第2話:守護境界線の悪友
間もなく夜が明けようかという頃、教育長に言われた反省文十枚をなんとか書き上げ、寝不足の目をこすりながら、私はもう一つの「顔」としての仕事に従事していた。
エマという女性は、教師としての顔の他に、城や王都全体のインフラ――例えば、魔術的な照明、水道の昇圧、結界の維持管理、魔法を使った食料やリネンの管理の補助といった、地味だが人々の生活に不可欠な業務を複数担う「使用人」でもあったのだ。
授業がない時間は使用人として忙しく動き回っていたようだった。
「……ふぅ。エマさん、日誌が事細かに書かれていて助かるけど……この仕事量、正気じゃないわね」
私は腰に、使い古された魔導工具のベルトを巻き、城内の回廊を歩いていた。
教師の仕事が終われば、すぐさまこの使用人の仕事が始まることも少なくない。
教育長にバレないように試したい強力な魔法はまだまだたくさんあるのに、そうも言っていられない日は続く。
エマの残した「使用人業務日誌」には、城の石壁のどこに魔力回路が隠され、どの門の歯車に魔導油を差すべきかや魔導灯の位置が、かなりの細かさで記録されていた。時々補充に回らないといけないようで、その周期もまとめられていた。
重い工具袋を肩に食い込ませながら、私は「第三の門」へと向かった。
王城の守りは三段階に分かれている。第一の門は城下町との境界、第二の門は学園や貴族街への入り口、そしてこの第三の門こそが、王族や要人、貴族の住まう内郭を守る最も強固な境界線だ。
その巨大な鉄の門の前で、一人の男が槍を抱えて座り込み、大きな口をあけて欠伸をしていた。
「……あ。カイル」
思わず、昔の癖で名前が漏れそうになり、慌てて口を押さえる。
そこにいたのは、ぼさぼさの茶髪を隠しもしない、眠たげな瞳の髭面の青年だった。
見張り番のカイル。本来の世界線でリリーだった頃、私が最も「気が合う」と感じていた、城内一無能と言われる門番だ。
琥珀色の瞳が気怠げに私を捕らえる。
「……んあ? なんだ、エマの先生か。今日は魔導灯の点検日だったか?」
カイルは私――エマを見るなり、やる気のない声を上げた。
以前のリリーだったら、ここで「ちょっとー!一番大事な門の番人でしょ!一応はシャキッとしておきなさいよ!」とゆるい冗談口調で突っかかるところだが、今はただの使用人エマ。私は努めて冷静に、会釈を返した。
「ええ、調子が悪そうだと報告があったので。……そこ、どいてくれる?」
「へいへい。お仕事ご苦労なこった」
カイルはよっこらしょと重い腰を上げ、壁際のレバーを指差した。
――カイル。
彼は昔から、騎士団長や見張り番長に怒鳴られてばかりいた。
議会に召喚されたという要人の入城を勝手に拒んだり、勤務中に堂々と昼寝をしたり、決闘と称した激しい喧嘩を目撃しても制止せずむしろ勝敗を賭けて様子を眺めていた。
当然それらは見回りの兵に見つかり、トップに報告がいく。面と向かって「無能」と言うトップも多かった。
騎士団長たちに怒られていない時のほうが少ないと多くの団員に思われていた。
しかし嫌われものというわけではなく、特に若い男の子たちには人気でよく挨拶されているところを見かけた。
門番らしからぬ態度が話しかけやすく、口うるさいことを言わないところが好かれているらしい。
第三門内の人間たちは、皆どこかカイルとは距離を取っているようだった。夜は毎日酒場に入り浸って柄の悪い男や派手な女とつるんでいるという噂も影響しているのかもしれない。
そんな噂は心底どうでもよくて全く気にしない、お転婆だったリリーはカイルにたくさん助けられてきた。
第三門から出るなと言われてウンザリしていた私の話を聞き、こっそり外に出してくれたことが何度もある。
初めて城から脱走すると決めた日、もし手助けしていることがバレたらカイルが怒られるのではないか心配だと遠慮がち伝えるも、バレなきゃいーんだよ。とニヤリと答えるカイル。
そういうことなら!と目を輝かせて早速出ていこうとするリリー。
遠慮ねぇなあと笑うカイル。口数の多くない無愛想な男の珍しく柔らかい表情に驚いたのを覚えている。
その後悪い表情をしたカイルに門を出てからのルートをはじめ、バレにくい変装やら街で浮かない所作や話し方のコツを教わってから出た街は本当に楽しかった。
内緒だからな。バレないように行けよと度々外へ出してくれたのはいい気分転換になって有難かった。
リリーにとって城のレッスンはまあまあ窮屈だった。特に厳しい熟年のメイド長によるダンス講座と裁縫講座にはげんなりしていた。
学生時代も裁縫は苦手だったが、卒業後の今もチクチクやらされていることに納得がいかない。一度父である国王にもう無理!辞めたいと直談判したが、じゃあ苦手じゃなくなるまで尚更頑張りなさいと言われてしまった。
ダンスは一通りそつなく踊れるが、これもいまだにやらされている。
決まったステップを繰り返し、曲が始まれば一定の時間拘束されるダンスは性に合わなかった。
早く終わって欲しいという雑念を抱えて踊るせいで心ここにあらずとなり、相手の足を踏んづけることも少なくなかった。
ダンスや裁縫の時間が近づけば近づくほどに、あー。いやだなあ。もっとワクワクすることしたい!となるから我ながらたちが悪い。
時たまどうしても我慢できず講座が始まる前に部屋を抜け出して、この強固な第三の門を通り抜けようとするたび、彼はいつも呆れた顔でこう言ったものだ。
『姫様、また脱走っすか。……まぁ、あんたの言い分にも一理あるし、今日はあんたの気に入っている行商が来る日だしな。行っといで。ただし、門限は守れよ?』
彼は、私がきちんと理由を話せば、騎士団長の指令に背くことになったとしても外に出してくれる唯一の大人だった。
その理由が「こんなに天気のいい日なのに針でチクチクブランケットを縫い続けるのは、どうしても耐えられない」だったとしても。
街に出たくなったとしても、どうしても出られない日は時たまあった。カイルが非番の日だ。
うまく部屋を抜け出せたとしても、第三門でカイル以外の人に見つかれば、即、城内にもどされ顔を真っ赤にしたメイド長との楽しい談話と追加の課題が待っている。カイルが不在の時は城内で適当に隠れて時間をつぶしてから部屋へ戻るようにしていた。
いつの間にかカイルが門にいる日を楽しみにしていた。
顔を出せば文句を言いながらも、なんだかんだで話を聞いてくれるカイル。
話を聞いているのかいないのかイマイチわからない適当な相槌がリリーには心地よかった。
やる気のない門番と気ままに話すのはなんだか楽しかったから、街へ抜け出す予定のないときも度々門へ遊びに行っていた。
誰にも言えない相談ごとや雑多な軽口も、なんのしがらみもないカイルにならなんでも話せた。そういえば昔、剣術の特訓にも半ば強制的ではあったが付き合ってくれたっけ。
カイルの持ち場の近くには背の低い植え込みがいくつかあった。その影に寝転がって話せば誰か通りがかっても見つかることはなかった。
ごろんと仰向けに寝そべるリリーを見て、行儀の悪い姫様だこと、とカイルは呆れたように、でもどこか面白そうにくつくつと笑っていた。
カイルと関わりが増えていくと、この無愛想で気怠げな青年は意外と笑うのだということに気付く。
街へ出るときは第三の門さえ抜ければ、比較的警備の薄い第二、第一の門は私の魔術や変装でどうにでもなる。行き交う人も多く、紛れやすい。
そこまでの道を繋げてくれていたカイルはリリーにとって「話の通じる、最高の悪友」のような存在だったのだと改めて感じる。
「……何か、俺の顔に付いてるか?」
「え? あ、いえ、なんでもないわ。作業を始めるから」
じっと見つめてしまった私を、カイルが不思議そうに覗き込む。
私は動揺を隠すように、門の横にある魔導回路の点検口を開けた。
(相変わらずね、カイル。全然やる気がなさそう。……でも、クビになっていなくてよかった。)
そう。カイルは無能と呼ばれ、バカにされていながら、何年もこの重要な第三の門の担当を外されていない。不思議な男だ。
作業をしながら、私はふと、少し前の苦い思い出を振り返っていた。
ある日、街で大きな祭りがあることを知った私はいつものようにカイルに「外に出して」と頼み込んだ。けれど、その日の彼は珍しく頑固だった。
『だめだ。今日は絶対に出さない。』
『なんでよ! 出してよ!カイルのケチっ!意地悪!!』
こどもっぽい罵声を浴びせてしまった私に、彼はただ、鼻を鳴らしてこう返した。
『はいはい、ご存知の通り俺は無能なんですよ。……いいから、今日は部屋でいい子にねんねしてな』
私は本当に腹がたって癇癪を起こし、一晩中枕を叩いた。あの飄々とした口調も今回ばかりは、私を憤らせる理由の1つとなっていた。
けれど後になって知ったのだ。その祭りの夜、街には隣国からの工作員が紛れ込み、貴族を狙った襲撃事件が起きていたことを。
カイルは、誰よりも早く危険を察知し、私を守ってくれていた。
(……でもすっかり拗ねちゃってあの後、ちゃんと謝れなかったな)
工具を動かす私の手元を、カイルがぼんやりと眺めている。
「エマさんよ。あんた、最近少し……雰囲気が変わったな」
「……えっ?」
心臓が跳ねた。
魔導工具を持つ手が止まる。私は顔を上げず、努めて淡々と答えた。
「そうかしら。一週間、体調を崩していたから、少し痩せただけじゃない?」
「いや……。なんていうか、歩き方が違うというか。あと、その……俺を見る目が、昔の知り合いを見るみたいな目をしてる」
カイルの瞳が、いつになく鋭く光った気がした。
けれど彼はすぐにいつもの眠たげな表情に戻り、「やっぱ、気のせいか」と首を振った。
「まぁいいや。……作業が終わったら教えてくれ。また鍵を閉めるからよ」
大あくびをして座り込み、瞼をとじた。
私は生きた心地がしなかった。
カイルは鋭い。無能だ無能だと言われていたが、実は誰よりも人や状況を観察し、冷静に分析しているのではと考えていたことを思い出す。
体が入れ替わったと仮説をたてて過ごしているこの状況を、自分でも完全に把握できていないなかで誰かに知られるわけにはいかない。絶対面倒なことになるだろう。
大急ぎで作業を終え、カイルに声をかけてから私は逃げるように門を後にした。
自室に戻る道すがら、私はもう一つの不安要素を思い浮かべていた。
現在のベルンシュタイン王国には、私の代わりに「リリー姫」として君臨している女性がいる。噂では、魔力が強く、性格も苛烈で、自分勝手な振る舞いが目立つという。今の世界線ではもともとそういう人物として認識されているのかと思いきや、そう言われ出したのは比較的最近らしい。以前は穏やかだったというのだ。
その後どうやら王宮内で「姫の虫の居所が悪いのは体調が優れないせいだ」ということになり、今は離れた場所の館で静養しているようだ。
酒場は情報がたくさん集まるし、大声で話す人が多くて噂話の収穫に欠かせない。
昼の酒場は口の軽いお喋り好きが多いようで様々な話を耳にできた。
偽のリリーの情報はなんとなく私に懸念をもたせた。
少し時が経ったころ。
エマとしての仕事――城のインフラを保守点検している最中、私は「見てはいけないもの」を見つけてしまった。
「……何、これ。管理用の魔力回路の裏側に、見たこともない術式が割り込んでる……」
複雑かつ巧妙に隠されていた謎の術式に震える。
エマの部屋にあった使用禁止魔法の本に書かれていた術式に近いものが幾重にもなっている。
これらの魔法が目立たないように細工して隠されていたという事実は本当に悪質だ。
以前の私は気づけなかったこの異様な術式も、エマの本をたくさん読んだおかげで気がつくことができた。
本には、術式が絡み合っている場合無理に解除しようとすると魔力の爆発が起きて発見者を葬る可能性があるということが書かれていたのを思い出す。
幸い今日の授業はない。1つ1つ慎重に読み解く。
それは、国全体を網羅するように地下へ敷かれた、巨大で禍々しい魔法陣の「断片」だった。
洗脳、扇動、そして――大規模な転移。
何者かによって構築されたこれらの邪悪な魔法は、こうしている今も不気味に稼働している。
平和に見えるこの王都の地下で、国そのものを根底から覆すような、恐ろしい陰謀が静かに、しかし着実に脈打っていた。




