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Love begets love. ≪それでも、男と女はすれ違う≫ 2

 夫人のほうはいつものようにコースを、宗太郎氏はどちらかというとワインをメインにアラカルトでつまみつまみの食事をする。会話は基本的に美麗のほうから一方的に投げかけられ、宗太郎はそれに半分聞いていて半分流したような曖昧な相槌。それが、この夫婦にとっての適度な距離感のようだ。

 そういう意味でカウンターは二人にとってベストな空間だった。相槌は横顔で打つくらいがちょうどいい。

 とはいえ、トオルにとってこの距離は近すぎる。

 宗太郎は時折目が合うたびに口元に意味深な笑みを浮かべてくる。『娘の彼氏』に向けられる牽制に返す笑顔が自分でもわかるくらいにぎこちなくなる。しかもトオルの場合は『ひと回りも年の離れたバツイチ男』なんて条件付き中古物件なんて負い目あるから余計に威圧感を感じてしまう。この場に唯一の味方である美純も不在ではホームなはずの『カーサ・エム』がまるでアウェーのような雰囲気だ。緊張で気の利いたセリフはひとつも頭に思い浮かんでこないし、そのあいだにも料理だけはどんどん進み、魚料理、肉料理……そしてとうとう夫人のデザートまで出し切ってしまった。宗太郎のほうはすでに食事を終えていて、今は琥珀色の酒をちびりちびりとやっている。

 はたと気付く。二人の食事が始まってからトオルはまだ一言も声を掛けていない。気後れするにもほどがある。

 店内のBGMが一瞬途切れ、店内には重い沈黙が広がってしまった。こういう日に限ってなぜか他の客はひと組も来ない。

 置き場所を探すようにうつろう視線がふと気配を感じて一点を向く。トオルが気づくのを待っていたかのように真っ直ぐこちらを向いていた視線、美純によく似た優しい目元がすっと細くなる。くすくすっ、と笑ったその笑みの意味はこの場合どう取ったらいいのか。相手が普段から天然な美麗夫人だと、こういう時はさらに判断が難しい。

 言葉を探しているうちに、次の曲のイントロとまじってコトリとグラスを置く音が聞こえた。

「いやぁ、美麗の言うとおりだ。なかなかの味でした」

 結局、またも会話は宗太郎氏のほうから切り出されてしまった。

「……どうも、ありがとうございます」

 情けなくて、返す言葉は歯切れが悪くなる。

「この店は、始めてどのくらい経ちますか?」

「七年。いや、八年目です」

 訊かれたことにそのまま答えると、宗太郎はわずかに目を見開いた。

「ほう。それは失礼。近くに住んでおきながら全く存じ上げなかったです」

 トオルは慌てて手を振る。

「いえいえ、軌道に乗り始めたのは本当にごくごく最近ですから当然です。自分ひとりでやっているところもあって正直広告宣伝もままならないですし、ずっとお客様の口コミに頼りっぱなしで」

「軌道に乗るまで七年か。大変だった時期もあったかな?」

 その一言でどうしてその思考に直結させられたのかはわからなかったが、トオルの頭にちらっと過ぎるものがあった。すぐに返そうとしたが、わずかな瞬間に蘇った苦味で答えは自然と俯きがちになってしまう。

「……たくさん迷惑を多くかけた人もいます。いまだにお世話になりっぱなしで頭が上がらない人も。でも、いろんな方に良くしていただきましたから大変だったけれど大変ではなかったです」

 考え考えつなげた言葉は、言い切ってから思いのほか優等生になっていたのに気付く。

「と、少しだけ見栄を張らせてください」

 言葉のテンションを一段下げて、照れ隠しの笑みでごまかす。反応を窺おうとさり気なく目を向け、そこで初めて宗太郎が見透かすような鋭い目で自分を見ていたことに気づいた。

 とっさに浮かべていた笑みを引っ込めるが、宗太郎はなぜかそこで首を横に振った。入れ替わりで表情を柔らかくくずし、

「周りに恵まれましたね」

 彼の選んだ何気ない言葉は、トオルがあれこれと選びつないだ言葉よりもずっとしっくりくるもので、その言葉を選ぶ宗太郎のセンスの良さに好感がもてた。

「ええ、そうだと思います」

 宗太郎は納得したように深く頷いた。

「そういう人間はなぜだか人より多く得たりするものです」

「…………?」

 意味深な言葉は投げかけられたのか独りごちだったのかの判別が難しく、答えに詰まっていると宗太郎はまた首を横に振って言った。

「気を悪くさせてすみませんでした。初対面にも関わらず、立ち至ったことを訊いてしまった」

「いいえ、そんな」

「娘の恋人なんて男親にとったら天敵ですから。値踏みもするし、僻みもします」

 ふふふ、と隣りで夫人が声を出して笑った。

 宗太郎が冗談のように言ったその一言でどうやらなにかを越えたらしいと気づいたのは、さっきまで感じていた彼への気後れが薄まったからだろう。沈黙に先程までの深刻な重みが消え、店内に流れているBGMに耳を傾ける余裕ができた。

 曲は兄妹四人組バンドのものだった。バイオリンとギターの二つの弦楽器の響きが重なるケルト調の曲は、緊張に強ばっていた気持ちをほんの少しだが柔らかくしてくれた。

「あの……」

 このことを切り出さないわけにはいかないし、宗太郎のほうから切り出させるわけにはもっといかない。せっかく落ち着き出した鼓動がまた激しくなる。自分が今どんな顔つきをしているかは、向けられている表情で分かりすぎるくらいわかる。

 ゴクリと唾を飲み込んだ。

 トオルは覚悟を決めて、口にあった言葉を押し出した。

「……自分と美純さんとのこと……どう、お考えですか?」

「『どう』というと?」

 えっ、と思わず声が出た。

「もし私がどう思うかを聞いたところで、あなたの中で変わる『何か』があるのかな」

 その返しは全くの想定外。

「それにうちの美純は自分でこうと決めたら何を言っても考えを変えるような子ではないですよ。あの子はああ見えてとても頑固なんです」

 一体誰に似たのか、と苦い笑いで横を窺う素振りは「もうっ」とすかさず夫人に窘められた。多分、なかなか見ることのできない宗太郎氏の素の一面を垣間見たわけだが、トオルとしては釣られて笑えるほどお気楽ではない。

 思い描いていた人物像とのギャップに大いに困惑だ。

 長女・美空の結婚を頑なに認めず、それどころか若い二人の恋を一も二もなく引き裂いた冷徹な男――それがこれまでにトオルの中で出来上がっていた四方宗太郎という人物象だった。

 しかし、これはどうだ? 現れたからには当然「金輪際、うちの娘と関わるな!」くらいは言われるものと思って気を引き締めていたのだが。胸中だけで留めたつもりのその困惑はそっくりそのまま顔にも出ていたらしい。

「意外、でしたかな?」

「い、いえっ! そういう意味では……」

 慌てて否定はしたが、慌てる時点で肯定である。項垂れるように頷いて白状した。

「すみません。実は美空さんにお会いしたこともあって色々聞いていたので、ちょっと……印象が違うなと。けんもほろろというか、もっと取り付く島もない感じなんじゃないかと」

 ははは、と宗太郎は笑った。声量こそ穏やかだが爽快に笑い飛ばすその笑い方も意外だった。

「ずいぶんと畏れられたものだ」

「…………」

 返す言葉に困って黙り込む。

 宗太郎はロックグラスの中の氷を転がすのに没頭し始めた。ここからはだんまりを決め込むつもりらしい。空気でそれを感じた。

 当然ながらここで引くわけにはいかない。

「俺っ……いえ、自分は美純さんとずいぶん年も離れていますし、そういうのはきっと気になると思いますし。飲食業なんて所詮は水商売ですからっ」

「それを美純が『嫌だ』と言いましたか?」

「い、いえ、そういうわけではなくてですね……」

 打ってもいなされ、躱される。

 豪胆をイメージしていただけに、巧みな会話運びになす術なく翻弄されてしまう。


 

 



 

 

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