『勇者のいる世界⑤』
中に入ると、甘い果物の匂いが鼻孔を刺激する。
頭から光沢を放つ親父が綺麗に商品を並べながら陽気な声を上げた。
「よう、嬢ちゃん。お使いか?」
客商売をしているだけあって、人柄の良い親父のようだ。
笑顔も頭も輝いている。
「そんなところかな」
答えると、一通り商品を並べ終えた親父が、のしのしと近寄ってきて目の前に立ちはだかった。
その迫力に思わず狼狽える。近くで見ると随分な巨漢だ。
見上げていると首が疲れるので、店主が腰につけているクマのエプロンに向かって話しかける事にする。
「オススメの干し果物。適当に袋詰めにしてもらえる?」
「おう。うちの商品はどれもオススメだぜ。待ってな」
踵を返した親父はさっと紙袋を用意し、次々と見たことがない果物を放り込んでいった。
随分と手際の良いことだ。
「ほらよ」
あっという間に干し果物の袋詰めを完成させた親父は、それを片手で持って私の顔の前に差し出した。
私はクロークの隙間から両手を伸ばし。
「ありがとう」
丁重に受け取る。
……さて。
ここで一つ駆け引きをしなくてはならない。
何故なら、私はこの世界の通貨など持っていないからだ。
「店主。最近、何か困っていることはないかい?」
「困っていること? 女房が子供を連れて出て行っちまったことだな」
それは自分で何とかしてくれ。
「他には?」
「たくさんあるぜ。干し果物の売れ行きが悪いとか、天井から雨漏りしてるところがあるとか」
うーん。何とかできる話ではないな。
なかなか思惑通りの答えを引き出せず、歯がゆい思いをしていると、店主は自身の頭をペチペチと叩きながら豪快に笑った。
「髪がねぇのも悩みだな、がっはっは」
その言葉を聞いて、私は不敵な笑みを浮かべる。
「あるよ」
首を傾げる親父。
「あるって何が……」
「毛が生える薬、あるよ」
あれだけ接客スマイルを欠かさなかった親父の顔から笑顔が消える。
「馬鹿野郎。そんな夢のような薬、あるわけ……」
ポーチから徐に取り出した一本の試験管を、たじろぐ親父に見せつけるように掲げる。
店内の明かりに照らされて輝く金色の薬液。
「これを飲めば、毛が生える」
初めてシャボン玉を目にする子供のような瞳で薬液を見つめる親父だったが、すぐに我に返ったように首を振ってそっぽを向く。
「いやいや、嬢ちゃん。嘘はいけねぇ。俺は騙されないぜ」
必死に抵抗しているようだが、顔を背けても目線は薬に釘付けとなっている。
喉から両手両足が出るくらい欲しがっているのが見て取れる。
私も身長が伸びる薬があると言われたら、怪しさなんて関係なしに同じ顔をしていたかもしれない。
試験管を左右に揺らしながら、親父の視線を弄び、更に交渉を続ける。
「なら、こうしよう。先に薬を飲んで、毛が生えなかったら倍の料金を払う。その代わりに、もしも毛が生えたら干し果物と物々交換ってことで、どう?」
表面上は難色を示していた親父の口元が、大義名分を手に入れたことで綻びを見せる。
「しょ、しょうがねぇ。最近、売り上げが悪いからな。倍の料金を払うってなら……」
よし、落ちたね。
私は震えながら両手を差し伸べる親父に試験管を手渡した。
親父は渡された試験管をゆっくりと口元に運び、息を呑んで一旦停止。
心の準備がまだらしい。
後押しをするように、くいっと試験管を傾けるジェスチャーを見せてやると、ぎゅっと目を閉じた親父が勢いよく口に薬液を流し込んだ。
「おぉ……おぉぉぉぉ!!」
間もなくして、親父の枯れた大地から髪の毛がぼわぼわと伸び始める。
それはやがて、肩に掛かるほどの長さまで伸びて成長を止めた。
「髪の毛だ……髪の毛だ!!」
干ばつの農家が雨乞いに成功したかのようなはしゃぎっぷりである。
巨漢が子供のように飛び跳ねるものだから、店内が少し揺れている。
落ち着け。
「嬢ちゃん! ありがとよ! 約束通り、干し果物はそのまま持って帰っていいぜ!」
「気に入ってもらえて何よりだよ」
「ああ、最高だ」
私達は笑顔で握手を交わした。
……まぁ、その、なんだ。
その薬は三日後に全身の毛が抜け落ちるという副作用があるのだが。
それは黙っておこう。髪は生えたのだ。嘘はついていない。
「ところで、店主に聞きたいことがある」
「おう。何でも答えるぜ」
鼻歌を奏でながら手櫛で髪を整える親父に若干の鬱陶しさを感じつつ、私は話を続ける。
「実は、私は遠い森で暮らしてて、この世界の情勢に疎いんだ。色々教えてくれないか?」
「疎いって言ったって。魔王くらいは知ってんだろ?」
魔王。魔王ね。
ちょっとかまをかけてみるか。
「ああ、それくらいは知っているよ。でも、この街には勇者がいるんじゃないの?」
「そうなんだ。三年前に神の信託を受けたっていう少年が現れてよ。その子が人並み外れた力を授かったってもんで、人類の希望になると当時は騒いでたぜ」
ふむふむ。
干し果物の売れ行きが怪しいと言っていたのは本当のようで、他の客が来る様子もなく、私は安心して立ち話を続行する。
「へー。今は違うの?」
「それが、まだ子供でな。十歳くらいのもんだ。いくら勇者って言っても、そんな子供に魔王が倒せるとは思えねぇ。それに……」
さっきまでノリノリで、遂にはポージングまで始めていた親父が急に表情を引き締めて言い淀む。
「それに?」
「あぁ、その子の父親にちょっと問題があるんだ」
それは詳しく聞きたいね。




