Only u
水の中から音を聞くようなそんな感じだった。
くぐもって不鮮明な音を理解しようと努力してみたけど、いつまで経ってもぼわんぼわんとしか聞こえてこなかったからだんだん疲れて理解することをやめた。
そうしたら途端にものすごくお腹が減ってきて耐えられなくなった。そこら辺にあるものを口の中に入れて食べてみたけど、空腹は満たされないまま。
途方に暮れていたとき、あの子に出会った。
「そこのあんた! 私を助けなさいよ!」
なぜがあの子の声だけくっきり聞こえて、その声に導かれるようにあの子を襲う何者かを蹴散らしていた。
あの子によるとぼくは他の感染者とは違うらしかった。
感染者、という単語を聞いた時初めて自分が感染していることを知った。
「あんたどこからきたの? もしどこにも行く気がないなら私のこと守ってよ」
あの子は今自分がどれだけ危ない状況か理解しているのだろうか。もしかしたらぼくに襲われるかもしれないのにまぬけにも程がある。
呆れたのが伝わったのか、あるいは野生の勘的なものが働いたのか、あの子はぼくの肩をグーで殴ってきた。
それが出会いであり共存の始まりだった。
非感染者と準感染者との共存はうまくいっていた。ぼくはあの子の声だけ理解できたし、あの子はぼくが喋らなくてもなんとなく言いたいことがわかってるらしかった。
今日も生きるよ、と呪文のように唱えるあの子は自分の家族を見捨てて逃げ出したことを悔やんでいた。ぼくは悲しそうで悔しそうなあの子をひとりにはしないとこっそりと誓った。
夜、うなされている時もあった。そんな時は大変僭越ながら頭を撫でたり体をさすったりもした。
ぼくはぼくが(あの子の言い方を借りれば)準感染者以前の記憶なんて微塵もないけれど、きっと多分ぼくは人間だった。記憶の片隅にある単語たちはあの子と同じ言葉だったから。
だからもしこの世が平常に戻ったとして、あの子にセクハラだなんだと訴えられてもおかしくはないのでぼくはできる限りあの子との距離を保った。あの子はなにも気にしてなさそうだったけどね。
「ねぇ、お腹空いた。ケーキ食べたい」
ある日、移動中に感染者に追われどうにか空き家に侵入して一息ついた時のことだ。
あの子はいつもどおりの横暴さでぼくに駄々をこねた。
「ケーキどこかから持ってきてよ。それはもうすごく豪華でフルーツがたっくさん乗ったやつね」
あの子の薄汚れた腕には真新しい歯形がくっきりとついていた。ぼくとあの子を繋ぐ赤いロープを解きながらあの子は震えていた。
パラパラと落ちていくロープを目で追いながら、あの子の力なく垂れ下がった手をぼくの手で包み込んだ。
「早く行きなさいよ。私の声聞こえてるんでしょ?」
••••••聞こえてるよ、一緒に行こう。
「私のことなんて放っておいてよ。あんたひとりで気ままに生きて」
あの子の声は段々遠ざかっていき、顔をのぞきこむと目の焦点が合わなくなってきていた。
ぼくはロープであの子の手首とぼくの手首をきつく結び直して、手をぎゅっと握った。
「一緒に、生きていこう」
そう囁いたのがぼくだったのかあの子だったのか、ぼくは確認すらできなくなってしまった。




