All's fair in love and war. ≪なりふり構っちゃいられない≫ 17
「何がお前をそんなに意固地にさせるのか、俺は知りたいね……プライドか? それともただ根性なくて?」
なんでそこまで彼のことに首を突っ込もうとするのか、自分でちょっと意外だった。普段のトオルだったら、たとえ相手が年下でももうちょっと空気を読んで言葉を選ぶ。しかし、今夜は違った。言葉はいつの間にか挑発的になっていく。酒の勢いだろうか。
「……んなんじゃねっすよ」
そして、この年頃の男子が売られたものを買いそびれるようなことはないのだと思い出した。
圭太は隠そうとはしてはいるが、明らかに苛立った目をしている。
「何がそんなんじゃないんだよ?」
「…………っすよ」
「あぁ? 聞こえねー」
「だからッ!! 俺も! 智もっ!」
ぐっと噛んだ唇の端が堪えた感情に小刻みに震えている。
「…………とっくにクロからは振られてるんすよ……ガキの頃から三人でずっとダチやって来てたら、今更恋愛対象になんて見られないって……」
ああ、と内心で言わせたことを後悔した。
が、もう遅い。
トオルはせめて無関心を努めた。いまさら慰めやら同情やら、それこそあんまりというものだ。
「なんだ、そういうこと」
「そういうことっすよ! だから、もう放っといてくれ……っす。いまさら終わったことを蒸し返されたくないんで」
カウンターの上で握り締めた拳が固い。力を入れすぎて白っぽくなった指先と、昔の傷に触れられてやさぐれた横顔。
その表情で胃に落ちた。
似ているのだ、圭太は自分と。昔のことを引きずって、卑屈になって。だから自分と同じ失敗に陥ろうとしている彼のことが気掛かりで、つい口を出さずにはいられなかったわけだ。
でも、圭太はまだ17だ。昔の恋に思い悩むなんてまだまだ早い。
そもそも、彼は気づいていないのだ――そのことを考えるとトオルはちょっとおかしくなって、鼻の奥がむず痒くなってしまう。
それこそ、ヒントはあちこちに落ちていた。部外者のトオルが無造作に拾えるくらいに。
答えを見つけられないのはそれこそ彼がまだ若いからで、それが微笑ましい。
「お前さ、蒸し返すなとか言ってるわりには未練たらしくあの子の周りをちょろちょろしてるよな?」
どの一言が気に触ったのか、圭太はムッとした顔をした。
「そんなんじゃ他の男がクロエに近付きづらいだろうが。用が済んだやつは次に順番を譲るのが世のルールってもんだぞ」
さすがにだんまりでやり過ごすつもりはないらしい。圭太が体ごと向き直ってトオルを正面に見た。
「……あいつ、自分からは言わないっすけど、子供の頃から自分の両親がギクシャクしているのを見てきたせいで男と付き合うのに抵抗あるんすよ、絶対。見てると自分もそうなるんじゃないかっていつも心配してる感じがする。恋愛のアンテナびんびん立ててるのも、たぶん自分に近付いてくる男の性格とか恋愛遍歴とかを人づてににチェックしてるんだと思うっす。自分は親みたいになりたくないからって」
質問の答えとしてちょっと的はずれな気がしてトオルは小首をひねった。しかし、圭太の中ではちゃんと話はつながっているらしく言葉は続いた。
「だから決めたんすよ。俺も智も、クロのことは幼馴染みとしてずっと傍で見てきたし、あいつの性格はあいつ以上に俺らが一番よく知ってるっす。なら、言い寄ってくる奴らが見合う男かどうか、俺らが見極めてやろうって。チャラっぽいのとか、見た目重視な軽いオトコとか、ありえない感じの奴は速攻ガードするようしてるんですよ」
その本人未公認の親衛隊みたいな志はなんだ、と内心さらに笑えた。しかし、高校生相手に聖人君主を求めるのはそもそもがハードル設定高すぎだ。
「なぁ、お前らの周りでそうじゃなさそうな奴なんているのかよ?」
圭太はしばらく考えた顔をする。
「……わかんねっす。でも、同級とかは大抵クロのヴィジュアルばっか見て、中身はちゃんと見てねー気がする」
冗談で言ったのかと思ったらあまりに真顔だったので、トオルはとうとう堪えきれずに吹き出してしまった。
「当ったり前だろ、10代の男子なんてみんなそんなもんだよ。そもそも、それ、お前が検閲かけてる時点で対象者ゼロだ」
「えっ?」
「だって、そうだろ? お前以上にあの子のこと気にかけてるやつなんていない」
圭太は言われた言葉の意味がよくわからなかったらしく難しい顔をした。その悪気無い鈍さに免じて翻訳してやる。
「ばーか。お前以上にあの子のこと特別に思ってるやつなんていねーよって言ってんの」
すると、今度は立ちどころに顔を赤くして、背けた。わかり易すぎだ。
「なぁ、」
「は、はいっ」
圭太は飲んで気を沈めようと手を伸ばしたコーラの缶を、トオルに声をかけられた拍子に動揺して取り落としそうになった。慌てて両手で掴み直してホッと安堵の息をついている。
一旦呼吸を整えるのを待ってからトオルは話を続けた。
「お前さ、カナダのサッカー代表選手の名前、何人言える?」
予想外の質問だろう。圭太はやや怪訝な顔になる。
「えっ……と、……カナダってサッカーの代表のチームなんかあるんすか?」
「あるだろう、それくらい。で、誰か知ってる選手いるか? 別に代表じゃなくてもいいよ、カナダ人のプロサッカー選手」
圭太は顎に指を掛けてしばらく考え込んだが、やがて首を横に振った。
「知らないっす。たぶんMLSとかを探せばいると思いますけど、俺、見るのはヨーロッパ中心であっちはあんまり追っかけてないんで」
「だよな。俺も一人も知らね」
端的な返答に、圭太は露骨に不快な顔をした。脈略のない質問続きで意図も示していないのだから当然の反応である。
「カナダで思い浮かべるスポーツって言ったら、まずアイスホッケーだろ。あとパッと思いつくのってバスケ?」
「はぁ……」
「まあ、要するにさ、言いたいのはサッカーがそんなに盛んな国じゃねーだろってことで、その上その国出身のしかも女の子がサッカーに詳しくなる理由ってどんなもんなんだろうな、と」
むぅ、と圭太の眉間に皺が寄る。まだまだヒントとしては不足か。
「たとえば、好きな選手の追っかけでもしてない限り――。ごく普通の女子にしてみたらサッカー選手なんてさ、シュートを打つ側とゴールの前に立ってる奴の区別くらいしかつかないんじゃね? 仮にちょっと齧っててストライカーとかは言えたとしても、オフサイドのルールをちゃんと理解してたり、アンカーなんて渋いポジション知ってることはそうそうないと思うわけだよ」
「なあ、少年」と隣りの肩を軽く叩く。その頃になってようやく圭太にも話の筋が見えてきたようだ。消化不良の難しい顔をし始めた。
トオルはストゥールの背もたれに深く体を沈め込む。あえて圭太とは目を合わせないように天井に視線を向ける。
「で、ここからは俺の独り言。子供の頃からずっと友達やってた男二人女一人が年頃になってだんだんお互い意識し始めるようになったとする。親友としては性別を置いて信頼できる奴らだから、どっちのほうがより大事かなんて比べる由もない。でも、ふと『どっちが好きか』ってテーマが持ち上がったときに、どっちか一方に針が振れちゃったら? 友達としてはどっちも最高、だけど恋愛対象なのは片一方だけで、だからってあっさりそっちを取れるような太い性格してなかったら、女子的にはきっと悩んじゃうでしょ。それにどっちか選べばどっちかは選ばないわけで、そんな自分の側からの理由で二人に優劣つけるのに罪悪感感じちゃうような子だったら、なおさら」
初めて彼らと会ったときに少年二人の思いにはすぐに気が付いた。
そして、少女の思いにも。
彼女はおおっぴらに否定はしたが、それが偽装だということくらいあっさり見抜ける。バランスを取るためにあえて低いほうに合わせた感情なんていびつになって当然だ。そして、感情を表に出さないしたたかさはまだ彼女には備わっていない。
子供の恋愛に大人が顔を出すのはナンセンスだ。
しかし、子供の恋愛に大人が事情を挟み込むのはもっとマナー違反だ。
なら、大人としてこのくらいの埋め合わせはしておかないと――その善意がちょっと上から目線だったのは、持ってるものの優越感かもしれない。
しっぺ返しは意外なところから飛んできた。
「男だったらさ、女の子に決断迫ってるようじゃダメ、だろう……?」
言葉の途中でとんでもないものを棚上げしたことに気付いてはたと真顔になった。背中に妙な汗がプツプツ吹き出した。ただ、その動揺は圭太には悟られてはいないようなのでトオルは平静を装って会話を走らせる。
「そういう大役を女の子にやらせるのは男としてはどうよ? キツい役回りは全部受け持ってやるのが男の甲斐性ってやつなんじゃねーの、とおじさんは思ったりするわけですよ。……これ全部俺の独り言ね」
言ってるそばからビシバシ跳ね返ってくる言葉が痛い。似たような役回りをひと回り以上年下の女の子にお任せした身としては、穴がないなら進んで掘削しにいきたいくらいだ。胸中と同じくらい萎れて俯きそうになったときに『カチャッ』と控えめにドアの開く音がして、トオルはそちらを振り向いた。
「……みー、もう居る?」
慎重に音量をしぼった細い声が聞こえた。店内の明かりは必要最低限にとどめてあるから、ちょっと覗いたくらいでは内の様子はうかがいきれない。カウンターに残っている客に気を使ったのだろう。
トオルが返事をしないでいると遠慮がちに開いた扉の隙間から人影が滑り込んできた。部屋着に毛が生えた程度の水色のジャージの上下に、薄暗い中でも映える鮮やかな黄金色の束を髪留めでまとめ上げたオフの彼女が姿を見せる。
開きかけた口が一瞬で固まった。トオルを覗いていた青い瞳が隣りを見付けて大きく見開かれた。
「……圭っ!? 嘘ッ、なんで!」
「クロっ!?」
声で気付いた圭太がストールを蹴倒す勢いで立ち上がった。
「えっ、なんで……マジ、ワケわかんない……みーが来るって……」
「ああ、たぶんもうすぐ来るよ。さっき俺にも電話来たしな」
事態を飲み込めず困惑するクロエに、トオルは何食わぬ顔で答えた。
「そこ、座って待ってたらどうだ? 何か飲むか?」
テーブル席を指差して言うが、もちろん素直に座るわけもない。
固まったクロエと立ち尽くす圭太、先にフリーズが溶けたのは圭太のほうだった。
「クロ、お前さぁ、なんで俺に一言も相談……」
「やだぁっ! 圭、来んな!!」
クロエから悲鳴に近い拒絶が返ってきて、圭太が反射的に身を固くした。
「今、ウチ、全然化粧とかしてないからっ! カッコもダサいジャージだし! 髪もそのままだし!」
「そんなこと、関係あんのかよ?」
「関係あんの!」
はぁー、と圭太はことさら深いため息をついて言った。
「お前さぁ、明日にはカナダに行っちまうんだろ? もう帰って来れないかもしれないんだろ? そんな大事なことを俺はダチづてに聞かされたんだぞ。まさかそれも関係ないで済ます気かよ? 俺、マジでムカついてんだ。電話だって、智のついでみたいに回してきやがってよぉ。ふざけんなよ……」
「だって……」
クロエが拗ねたような顔をした。
「だってなんだっつんだよ?」
「直接言ったって、圭、絶対メチャメチャ怒る……」
「怒るに決まってんだろ!!」
圭太が目を見開いて怒鳴った。一瞬怯えて肩をすくめたクロエに一歩詰め寄ろうとする。
「ダメって言ってるでしょ! 無理だから。今、マジ無理だから!」
とクロエは激しく抵抗した。片手で顔を隠しつつ反対の腕を振り回し、圭太を寄せ付けようとしない。そのあまりの抵抗っぷりにうんざりしたのか圭太は逆に一歩後退する。
クロエのほうも距離を取れれば問題ないらしい。わずかに安堵の表情を見せた。
「ねぇ、もしかしたら、ウチ、もう帰って来れないかもしれないんだよ。だから最後はちゃんと……って思ったのに、あんたがキレてたら絶対言える雰囲気になんてなんないでしょ! だからみんなからちょっとずつ伝えてもらって、圭がキレないようにって気ぃ使ってんのに。そんくらい空気読んでよ、バカッ」
「バカってなんだよ?」
「うるさいっ、バカ! バカ圭太! ニブ圭太!」
「てめー、言いたい放題言いやがって」
さすがに圭太も我慢の限界を通り越したのか、クロエの腕を掴むと強引につるし上げようとした。しかし、クロエのほうも激しく抵抗する。掴まれた腕を大きく振り回し、逆の手では圭太をひっかいた。圭太が怯んだところを噛み、さらに平手で頬を打った。
「痛ってえ! お前、マジで有り得ねーぞ、それ」
「有り得ないのはあんたのほうでしょ! デリカシーなさすぎ」
「ねーよ、いまさらお前なんかにそんなもん」
売り言葉に買い言葉、だがその一言は今のクロエにはかなり効いたらしい。ざっくりと傷付いた顔をした。
一瞬わなないた唇が何を言うかと思ったら結局「バカーッ!」だった。それを叫ぶとクロエは凄い勢いで店を飛び出していってしまった。
圭太は彼女が開け放ったままにした扉を呆然と見ていたが、やがて小さく舌打ちした。
「なんなんだよ、あいつは。マジ、意味分かんねー」
気を利かせて扉を閉めに行こうとするその背中にトオルが言葉をぶつける。
「意味分かんねーのはお前のほうだよ。本当、バカじゃねーの」
「…………」
振り返った圭太は苦い顔だ。さすがに本人も自分の馬鹿さ加減には気づいているらしく、だからトオルもそれ以上追求はしない。
「お前、頭使わないほうがいいぞ。ともかく追え」
「でも、あいつ来んなって」
「それでもここは追うところ。お前にすっぴんな顔、見せたくないんだろ。でも、お前がどうでもいい奴だったら彼女もそんなふうにも思わないだろ」
「……そうなんす、か……」
この期に及んでまだグジグジと。さすがにこれ以上はサービスの対象外だ。トオルは立ち上がるとズカズカ歩み、圭太のシャツの襟首を掴んで店から放り出した。
「いい加減、男のくせに女の気持ちもさらってやれないようなヤツなんて恋愛する価値無しだ。そんなんだったらもう、家帰って寝ろ」
圭太が薄暗い中でも明らかなくらいに悄気た顔をした。だが、悄気たいのはこっちである。今のセリフを自分がどのツラ下げて言ったのか見てみたい。言わせた圭太に腹の中で恨み節だ。
追い出しにかかったのはこれ以上厚顔でいるのに耐えられないから。
「なんでもザクザク言える女の子に限って、本当に言いたいことは言えなかったりするもんなんだよ。そういう子は、男のほうがちょっと強引に引っ張ってやらないとダメなの。わかった?」
圭太はまた考えるような顔をしたので、「それが余計だっていってんだろ」と頭をひっ叩く。
「考えることじゃないだろう? 今夜決めなきゃ、お前、たぶん一生後悔するんだぞ」
「う、うっす」
「じゃあ、行け。走れ。家に引き込こもられたらあの手のタイプはもう絶対出てこないぞ。付き合い長いんだからわかるだろう?」
「……い、行きますっ!」
圭太は身に覚えでもあるのか表情が固まった。慌てて駆け出した。
10mくらい一気にダッシュしてから急に思い直したように立ち止まると振り返り、90度近く頭を下げた。そんなところは可愛げがあって、だからなんとなくほっとけないんだろうなとトオルは苦笑しつつ、シッシッと手振りで追い払う。
『足が速くてピンチの時にはビュビューっと』――クロエが最初に店に来たときに言っていたのを思い出す。確かにいい脚をしている。点滅しだした信号を躊躇なく一気に駆け抜けると、その背中はあっという間に夜の雑踏に消えてしまった。
トオルは圭太の走っていった先をしばらくぼんやりと眺めていた。さすがにここまできっちりお膳立てしてやったら尻込みもしないだろうが、もしもみっともない顔が戻ってきでもしたらそのときはガッツリ喝を入れてやろう、そんなこと思っていた。
なので、完全に不意を突かれた。
「あれー、なんか今の圭太っぽいよねぇ。違う?」
「おっ、おおうぅ!?」
予期せぬ近い距離から声がしたのでほぼ反射的に仰け反ってしまった。振り向くと、いつの間にか真横に美純が立っていて怪訝な顔をしている。
「近っ! お前、近っ」
眉毛が怪訝から不満の角度へ15度傾斜をきつくした。
「ちょとぉ、なによそのリアクション。なんかムカつく」
「お前こそなんだその気配のなさは。びっくりするだろう」
「だって、びっくりさせたかったんだもん。びっくりさせられそうだったし」
くすくすと笑いながら美純の腕がトオルの脇を抜けてするりと背中に巻きついてきた。会えない時間が長いからか、最近は彼女のほうが自然に甘い感じを求めてくる。「ただいま」の一言を彼女が顔を埋めた胸の辺りに直接聞く。
「電車、途中でちょっと遅れちゃったんだよね。で、クロエはまだ来てない?」
あうっ、と変な呻きが漏れた。
「まぁ、ちょっと色々あって……帰っちゃった、というか」
「ええっー! なんで? なんで?」
「……それって、説明しないとダメか?」
美純の甘さで忘れかけていた苦味があれこれ甦ってくる。
たった今まで棚上げしっぱなしだった場所はまだ未整理のままだ。そこを当の本人に見付かったようなバツの悪さがトオルをちょっと腐らせた。
抱きついたまま下から見上げる格好の美純がちょっと不思議そうな顔で小首を傾げ、その様がやたらと可愛いのに今はちょっと素直な気持ちで見つめ返せず目を逸らしてしまう。
こっちは久しぶりの再会をこんな気持ちで迎えるのだ。向こうには何とかなってもらわないと割が合わんなぁと、トオルは美純には気付かれないように独りごちった。
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