婚約破棄(予定)の打ち合わせを始めましょう。~愛する女性がいる王子と、王妃になりたくない私~
「――では、当日の『婚約破棄の口上』ですが。やはり定番の『貴様のような悪女、見るのも汚らわしい!』で行くべきでしょうか?」
深夜、王城の離宮にある一室。
重厚なマホガニーのテーブルを挟んで、私、シシリィ・エヴァレットは、目の前の美青年に問いかけた。
目の前の美青年――この国の第一王子、ゼノヴィア・ヴォル・レグザードは、眉間に深い皺を寄せて考え込んだ。彼は手元の資料(という名の、私たちのこれまでの『不仲工作』の進捗管理表)に目を落とし、真剣な口調で答える。
「いや、シシリィ。それでは僕の器が小さく見えすぎるのではないか? 観衆の同情を君に集めるのが最優先だが、同時に『王子も一人の女性を愛するあまり、道を踏み外してしまった』という悲劇性を出さなければ、後の僕の再婚に支障が出る」
「殿下、真面目すぎますわ。これは『ざまぁ』なんです。中途半端な悲劇性より、思い切って殿下が泥を被ったほうが、私の『可哀想な被害者』としてのランクが上がるんです。そうすれば、慰謝料としての領地経営権も、親たちから毟り取りやすくなる」
「……君の効率主義には、時々恐ろしさを感じるよ」
ゼノヴィア殿下は溜息をついたが、その瞳には信頼の色があった。
私たちは、世間では「仲睦まじい完璧な婚約者同士」と思われている。しかしその実態は、互いの「自由」を勝ち取るために結託した、史上最強の共犯者だった。
殿下には、心から愛するフィオーレという令嬢がいる。しかし、あまりに彼が「まともな王子」であったがゆえに、不誠実な婚約破棄などできずにいた。
対して私は、王妃という激務に就くくらいなら、領地で植物の品種改良に明け暮れる「引きこもり研究者」になりたかった。
「殿下、もう一度確認します。私はこの夜会を機に、社交界から完全にフェードアウトし、慰謝料で最新の温室を作ります。殿下は、私を捨てた『クズ王子』として一時的に謹慎し、その間にフィオーレ様との地盤を固める。異論はありませんね?」
「ああ。君にこれ以上の苦行(王妃教育)を強いるのは、僕の良心が耐えられない。計画を実行しよう」
私たちは、深夜の密室で固く握手を交わした。
※
作戦は数ヶ月前から始まっていた。
まず、私たちが取り組んだのは「徐々に冷え切っていく関係」の演出だ。
観衆が「ああ、やっぱりあそこは上手くいっていなかったんだ」と納得するための伏線である。
ある日の王宮晩餐会。
私はわざとらしく、殿下の手を振り払うように一歩距離を置いた。
「……殿下、最近お忙しいようですわね」
「ああ、シシリィ。君との話より、今は公務の方が重要だ。済まないが、少し黙っていてくれないか?」
周囲に聞こえる絶妙なボリューム。
その瞬間、周囲の貴族たちの視線が「おや?」と動くのを私は見逃さなかった。
内心では(殿下、今の冷たい言い方、100点満点ですわ!)と大喝采を送り、私はショックを受けたかのように俯いて、扇で顔を隠す。
またある時は、殿下がフィオーレ様と庭園を歩いているところへ、私が「偶然を装って」乱入した。
「……ゼノヴィア殿下、その方は?」
「フィオーレだ。君には関係のないことだよ。……行こう、フィオーレ」
「あ……お待ちになって、殿下!」
私はその場に立ち尽くし、震える肩を演じた。
隠れて見ていた侍女たちが「シシリィ様が可哀想……」「王子殿下、あんなに優しい方だったのに、どうして……」と囁き合う声が聞こえる。
順調だ。実に順調。
私の評価は「献身的なのに報われない悲劇の令嬢」へ、殿下の評価は「恋に狂って婚約者を蔑ろにする王子」へと、着実にシフトしていった。
密会での反省会も欠かさない。
「シシリィ、今日の君の『今にも泣き出しそうな瞳』は凄まじかった。僕の胃が痛むほどだったよ」
「殿下こそ、あのフィオーレ様を庇う仕草。あれで世の女性たちの敵に回りましたわね。素晴らしいです」
私たちは、ステーキを切り分けながら、戦友としての絆を深めていった。
※
そして、ついに運命の日がやってきた。
学園の卒業記念パーティー。全貴族が注目する、最高の舞台だ。
私は、あえて少しやつれたように見えるメイクを施し、地味だが上品なドレスで会場入りした。対する殿下は、隣にフィオーレ様を堂々と侍らせて現れる。
会場がざわつく。「いくら何でも露骨すぎる」「シシリィ様が不憫だ」
空気は出来上がっている。
会場の中央。オーケストラの演奏が止まった瞬間、ゼノヴィア殿下が声を張り上げた。
「シシリィ・エヴァレット! 前に出ろ!」
私は、今にも倒れそうな足取りで、殿下の前に進み出た。
「はい……殿下」
「貴様との婚約を、私は今この瞬間をもって破棄する! 私は真実の愛を見つけた。フィオーレこそが、我が妃にふさわしい。冷徹で面白みのない貴様など、二度と見たくもない!」
おお、言った!
あんなに生真面目な殿下が、台本通りの暴言を吐ききった!
私は感動を抑え、あらかじめ仕込んでおいた目薬が目に馴染むのを待って、顔を上げた。
「……そんな。嘘ですわ、殿下。私が、何をしたというのですか……?」
私の声は震え、大きな瞳から大粒の涙(目薬)が零れ落ちる。
完璧だ。周囲からは「殿下、正気か!」「シシリィ様に謝れ!」という怒号に近い声が上がり始める。
フィオーレ様も、予定通り「怯えながらも王子の腕にしがみつく、か弱い乙女」を演じている。
「お父様、お母様……申し訳ありません……私は、殿下のお役に立てませんでした……っ!」
私は両親(この婚約を無理強いした元凶)に向かって絶叫し、そのまま会場を飛び出した。
後ろから殿下の「追う必要はない! 捨て置け!」という非情な声が追いかけてくる。
馬車に飛び乗った瞬間、私は座席に深く沈み込み、大きく息を吐いた。
「……勝った」
鏡を見ると、そこには悲劇のヒロインではなく、野望を成し遂げたプロデューサーの顔をした女が映っていた。
※
一週間後。
王都はひっくり返るような騒ぎになった。
「あまりに不当な婚約破棄」として、王家には批判が殺到。
特に、シシリィ・エヴァレットがいかに殿下を支えてきたかを知る重臣たちが、殿下の暴挙を厳しく糾弾した。
結果、ゼノヴィア殿下には半年間の謹慎と、王位継承権の一時停止が言い渡された。
そして私は――。
「シシリィ、すまなかった。あんな男に君を嫁がせようとした私のミスだ」
父である伯爵は、涙ながらに私に謝罪した。
私は、しおらしく、しかし毅然とした態度で告げた。
「お父様……私はもう、結婚というものに疲れました。せめてこれからは、領地の片隅で静かに、植物たちと暮らしたいのです。……あの、慰謝料として殿下からいただいた土地の経営権、使ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ! 好きなだけ使いなさい。君の自由だ!」
こうして、私は念願の「自由」と「広大な研究用地」を手に入れた。
数ヶ月後。
私は領地の温室で、新種のバラの配合に熱中していた。
そこへ、一通の手紙が届く。差出人は「Z」。
『拝啓、親愛なる共犯者へ。
謹慎期間もようやく終わりが見えてきた。世間では僕が「愛に溺れて反省し、心を入れ替えて公務に励む王子」として、なぜか以前より好意的に受け入れられ始めている。フィオーレとの婚約も、来月正式に発表できそうだ。
君の「悲劇の演技」のおかげで、僕たちは救われた。
君の温室が完成したら、いつかフィオーレを連れて遊びに行かせてくれ。
追伸:あの時の目薬、どこのメーカーだい? フィオーレが「私もあれくらい綺麗に泣きたい」と言っているんだ。』
私は手紙を読み終え、クスリと笑った。
「教えませんわよ、殿下。あれは企業秘密ですから」
私は手紙をサイドボードに置き、再びスコップを手に取った。
窓の外には、どこまでも広がる青い空と、私が愛する豊かな大地。
計画的な「ざまぁ」の先に待っていたのは、泥沼の愛憎劇などではない。
私たちが自分たちの手で掴み取った、最高に合理的で、晴れやかな未来だった。




