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All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 18


 ――クロエが日本を発って5日が過ぎた。

 

 そして、なんだかんだでくっついたらしく、圭太の遠距離恋愛も今日で5日目になるらしい。

 そろそろ会いたい気持ちも膨らんできた頃だろうということで、そんな彼を励ます意味も含めていつものメンツが『カーサ・エム』に集っていた。今日はたまたまオフ日が合った美純も一緒だ。

「今頃……クロエ、なにしてるんだろうねー」

 食事のあいだは何気ない会話に終始していた面々だが、デザートの皿を平らげた頃に美純がふと呟いた一言に圭太は戸惑ったような苦ったような曖昧な顔をした。

 美純がハッと気付いて気まずい表情をした。クロエの今を一番知りたいのは圭太なはずで、けれど知りたいとは思っても距離と時差とが障害になる今の環境に彼はまだ馴染んではいないはずだ。その辺りの心情を汲み取らずうかつに喋ってしまった美純は優しくないが、そんな空気の読めない発言が許されるのが彼らの中での普段の美純の立ち居地なのだろう。

 智と朱奈は圭太を気遣いつつも美純の言に淡い笑みを浮かべた。目詰まりしかけた空気を入れ替えたのは、智の軽い口調だ。

「でもさ、ようやくって感じだったな」

「あ? 何がだ?」

 誰にともなく呟いた智の言葉に圭太は敏感に反応した。

「何が? じゃねーだろ。こっちはじれったいばかりだったんだぜ。お前ら、どー見たってお互い意識しまくってるくせになかなかまとまらねーし」

「うるせー」

「あのなぁ。お前が全然煮え切らないせいで、こっちはまだチャンスがあるんじゃないかって期待しちまうんだよ。気付け、ばーか」

「んだよ、それ。俺が悪いっていうのかよ?」

 圭太は煩わしそうに切り替えす。

 智は肩をすくめ、カウンター越しのトオルに「どう思います、この態度?」などと振ってきた。

「あー、なんか部外者の俺でもムカツクわ、コイツ。埋めるか?」

「ですよね。埋めましょう」

 にっしっしといたずらっぽく目を細める智につられて朱奈が笑い、美純もなんとか笑顔になった。

 圭太はつまらなそうに鼻を鳴らす。

 それは、何も知らない者から見れば高校生達のいつもと変わらない昼下がりの風景に違いなかった。

 ただ彼らは今、失ってしまったワンピースの埋め合わせしようと手探りでいる。ぽっかりと空いてしまった一人分の空間は、互いの距離感を微妙にずらしてしまったはずだ。

 それぞれが相手を不用意に刺激しないよう神経質に言葉を選んで会話しているのがわかる。普段通りの自分達を模するために、あえて美純の言葉を聞き流し、軽口が直接刺さらならないようにトオルを経由して角を取る。そうやって、なんとかいつもと同じ距離を保とうと心を砕いているのが伝わってくる。

 美純の笑顔はぎこちない。それはそうだ。笑みが多過ぎも少な過ぎもないように、朱奈や智の表情をうかがって笑顔の適量を探している。今、心から笑えと言っても彼女にそれができるとは思わない。

 傷付いたのは圭太だけではないのだと、改めて気付かされる。

 大人達のしたことは本人だけでなくこの場の全員に傷を残したのだ。小さくて、でも深いところに刺さった抜けない棘のように。そうして彼らは大人という生き物のありのままを知っていき、いくつも傷を作りながらだんだんと社会に馴染まされていくのかもしれない。

 それ自体は避けて通れないものだったとしても――自分の目の届くところではそんな世界の実際と向き合わせないでほしかった、というのはトオルの心情だ。

 自分の目の前で傷付いていく彼女を見るのはつらい。それを救う手立てを自分が持っていないときはとくに。

 きっと彼らは、じきにクロエのいないこの日常とも折り合いをつけていくのだろう。

 初めて、本当の意味で苦みを感じた。

 無意識で向けていたトオルの視線に気付いたのか、振り向いた美純がぎこちなくも柔らかい笑みを浮かべた。その不格好の笑みに正しく答えることはできず、トオルはわずかに口角だけを上げた。

 

 

 ―――― All's fair in love and war. ―――― Chloe Alba



 手探りにバランスを取る会話に疲れたのか、言葉はいつの間にか途切れていた。

 彼ら以外の客が引けたあとの終わり間際のランチタイム。無言の隙間を埋めるのは店内に流れるBGMだけしかない。重苦しくなった空気にトオルのほうもなんとなく気の利いた言葉を出せずにいた。

 カランと氷が溶けてグラスを鳴らす甲高い音が響き、天井からは低い音で唸るエアコンの稼動音が容赦なく降ってくる。そのどちらもが、今はただ沈黙の深さを浮き彫りにする。

 誰も口を開かない。無理に開けば、口にしたくない現実をつついてしまう。そんな感じだ。

 ――閉めるか。

 閉店の時間にはまだちょっと早かったが、気遣いもあった。うまく空気を入れ替えられなくなったら場所を帰るのもひとつの方法だろう。

 そう思って、トオルがOPENになっている看板をCLOSE入れ替えようと入口に歩み寄ったときだ。

『ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドンッ!!』

 表から馬鹿みたいに派手に扉を叩かれ、突然のことで店内にいた全員が反射的に音のしたほうを振り向いた。

 音は断続的に何回も続いた。叩き方は荒っぽく、明らかに悪意を感じた。そもそも営業中の飲食店に用があるのならわざわざドアを叩く必要などないのだ。

 何のいたずらか、と眉間にぐっと皺が寄る。トオルが苦情のひとつも言おうとドアノブに手をかけたとき、今度は窓のほうに叩く音が移動した。

『バンッ、バンッ、バンッ!』

 今度はガラス窓を平手で叩く音。

 今までこういう類の悪戯を受けたことはなかったから、そのタチの悪さにさすがのトオルも目つきが剣呑になった。

 何のつもりかは知らないが、一体どこのアホウの仕業か。場合によっては警察に突き出してやる、と息巻くスイッチが入りかけたのに、それより先に美純が叫んだせいで気勢を削がれた。

「うそぉっ!? うそでしょ!!」

 困惑はともかく、そこに歓喜の混じった声。

 興奮気味に叫んだ美純の視線を追ってトオルも眇めた目を窓に向けた。

 そして、ギョッとした。

 思わず息を呑んだ。

 目に飛び込んできたのはホラー映画ばりにベッタリと窓に張り付いている人影だった。某映画に登場した長髪の女よろしく白い服を着た女が、ガラスに鼻先を擦り付け、大きく目を見開いて店内をジロジロと覗き込んでいる。

 あの登場人物と違うのは、髪の色と目の色。

 美純がさらに高揚した声を上げた。

「クロエっ!!」

 呼ばれたのが聞こえたのか、ガラスの向こう側の顔がニヤリとした。

 絶対にここに居るはずはない――そのはずなのだから、もちろんトオルは自分の目を疑った。たぶん美純達だってそうだろう。皆、信じられないものを見ているかのように雁首揃えて思考停止の表情である。

 そんな一同の困惑した顔を順繰りに眺め、クロエはさらに満足そうに笑みを増す。

 一番最後にトオルと目が合って、クロエはそのときだけちょっと複雑な顔をした。困ったような、気恥ずかしいような、そんな顔だ。しかし彼女はすぐに目を逸らせしまったのでそれ以上読み取ることはできない。

 クロエは一旦くるりと身を翻して窓から姿を消した。

 コツコツと、踵の固い靴音が足早に移動していく方向を全員の目が追っていく。

 そして『バンッ』と勢いよく入口の扉が開かれ、

「えへへ、たっだいまぁ。なんか普通に帰って来れちゃいましたー」

 入ってきたクロエは右手で敬礼の仕草を作って、ペロリと舌を出した。おどけた表情なのはきっと照れ隠しだ。

 本人もまさかこんなに早く帰って来れることになるとは思っていなかったはずだから今生の別れとはいわないまでも別れは十二分に惜しみあったはずで、それがたったの中五日である。気不味くないわけがない。

「嘘? 本当!? それって、ずっとこっちに住めるってこと?」

「いえーす」

 クロエがニコッと笑うと、美純が肩を小さく震わせた。

「よ……よかったぁ……もう会えないんじゃないかって、私」

 俯き加減になった美純の肩を、近づいていったクロエがそっと抱きしめた。

「ウチ、みーと離れ離れでちょー寂しかったよぉ」

「そんなの私もだよ」

「そっかー。じゃあ、もう二度と離れないッ!」

「えっ? き、きゃあーっ!? ちょっっ……とぉお、クロエ!」

 クロエの抱擁が急に激しくなった。たじろぐ美純は体を捩って何とか逃げ出そうとするが、しっかりと拘束するクロエの腕から逃れられずに身悶えている。

「いいじゃん、いいじゃん。みー、照れちゃって可愛いー」

「やぁぁー! ちょっとぉ、可愛いじゃなーい! ……って、そんなこと言いながらさらっと変なとこ手ェ入れるのやめてよぉ!」

「えー、みーのケチー。だって、あんたの肌気持ちいーのよ。ほっぺとか、マジすべすべで触り心地いいし。しばらくご無沙汰だったんだしぃ? ちょっとは味見させてよー」

「っっっっっっ、キャアァアッ!! クロエッ、ダメ! ふざけるの止めて。やだー!!」

 感動の再会は完全に異常事態に移行していて、傍観者側は呆気にとられるばかりだ。

 半泣きの悲鳴を上げる美純に「よいではないかー、よいではないかー」と迫るクロエの構図は、ひと回り身長の高いクロエの傍若無人が体格的にまかり通る感じで、助け出さないといつかは貞操の危険がありそうだがとりあえず今は楽しめた。男子ふたりはやや引き気味ながらも好奇心が勝って目を逸らせないでいる。

 そんな中で朱奈だけはいつもの通りだ。

「ねー、ところで何で帰って来れたの? 裁判とかはどうなったのさ」

 あ、とクロエは本題を思い出して顔を上げた。

 それまでのことが何事もなかったかのようにあっさり美純を手放すと、彼女はまた気不味そうな顔になってしまう。そのスキに美純はクロエから一番遠い席まで退避し、乱れたシャツの裾を正した。『なんで助けてくれないのよー』と恨めしそうな目をこちらに向けてくるが、トオルは笑顔でさり気なくスルーする。

「まったく、心配させやがって。なんだよ、実は大したことなかったんじゃねーか」

 舌打ち混じりに呟いた智もやや不服げだ。

 当然だろう。ここにいる誰もが彼女のことで一時悲痛な思いをしたのだ。さすがに説明無しでなかったことにはできない。

 クロエはといえば、気不味さが一段下がって苦い顔だ。

「えっ、とぉ。もとはといえば、ウチの親権がママのほうにいくとパパには兄弟もいないしお祖母ちゃんは何年か前に亡くなっちゃってるからから、父方の親族ってパパとお祖父ちゃんのふたりっきりになっちゃうんだよね。それが嫌でお祖父ちゃんが裁判を起こしたのがきっかけなんだよねー」

「孫が突然いなくなって寂しい、ってこと?」 

 朱奈の問いにクロエはコクコク頷いた。

「自分の家族が誰かに取られたみたいで嫌だったんだって。でも、ウチだって裁判で無理矢理親権ひっくり返されて、おまけに住むとこも勝手に変えられたりしたらムカつくし、そしたら法律的には家族だなんていわれても一生恨むし絶対口もきいてあげないよって言ったら、ちょービビってた」

 そんなの当たり前でしょ? とクロエが言うと、美純と朱奈は当然のように彼女に同調した。

 確かにクロエくらい気が強ければ一生シカト認定した相手は完全無視くらいのことはするだろうし、そんな彼女の性格は当然祖父もわかっているだろうから鷹揚になど構えていられないはずだ。向こうにしてみたら必勝のつもりでスペードのエースを切ったのだろうが、こっちの手札にはジョーカーが混じっていたわけで、そういう意味では彼女の祖父の不幸に同情したい。

 なにしろ、この娘がとんでもないババなのはトオルも実体験済みだ。

「でね、そんだけ言っても遺産がなんとか相続がどうとか言ってウチをどうにか説得しようとしてきてウザイし、出てくる単語もなんか法律絡みで難しくなってよくわかんないから面倒臭くなっちゃって、」

 クロエが一瞬、言葉の間を開けた。

 チラリと視線が一人を伺う。

「……『お祖父ちゃんが孫を取られて嫌っていうけど、ウチだって自分の子供からパパを取り上げられるの絶対嫌だし許さないよ』って言ってやったわ。親権がどっちにあるとかはどうでもいいけど、ともかくウチは絶対日本に帰るからって断言よ、断言」

 ふははと高らかに笑ってみせるクロエに美純などは敬服でもしそうな勢いである。

 ――が、引っかからないはずはない。

 クロエがさり気なく言い放った言葉の意味に気付いたのは自分だけではないはずだ。

 トオルは近付き左腕で肩組むように首根っこを捕まえるとその耳元に囁いた。

「おい。俺はどこぞの告白もできないチキンなガキのケツを叩いて発破かけた覚えはあるが、ま・さ・か・調子にのって色々踏み外してたりはしねーだろうな?」

 いっぱしにポーカーフェイスを決めるなら見逃してやらんでもなかったが、17歳の小僧にそんな一丁前のスペックは搭載されておらず、大きくはねた肩で動揺が丸分かりだ。

 トオルは回した左腕を右手でロックして首を締め上げた。

「てめー、ひと様の折角のお膳立てをアダで返しやがって。これじゃあ、まるで俺が共犯者みたいじゃねーか!」

 言い訳をしようとした素振りは更なるヘッドロックで封じ込める。バタバタと抵抗しないところは潔くて個人的には買いだが、今は大人としての立場で物申している最中だ。

「ちょっとぉ、アンタ、圭になにすんのよ!」

 腹立たしいことに相方の援護射撃はもう息がピッタリときている。

 とうとう完全に悪者はこっちか。トオルは深くため息をついた。

 言いたいことは山ほどあるが舌打ちとともに真っ先に出た一言は、

「ったく! 最近のガキはッ……!」

 悔しいくらいにおっさん地味たセリフで、それがまた苛立ちを煽った。

 

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