『勇者のいる世界⑦』
街での散策を終えた私は研究所の前に立ち、ぐるぐると小さな弧を描きながら歩き回っていた。
とある理由が原因で、中に入るのを躊躇っているのだ。
……いや、違う。
躊躇ってなどいない。
躊躇う必要がどこにある。
たった一言、ただいまと言うだけの話に、躊躇いなんてあるはずもない。
ただちょっと、私くらいになると、ただいまの一つでも最高品質を追求してしまうため、二の足を踏んでいただけである。
声のトーン、声量、イントネーション、表情、顔の角度、ポーズ。
ここで無様をさらけ出すわけにはいかない。
博士としての威厳を保つためには、全てを最適化し、黄金比を算出する必要性がある。
それは私の頭を以てしても簡単なことではなかったが、長考に長考を重ねた結果、遂に正解を導き出すことに成功した。
見つけたのだ。
非の打ちどころがない、究極のただいまを。
自らが割り出した行程を確認するように脳内シミュレーションを実行する。
まずは身体を右斜め45度に傾け、流し目でジョッシュ君を捉えつつ、左手は腰、右手は胸の位置まで上げる。
続けて優しく微笑み、年上の余裕を纏わせながら、いつもより低めの声でキーワードを言い放ち、語尾にビブラートを添えて切なさを演出。
語尾は長ければ長いだけ相手を魅了するので、息が続く限り伸ばし切るのがベスト。
「……完璧だ」
自分の才能が恐ろしい。
ほら、頭の中のジョッシュ君もひれ伏している。
しかし、ここまで考えておいて難だが、懸念点もある。
それは、そもそも言う必要があるのかどうか。
戦わずに済むのなら、それが最善の展開。
案外、何食わぬ顔で入室し、しらっと発明の続きを始めても問題は……。
駄目だ、駄目だ。
言わないという選択肢は危険すぎる。
何故なら、相手に先手を許す可能性を与えてしまうからだ。
この攻防は明らかに先手が有利。
後手に回ることは敗北を意味する。
先手は絶対。これは揺るがない。
となれば、後は実行するのみ。
そう、私ならできる。
数々の苦難を乗り越えてきたじゃないか。
赤子の手だろうと、勇者の手だろうと、容易くひねってくれる。
行こう。
何も悩む必要なんてないのだ。
意を決した私は歩くのを止め、大きな深呼吸を入れる。
それから取っ手を掴み、研究所の扉を、勢いよく、開いた。
予行通りに行く。
角度、目線、ポーズ、申し分ない。
行ける!!
「ただい……!!」
……まぁ。
なんて可愛らしい寝顔。
椅子に座って気持ち良さそうに寝ているジョッシュ君の姿が目に映る。
同時に、わちゃわちゃと処理のできない感情が脳内を駆け巡った。
なんだこれは。
凄まじい負荷である。
無意識に防衛本能が働いた私は、その感情をポイッと脳外へ破棄した。
今、この瞬間、ここでは何もなかった。
何も起きなかった。
「……よし」
発明の続きをしよう。
それから小一時間、私は研究所の隅で発明に没頭した。
やはり発明は楽しい。
「これをこうして……後はこうすれば……完成だ!!」
遂に出来上がったキューブ型のランタンを両手のひらに乗せて眺める。
あー。
この達成感。
このカタルシス。
何物にも代えがたい貴重な一時だ。
しばらくの余韻に浸った私は、嬉々として軽快なステップを踏み、研究所の中央に設置された机へと向かう。
発明が終わったら最初にやることは決まっている。
もちろん試行実験だ。
辿り着くと同時に、中央の机で寝ていたジョッシュ君が目を覚ました。
おお。
丁度、観客が欲しかったところである。
なんて空気の読める助手なんだ。
欲を言えば、私が帰ってきた時に起きていてくれたら花丸満点だったのだが、まぁいい。
「やぁ、ジョッシュ君! 君に見せたいものがある!」
「んー……」
まだ意識も朧気といった様子のジョッシュ君。
目を擦りながらぽやぽやしている。
ならば、このキューブランタンの光で目を覚ましてあげよう。
舟を漕いでいるジョッシュ君の前に、そっとキューブランタンを置く。
その眩しさに驚くといい。
さぁ、刮目したまえ。
これが私の発明だ!!
勢いをつけて、上辺に設置されたボタンをぐっと押す。
すると、キューブの中で七色に輝く小さな炎が灯った。
それは美しい光を放ち、部屋一帯を鮮やかに彩る。
「わぁ……」
さっきまで寝ぼけ眼だったジョッシュ君が目を見開いて声を上げた。
どうやら、この美しさに魅了されたようだ。
机に手をついて身を乗り出し、食い入るようにキューブを見つめている。
気に入ってもらえたようで何よりである。
微笑ましく思いつつ、私はジョッシュ君に背を向けて膝をつき、両手で顔面を覆った。
はぁぁぁぁぁ……欠陥だぁ。
七色に灯す予定なんてこれっぽっちもなかった。
普通の明かりで周囲を照らす設計だったはずなのに。
どうしてこうなった。
「凄い…凄い!」
落胆の色を隠せない私とは裏腹に、ジョッシュ君の興奮は冷めやらぬ様子。
まぁ……当初の予定とは大きく違ったものの、どうやら完全に無駄というわけではなかったらしい。
その姿を見て、一息つきながら気持ちを切り替えた私は、七色に輝くキューブを徐に拾う。
「手を出して」
言われるがままに小さな両手を差し出すジョッシュ君に、キューブを受け渡した。
手にしたキューブを掲げて更に無邪気な笑顔を浮かべるジョッシュ君。
ここに来てから俯きがちな表情しか見ることがなかったが、随分と子供らしい顔もできるじゃないか。
「気に入ったのなら、そのキューブは君に――」
――パキィィィン。
私が言い切るより前に、平穏だった空間を引き裂くような音が研究所の中に響き渡り、ジョッシュ君の持っていたキューブが勢いよく砕け散った。
キューブ内に圧縮していた七色の炎が激しく舞い上がり、宙に霧散してゆく。
「なっ……」
一体、何が起きたんだ。




