第95話 手術
「ジョージ!」
「マリー……」
口から血を流す恋人を、マリーと呼ばれた女性は悲しそうに見つめました。
「二人は教祖さまの許可なくクルシミを抜けました。ゆるされざる棄教です。しかし全能のカミのお力で二人がいる場所がわかり、こうして無事連れ戻すことができました。わがカミは公明正大にして偉大なり」
道化師の言葉を、クルシミの全信者が大声で復唱します。
「わがカミは公明正大にして偉大なり!」
「それでは選ばれた者だけが受ける【手術】を、若い二人に施します」
広場に白衣を着てマスクをした大男とチビがあらわれました。
二人とも銀製の盆を手にしています。
その盆に乗っていました。
蛸と蜘蛛の合いの子のような生物が。
円形の体で肌はぬめって赤く、目や鼻はなく、十数本の触手が独立した生きもののようにウネウネ動いています。
「あれはニャに?」
ふだんものに動じないクロが震えています。
白衣姿の大男は男性の、チビは女性の前に立ちました。
大男はのんきに宣言しました。
「では始めまーす」
「や、やめ……」
大男は男性の首根っこを押さえると、彼の顔にベチャリ、と生きものを張りつけました。
張りつかれて男性は沈黙し、ただ全身を小刻みにガタガタ震わせました。
「た、助けて」
ベチャリ、と女性の顔にも生物が張りつけられました。
すると女性も声を出さなくなり、恋人と同じように全身をガタガタ震わせました。
イオリもブルックも吐き気をこらえて状況を見守りました。
やがて男女の顔に張りついた生きものの体が、徐々に小さくなりました。
いえ、そうではありません。
生きものは男女の口の中に入って行こうとしているのです!
新しい住み家の様子を確かめるように、あるいは相手を焦らして楽しむサディストのように、生きものはじっくり時間をかけて口内に侵入しました。
「べちゃり・ぐちゃり」
遠く離れた丘の上までそんな音が聞こえてきそうなグロテスクな眺めです。
生きものが徐々に入ってゆくと、男女は時折ビクッと痙攣しました。
最後に馬の尻尾のように触手をひるがえし、生きものは男女の口内へ完全に侵入しました。
若いカップルは二人とも白目を剥き、涎を垂らして失神しています。
大男とチビは自分が担当する相手の目や口をのぞき込み、なにごとかひとしきり話し合いました。
それから唐突にチビが振り返り、甲高い声で宣言したのです。
「適合しましたー」
固唾を飲んで見守っていた人々がワッと歓声をあげました。
「適合した!」
「カミの祝福だ!」
「オーム!」
「なにが祝福だ。ここは地獄だ」
イオリが青ざめた顔でつぶやくと、背後で誰かが嘔吐する音が聞こえました。
苦しそうなブルックの背中をカイが撫でています。
「殿下、大丈夫ですか?」
「……大丈夫。でも、ひどすぎる」
「まったくです。ありゃ手術というより熱々のクソをはさんだパンケーキを無理やり食わせるようなもんですな」
「うう」
騎士らしいカイの野卑なたとえを聞いて、ブルックはまたしても嘔吐しました。
イオリはなんとか吐き気をこらえ、再び広場に目をやりました。
さっき自分の知り合いかもと思った六人の様子を見たかったのです。
坊主頭と赤い髪の男女、金髪の小柄なカップル、そして黒髪に黒い瞳のカップル、いずれも楽しそうに笑いながら拍手しています。
担架で運ばれる被験者の男女をたたえているのです。
イオリは失望しました。
(こんなひどい光景を見てなぜ笑える? 汚くても嘔吐するほうがよっぽど人間らしい。やっぱり彼らはおれの知り合いなんかじゃない)
「見ろ」
準備を終えたイオリとアンナがやれやれと寛いでいると、ジェットがみんなを呼び寄せました。
「アレクサンダーが町を出て行く」
ジェットが指さす先に赤いワンピースを着たクルシミの教祖がいました。
馬にまたがり、十数人の信者を引き連れ町を去るアレクサンダーを見て、ジェットは目を輝かせました。
「教祖がいなくなるのはラッキーだ」
カイも意気込んで相棒に問いかけます。
「チャンス到来だ! ジェットどうする?」
「今しかない。『あれ』をやるぞ。カイ、準備はいいな?」
「もちろん」
副団長とともにジャックとエヴァンもうなずきます。
「殿下はいかがです?」
「いつでもいけるよ」
ジェットの言葉にブルックがうなずきます。
「ルーク、クロ」
「OKニャ」
「やろう」
「イオリ、アンナ」
「いけますケロ!」
「……」
「イオリ、どうなんだ?」
「やろう」
ジェットに念押しに問われ、イオリはようやく返事をしました。
その口調が、なんとなくふてくされています。そのとき
「ではエイジ、あとを頼むぞ」
中央広場でアレクサンダーが例の黒髪の男性に声をかけるのをイオリは見ました。
(教祖に直接声をかけられるってことはあの男、幹部クラスの信者だな)
「町に残っているのは腕自慢の武闘派だ」
丘の上ではジェットがみんなに活を入れます。
「大陸に暮らすすべての人間の運命を賭けた大一番だ。みんなこれから過ごす短い時間が、自分の人生最大のクライマックスと思え。
気合い入れていくぞ!」
「オウ!」
一行は鬨の声をあげて丘を降りました。
このときイオリはまだ気づいていませんでした。
これから体験するできごとで、例の悪夢の謎が解けること。
そして自分の胸に、生涯消えない痛みが残ることを。




