『勇者のいる世界②』
――結果から言うと、変化はあった。
「うへー」
遠視ゴーグルで見える光景に思わず声が出る。
さっきまでの閑静な森が嘘のようだ。
足跡を辿って行き着いたのは、とある崖の麓だった。
そこには少年を襲っていたものと同種の獣が群れをなし、ここは我らの土地だと言わんばかりの形相で一帯を陣取っている。
十……二十……凄い数だ。
そこまで躍起になって、彼らは何を守っているのか?
簡単な話である。
あそこは彼らにとって大事なエサ場なのだ。
確かに、あれだけたくさんのエサを見つけたら占領したくもなるのだろう。森に獣の姿が見当たらなかったのは、ここに集まっていたからなのかもしれない。
それにしても、随分と美味しそうに食べるものだ。
「そんなに美味しいものだろうか。人間とは」
彼らが餌にしているのは山のように積まれた人間の屍骸だった。
どうして大量の死体が遺棄されているのかは知らないが、獣にしてみればパラダイスと言えるだろう。
私は雪のベッドで眠る少年を再び背負い直し、迂回する形で歩み出す。
好奇心を煽られる光景ではあったが、あそこに突撃するほど無謀じゃない。
発煙筒もさっきの一本で使い切っているし、嗅ぎつかれる前に離れるとしよう。
日が暮れる前に寝床も確保しておきたいしね。
それから一刻して。
そろそろ少年を往復ビンタで叩き起こそうかと思っていると、ようやく拠点を構えられそうなスペースを発見する。
「もう、無理だ」
早々に展開した拠点の中へと入り込んだ私は崩れるようにダウンした。
ここまでの道のりは、地獄そのものだった。
と言うのも、迂回したところには矢印を模した看板が立っており、それが指し示す方に目を向けると、崖上へと繋がる長い長い坂道があったのだ。
既に膝が笑うどころか抱腹絶倒しているというのに、自分の身長と大差のない少年を背負って坂道を登るなど気が狂っているとしか言いようがない。
でも……でも!
それでも文明に触れたいという欲求が私の足を突き動かした。
登って、登って、転んで登って、登り切る。
そして日は沈み、やっとの思いで頂上の大地を踏みしめ、満を持して見上げた景色。
私は膝から崩れ落ちた。
「……嘘でしょ」
目の前の現実を紙のように引き裂きたい衝動に駆られる。
どうやら……この崖は大小二つのホールケーキを重ねたような地形をしているようで、街があるのは上のホールケーキなのだ。
ようするに、登り切った先で二本目の坂が手招きをしていたのである。
目と鼻の先に街らしき外壁が見えるが、私の探求心を持ってしても気力を湧き上がらせることは出来なかった。
これは駄目。これは立ち直れない。
私の心は一本目の坂を登り切った時点で一度、途切れてしまっている。
諦める他にないようだ。
あそこに街を建設しようと言い出した愚か者に、石の入った雪玉を投げつけてやりたい。
こうして街に辿り着くことを断念した私は、坂から少し離れたところに空いた土地を見つけ、拠点を構える事となった。
ここが下の森よりも密度が低くて助かった。
もしこれで野宿を強いられていたなら、異世界転移装置を叩き割って二つの意味で爆発していただろう。
少年を適当な床へと寝かせ、タオルケットをそっとかける。
それから無造作に転がる椅子を立てて座ると、どっと疲れが押し寄せた。
足に自我がなくて良かった。もしも自我があったなら、私のような雇い主とは契約を切ってスタコラ転職していたに違いない。それほどの酷使だった。
腕を枕にして机へと突っ伏し、顔を横に向けて少年の姿を見据える。
「…………」
気になる。
何故、この子は森の中に居たのか。何故、襲われていたのに無傷なのか。
街についても問い掛けたい。死体の山も。発煙筒の臭いの感想も。
聞きたい事が山ほどある。
早く起きてくれないだろうか。
少年への質問を考えながら、大きな欠伸で息を吸って、大きな溜息を吐く。
あー。蓄積した疲労もあってか、夢の世界へおいでと微睡みが熱烈な勧誘をしてくる。
そこまで言うなら仕方ない。
少しだけ、目を閉じるとしようか。
――それからどれくらいの時間が過ぎたのだろう。
肩に感じる違和感をキッカケに、私は目を覚ました。
ゆっくりと上体を起こすと、肩の違和感が背中を撫でてすり落ちてゆく。
なんだ。
寝ぼけ眼で落ちた物を確認すると、それはタオルケットだった。
タオルケット。タオルケット?
まだ寝起きで覚醒していない脳ではそれ以上の思考が続かない。
「んーぁー」
声にならない声をあげながら視界のピントを合わせるように目を擦る。
寝起きから通常運転まではいつも時間がかかる。
意識も視界もクリアになってきたところで、何を確認するわけでもなく、なんとなく辺りに視線を散りばめた。
大体は見慣れた光景であったが、そこである事に気付く。
何やら私の前に人が立っている。
その人物の足から胴体を経由して顔面へと辿り着くと、少し怯えた様子でこちらを見つめる金髪の少年と目があった。
この少年は……。
「…………」
「…………」
べちっ!!
瞬時に覚醒し、少年の頬を両手で鷲掴みにした私はぐっと顔を引き寄せて圧を掛ける。
「聞きたい事がある」
「は、ふぁふひふは」
私に頬を掴まれてまともに喋れない少年が酷く驚いた様子で戸惑っている。申し訳ないが、これより質問責めの刑である。
しかし、同時に私のお腹が栄養の補給を求めるやかましい音を奏でた。
心の中で舌打ちが鳴る。空気の読めない卑しい腹め。
仕方ない。
「まずは食事としよう」




