはお互い当り障りのないところから探りを入れるのがこういうときのマナーというものではないか。そうあるべきだ。
しかしこれも天然のなせる業か、美麗の投げてきたボールはいきなりの勝負球だ。答えるのには正直胆力がいる。できれば一球見送りたいところだが、トオルが引き気味に訊ねると夫人の表情はわかりやすく不満顔になった。言葉でNOと言われるよりもずっと断りづらい。
宗太郎氏も娘に関することは気になるようで、顔を上げて興味深そうに目をしばたたく。これはきっと、ちょっとでも慰めて差し上げようなどと思いあがった罰か。周りに頼る味方もいない中、二人に真っすぐ見つめられると完全に逃げ場はない。観念して、吐く。
「包容力、でしょうか」
言うと、夫人は目をぱちぱちっとしてから不思議そうに小首を傾げた。
「そういうのはもっと色々と経験した大人の女性にこそ期待すべきものでしょう? うちの娘のはただ単におっとりしているだけですよ。あなたには寛容にみえるかもしれないが、多分、本人は何にもわかっていないだけです」
宗太郎は笑っている。実の父親とはいえ、その評価は気にいらない。
「向こうはまだ17歳の女の子です。年の離れた男のことなんて理解できないこともいっぱいあると思います。でも、彼女はわからないなりにもがんばって受け止める努力をしてくれる」
「それで包容力、と?」
それだけではない。
「触れないことの優しさを知ってるから、普通は他人の傷を一緒に背負うなんて軽々しく言わないものです。それこそ、相手の何もかもを受け止める覚悟がなければ絶対に口にしたりはしない」
「言えてしまうから子供なんですよ。そこまで考えての言葉じゃない」
漠然と言ったトオルの言葉を詳しく問うわけでもなく、宗太郎は肩をすくめる。
「かもしれません。それでも、俺は彼女の真っすぐで純粋な優しさに救われました」
トオルは美麗に向き直ると、その目をじっと見つめてから言った。
「俺は、美純のそういうところに魅かれてます」
自分の中にすでにあった思いでも、改めて言葉にし口にすると照れくさいもので、急に頬が熱くなった。
「……すみません、なんだかお二人の前でベラベラ言うようなことではなかったかもしれませんけれど」
「いや、聞けてよかったよ。あの子が私達には見せない顔を知ることができたからね」
宗太郎のその流した返事で、逆になんとなく理解できた。
美純は多分、見せていないのではない。宗太郎に見えていないだけだ。第一、彼女は相手を選んで付き合いかたを変えられるような器用なタイプではない。いつまでも子供のつもりで見下ろしている父と少しずつ大人になり始めた娘では目線が合うこともないのだろう。多忙な身には仕方のないことなのだろうが、少しでも娘に向ける目を多くしてほしいと思う。
「んー、そういうところも確かに美純のいいところなのかもしれないけれど……やっぱり目が一番可愛いわよぅ。それと指ね。宗太郎さんに似てシュッとして、綺麗なの」
美麗夫人が誇らしげに言う。美純本人がここにいれば真っ赤になって取り乱していたに違いない。どうも夫人とはそもそもの視点に違いがあったらしく、トオルはわりと真面目に答えてしまった自分が気恥ずかしく思えた。
話をすり替えるべく宗太郎に新たな一杯を勧める。しかし宗太郎は酒も会話も十分だったらしく、軽く手を上げてトオルを制すとスッと立ち上がった。
「今日はごちそうさま。ずいぶんと楽しませてもらったよ」
「あ……ありがとうございます」
いつもよりちょっと深めに頭を下げる。
「今度はぜひともサシで飲もうじゃないか」
その申し出にどこまでポーカーフェイスを維持できたか。背中をつっと滑る汗をやけに冷たく感じながら、トオルはわずかに顔を上げ「はい」と短く答えて夫妻を見送った。
結局、満席以上にエネルギーを使ったひと組で今夜の営業はラストオーダーを迎えた。
ひさしぶりに真剣に煙草がほしいと思う。代わりにビールサーバーから手酌で飲む生ビールはこれで三杯目だ。
――今、無性に美純の声が聞きたい。今日の色々を話して、どれだけ緊張したかを伝えて、美麗夫人が語った娘自慢で彼女を狼狽させてやりたい。そんな欲求に駆られる。
だが、最近は電話もなかなか繋がらないし、繋がってもせいぜい要件を伝える程度の数分しか時間を取れないことが多い。メールは返信が日をまたぐとトオルのほうが心細くなってしまうので打たないことにしている。人間、一度一人でなくなると極端に心が弱くなるものだと、トオルは人生34年目にして初めて知った気がする。
寂しさを紛らわすのに飲む酒は大抵悪い酒になる。だからこれが最後の一杯と自分で決め、それならせめて別のものを飲もうと18年物のスコッチの瓶を手に取ったとき、携帯に着信があった。
美純からかと一瞬気持ちが上がったが違った。しかし、がっかりしたわりに気持ちはそれほどへこまない。なぜなら画面に『表示不能』などという見慣れない文字が表示されていたからだ。
ふと胸騒ぎがした。しばらく迷ってから、意を決し通話ボタンを押す。
「もしもし……」
なかなか答えない電話の主に焦れること数秒、やがて聞こえた覚えのある声とその内容にトオルは二重に驚かされることになる。
胸騒ぎは彼が想像していたよりも大きな衝撃だった。